ババア・ネヴァーダイズ:Aパート
何故か薄ぼんやりと輝く、高い天井。畳らしきものの張られた床。金色のフスマらしき間仕切り。宴会の催されているその大広間は、一見すると古い和風建築にも見えた。しかし、少しでもそこで過ごせば気付くであろう。この建物全体から漂う、心をざわつかせる得も言われぬ雰囲気に。
奇妙な細かい曲線が寄り集まって構成された柱や天井は、見ているだけでぞわぞわと鳥肌が立つグロテスクさに満ちている。外見は畳と変わらぬ床も、踏みしめる度にじんわりと湿ったような感覚が脚を駆け上る。その上に敷かれた深い青の座布団も、どうにも触り慣れぬちりちりと不気味な感触であった。
フスマには、エジプトとも中国とも日本ともつかぬ古い筆致で、人物や風景が描かれている。注意深く読み解く者があれば、それが人魚の、そして人間の隠された歴史を描いているものだと分かっただろう。絵を鑑賞できるほど余裕のある娘がいなかったのは、幸運としか言いようがあるまい。
旅館の宴会場めいて、広間には膳が何列もずらりと並べられている。その上に載っているのは、魚介類で統一された料理。マグロ、カンパチ、ブリ、鮭といった魚の刺身。ステーキめいて焼かれたアワビ。ビスクに似た海老のスープ。鯛の煮つけ。海藻に見慣れぬ調味料で味付けされた小鉢……。
それは極上の体験であっただろう。誘拐されたという立場で、生理的嫌悪感を催す場所において、人魚に囲まれ、裸で食べるのでなければ。人魚、娘、人魚、娘、人魚、娘、人魚。席順はほぼ交互。戦いを終えた人魚らが談笑しつつ御馳走に舌鼓を打つ中、娘らはいたたまれぬ表情で座っていた。
「ドウシタ、食ベテヨイノダゾ。ハハハ」
そんな食の進まぬ娘らを見た人魚は、半ば強制的に食事を口に入れさせる。更に、非戦闘員人魚や幼い人魚が次々と持ってくるのは、日本酒めいた透明な酒。人魚らはそれを小さな器でくいくいと飲み、また娘らにも飲ませた。
味も分からぬままちまちまと食事する娘、慣れぬ酒に泥酔状態の娘、どうせもう帰れぬと開き直り御馳走に喰らいつく娘……反応はそれぞれ。しかしこの後起こることは決まっている。この酒の力により精力や性的欲求が抗い難いレベルまで高まった人魚と娘らは、いずれその場で乱れ始めるのだ!
「ワハハ! ドイツモ出来上ガッテ来テオルナァ!」
徐々に深まる淫らな雰囲気を肌で感じながら、イルカとフウカは酒を酌み交わしていた。ふたりの席は常に隣同士と決まっている。今日のような日でさえ、ふたりは間に誰かを挟みはしない。
「ドウシタ、イルカ。オ前モ今ノウチニ銛ヲ向ケテオケイ」
フウカの言う『銛を向ける』とは、人魚の慣用句で『狙いを定める』に近い意味である。フウカも先程から女達に『銛を向けて』いたが、イルカはぼんやりと飲んでいるばかり。
「浮カヌ顔ダナ?」
「……今回ハ多クノ死者ガ出タ。惧濫媼ヲ侮ッタガ故ニ」
「何ダ、真面目ナ奴メ」
フウカはワハハと笑った。
「クタバリ損ナイノ妄言ガ、今回タマタマ真実ダッタニ過ギンワ。イチイチ振リ回サレテタマルカ、アンナモノニ」
「不敬ダゾ」
「ドウセ聴コエハセン」
ふたりの視線は、大広間の前方にある高座へと向けられていた。そこに座る、ふたりの人魚に。
片方は、長老。平均寿命が四、五百年程度とされる人魚において、既に齢千六百を数える存在。強大な霊力で命を支え、城の一切を実質取り仕切り、霊薬の製法や人魚独自のテクノロジーの秘密を知る数少ない存在。そしてその隣には……羽衣めいた薄布を纏った、あどけない顔の人魚。
「長老、斯様ニ陸ノ民ガ居ルノハ久方振リジャナ」
イルカやフウカより遥かに幼い容姿だが、その年齢は既に九百を超えるという。何たる霊力か! 長老の後継者として直々の教育を受ける、その存在は、こう呼ばれる!
「ソウデスネ……乙姫様」
「善キコトジャ。ウム、ソレデ、コレデ本当ニ全員カヤ?」
乙姫は座ったまま、熱心に少女らの顔をチェックしている。
「ホラ、乙姫様モモウ女漁リニ夢中ダゾ。元気ビンビンダダノウ、隣ノ萎エタ年寄リト違ッテ。ワハハ」
「フウカ」
段々声が大きくなるフウカを、イルカがたしなめる。
「マア、トニカク気ニスルナ。減ッタ分ハナ、オ前ノ銛ヲ次々打チ込ンデ倍ニ増ヤシテヤレ」
「……フウカ、私ハナ――」
イルカが何かを言おうとした、その時である。イルカやフウカ、その他最も聴覚の鋭い数名の人魚らが、はっと一斉に顔を上げたのは。
《――ウ! 至急応答願ウ! 惧濫媼ダ! 惧濫媼ガ、城ヘ向カッテイルッ!》
それは、超音波通信であった。声の主は、ウツボ。宴会が始まる直前、娘を陸に戻さねばならなくなった、不運な下級戦士。彼女が、必死の様子で、城の危機を伝えている。
「ウツボメ、宴ニ遅レタ腹イセニ我輩ラヲカラカッテオルノカ? 悪戯者メ」
冗談めかして言うフウカの目は、笑っていない。
「……ダツ、ガゼ、カイバ、オコゼ!」
広間中に響く声で、イルカが戦士の名を呼ぶ。四人の人魚が、一斉に立ち上がった。
「同行セヨ。確カメル。フウカ、オ前ハココデ万一ニ備エロ」
「……オ前ノ命令ナラ仕方無イナ」
フウカがフンと鼻を鳴らすと同時に、イルカらは飛ぶような速度で広間を飛び出した。宴を続けるわけにもいかず、残った人魚達も少女達も、ただ狼狽えるばかり。
「ナッ、何事デスカッ!」
「モウ行ッタゾエ」
遅れて慌て出した長老の隣で、乙姫がケラケラと笑った。
「他ニモ客ガ来ルノジャナ、楽シミジャ……」
(あの気持ち悪ぃ建物が『城』ってわけかよ)
グランオウナーはハッキリと見た。暗い海の底で薄ぼんやりと輝くドーム。その中に建っている、広大な敷地を持つ歪なる御殿を。
ウツボがいなくても、グランオウナーは必ず執念でこの城を発見しただろう。だが、ウツボが真っ直ぐ棲家へ逃げ帰ったことが、捜索時間の大幅短縮に繋がった。ウツボが命を投げ出して戦う特攻兵でなかったことは、グランオウナーにとって幸運であったと言える。
嗚呼、しかし! グランオウナーは同時に見た! 五つもの影がドームから一斉に飛び出し、こちらへ向けて急速接近してくるのを!
(そりゃ来るよなぁ、クソ人魚!)
恐らくは先刻戦った人魚もいるだろう、だとすれば水中戦闘は不利! 敵を上手く振り払い、一刻も早くドーム内に侵入せねば!
「ウオオォンッ!」
雄叫びと共に先陣を切って突進してきたのは、棘付きアーマーを全身に纏った横幅の大きい人魚、ガゼ! 鮫をも殺すこの殺戮タックルが、彼女の必殺技! とはいえ単純な直線運動、避けるのは容易! グランオウナーは上体を大きく反らし、宙返りめいた動きでこれを回避する! が!
「カカッタナッ!」
グランオウナーの背後へ回り込んでいた別の人魚あり! エペめいた剣を構えるこの人魚は、ダツ! 前方からの派手な攻撃に気を取られた隙に、後方から攻める作戦だ! 卑劣! 逆さまになったグランオウナーと目が合った時、既にダツはババアの間合いに入っていた!
「死ネイッ!」
ダツの剣は、グランオウナーの眉間を正確に貫こうとしている! グランオウナーは鬼の反射神経で素早く首を動かし、すんでの所でこれを避ける! 剣にかすった髪の毛が、藻屑めいてはらりと水中を舞った! ダツはニヤリと笑う!
「フンッ! コノ一撃ヲカワストハ! シカシ――ナッ!?」
次の瞬間! ダツにとって予想だにせぬ出来事が起きた! ババアの胸部装甲が、突如としてがぱりと開いたのだ! 紫色をした怒りのエネルギーが、そこにバチバチと集中! 直後、その力が昏き光の矢となり……放たれた!
「待テ、ソンナ技聞イテナ――グアァーッ!?」
電撃的速度でダツの左肩を貫いたそのエネルギー体は、老婆が頭に刺しているかんざしの如し! 否、それどころか、神の子を貫いたあの槍すら彷彿とさせる! これぞ、叡智袋に封印されしババア本来の武器のひとつ! 名は特に無いが、敢えて言うならこう呼ぶのが相応しかろう!
「ア゛ァア!? イキナリコンナ……ヒ、卑怯ナリィ!」
(不意打ち狙いの奴が卑怯とか言うかよ!)
グランオウナーは中指を立てた!
「ウオォンッ!」
再び海中を揺るがす雄叫び! 突進の勢いをようやく止められたガゼが方向転換し、再びこちらへ向かって来ようとしている! グランオウナーは胸部装甲を閉じ、体勢を立て直した! そもそもダツとガゼ以外にも敵はいるのだ! 一人負傷させて喜んでいる場合ではない!
新たに前方から向かってくるは、細く引き締まった肉体を持つ人魚戦士、オコゼ! 武者の兜めいたヘッドギアを被り、手には未知の金属的素材で構成されたガントレットを装着している! 水中にもかかわらず繰り出される、何発もの鋭い拳! グランオウナーはこれを咄嗟に両腕でガード! しかし!
(ぬぉっ!)
水中は踏ん張りがきかぬ! グランオウナーはバランスを崩した! そこに猛スピードで突っ込むガゼ! 鎧同士がぶつかり、ビリヤード玉めいて弾き飛ばされるグランオウナー! 装甲の無い頭を守ったお陰で致命傷は避けられたが、頬から出血! 針がかすめたのだ! そして更に!
「ルオオッ!」
そこへ迫る、もうひとりの人魚あり! その人魚にはなんと、太く長い尻尾が生えているではないか! 然り、カイバは、陸で暮らしていた人魚の祖先の形質を偶然にも発現させた、先祖返り個体なのである! 爬虫類めいたその尻尾が、グランオウナーの首に……強く巻き付く!
(んがっ!?)
驚異的潜水能力を持つグランオウナーとはいえ、首を締めれば当然窒息の危険がある! 彼女は相手の尻尾を掴み、怒りの炎を急速に体内で燃やした! フウカに火傷を負わせたあの状況を再現しようというのだ! ……が、なんということか! 冷たい深海では温度が思うように上がらぬ!
グランオウナーの目に映るは、自分を取り囲む四人の人魚達! ガゼ、オコゼ、肩を押さえながらフラフラと泳ぐダツ、そして!
「言ッタハズダ。相手ヲシテイル暇ハ無イ」
グランオウナーに声の大砲を浴びせた、人魚部隊の隊長! イルカ! 彼女はまさに、このタイミングを狙っていた!
強化形態になったとはいえ、あの技を受けることは危険極まりない! グランオウナーがこの場を長引かせたくなかったのは、あの技を使われたくないがためだったというのに、このままでは! 嗚呼、イルカが、海中の空気を急速に取り込んでいく! このまま失敗を繰り返すのか、グランオウナー!
……否!
(全員が集まってるってことはよぉ)
グランオウナーの瞳は、未だ金色に燃えていた!
(チャンスだぜ!)
「――何ヲスル気ダッ!」
はじめに異常に気付いたのは、カイバであった。自分の尻尾を掴むのを止め、ババアが突如その両腕を掲げのだた。戦士の勘が、良くないことが起こると告げている。カイバが尻尾の締め付けを強くしようとした、その時! ババアの両手の上に、巨大な黒き球が出現した!
「ナッ!?」
イルカを含む全員の目に飛び込んで来る、直径一メートルはあろうかという高密度のエネルギー球! 新たな技はまだあるというのか!
「総員、防御姿勢!」
イルカは思わず攻撃を中止し、部下達に向け叫んだ! その次の瞬間! 黒球がババアの頭上で……爆ぜたのである!
直径数センチほどの破片となったエネルギー弾は、散弾銃めいて三六〇度全方位に飛び散る! その見た目は、まるで祖母が無駄に寄越す大して美味くもない黒糖飴が如し! それが高速で降り注ぎ、炸裂、炸裂、炸裂! 解き放たれしババア第二の切り札、敢えて名付けるならば、そう、
「ガアァア!?」
「ヴォオォ!?」
「グゥン!」
最も近くにいたカイバの体中に
「ウオオォオンッ!?」
全身に鎧を纏ったガゼは、瞬時にイルカの前に立ちふさがると、極小爆弾の嵐を全身で受け止めた! 爆発する
「ガゼッ!?」
イルカ、
「ガゼ、何トイウ真似ヲ!」
「隊長……惧濫媼ガ、行キマス」
ガゼは、絞り出すように言った。然り。攻撃の混乱に乗じ、グランオウナーは拘束を脱し、全速力で城へと向かっていた。黄金の光が、既に小魚のような大きさにしか見えぬ。イルカは、ギリと奥歯を噛みしめた。
「オコゼ、動ケルカ!」
「無論ッ」
「三人ヲ長老ノ所ヘ! 霊薬ヲ飲マセヨ!」
魚雷めいた速度で、イルカはグランオウナーを追う! 同時に城へ向けて超音波通信!
《フウカ》
《分カッテオルワ!》
阿吽の呼吸! 逃げ帰ったウツボから情報を得、フウカは既に全戦士に戦闘準備を始めさせていた!
《必ズ止メルゾ》
《オウトモ! コレ以上減ッタラ、イクラ絶倫デモ増ヤスニハ時間ガカカルカラナ!》
イルカの眉間に皺が寄る。アワビ、カサゴ、アイゴ、イスズミ……グランオウナーの手で屠られた部下の顔が、脳裏に浮かんでは消えた。
彼女らは戦士だった。イルカの指揮下で海の生物の命を奪い、民の糧としてきた。奪おうとする者は、当然抵抗に遭う。それは、戦士なら当然覚悟せねばならぬことである。グランオウナーに殺された者とて同じ。陸から奪おうとしたから抵抗された。そして力が及ばなかったために、死んだのだ。
長老やフウカのように割り切るのが正しいのだろう。ここを守り切れば、海の民は実質増加する。種の存続という観点から見れば、それで何の問題も無い。だが、嗚呼。イルカの目から塩水が溢れ、海の一部となる。戦士の長たるイルカが、死者の為に涙を流せる場所は、水の中だけだった。
必ず奴を倒す。これは彼女らに捧げる弔いである。殺すことはできても、敵討ちができるのは、この海で自分だけ。そう心に誓うイルカの前で、グランオウナーがドーム内部に……突入する!
突入にあたり、グランオウナーは考えた。建物正面には、待ち構える人魚が何人も見えていた。海中で戦うよりはマシであろうが、とにかくまどろっこしい。確信は持てぬが、娘らが囚われているのは、恐らく建物内だろう。だとすれば、一番手っ取り早いやり方は! 上空から建物への直接侵入!
「ヴァアアアァアァアァ!」
ドームのほぼ頂点から突入することを選択したグランオウナーは、数時間ぶりの空気を存分に吸い込み、絶叫! そのまま御殿へと真っ直ぐに落下していく! 城自体を襲撃されるという経験を持たぬ人魚らは、これを撃ち落とす術を持っていない!
ギャルルルル! 屋根が近付いてきたと見るや、グランオウナーは体を丸め、縦方向に高速でスピンし始めた! 最高に勢いづいたその鉄と炎の塊は、未知の素材でできた屋根を、豪快な音を立てながらぶち抜き、着弾! ほんの先程まで宴が行われていた宴会場に、隕石めいてクレーターを作った!
既に誰もおらぬ部屋の中心で、グランオウナーは瓦礫を払いながら立ち上がった。周囲を見回すと、海の幸の盛られた膳が、先程の衝撃で盛大にひっくり返っている。「……勿体ねぇことしたかな」
舌まで含め、かなり思い通りに体が動く。ババアとヨシホの一体化が深まり、お互いがお互いに慣れてきたという証拠だろう。良いことだ。早く皆を探さねば。そう考えた次の瞬間!
スパーン! 全てのフスマが一斉に開かれ、そこから人魚戦士が次々と現れたのだ!
「早ぇなオイ」
表にいた戦士達ではなかろう! 内部への直接侵入も、既に計算されていたか! だが、だからと言ってやることは何も変わらない!
「お前らァ!」
部屋中が振動するほどの、しわがれた大声! その迫力に、会話不能とされていた相手が突如として口を利いた動揺も手伝い、人魚達が思わず一歩後ずさる!
「さっさと謝んねぇとォ!」
グランオウナーが両手を掲げる! その体が熱を帯びる! 足元の湿った畳が、瞬時にパリパリと乾燥していく! 黒き雨を降らすエネルギー体が、ババアの頭上に出現する!
「知らねぇぞおぉォォッ!」
降り注ぎ炸裂する
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