第4話

 個性とは何か。

 小倉美姫は考える。

 それはきっと奇抜・奇特な何かしらで自分を演出することではない。それではただの変人だ。悪目立ちがいいところ。目を背けられて誰にも相手にされない可能性さえある。

 自分に個性がないとも考えない。小倉美姫の自分の美貌への自負心もあるが、同じ制服を着ているからといって、学校の中に自分と〈同じ〉人間がいるはずもない。

 個性とは、何か……といって、小倉美姫は哲学的にうんうん悩んでいたわけではない。ただぼんやりと「何だろうなぁ」と考えて日々を過ごしていた。

 しかしある晩、自宅のパソコンを使い、通販サイトで服を眺めているときに、急にひとつの悟りを得た。

「……そっか」

 個性とは……〈選択〉だ。

 ぶれない基準による選択であれば、なおのこといい。

 人は皆、何かを選択しながら生きている。

 髪型を、服装を、装飾を。

 食事を、趣味を、修学を。

 住居を、職業を、人生を。

 友人を、恋人を、伴侶を。

 好きか嫌いかで、あるいはその人なりの合理性で、選んでいる。

 生き方を選択している。

 そういう意味では変人になってしまうのもひとつの選択ではあるだろうが、一度変人になったのなら、すべて変人として行動しなければならない。でなければ気まぐれなだけで、個性とは言えなくなる。

 ぶれない自分だけの価値基準を持つこと。それが個性だと、小倉美姫はひとつの結論を得た。

 ここまで考えが至ると、生年月日や身長体重などの〈データ〉が個性ではないという蒲原の意見にも同意できた。誕生日を選べる人間などいない。ただ与えられた物は個性とは呼べない。

 さて……それでは、

 個性ある人間……より正確には、〈蒲原洋二が見つけられる個性のある人間〉になるためには、どうすればいいか。

 何を、どのように選択しなければならないのか。

 考えた末に……考えるのをやめることにした。


 あの雨の日を経てから、蒲原は放課後にも一時間ほど、第二図書室で小倉と話をするようになった。

 蒲原の気が早ければ、あるいは手が早ければ、一足飛びに関係は進展していたはずなのだろうが、それは今まで自分に言い寄ってきた男たちの共通点であっただけで、蒲原には当てはまらなかった。

 焦り過ぎていたのは事実だった。蒲原に対しては時間をかけて距離を詰める必要がある。蒲原と話すようになってから三週間。思えば当初よりかは断然に関係は発展しているとも言える。

 着実に〈蒲原の時間〉に、小倉美姫という人間が侵食している。

 ただ、もう一歩進むためには、それだけではダメだった。

「蒲原くん、ちょっとこれ見て」

 とある放課後に、小倉は一冊のヘアカタログ雑誌を蒲原に見せた。

「蒲原くんはさ、女の子のどんな髪型が好き?」

「んー?……考えたこと、なかったなぁ。何でもいい気がする」

 その回答を真に受けてはならない。

「長いのと短いのとでは?」

「……長いほう、かなぁ。あんまり長すぎるのも『大変そうだな』って思うけど」

「ふーん。……あ、この人。この女の人はどう?」

「それくらいでちょうどいいと思う。……でも、髪の色が嫌だな」

 意外な反応。重要な情報。

「もっと自然な髪染めがいいの?」

「というより、髪の毛を染めること自体、あまり理解できない。黒髪だと似合わない服装があるっていうのはわかるけど、自分本来の髪色を受け容れられないっていうのは……」

 蒲原の語る理屈は、まったく共感できないという点に目を瞑れば、理解できた。

「髪色は、白髪染め以外は自然のままがいい」

「私もそう思う。染めたり戻したりって大変だもんね。髪の毛傷みそうだし」

 まったくの嘘だったが、その場は同調しておいた。

「どうしてそんな雑誌を?」

「ちょっと髪型変えてみようかなーって」

 嘘は言っていないが、本当のことも言っていない。

 本当のところは、蒲原の好みを探るため。

 蒲原に〈選択させる〉ためだった。

「またいろいろ、参考に聞いてもいいかな?」

「……僕の意見は、参考にならないと思うけど……」

 それから小倉は、何気なく雑誌を見せたり通販サイトの写真を見せたりして、蒲原に意見を求めた。

 服、靴、装飾……蒲原は、天然素材の物を好み、目のやり場に困る服を嫌った。

 自分とふたりで出かけるとしたら、どこに行きたいかと尋ねてみた。

「……普通に、天神とかに行きたいな」

「ハイキングとかじゃないんだ」

「山にはひとりで行けるけど、街中は、男ひとりじゃ入りにくい所もあるし……今は天神に行っても本屋しか寄る所がないから」

 犬と猫、どっちが好きかと聞いてみた。

「猫かな。飼ったことないし」

「じゃあこっちあげるね。よければ使って」

 そう言って渡した猫の刺繍の入った布製のブックカバーを、蒲原はプレゼントとして律儀に使ってくれている。蒲原の影響で少し本を読むようになった小倉は、犬の刺繍の入ったブックカバーで恋愛小説を包んでいた。

「タイムマシンがあったとして、蒲原くんなら、過去と未来、どっちに行きたい?」

「……どっちかなら、過去かな。僕が生まれる前に亡くなったおじいちゃんに会いたい」

「優しいね。私は……私も、過去かな。小さいころの蒲原くんに、『私は将来のきみのお嫁さんだよ』って言って、驚かせたい」

「はは……てきめんに驚くよ、きっと」

 あるとき小倉はスマートフォンで、通販サイトの画面上に、ふたつのショルダーバッグの写真を出した。

「どっちかの鞄を買おうかと思うんだけど……蒲原くんは、どっちがいいと思う?」

「んー……白いほうかな」

「そっかー。じゃあ、そっちにしようかなー」

 嘘だった。実際にはすでに両方とも持っている。

 選択と同調。

 どんなつまらないこと、些細なことでも構わない。蒲原に選択させ、自分が同調することが、小倉の新たな策だった。

 蒲原のために何を選択すべきか、という考え方は放棄した。

 蒲原に選択させようと小倉は決めた。そしてそれに同調してやろうと。

 今までは自分の何を変えなくとも男はなびいたが、蒲原に関してはそうもいかない。

 蒲原の生き方に自分の存在を少しずつ侵食させるだけでなく、自分のほうにも蒲原の存在を侵食させなければならない。

 蒲原好みの女にならなければならない。その前提を守りつつ、小倉が調整する。

 それが彼女の〈選択〉だった。自分の選択を反映させた女なら、蒲原でも〈見つけられる〉かもしれない。

 また、どんな些細なことでも同調の意を示すことで、「気が合う」と思わせたかった。

 可能な限り〈思い出〉を作る。共有する。

 それもまた自分を〈特別〉にしてくれるだろうと考えていた小倉は……あるとき、思い切った行動に出た。


 とある金曜日の放課後の第二図書室の中で、何か面白そうな本はないかと、ふたりで棚を巡っているときだった。

 試すなら今かもしれないと、まだ本を手に取っていない蒲原に話しかけた。

「蒲原くん、ちょっと、変なこと、聞いてもいい?」

「変なこと?」

 保管用でしかない書架の林は、触れ合わずにすれ違うことが不可能なほどに通り道が狭い。

 万が一にも人目についてはならないことを試そうとしているのだから、本棚の隙間にいる今が好機だった。

「その……私の体でさ、魅力があるとしたら、どの部分だと思う?」

「みっ……えっ?」

 蒲原は眼鏡の奥で目を見開き、小倉の頭から爪先まで視線が泳いだあとに、すぐに目を逸らした。蒲原をずっと見つめていた小倉には、彼の瞳の動きがよく見えた。

「私も恥ずかしいんだけどさ……長所は伸ばしたいじゃない? 短所は良くしたいじゃない?」

「そんな……わわ、悪いところなんて、ないよ」

 小倉は自分でもそう思っている。

「そうは思わないけどなぁ。太ってるし。……じゃあ、どこがいいと思う?」

「……どこが……」

「目かな? 唇かな? それとも……」

 小倉が自分の目や唇を指差し、さらに下に蒲原の視線を誘導しようとしたところで、目の前の男は目を逸らした。

「てっ、手だと、思うっ」

「手?」

「そ、そそ、そう。……み、美姫さんは、手がとても、き、きれいだと、思うよっ。この前、あ、握手したときに、そう思った」

 話はこれでおしまいとばかりに蒲原は急に歩き出した。背後でにやにやと笑いながら、小倉はそのあとを追う。

 裏側の棚で、小倉と目を合わせないように書架を見上げていた蒲原は、適当な本に手を伸ばそうとした。

 その伸ばした右手を、小倉の左手が捕獲した。

 びくりと蒲原の肩が震えた。

「み、美姫さん?」

「私も好きよ。蒲原くんの手」

 蒲原の右手を捕まえたまま、ゆっくりと下ろさせ、視線を無理矢理に自分へと向けさせる。

「ごつごつしてて、男っぽくて……でも、爪が伸びてることがなくて、清潔なところが好き」

 捕らえた手を手繰り寄せ、ぬるりと五指を絡ませる。

 そうして更に、自分の右手も、手のひらを上に向けて差し出した。

「私の手に触れて。……私にも触れさせて」

「そっ…………そうして、ほしいなら……」

 蒲原は右手の指を絡め取られたまま、左手を小倉の右手の上に重ねた。

 小倉は蒲原の左手を、そっと包んだ。

 そのときに自分の中指を、ばれないように蒲原の左手首の静脈に立てた。

 思ったとおりに、どくどくと尋常ではない速さで脈が動いていた。

 小倉から見て左手側は指を絡め、右手側では重ねるだけ。その両方ともが蒲原の緊張による汗で湿り気を帯びてきた。ただ手を繋いでいるだけなのに。

 しばらく小倉は蒲原の顔を見つめていたが、蒲原は、目の置きどころに困っているのか、つながれている手に目を落としたまま、顔を上げようとしない。

 ここまで雰囲気を作ってやっても乗ってこないのかと、小倉はじれったく感じた。その一方で、うぶすぎる男がかわいくて仕方なかった。

 もっといじめたい。嗜虐心が刺激される。

 もっと困った顔を見たい。

 顔を……

「……ねぇ、蒲原くん」

 小倉は繋いだ両手を下げさせた。自然、蒲原の顔が小倉を向く。

「キスして」

「はへっ!?」

 素っ頓狂な奇声を発した蒲原を、まじまじと見つめる。眼鏡の奥で瞳がぐるぐるさまよっている。

 楽しい。とても楽しい。

「キスした相手の顔は、忘れないでしょう? きっと〈見つけて〉くれるでしょう?」

 ようやく今回の試みの最終地点にたどり着けたわけだが、もはや小倉は事の成否については頓着していなかった。

 自分の手の中で男を転がすのが、楽しくて、楽しくて……

 心持ち顎を上げ、小倉は目を閉じる。

 手の中で蒲原の肌が熱い。自分の体温の上昇も感じている。胸の奥でどきどきと心臓が痛いほどに高鳴っているのを感じる。

 必死に抑えるような蒲原の息遣いが目の前に近付いてきて、小倉は目を開けたくなる衝動を堪え、閉ざした瞼にぎゅっと力を入れる。

 そのとき彼女が感じた昂揚と興奮は、まるで本物の恋のようだった。

「……だっ……」

 しかし、

「ダメだダメだダメだっ!」

 振り払うようにして手を解き、蒲原があとずさった。

「こ、こここ、こういうことは、こい、こい、恋人同士になってから、するものだっ!」

 もう少しだったのに!……と小倉は、指でも鳴らしたい気分だった。

「私じゃ……ダメなの?」

 すぐに感情を切り替える。残念そうに、傷ついた素振りを忘れずに。

「だだだダメってことは……いいや、やっぱりダメだっ。ここは、そっ〈そういうこと〉をする場所じゃないっ」

 今までで一番の狼狽を見せた蒲原は、詰襟の袖で額の汗を拭っている。

「み……美姫さんの気持ちは、わ、わかっているつもりだ。……でも、やっぱり、ダメなものはダメだ。ここは学校で、きみとはまだ友達だ」

 どういう教育を受けたらこれほど真面目で素直な十五歳に育つのだろうかと、まだ見ぬ蒲原の両親に敬意を禁じえない小倉だった。

「そっか。……ごめんね。無理なこと言って」

「ああ。今後は本当に、こういう心臓に悪いことはやめてほしい。寿命が縮んだよ」

 珍しく蒲原が冗談を言ったので、小倉も調子に乗ってみた。

「どうしよっかなー」

「いやマジで勘弁してくれ」

「ごめんごめん。……でも、蒲原くんがドキドキしてくれて、私、なんだか嬉しい」

「……そう。それなら良かったよ」

 見るからに疲れ果てている蒲原は「今日はもう帰るよ」と、ふらふらと通学鞄を取りに窓辺の机に向かった。

 第二図書室を出て、駐輪場での別れ際。

「好きだよ。蒲原くん」

 誰かに聞かれるかもしれなかったが、思わず言葉になっていた。

 自分で言っておきながら意外だった。だが、返ってきた蒲原の言葉も意外だった。

「……僕は、ひょろひょろしてるけど、これでも男だ。……僕がほかの人のように普通にきみを〈見つける〉ことができるのなら……何もためらわない」

 真剣に話しているとき、蒲原は猫背が治る。

 身長差がわずかに開いて、小倉はどきりとする。

「今、小倉さんの気持ちに応えられないことが、とても悔しいよ」

「あ……あり、がと。……ねぇ、明日って空いてる?」

 小倉は「ダメ」と言われて「ハイそうですか」と引き下がる女ではない。何度でも蒲原の心臓を追い詰めるつもりでいた。

「ふたりでどっか行かない?」

「あー。……ごめん。明日はひとりになりたい」

「じゃあ日曜は? 一緒にお昼とか」

「いいよ。大丈夫」

「連絡するから」

「うん」

 それじゃ、と蒲原は、自転車に跨って去っていった。

 ……その夜小倉は寝る前に、今ごろ蒲原が放課後のことを思い出して悶々としているのだろうと思って、愉快な気持ちに浸っていた。

 そんな自分もまた、蒲原のことを考えていたというのに。

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