ババア・ネヴァーダイズ:Cパート

 グランオウナーの怒りは、ほんの数秒前まで本当に尽きかけていた。ババアの審判ババアポカリプスによる憎悪の炎の消費は、ほんの一瞬、彼女を菩薩に近い境地まで持っていくほどのものだったのだ……ただ、本物の菩薩でない以上、キッカケさえあれば怒りはすぐに湧いてくる。それが今であった。

「サンゴぉッ!」

 グランオウナーの右腕を、紫色の炎がメラメラと包む!

「八百年分ぶち込んでやらないと気が済まねぇッ!」

 その炎はやがて、紫色の鋼鉄ガントレットを形成! グランオウナーは大きく拳を振り上げ……そして、バランスを崩し、倒れた。

「あっ?」

 ガントレットが、重い。体の右側に重さが偏り、身を起こせない。怒りのパワーは多少充填されても、そもそも体を動かす体力がほとんど残っていなかったのだ。怒るという行為には、とにかく体力がいる。

「あ、あ、クソ」

 怒りのエネルギーを無理矢理体力に変換し、右膝を立てるグランオウナー。しかし直後、その右脚に鋼鉄のブーツが生成された。弱った脚はそれを支えきれず、老婆は再び地に倒れた。

「ヴァあ、テメェを、殴らないと」

 メラメラと炎が燃える。怒りだけが先行し、老婆の体に次々と憎しみの殻を形成していく。ガントレット。ブーツ。そして鎧。グランオウナーは、這いずるようにサンゴに迫ろうとし……二歩で力尽きた。

「ハァ、ハァーッ、エフッ、エホッ、さ、サンゴ。テメェを。八百年分、いや。待たされた分はもっと、ゲホォッ……苦しめて、やらないと」

 血の涙は炎となり、瞬時に蒸発する。それでも疲れ果て衰えたその体は、その重すぎる怒りを振りかざせるほどの力を、最早有しておらぬ。ギリと奥歯を噛みしめながらサンゴを睨みつけることしか、老婆にはできなかった。

 その時、イルカは聞いた。乙姫が超音波を発したのを。霊薬を中庭へ持て。あの廊下の奥にある、医務室へ向けたものだ。すぐに了解の返事が来た。オコゼのものである。彼女はすぐにやって来た。黒雨の傷はそれなりに深かったが、薬くらいは運べる。ゆっくりと歩きながら彼女が持ってきたのは、カレー鍋めいた大きな金属の容器。中は液体で満たされ、ひしゃくが差さっている。

「ゴ苦労ジャッタ。コチラニ渡セ」

「コレヲ、隊長ニ?」

「ソウジャ、ソシテ、イソニモナ」

「……ナッ!?」

 イルカは驚愕した。オコゼもすぐに理解した。イソというのが惧濫媼を指すことを。

「恐レナガラ乙姫様、コノ者ハ乙姫様ヲ傷付ケルト申シテオルノデスヨ! 殺サレルヤモシレマセヌ!」

「折角弱ッテオリマスノニ! コレ以上暴レタラ大変デス!」

「控エイ」

 イルカが具申し、オコゼもそれに乗った。が、サンゴは静かなるひと言でそれを制した。

「イソハ、妾ノ妻ジャ」

 そして、哀れな鬼の元へそっと歩み寄り、目の前でしゃがみ込んだ。

「イソ。コンナ姿ニナッテ、サゾ辛カッタロウ」

「やめろ」

「妾モズット会イタカッタ。ジャガ、今更何ヲ言ウテモ言イ訳ニシカナラヌ」

「おい、やめろ」

「イソ、妾ヲ好キニセヨ。殺ソウガ、ドウシヨウガ良イ。妾ハソレダケノコトヲシタ」

「黙れって、おい、やめろ、マジで」

 サンゴは両膝をつき、頭を深々と下げ、額を地面につけた。

「イソ、済マナカッタ。ソシテ、会イニキテクレテ、アリガトウ」

 イルカも、オコゼも、グランオウナーも。その光景を、ただただ見ていることしかできなかった。

「……なんでそんなことすんだよ。もっと命乞いとかしろよ」

 老婆は涙と共に言葉を絞り出す。

「言っちゃったんだぞ、って」

 イソとしての意思も、ヨシホとしての意思も、今や怒りの大火のやり場を完全に見失っていた。真っ先に言い訳もなく頭を地につけて謝られ、筋を通された。そして、相手は自分を妻と愛す者であり、自分の愛した者でもある。

「ここで許さなきゃアタシが悪者みたいじゃねぇか。大体何だよ今更妻って」

 イソの恨み事が、ヨシホに寄せられた人格を通し、次々とグランオウナーの口から漏れてくる。

「八百年も封印されてたんだよこちとら。封印くらいテメェが解きに来いよ。というかあの八百年前の時に来いよ。いやそもそもそれ以前だろ、まず明日来るって言ったのに来ねえのおかしいだろ」

「済マヌ」

「教えてやろうかアタシが村の奴に何されて来たか。泳ぎが下手って馬鹿にされ続けた次は、人魚の嫁になるなんて言い出す頭おかしい女扱い。そんで村に災いをもたらす化物か鬼、そんで封印された瞬間媚び売り出してよ」

「済マヌ、済マヌ」

「大体何だよ惧濫媼って。恐れを溢れさせるババアって意味だぞ。クソみてぇな名前押し付けられたこっちの身にもなれよ。アタシにだって名前はあんだよ。ああホントクソだぜあの村! ずっと待ってたんだ、封印されてる間もずっと! こんな狭い包丁の中から、苦しい村の中から。テメェがいつかひょっこり出て来て、連れ出してくれるんじゃねぇかって! 結局自分で出てく羽目になっちまったじゃねぇか!」

「済マヌ……済マヌ」

「お前、お前な、畜生……お前、クソ……」

 やがて、双方がただ泣き始めた。ふたりの泣き声だけが、瓦礫の山に響く。その声を聞いているのは、ひしゃくで霊薬を飲むイルカと、それを手伝うオコゼのみ。

「……良イノデショウカ、止メナクテ」

「良イ。惧濫媼ニモ霊薬ヲ持ッテ行ケ」

「ホ、本当ニ良イノデスカ。奴ガマタ暴レタラ」

「ソレハナイ。恐ラクトシカ言イヨウガナイガ」

 まだ完全に腑に落ちていなさそうなオコゼに向け、イルカは続けた。

「……ソレガ済ンダラ、フウカニモ霊薬ヲ飲マセテクレルカ。恐ラクアノ瓦礫ノ下辺リダ。生キテイタラデイイ」

「……ハッ」

 オコゼは鍋を抱え、ふたりへと近付いて行く。グランオウナーもサンゴも、段々と落ち着きを取り戻し始めていた。

「乙姫様、ソノ。霊薬ヲオ持チシマシタガ」

「アア……グシュ、ウム、済マヌ」

 鼻をすすりながら、サンゴはその鍋を受け取り、ひしゃくで霊薬をすくった。うっすらと白く輝く、ドロリとした液体を。

「ホレ、イソ。アーンスルノジャ」

「何だよそれ」

「霊薬ジャガ」

「いやそっちじゃなくて。あーんって何だよ」

「自分デハ飲メンジャロウ?」

 言われてみれば、手も動かぬのだからその通りである。老婆は少し照れくさそうに口を開け、そこにサンゴが温かい霊薬を注ぎ込む。

「かほッ、えッふぉッ!」

 グランオウナーはこれを飲み込み、むせ返った。

「大丈夫カヤ、気管ニ入ッタカヤ?」

「違ぇよ、まじぃんだよ単純に! 苦ぇし臭ぇしドロッとしてっし、なんか口の中に変なダマダマが残るし!」

「ソレハソウイウ味ナノジャ、仕方ナイジャロ。トニカク深呼吸スルノジャ」

 言われるまま、グランオウナーは深呼吸をした。ひと呼吸ごとに体に力がみなぎり、傷が癒えていく。五回ほど繰り返した後、グランオウナーは不意に身を起こした。

「!?」

 サンゴもオコゼも、少し離れていたイルカも、この事態に驚愕した。先程まで鎧に苦しんでいたのが嘘のように、重い体を起こし、立ち上がる。手を握り、開く。肩を回し、首を回す。前屈の後体を反らし、何度か飛び跳ねる。

「結構治った。すげぇなコレ」

「……凄イノハオ前ダ」

 隣でオコゼがぼそりと呟いた。皆がグランオウナーほどのペースで回復するならば、全員が常に霊薬を携帯するに決まっている。尋常ならざる体力と回復力を持つフウカですら、ここまでの速度では治らない。

「……アア、ソウダ。フウカヲ探サネバ」

 オコゼは瓦礫に向けて駆け出す。それをきっかけに、グランオウナーも思い出した。ここへやって来た主目的を。

「ところでなんだけどさ、サンゴ。ウチの女子返してくんね」

「ウチノ……トイウト、陸ノ娘ラカヤ?」

「オウ。さっきその隊長の奴にも言ったんだけどさ、上の奴に訊かないと分かんねぇって。とりあえずそれだけ返してくれたらさ。こっちも文句ねぇ」

「ウム……」

 サンゴは腕を組み、考え込んだ。

「とりあえず殴るとかは一旦置いとくってことでいいからさ。それだけ頼むわ」

「ウム、迷惑カケタ妻ノ頼ミジャカラ、聞キタイガノウ……」

「嫌なのかよ」

「嫌とかじゃないんじゃが」

 サンゴの返事は、どうにも歯切れが悪かった。グランオウナーは怪訝な顔をした。

「他の人魚が文句言うとかか? そこは何とか交渉してくれよ、乙姫ってくれぇだし偉ぇんだろ? ホラ、こんなヒラヒラもつけて――」

「あっ、ダメじゃ!」

 サンゴの警告は少しだけ遅かった。グランオウナーは、既にサンゴの羽衣に手を伸ばしていたのだ。瞬間、バシィンと弾けるような音。羽衣から、電撃めいた白いエネルギーがほとばしった。右腕を中心に、グランオウナーの体に激痛が走る。

「だあ゛ぁ!? 何だこれッ!?」

「ソ、ソレヲ勝手ニ触ッタラ、長老ガ――」

「破アァーッ!」

 その時、突如として響き渡る、グランオウナーではないババアの叫び声! 同時に、一本の白い雷が、グランオウナーの体を直撃!

「ヴァあぁッ!?」

 雷は鞭めいてグランオウナーの体に絡み付き、グランオウナーの体を持ち上げる! この技を、人魚達はよく知っていた! イルカとオコゼ、そしてグランオウナーは、雷の発生源を見た! サンゴやオコゼがやって来たのと同じ、崩れた廊下の方向を! 嗚呼、そこにいたのは、ツブリボラの杖から雷を発する、小柄なババア!

「長老!」

「何ヲシテイルノデスカッ! 騒ガシイト思ッテ来テミレバッ! 庭ハ粉々! 霊薬ハ私ノ許可モ無ク持チ出ス! 挙句惧濫媼ハマダ生キテイル!」

 雷の鞭はババアを大きく持ち上げ……グランオウナーを地面に叩き付ける!

「情ケナイッ!」

「ヴァーッ!?」

 全身に走る痺れ、痛み! そして落下の衝撃! グランオウナーの体が、半分ほど地面に埋まった!

「ハァ、ハァーッ、ハァ……ゲホッ、ゲホ」

 長老もまた雷の鞭を止め、膝をついて息を切らせた!

「チョ、長老、ソノ、大丈夫――」

「大丈夫ナワケアリマスカッ!」

 オコゼが声を掛けようとすると、そのままの状態で長老が怒鳴り散らす!

「ハァーッ! 何デスカコノ体タラクハ! 命ヲ賭シテモ私ヲ……ゲホーッ、コノ城ヲ守レトイツモ言ッテイルデショウ! ハァッ、イルカ! アナタニ強化サセタ戦士達ハッ、ゴホッ、ドウシタノデスカ!」

「……全滅、デス」

「キエェッ! 使エナイッ! 隊長トシテノ自覚ガ足リナイノデハナイデスカッ! 私ニワザワザ出張ラセテ!」

 未だ立てぬ状態のイルカに駆け寄り、長老は杖で何度も打つ!

「ア゛ッ、申シ、訳、アリマ、センッ」

「オコゼ! アナタモデスヨッ! コッチニ来ナサイ!」

「アノ、私ハコノ瓦礫ノ下ノ――」

「私ノ言ウコトガ聞ケナイノデスカッ!」

「イ、イエ、アノ、ハイッ」

 オコゼはフウカの救出を止め、ヒステリックに喚き立てる長老の元へとぼとぼと歩いた。

「言ッテゴランナサイ! 誰ガ霊薬ヲ作ッテ! アナタ達ニ供シテイルノデスカ!」

「長老デスッ」

「未熟ナ乙姫様ニ代ワッテ! コノ城ヲ取リ仕切ッテイルノハ! 誰デスカッ!」

「長老デスッ」

「コノ城ヲ霊力デ支エテキタノハ! 誰デスカッ!」

「長老デスッ」

「ナラ! ドウシテ! 害獣一匹倒シ! 私ヲ守レナイノデスカッ!」

「申シ訳アリマセンッ」

 感情的な金切り声と、雷を帯びた杖によって繰り返される折檻。

(あの感じは……日常的にああいうことやってんな)

 そっと顔を上げたグランオウナーは、その様子を黙って眺めていた。どう考えても異様である。いくら自分が弱らせたとはいえ、イルカやオコゼは戦士。電気ビリビリを避け、ブン殴るくらいできそうなものである。そもそもイルカにはあの超音波攻撃があるではないか。アレで一撃であろうに。

(あの魔法使いの虐待ヒスババア、そんなに偉ぇのか? サンゴよりもか? つーことはアレか? サンゴの、あの、歴史の。そう、摂政? 院政? 的なヤツなのか?)

 グランオウナーは、側にいるはずのサンゴを見ようとする。そこには予想だにせぬ姿があった。サンゴは、どういうわけかその場に倒れ、苦悶の表情を浮かべていたのだ。

(ど、どうしたサンゴ!)

 囁き声で、グランオウナーはサンゴに話しかけた。

(ババアの攻撃が当たったか?)

 悶絶しながら、サンゴは首を振る。直後、グランオウナーは気付いた。羽衣だ。彼女の体に巻き付くように存在する羽衣が、吸い上げている。サンゴの体から、雷めいたエネルギーを。

(オイ、オイ。何だそれ。何なんだその布っきれ)

 サンゴはうめき声を上げるばかり。そしてその現象は、くたびれた長老が休憩し始めた瞬間、止まった。サンゴはまだ痛みの余韻を引きずり、苦しげな顔で息を荒くしている。

「ハァーッ! オコゼ、何ヲ見テイルノデスカ! アナタニモ話ガアリマスヨッ!」

(オイ、サンゴ! それ、その布、脱げねぇのか! 何となく分かったぞそれ! よく分かんねぇけど、なんかの力をサンゴから吸い取って、ババアに送ってんじゃねぇのか!)

(ハァ、妾ハ、ウゥ。未熟ナ、長ジャカラ)

(は?)

(妾ハ。ハァ、長老ニ、導イテモラウ。代ワリニ、長老ハ……妾ノ、ハァ、霊力ヲ)

(いや待て、それ普通に騙されて――!)

 その時! 羽衣による霊力吸収が再び始まった! ババアが怒鳴りながらオコゼを殴り始めたのだ! ババアが一撃入れる度、電撃を浴びるのと変わらぬ苦痛が、戦士でもないサンゴを襲う!

「ぬぅ……ぅうあーっ! クソが!」

 グランオウナーは……がばりと起き上がると、その右手でサンゴの羽衣を掴んだ!

「ぐおあぁーっ!?」

 先程感じたあの激痛が、グランオウナーを襲う! その叫び声で長老はやっと我に返り、ふたりの方をギロリと睨みつける!

「何ヲシテイルノデスカッ!」

「それがテメェのやり方かァ! くたばり損ないの腐った干物がぁッ!」

 身を引き千切るような苦痛を振り払うように、グランオウナーが叫ぶ!

「下の世代を好き放題苛めて! テメェだけ年金暮らしの好き勝手かァ!」

「何デスカ! 陸ノ害獣如キガ、コノ城全テヲ背負ウ私ニ意見スルトイウノデスカッ!」

「背負われてんだろうが! サンゴが痛がってんだよ! 電気ビリビリくれぇなぁ、テメェの力で出してからイキりやがれぇ!」

「未熟ナ弟子ガ師ノ為ニ粉骨砕身スルコトノ何ガオカシイノデスカッ! 未熟者ハ道ヲ違エマス! デスカラ、!」

「……あ?」

 グランオウナーの瞳に、ゆらりと黄金の炎が映る。

「コノ城ニ縛リ付ケテオカナカッタカラ! 我ガ弟子ハ地上デ人間ニ騙サレ、体ヲ喰ワレタノデスッ! デスカラ、コノ羽衣デ繋イデ――」

「……なあ、話聞いたのか」

 グランオウナーは、一瞬声のトーンを落とした。

「ハァ? 聴コエマセンネ!」

「本当にサンゴが! 騙されて肉を喰われたって! そう言ったのかァ!」

 なんたる怒声か! グランオウナーを中心に、ゴウと風が巻き起こる!

「ダッ、騙サレタンデスカラ騙サレタッテ言ウワケナイデショウ!? 未来ノ長タル自分ノ責任ヲ理解デキズ! 勝手ニ城ヲ抜ケ出シ! 肉体ノ一部ヲ悪逆非道ノ陸ノ民ニ奪ワレ! 挙句人間ト結婚スルナドト妄言ヲ! コレヲ管理セズシテ何ヲ管理シマスカ! 安全ヲ保障シテイルノデスカラ、霊力クライ――」

「テメェかあああああああぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 ドーム中を揺るがすその声に、長老は危うく吹き飛ばされそうになる!

「ナッ!?」

「テメェのせいかッ! テメェのせいでッ! アタシは! 八百年ッ! いや、人間だった時まで考えればそれ以上ッ! 苦しむことになったってことかァァァッ!?」

 グランオウナーは、羽衣を両手で握り、鬼の腕力で強く左右に引っ張る! 当然痛みは二倍!

「ナッ、何ヲスルカ!」

「これを引きちぎってよぉ、ダメにしたらあ゛ぁ! 鎖とやらが解けんだなァ!? 霊力が貰えなくなったらア゛ァッ、テメェはッ!? どうなんだァッ!?」

 しかし、布にしてはあまりにも頑丈過ぎる! まだ力が戻っていないのか! いくら引っ張っても、グランオウナーに激痛が走るのみ! ちぎれる気配を一向に見せない! グランオウナーはその状態で布に噛み付いた! その痛みは三倍以上! 鋭い牙で引きちぎろうとし……それでもなお、布はその形を保ったまま!

「る゛おぉおおぉおぉお!」

「破ァーッ!」

 そこに放たれる霊力電撃! 今までの痛みを自乗したような激痛が、グランオウナーに走る! 当然サンゴも無事では済まぬ! 電撃に苦悶しながら、サンゴは! グランオウナーにはしりと抱き付いた!

「イソ! モウ良イ! モウ良イ!」

「良くねぇに決まってんだろ!」

 サンゴにはその意図は無かったであろうが、ババアにとってみれば、これは実質サンゴを人質に取られた形! この状態で鞭を振るい、グランオウナーを地面に叩き付ければ、サンゴまで巻き込まれてしまうであろう!

「勝手に決めんなッ! 助けるかどうかはアタシが決めんだよ! サンゴでもねぇ、あのクソババアでもねぇッ!」

 グランオウナーの両手が、牙が赤熱し! 怒りの炎に包まれる! 嗚呼、しかし! なかなか火が羽衣に燃え移らぬ! ここまでしても、この羽衣は破れぬというのか! それでもグランオウナーは、あくまで己が意志を曲げぬ!

! !」

 ……必死で杖を振り回すババアの隣。先程までしこたま殴られていたイルカは、小刻みに震えながらその様子を見ていた。

「……

 先程グランオウナーが言っていたことを、イルカはおぼろげながら理解し始めた。こういうことか。権力に、己を閉じ込め、規定し、操ろうとする者に抗い、己を貫き通す。

「コレガ」

「タ、隊長? ソノ、我々ハ……」

「済マヌ、オコゼ。

「ハ?」

 イルカは突如立ち上がった! 霊薬が効いている。戦闘できるほど回復したわけではないが、今の力を尽くせば、軽い超音波を少しの間放つことくらいはできよう! そして、天才・イルカにとっての軽い超音波とは、即ち!

「ナッ!?」

 突然取り上げられたババアの杖! その手は! 嗚呼、瓦礫から構成された、イルカの超音波腕ではないか!

「イ、イルカ! 何ヲスルノデスカッ! 戦士ノ長タルアナタガッ!」

「私ハ『戦士ノ長』ナドトイウ名デハナイッ! タダノイルカダッ! 私ハ! 私ガ正シイト思ウコトヲスルッ!」

 雷の鞭が、グランオウナーからほどける! 雷撃を放ったまま、その杖の先端はババアへと向いた!

「ヤ、ヤメ――」

「全テノ戦士ノ痛ミ、ココデ味ワエ!」

 長老の小さな体に、戦士ですら悲鳴を上げるほどの雷撃が叩き込まれる!

「ア゛ァアーァア゛アア゛ァアァア゛アァアア゛ァア!?」

 グランオウナーは、この隙を見逃さぬ! 痛みの軽減されたその隙に、怒りのエネルギーを全力で腕と牙に集中!

「熱いぞッ、サンゴ!」

 グランオウナーの炎が、最大展開される! 紫色の怒りの炎が、布にとうとう引火!

「熱ッウッ」

「少ひはへしだけ頑張ッ!」

 瞬く間にそれは燃え広がり! 羽衣は輝く灰と化し! そして、崩れ落ちた! 同時に杖もまた、放電を止めた! 羽衣から送られていたサンゴの霊力が、途絶えた証である! イルカは満足気に頷くと、その場に膝から崩れ落ちた!

「馬鹿ナァーッ!?」

 元々萎れていたババアが、みるみるうちに河童のミイラめいた姿に変貌していく! 九百年もの間、サンゴから霊力を奪うことで延ばしてきた命が、瞬く間に枯れているのだ! 元々大きかった目玉は出目金めいて飛び出し! 体はほとんど骨!

「死ニ、死ニトウナイッ! 死ヌノイヤァーッ!」

 ババアは最後の力を振り絞り、頭の触手を目いっぱい伸ばした! 嗚呼、その先にあったのは、鍋いっぱいの霊薬である! フウカ、その他多くの未来ある負傷者の為に供されるはずのそれを! ババアは浴びるように飲み始めた!

「イカンッ!」

 イルカは動けぬ! オコゼは未だ事態を飲み込めずにいる! グランオウナーはまだ今までのダメージを引きずっている! 自分の胴体程あろうかという鍋の中身を、大量にこぼしつつ、全身で浴び、また飲んだ! 嗚呼! ひしゃく一杯で体を回復させるその液体を、もしもこれほどの量飲んでしまったなら、一体どうなってしまうのか!?

 答えはすぐに分かった! まず、暴走した霊力により、ババアの体が大きく膨れ上がった! みるみるうちに御殿の大きさを超えてゆく! 更には容姿すらも大きく変貌していく! 人に近い形だった頭は完全にタコのそれと化し、体は水で満たしたコンドームめいた肥満体に! 両腕には恐竜めいた鋭い鉤爪! 背中からは何故か翼竜めいた翼までも生えている!

『イヤッ! イヤッ! ××××××ーッ!』

 やがてそれは、ドームの屋根に届くほどの巨体へと育っていく! 見る者が即座に発狂するほどの醜い怪物! それは、変化前のヒステリックさを彷彿とさせる、再現しようのない金切り声を上げた! 既に正気の宿らぬ彼女は、その腕で自分の城を叩き壊す!

「城が……ってか、ドーム自体崩れてねぇかコレ!?」

 然り! 旧き支配者が奇声を上げ暴れる度、ドーム表面に亀裂めいた筋が入り、そこから海水が侵入していく! ババアの暴走に伴い、ババアが秘密を独占していた古のアーティファクトまでもが、その機能を狂わせ始めたのだ! このドームは、そう遠くないうちに崩落するだろう!

「サンゴ! 背中に乗れ!」

「ウ、ウム!」

 グランオウナーはサンゴを背負い、イルカとオコゼに向けて駆け出した! ふたりを素早く両脇に挟み、振り下ろされた腕をギリギリで回避! 大きく跳躍し、御殿の屋根に着地!

「コノ城ハ崩壊スル!」

「見りゃ分かる! やべぇ、これじゃみんなが!」

 イルカは大きく息を吸い、そして、城中、否、城の外にすら届く声で超音波を発した!

《戦士達、マダイルカ!? コノ城ハ崩壊スル! 逃ゲタイ者ハ今スグ逃ゲヨ! ダガ、モシデキレバ! モウ一度ダケ、私ノ為ニ勇気ヲ示シテホシイ!》

「隊長」

《負傷者ヲ可能ナ限リ連レ、避難セヨ! 陸ノ娘達モダ! 惧濫媼カラ逃ゲタ責ハ問ワヌ! コレハ命令デハナイ! 隊長デアッタ者カラノ、最後ノ頼ミダ!》

 ……全ての戦士へ向けたその超音波通信を、城のあちこちで隠れていた、あるいは海に退避していた人魚達は、黙って聞いていた。そして、数秒後……動き出した! 負傷者探しに! 娘の避難の為に! 敵前逃亡の恥を、ここで返上しようとするかのように!

「あ? な、何か分かんねぇけど、みんなはアイツらが何とかしてくれるってことか?」

「ソンナトコロダ」

 イルカが頷くと同時に、オコゼも動き出そうとしていた。

「隊長」

「隊長デハナイ。長老ニ手ヲ出シタ謀反者ダカラナ」

「イエ、隊長。私モ、フウカヲ助ケニ参リマス」

「……頼ム」

 オコゼは素早く飛び跳ねながら、怪物のいるあの場所へと戻って行く。

「オコゼ、大丈夫ジャロウカ」

「大丈夫かって聞くけど、アタシらは逆に大丈夫かって話だぜ」

 背中のサンゴに向け、グランオウナーはそう返した。

「サンゴ、これ崩れるの止めたりできねぇの?」

「城ノ守護ニツイテハ教ワッテオラヌ……妾ガ分カルノハ霊薬ノ作リ方クライジャ」

「いつまで生きるつもりだったんだよあのクソババア。後任が未熟とか言いながらテメェが教えてねぇんじゃねぇか、引継ぎくらいちゃんとしろっての」

 グランオウナーは思わず吐き捨て、イルカに視線をやった。

「イルカでいいんだっけ、お前の名前」

「ウム」

「アイツ、あのババアさ。すぐくたばると思うか?」

「保証ハデキヌ」

『イヤッ! イヤアアァァーッ!』

 怪物の腕が、再び城を破壊する! 娘らが巻き込まれるのも時間の問題!

「申シ訳無イガ、何ヲ考エテイルカ分カラン。何モ考エラレナイトイウノガ正解カモシレンガ……アノママ陸マデ行ク可能性モ考エラレル。翼モアルシナ」

「だよな。サンゴ、ちょっと降りろ」

「ウム……シカシ、ドウスルノジャ」

 サンゴを背中から降ろしたグランオウナーは、怒りの包丁を静かに抜き……言った。

「……くたばり損ないの老害を、今から滅ぼす。これが最後の戦いだ」

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