第34話 新たなる恐怖6

 なにかおかしい。テロには完全に失敗している。いまさらなにをあせっているのだ。街の騒音は高鳴っている。怒号も飛び交っている。でも秀人は無事だろう。

 路上の群衆はたいへんなことになっている。騒音の感じで夏子と隼人にはわかる。ぴんと伸びた夏子の髪はぎりぎりまで伸びた。

 鹿人の変形した蝙蝠は鉤爪をたてて壁を登りつづける。この期におよんで、まだ屋上へむかっている。

 なにかおかしい。

 ぴんとのびた髪は蝙蝠を捕えたままだ。夏子が窓際まで走り寄る。スパークが髪の先端まで煌めく。髪の毛がひかれる。もうこれ以上のびない。

 限界だ。

 スパークを浴びて蝙蝠が一瞬、鹿人の人型にもどる。

 壁面から剥がされて鹿人は落ちる。

 ギャッという悲鳴が川面でする。

 鹿人は流れにおちた。

 夏子も隼人もこのとき鹿人の脳波を読んだ。

 吸血鬼は、流れる水に弱い。

 鹿人は恐怖のあまり秘めていたことを露呈させた。

 鹿人がどうなったか確かめている余裕はない。

 たいへんなことを鹿人の脳からリーデングした。

 ハッとした表情が夏子に浮かぶ。

「鹿人の心の声。聞いたよね」

 夏子が隼人に確かめる。

 夏子は動揺している。

 いま聞いた鹿人の内なる声が信じられない。

「隼人、屋上へ急ぎましょう」

「まだなにかあるのですか」

 松本が背後で必死に呼びかけている。応えていられない。

「屋上よ。屋上。隼人きて、急いで」

 夏子は鹿人のように窓から外に出る。まさか蝙蝠に変身する気ではないよな。と隼人はあわてて考える。警備員の松本がいる。夏子に声をかけるわけにはいかない。

 夏子の姿は窓の外に消えた。なにかが壁を伝わって屋上へ上っていく。

 隼人はエレベーターに駆けこむ。隼人は懸命に不吉な予感を抑え込む。

「まだ後があるからな。まだ勝負はきまっていない」

 鹿人の川へ転落まぎわの悪意にみちたメッセージ。

 夏子はあのステゼリフからなにかを察知した。

 それでこそ、窓から外に出た。

 それでこそ変身してでも屋上に急いだ。

 鹿人はなにか仕掛けている。

 まだなにかある。

 なにか鹿沼を衰退させるようなことを仕掛けている。

 それは隼人の直感だ。

 不安になった。なにを企んでいるのだ。

 それがわからないから不安に慄く。

 寂れてしまった鹿沼の街が、イメージとなって浮かぶ。

 そうなってほしくない。

 ぼくと夏子はこの街で結婚するのだ。

 街が滅びないためにも、戦う。

 ぼくらを育ててくれた街を守りぬく。

「ここよ。隼人。ここ」

 屋上に駆けつけた隼人に夏子が叫ぶ。

 屋上――はじめて夏子と隼人で鬼島や田村と戦った場所だ。

 夏子は給水塔の影にいた。

 屋上でも人目につきにくい所に、鶏小屋があった。

 金網の囲いの中で鶏が死んでいた。

 その奥は鉄の扉があった。

 扉の向こうは闇。

 闇の中からいままさに蝙蝠が夜の空に飛び立とうとしていた。

 扉の脇にはRFが倒れていた。ジュワっと溶けている。

「はやく、隼人。わたしが飛びこんだら扉を閉めるのよ」

 鹿人の悪意に満ちたステゼリフ。

 隼人は不吉な予感に戦慄する。

「外から鍵をかけて。鳥インフェルエンザの保菌蝙蝠がいる」

 夏子の声が直接隼人の頭にひびいてくる。

 予感は現実となった。

 最悪の形で。

 邪悪な形で。

「バイオテロじゃないか」

 隼人は扉の中の夏子に呼びかける。

 応えはない。

 夏子が蝙蝠に訴えかけている。

 説得しているようすが隼人の脳裏に浮かぶ。

「このまま夜の闇に飛び立つことは止めて。おねがい。そんなことをすれば、鹿沼だけではない。宇都宮も全滅する。人間にも感染する恐れがあるのよ。おねがい、この闇の中でおとなしくしていて」

 扉の内部では無数の蝙蝠のギイギイという鳴き声がしている。

 夏子が必死で蝙蝠を説得しているようすが、隼人の脳裏に伝わってくる。

「隼人、わたしが飛びだしたら、すぐに扉をまた閉めて。急いで」

 扉を閉鎖したときには、数匹の蝙蝠が夜空に飛び立ってしまった。

「隼人、逃げよう」

 ふたりは、ダッと走りだす。

 背後の扉の内部でくぐもった音がひびく。

 衝撃音。

 ふたりは、コンクリートの床にふせた。

「神父のダイナマイト使ったの」

 月明かりを受けて蝙蝠が不吉な飛翔をづけ、ふたりの視野からきえていった。

「しかたないわね」

「あの蝙蝠がニワトリに菌をうつしたらどうなる」

「もうまにあわない」

 鶏に発生した鳥インフェルエンザが人に感染したら?

 爆発音は意外と低かった。

 だれも気づかないようだ。

 この小屋の蝙蝠を全滅させたことで満足はできなかった。

「とんでもないことをしていたのね。母が不安を感じていたのはこのことだった」

 夏子は無念の形相で蝙蝠の飛び去った方角をにらんでいた。

 鹿人が襲撃に使った部屋にもどる。

 もう、手のほどこしようがない。

 どうなるか、運命にまかせるしかない。

 飛び去った蝙蝠しだいだ。

 ニワトリに菌を移したら、鹿沼が衰退する。

 そんなことが、起きませんように。

 そうなって、欲しくない。防ぐ手立てがあれば、戦う。

 じぶんたちの街は、じぶんたちで守る。

 ともかく、わたしたちを育んでくれた街だ。

 守る。守る。守る。

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