第四話(最終話スペシャル)『ババア・ネヴァーダイズ』

ババア・ネヴァーダイズ:アバンタイトル

「――オ前ノ腹ニアル、子ヲ宿ス部分ダナ。ソコガ生マレツキ歪ダト、長老ハ言ッテイタ」

 暗い海を飛ぶように進む、一匹の大亀あり。人が二、三人乗れそうなその背中に形成されているのは、ガラス張りめいて透明なドーム。縦に並んだふたつの人影が、その内側にある。御者めいて前方に座っているのは、人魚。後ろで亀の甲ばかり見ているのは、赤いジャージと眼鏡の娘。

「長老ノ音波検査ハ正確ダ。病気ヤ怪我ヤ老イハ霊薬デアル程度治セルガ、生マレツキハ……オイ、オ前ガ話セト言ッタンダロ検査結果ニツイテ。相槌クライ打テ」

 ウツボの話を、タマはただ口を真横に結んで聞いていた。

「帰リタガッテイタロウ、ドウシタ」

「……お父さんが」

「エ? アア待テ泣クナ、ドウシタンダ本当ニ!」

 タマが歯をくいしばり泣き始めたのを見、ウツボは慌てふためいた。

「オ父サン? オ前ニ精ヲ提供シタ奴ダナ。ソレガ何ダトイウノダ」

「お父さん……きっと失望します。赤ちゃん、できないから」

「ムッ、子ガデキント陸カラモ追イ出サレルノカ? シカシ――ダカラナンデ泣ク! クソッ、陸ノ民分カランッ!」

 決壊したダムめいて涙を溢れさせるタマを、ウツボは十数分に渡りなだめ続けた。

「……ツマリ、『家』トヤラノ為ニハ子ガ産メントイカンノカ?」

 やがて、タマが途切れ途切れに吐いた言葉から、ウツボは事態を推察しようとした。

「お父さん……私しか子供がいないから。家が続くように、いい家の男の人を婿養子に入れたいって」

「ム、婿養子? マタ知ラン単語ダガ……マア続ケロ」

「元気な孫を見せてくれって、ずっと期待されてて。お見合いの予定まで組んで……なのに、こんな」

「オミ……ヌウーッ! ドウイウコトダ、ヤハリ分カランゾ陸ノ民」

 ウツボは頭を抱えた。

「ダッテ、長老カラ聞イタゾ。陸ノ民ハ、ガ月ニ一回モアルンダロウ?」

「……えっ、え?」

 タマは数秒かけてその意味を理解し、泣いていたのを忘れるほど動揺した。

「我々ハ大体八十年カラ百年ニ一度ダ。無事産メル可能性ハモット低イ」

「ああ……はい」

「ダカラ我々ハ種ノ存続ヲ常ニ考エテイル。陸ノ民ヲ借リル程度ニハナ……オ前ガ子ヲ成サネバ絶エルノカ?陸ノ民ハ」

「そういうわけじゃ……」

「ナラ別ニオ前ガ産メナクテモ良カロウ。他ノ者ガ産ンダ子ヲ、陸ノ子トシテ共ニ育テレバ良イ。海ノ民ハソウスル。誰ノ子モ皆ノ子デ、海ノ子ダ。海ノ民カラ生マレテモ、陸ノ民カラ生マレテモ」

 妙な奴らだとでも言いたげに、ウツボは肩をすくめた。

「生マレタダケデ素晴ラシイノニ、ソノ上誰ニ連ナル子カナド。生マレルノガ当タリ前ダト、贅沢ニナルノダナ……オ前ノ友ハムシロ幸運カモシレンゾ、ソンナ不合理ニ縛ラレズニ暮ラセルノダカラナ。ハハハ」

 ウツボなりに自分を慰めようとしているらしい事実と、少女誘拐を正当化する者の価値観が持つ歪さの間で、タマは複雑な表情をするより他無かった。

「……ソロソロ陸ガ近イナ」

 やがて、周囲の地形を確認しながら、ウツボが呟いた。

「ナンダカ名残惜シイナ……オ前トモ交尾シタカッタガ、仕方無イ。オ前ノ友ト立派ナ子ヲ作ルトスルヨ。大勢ダカラ大変ダナ。ダガ、コレデモ……何ダ?」

 ウツボは突如台詞を切り、前を向いた。

「――馬鹿ナ」

 タマもまた顔を上げ、そして見た。そこに光があるのを。人魚ら海の生物以外到達できるはずのない闇の中に、有り得ざる黄金の輝きがあるのを。それが急速にこちらへ接近しているのを。その光は、人の形を照らし出している。より正確に言えば、ババアの姿を!

「グランオウナー!?」

「チョ、長老ノ話ト違ウ! 陸ノ民ハ海ヲ自由ニ泳ゲヌハズ!」

 そう、相手がただの人間なら、ウツボの認識が正しい! しかしグランオウナーには、人魚仕込みの素潜り技術がある! 強靭なフィジカルと掛け合わせれば、その潜行力は常人の何倍にもなる! まさに潜行婆ダイバー

 陸上で二度に渡り嘔吐させられた記憶が、ウツボを恐怖させる! このままでは、首を刎ねられ死んだ仲間と同じ末路を辿ることになる! 一か八か、ウツボは海へ! 陸から海へ入る時と同じように、ざぷんと音を立て波打つドーム! 人魚の一部のみが原理を知る、オーバーテクノロジーである!

「クッ、喰ラエ!」

 バシュゥン! ウツボは音の塊を発射! イルカほどの威力は流石に出ぬが、それでも並みの人間なら一撃で仕留められる程度ではあろう! が! 鬼婆は背中から包丁を抜き……側面を盾とし、それを弾いた!

「ヒィッ!? マ、マダダッ」

 バシュンバシュンバシュン! 動揺したウツボは、可能な限り音を連射する! とはいえウツボは人魚の中でもさほど声の扱いが上手くない! 威力も数も命中率も高が知れている! 相手はイルカの砲撃を一度受けたババアなのだ! 鬼婆はこれを弾き、あるいは避けながら、どんどん近付いてくる!

「タ、助ケ――!」

 ところが、グランオウナーはウツボにそれ以上構わなかった。グランオウナーの突進した先は、悠々と陸を目指す亀、その背中のドームであったのだ。

「ヌッ!?」

「あ……」

 ドームを突き破り、亀の背にばしゃりと音を立て着地したグランオウナーは、しばし呼吸を整え……震えるタマを睨んだ。

「ひっ」

「ヴァ……え、あ、わ」

 しゃがれた、それでいて以前より妙に芯のある声で、老婆はたどたどしく口を動かしている。何かを訴えるように。

「あい、お……あ、えて。あい、あ?」

 じりじりとタマへ近寄る老婆。タマがギリギリまで後ずさった……次の瞬間! がばりと伸びた鬼の腕が、タマを手元へ引き寄せ、強く抱きしめた!

「うぐ!?」

「おえん、ごえんあ。こあぁっ、あろ」

「えふ、えふっ、ちょ、う?」

 そのまま意識を失うかと思うほど力強い鬼婆の抱擁には、しかし妙な温もりがあった。

「……!」

 数秒後、タマを放したグランオウナーは、ドームの外を見た。亀を捨て、全力で深海へ向け遠ざかっていくウツボの姿を。

(何カ知ランガ、逃ゲルナラ今ダ! コノママ独リデ戦ッテモ殺サレル! 城ニ戻ッテ、助ケヲ呼バナイトッ!)

 アレを追えば、辿り着く先は人魚の本拠地であろう。ババアは即座に立ち上がり……今一度しゃがみ込むと、タマの腰辺りを数度触った。

「ひゃん!?」

 そしてポケットに手を突っ込むと、そこから取り出したのは、ヨシホの音楽プレイヤー。

「あっ、駄目、それは」

 ババアは自分の物のように素早くこれを操作し、ある曲を選択した。タマとヨシホがコンビニの前で聴いた、あの曲を。イヤホンをぐいと押しつけ、耳に装着させたババアは、再生ボタンを押す。爆発するような音が、タマの頭にガンガンと響き渡った。グランオウナーは納得したように頷き、タマの胸を軽く小突くと、

「ヴァ、あとえな、たあねえ」

「えっ」

 タマが聞き返すより早く、再び海へと飛び出した。亀は当初の命令通り、真っ直ぐに陸を目指す。魚雷のような速度で進むグランオウナーの輝きは、すぐに遠ざかり……やがて見えなくなった。

 全てをぶち破るような音に包まれ、タマはたったひとり海を漂う。どこかひどく懐かしい、ババアに抱かれた熱い感覚を思い出しながら……。

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