ババア・ネヴァーダイズ:Bパート
音楽プレーヤーの電池が切れるのとほぼ同時に、タマを乗せた亀は陸地へとたどり着いた。
「ありがとう、カメさん」
止まない雨の中、暗い浜辺に立ったタマは、自分を送り届けた大亀に感謝の意を述べた。喉の下を数度さすってやると、亀は目を閉じて恍惚とした表情を浮かべた。亀のことは分からぬが、それなりに満足だったらしい。
「もういいよ、海へお帰り」
亀はしかし、砂の上でぼんやりと雨を浴びるばかり。放っておけば勝手に帰るのだろうか。それとも、人魚に命じられねば帰らぬのだろうか。亀にとってあの城は、帰るべき我が家ではなく、命じられたから戻る場所なのだろうか。もしそうなら、それは何かとても悲しいことだと、タマにはそう思えた。
改めて村を振り返る。数え切れぬほどの村人が、この海岸に倒れているのが見えた。気を失っているだけだろうか。それとも何かが起きて、みんな死んでしまったのだろうか。
いっそのこと、本当にそうだったらいいのに。そうすれば、こんな自分に期待をかける者は誰もいなくなる。自転車の後ろで震えていることしかできない自分の無能さを、福島家に生まれたというだけで許し、実力以上の期待をかけ、福島家の娘としての役目を背負わせてくる。そんな人が、残らずいなくなれば……。
ブロロロロ! 車のエンジン音とライトが、タマの思考を中断させた。そこには一台のバンがあった。後部座席のドアが開き、中からひとりの少女が傘を持って降りてくる。天然パーマに、何故かバンドTの娘が。
「タマ姉!? タマ姉だよね!?」
「……アルちゃん」
倒れた男達を飛び越えながら、アルはタマに駆け寄る。傘をその場に放り投げると、強く抱きしめて一回転した。
「ひゃあ!」
「よかった、いつの間に戻ってたの!? 大丈夫? 怪我は? 何もされてない? ごめんね何もできなくて、怖かったでしょ?」
雨に濡れ涙を流しながら、怒涛の勢いで問うアル。その姿を正面に見……タマは、再びわぁと泣いた。タマの泣きっぷりがこれまでに見たことのないレベルだったので、アルは逆に涙が引っ込んでしまった。
「タマ姉、タマ姉、とりあえず車乗ろ。ヨシホのおばあと、あとスーちゃんとね、チィコもいるよ。救助の人、日が昇らないと動けないんだって。だからとりあえず私達で村のみんなを……タマ姉立てる? そんなに怖かったんだ、もう大丈夫だよ」
その場に崩れ落ち泣き続けるタマ。拾い直した傘でタマを守りながら、それをなだめるアル。何の感想も無さそうな様子で、亀はただそれを眺めるばかりであった。
「ヴァアァアァアアア!」
象が暴れるような足音と、虎が十匹集まって同時に吠えたような咆哮! 学校の廊下より若干狭い廊下を、グランオウナーは轟音と共に進む! 目の前からやって来る人魚が三人! 胸部装甲を開き、撃ち出す
「ウォラァ!」
同時に、怒りのエネルギーを脚に集中させる! 爆発的威力で床を蹴り、縮地めいた速度で三人に接近! 燃える鉄拳を一人三発叩き込む! 床には燃える足跡がくっきりと残っていた!
「死にたくなきゃ退いてろ、雑魚共ォ!」
若い学習能力を得たことにより、グランオウナーは力の扱いをメキメキ上達させていた。体の各部位にエネルギーを集中させ、瞬間的に爆発させる。炎を鎧や包丁に送り込み、熱や炎として利用する。実戦が、ババアを大きく成長させたのだ。
「ヴァアァア!」
フスマをぶち破り、畳の間を駆けながら、グランオウナーは段々と濃くなる人魚の臭いを感じていた。娘達が隠されている場所は、一番警備が手厚いはず。よって、生臭さが強い方向に行けば、必ず皆に会える。ほとんど直感でババアは確信していた。
スパーン! 周囲のフスマが一斉に開き、幾人もの人魚がグランオウナーを取り囲む!
「何人来ても同じだってぇの!」
グランオウナーは両手を掲げ、
グランオウナーが叡智袋から取り戻した切り札は、三枚。そのうち二枚、つまり
超音波通信の使える人魚らは、リアルタイムに戦況を報告し合っている。相手が見出したこの弱点は、既に全人魚が共有していると言ってもいい。だが、いくら技の弱点を看破しようが、根本的な戦闘力が足りないなら同じこと!
「ヴァアァアァ!」
背中の包丁を抜き、炎の回転斬り! 四人の人魚が巻き込まれた! 素早く包丁を背負い直すと、背後から飛び掛かってくる新たな人魚の顔面に肘鉄! 墜落した人魚の頭を掴み、新たに進み出ようとしていた二人の人魚に投げつける!
「怪我したい奴他にいるかァ!」
人魚側、既に死傷者多数。雑兵相手に無双するアクションゲームめいて、実力差があり過ぎるのだ。前線の士気は大きく低下し、中には逃げ出す者すらいる。グランオウナーもいちいちそれを追わず、立ち塞がる敵のみを倒しながら、臭いの元へと確実に進んでいた。その時!
「ヌゥン!」
聞き覚えのある雄叫び! 後方? 否、上! 壁を蹴り、柱を蹴り、天井を蹴り! 拳を振り下ろしながら急降下してきたのは! フジツボ鎧を新調した、フウカ! グランオウナーも炎の拳を振りかざし、これに対抗する! ぶつかり合うパンチ! 巻き起こる衝撃波! 吹き飛ぶ周囲の戦士達!
「ヤハリ良イ拳ダッ!」
「邪魔すんじゃねぇ、大人しくみんな返しやがれ!」
後方へ大きく跳んで距離を取ったフウカは、ニヤリと笑った。
「貴様コソ邪魔ヲスルナ。隊長様モオ怒リダゾ? アト少シデ交尾ガ始マッタトコロヲ」
「その腐ったイワシみてぇな体臭何とかしてから出直せや」
「ホザケェ!」
先に動いたのはフウカだった! 真っ直ぐ飛んでくる彼女に対し、グランオウナーは神刺しを放つ! が、それは当然読まれている! フウカほどの戦士ならば、神刺しが放たれてから避けることすら容易! まるで見せつけるようにギリギリで横に避け、ボディに向け飛び蹴りを放つ!
「憤怒ぅッ!」
が、グランオウナーは驚異的踏ん張りを見せる! 胸で相手を受け止めた上に、その筋肉質な脚を掴んだ! そのまま地面に叩き付けようとしたのも束の間! フウカは脚を掴まれたまま腹筋運動めいて前屈! ガラ空きになった顔面にパンチを二発見舞った! 何たる筋力と柔軟性!
流石のグランオウナーも、顔面を殴られて平気ではいられぬ! 鼻血が噴き出し、視界は奪われる! 更なる瓦割めいた一撃が頭蓋骨に打ち込まれるその前に、ババアはフウカを横に放り投げた! ハンマーめいて飛んだフウカは、しかし壁には叩き付けられず、受け身を取って着地!
再び向かってくるまでの間に、しかしグランオウナーは体勢を立て直していた! 鼻血はメラメラと燃焼して消え、視界も良好。アドレナリンめいた闘争の力が湧き出で、興奮状態に陥る。目にも留まらぬ速度で、ふたりは拳を撃ち合う! 撃ち合う! 撃ち合う!
一撃ごとに巻き起こる衝撃波が、床やフスマを破壊していく! 周囲の動ける人魚らは、戦うのも忘れ避難し始めた! パワーアップした陸の化け物と、鍛練と闘争にしか興味の無い海の戦闘狂! これほど破滅的勝負になるとは! 下手に加勢すれば巻き込まれて犬死にするだけ!
「見晴ラシガ良クナッタナァ!」
「ヴゥゥゥゥゥウ!」
がっしりと両手を組み合い、力比べのフェーズに移行した両者! ほぼ互角! 力自慢は海に何人もいるが、このレベルで渡り合えるのはフウカ以外に無かろう! 声の技術を極限まで高めた唯一敬愛する戦友を守る為、本気で身につけた力である!
グランオウナーのガントレットが赤熱していく! フジツボで身を守っているとはいえ、フウカの手は既に酷い火傷を負っているはず! それでも手は離さぬ! 並々ならぬ精神力!
「ヌゥアーッ!」
絞り出すような掛け声と共に、フウカはグランオウナーを地面に引き倒した!
「死ネィ! 惧濫媼! 死ネェイ!」
すかさずマウントを取るフウカ! 胸の上に乗ることで、胸部装甲をそもそも開かせぬ! 顔面に一発! 二発! 三発! 四発! 鬼婆の燃える鎧が、ジュウジュウとその身を焦がす! されどこの人魚は、近接戦闘以外知らぬのだ! いかなる障害があろうとも、ただ殴り、蹴り、倒す!
「ルゥオオォーッ!」
そして今、致命的な一撃を、顔の中心に、放――!
「ガァ!?」
次の瞬間、フウカは絶句した! ババアが顔を起こし、大きく口を開け……あろうことか、フウカの拳を丸ごと口で受け止めていたのだ! 何たる口のデカさ、否、それ以前にそんなことをすれば普通は顎が、歯が、内臓が無事では済まない! 忘れていた! 相手が人智を超えた化け物であることを!
「ヤメ――!」
メキメキメキィ! 鋼の入れ歯めいたババアの牙が、フジツボを割り、フウカの手首へめり込んでいく! 先程から全力で引き抜こうとしているが、ワニめいた顎の力がそれを許さない! 刺さった牙から憎しみの炎が伝わり、フウカの体を内側から焼いていく!
「ヌオォ、オオォオ!?」
未だ動く左腕で、狂ったように顔を殴りつけるフウカ! しかし、嗚呼! 喧嘩の根性ならば、グランオウナーも決して負けてはいないのだ! 今、その牙が、フウカの鱗を砕き、肉を裂き、骨を……断った! バボキィッ! 耳を覆うような音が響き渡る!
「ア゛ァオ゛ォォオォ!?」
手首から先を失えば、流石のフウカも冷静では居られぬ! その隙に力強く状態を起こし、フウカを地面に転がしたグランオウナー! 口内から拳を取り出し、踏み潰すと、背中から抜くは大包丁!
「ヴァアァアァア!」
今それが、フウカの装甲を貫き! 腹に突き立てられた!
「ヌア゛ァーァア゛ーァア゛ァア゛ァァア゛ァア゛!?」
流し込まれる怒りのエネルギー! 残された左腕で、必死に包丁を引き抜こうとするフウカの試みは……しかし数秒で終了した。黒焦げになった相手が動かなくなったのを確認すると、グランオウナーは包丁を引き抜き、背負い直した。
グランオウナーはその場でしばらく呼吸を整えた。軽いダメージではない。が、いつまでも休んではいられない。グランオウナーは立ち上がると、タックルで畳をぶち破りながら、臭いの元凶へと突き進んでいく。
捨て身で襲ってくる人魚は、急にいなくなった。逃げたか、それとも守りを固めているのか。何枚かフスマを破ると、やがて廊下に出た。臭いはこの先から出ている。恐らくそう遠くない。イルカもそこにいる可能性が高かろう。水中戦でない以上、多少楽だと思いたいが。
数枚フスマを突き破ったところで、生臭さが一気に濃くなった。眼前には障子戸。この一枚先に、敵がいる。そう確信したグランオウナーは、しかし何の躊躇も無く突進し、障子を吹き飛ばした!
そこには、質素な中庭があった。縁側めいた渡り廊下に四方を囲まれている。枯山水めいた砂利は海の流れを、所々に置かれた岩は島を表現したものだろうか。対面を見ると、そこに……やはり、先程見たばかりの人魚が立っていた。
「来タカ」
イルカ。声を反響、増幅させるための長身、豊満な胸。発声を阻害せぬ程度の筋肉、そして機動性と反響性をギリギリまで考え、うっすらとつけた脂肪。声を出す為にその体を作り上げてきた、人魚の隊長。腕組みして立つ彼女の後ろには、廊下が真っ直ぐ伸びている。あの先に、娘達が。
「そっからどいて謝るか、焼き魚になるか。選びやがれ」
グランオウナーの挑発。イルカは冷徹な表情で、眉ひとつ動かさぬ。やがてイルカは、たったひと言、こう言い放った。
「貴様ガ、ココデ死ネ」
直後! 中庭を取り囲む障子戸が一斉に開いた! そこからどっと現れたのは、やはり人魚! しかしその顔つきは、恐怖で逃げていた先程までの雑魚とは明らかに異なる! 勇敢そう、という意味ではない! これは……正気を失っている!
グランオウナーは直感した! 声だ! 人を操るあの歌声で、自分の部下を恐怖から解き放ったのだ! 味方の士気すら技術でコントロールするとは! 何故イルカが隊長なのか、ババアはこの時ようやく理解した! とはいえ、やることは変わらぬ!
「来いやオラァ!」
その怒声を聞いても、人魚達は怯えもせぬ! 一直線にグランオウナーへ襲い掛かる人魚達! が、明らかにスピードが先程までと違う! 少し弱くしたフウカが何人もいるようなこの勢い! あっという間に引き倒され、何人もの人魚に覆い被さられるグランオウナー!
「クソ、オラァア!」
「斬り殺されてぇ奴から――うおっ!?」
神刺しに貫かれ、内臓を焼かれたはずの人魚が、躊躇なく襲い来る! 既に体はボロボロであろうに! コンビニのオヤジをはじめとする陸の村人は、洗脳を受けても痛みや活動限界はあるようだったが……それより遥かに深い洗脳がかかっているというのか!
鬼婆は無論手加減せぬ! 炎の回転斬りは、集まってきた人魚を切り裂き焼いた! 続いて床に包丁を刺し、怒りのエネルギーを注ぎ込む! 鬼婆の周囲から火の柱が上がり、人魚が多数巻き込まれた! それでもなお這い寄ってくる人魚達! 殴る! 蹴る! 投げる! 斬る! 見る間に死傷者の山が築かれる!
だが、それでも。嗚呼、人魚達は蠢いていた。何とかグランオウナーを倒そうと。とうに動ける状態ではないにもかかわらず。グランオウナーの冷静な部分は、そこに何かうすら寒いものを感じた。
「おい、部下を犬死にさせんのも大概にしとけ!」
グランオウナーは、思わずイルカへ叫んだ!
「何人やっても同じだぞ、見て分かんねぇか!」
「黙レ! 貴様ニ何ガ分カル!」
イルカがそう怒鳴り返した意味をグランオウナーは理解できなかった。何が分かるも何も、戦わせているのはイルカではないか。
「テメェが前線出て戦えシーチキン! 怖ぇのか!」
「怖イトモ!」
思いもよらぬ返事に、グランオウナーは困惑した。
「死ヌノガ怖クナイ者ナドイルモノカ!」
「ちょ……何?」
「戦デ死ンダ一人ヒトリニ、人生ガアッタ! タマタマ海デ生マレ、タマタマ声ヲ他人ヨリ扱エルダケデ! 戦士ノ個性ヲ声デ塗リ潰シ、死ネト強制シ、自分ハ後方デ平気ナ顔ヲセネバナラヌ! コノ立場ヲ強制サレル気持チガ! 貴様ニ分カルカァ!」
何を言っているか分からないが、とにかく地雷を踏んだらしい。その迫力にグランオウナーが一瞬たじろいだその時、周囲が地震めいてカタカタと揺れ始めた! イルカの放つ超音波である! 直後、嗚呼、何たることか! 中庭の砂利が、一気に空中を浮遊し始めたのだ!
サイコキネシスか? 否、声である! ただ声の振動のみで、イルカは物を動かしているのだ! これは最早、平凡な人魚では何百年修業しても到達できぬ領域! そして次の瞬間! 砂利という砂利が寄り集まり! 巨大な拳の形を形成! グランオウナーめがけ、猛スピードで迫ったのだ!
グランオウナーは、必死でこれを回避! 先程まで立っていた渡り廊下が、跡形もなく破壊された! 拳は砕けて砂利に戻ったが、再び形を成し始めている! グランオウナーは、ここに来て初めて恐怖した! 完全に実力を見誤っていた! 声の大砲さえ無ければ、水中でさえ戦わねば平気だとばかり!
本体を叩くしかない! グランオウナーは判断し、床を大きく蹴り、跳ぶ! が! 不意に横から殴打され、墜落! それは岩! 枯山水に使われていた岩が、衛星めいてぐるぐると庭を舞っているのだ! 近付くことすら許されぬというのか! 再び襲い来る声の拳! やはり避けるしかない! 砕け散る廊下、フスマ!
どうする、どうする。このままでは叩き潰されるのは時間の問題。下手に砂利の集まりというのがタチが悪い。燃やしても効果が無いし、
「ヌゥウゥウンッ!」
グランオウナーも、イルカも、その声が轟くとは想像もしていなかった。鬼婆は、後方から羽交い絞めにされていたのだ。先程確かに包丁を突き立て、外も内も全身焼かれたはずの、フウカによって!
「なんでッ!?」
「何故ッ!?」
グランオウナーもイルカも、同時に叫んだ!
「愚問ンンッ!」
ほとんど絞り出すように、黒焦げのフウカは絶叫!
「勝利ノ為ダ! 種ノ為ダァ! イルカ、殺レイッ! ソシテスグニ娘全員ヲ孕マセロォ! 今回ノ人口減少、幾ラ産マセテモ足リンゾォ!」
火事場の馬鹿力か! グランオウナーがいくら炎を燃やそうと、フウカは振り払えぬ!
「フウカァッ!」
超音波を発したまま、イルカは叫ぶ! ホーミーめいた同時発声!
「オ前ハ! コノ上マダ! 私ニ役割ヲ負ワセヨウトイウノカァッ!」
「早ク!」
「コンナ重荷ヲ背負ッテ! タッタ一人、最モ愛スル者マデ殺メ! ソノ上マダ生キロトイウノカッ!」
「意味ガ分カランッ! 早クシロォッ!」
イルカは涙を流していた。フウカは必死の形相で叫んでいた。グランオウナーは……ただ一人、力を溜めていた。ありったけの怒りの力を、全身に行き渡らせよ。集中せよ。今が最初で最後のチャンス。ここまで切らずに取っておいた、最後の切り札。ここで使うしかない!
「ヴァアアアァアァアアァア!」
ババアの咆哮! 同時に、ババアの全身が黄金色に輝き出す!
「ナッ!?」
「マズイ、何カスル気ダ! 急ゲ!」
イルカはようやく意を決し、砂利の拳を全力でぶつけに行く! だが、決断があまりにも遅過ぎた! ババアの全身から、何本もの光の筋が発されたのだ!
その光線は、フウカを貫き! 砂利を微粒子と変え! 岩を砕き! イルカを飲み込み! 中庭全体を巻き込み! 畳の間を瓦礫と変えてゆく! この光景を間近で見る者があったならば、こう叫んだであろう!
……裁きの光は、実に十数秒にも及んだ。光が止まった時、中庭は、そして中庭に最も近い幾つかの部屋は、全壊と呼ぶに相応しい状況に陥っていた。静寂はしばらく続き……やがて、瓦礫の山から、細い腕ががばりと突き出された。ガラガラと音を立てながら這い出してきたのは、半裸のババアである。
「……よいしょ、あー痛ぇ」
然り、グランオウナーである。腰に白布を巻いているだけの、骸骨めいた痩躯。角や牙がなければ、ただのババアにしか見えぬだろう。憎しみの力を全身から解放したことにより、鎧すらも消し飛んでしまったのである。当分は神刺しや黒雨どころか、ただの炎すら出せまい。
「あーどこだ包丁……あったあった」
幸いにも、建物すべて消し飛ばして娘らも皆殺し、といった結末は避けられたらしい。早く助けに行かねば。包丁を杖のように用いながら、グランオウナーは歩いて行く。
「服ねぇかな……無いだろうな、人魚って全裸だし」
その時。ババアの足元で、何かが動いた。
「あ?」
イルカだった。全身に深い傷を負いながら、なおも倒れたままこちらを見ている。
「しぶてぇな、流石人魚ってとこか。まだやっか?」
「殺セ」
かすれる声で、イルカは言った。
「何ヒトツ……望マレル役目ヲ、果タセナカッタ。惨メダ。殺セ」
「……めんどくせぇなお前」
心底呆れた顔で、グランオウナーはイルカを見下ろした。
「何言ってんのか全然意味分かんなかったけどさ。役目? 立場? とか、生まれとか? そういうのに縛られてんの、ロックじゃねぇぞ」
「ロック」
「そうそう。人の命令に黙って従うなんてな、ロックじゃねぇ」
グランオウナーは、イルカに中指を突き立てる。
「お前を殺すも殺さないもな、アタシが決めんだよ。負けたテメェが勝手に押し付けんな。アタシのすることはアタシが決める。押しつけてくる奴は、蹴っ飛ばして黙らせる。それがロックだ、分かったか?」
「……ヨク分カラン」
「あーダメだ、言葉じゃ分かんねぇよコレは」
イルカが首を振ったのを見、グランオウナーはボリボリと頭を掻いた。
「CD貸すわ今度。北欧メタルだけど。でも今はとりあえずみんなを返せ。な」
「……私ガ決メルコトデハナイ」
イルカが視線を逸らす。
「ホントお前ロック全然分かってねぇ。まあいいや、お前より上の奴がいんだな? ソイツと包丁で交渉してくるわ」
グランオウナーが再び歩き出そうとした、その時。
「オヨッ? 庭ガ無クナッテオル」
幼い娘の声。その声にどこか聞き覚えがあったグランオウナーは、顔を上げる。崩れた廊下の淵に立ちこちらを見ていたのは、羽衣を纏った小柄な人魚。
「乙姫、様」
イルカはゆっくりとその名を呼ぶ。その隣で、グランオウナーは凍り付いていた。
「イルカ! 怪我シタノカヤ?」
瓦礫の上に着地し、ぺたぺたと音を立てながら、乙姫はイルカに駆け寄る。
「大変ジャ、霊薬ヲ飲ムト良イゾ。持ッテ来テヤロウ」
「ウゥ、ワ、私ハ」
「……シテ、ソチラハ誰ジャ?」
不思議そうに首を捻り、乙姫は半裸のババアを見る。
「サッキ言ッテオッタ、新シイ客カヤ?」
「……サンゴ」
グランオウナーは……より正確に言うならば、彼女の半分、憤怒の末に人間を辞めた不死の怪物は、彼女を知っていた。名前も、顔も、抱き合った時の感触も、その後受けた仕打ちも。
「何してんだよ」
人魚に見捨てられし女の目から、ボロボロと血の涙が流れる。体がわなわなと震える。
「なぁ、サンゴだろ! 何してたんだよこんなトコで! 迎えにも来ずに!」
何の話をしているのか分からず、怪訝な顔をするイルカ。対して乙姫は、数秒間フリーズしたように固まっていた。そして、ゆっくりとその名を呼ぶ。絶対に迎えに行くとかつて約束した、人間の娘の名を。
「……イソ?」
グランオウナーと乙姫……否。イソとサンゴは、実に八百年以上の時を経て、今ここに再会を果たした。
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