ババア再誕:Bパート
雨の降りしきる村の中心部には、異様な光景が広がっていた。
魂の抜けた顔をした十代の少女達が、傘も差さずふらふらと坂道を下っていく。
同じく死んだ顔の男達、そして二十代以上の女達は、少女らを無理矢理捕らえ、やはり坂の下へ連れて行く。
「やめ、放して!」
実の両親に両手足を掴まれ、仰向けの宙ぶらりんで連行される娘がひとり。
天然パーマの髪を振り乱し抵抗を試みるが、二対一では厳しい。
娘は何もできぬまま、雨の中、ただされるがままに――。
「アル、受け身取れェ!」
その時、雨の中でもハッキリ聞こえる絶叫! 急接近するライト!
アルの父が、ふたり乗りの自転車に撥ね飛ばされた!
巻き添えを喰らい地を転がる母、そしてアル!
「痛ゥッ!」
ダメージと共に拘束を脱したアルは身を起こし、運転者の顔を確認した。
「ヨシホ、タマ姉!」
「久し振り、逃げっぞ! どんどん来る!」
然り、既に男が複数集まりつつある。言われるままに、アルは裸足で走り始めた。
「これどういう状況!?」
自転車と並走しつつ、アルは訊ねる。
「分かんねぇ、あの放送のせいみてぇだ! 聴いた!?」
「部屋の中で! 映画見てたから、そしたらパパとママが!」
「多分村全体やられてる! とにかく海から離れっぞ!」
そう、放送通りなら、村民は海を目指している。単純な話、坂を下るほど危険。
「他に無事な人は!?」
「その前にテメェの無事を心配しろ!」
自転車は坂道にもかかわらず加速!
「ちょ、私裸足なんだけど!?」
「陸上部だろ! 根性見せろ!」
そう広くない道を、村人を避けつつ三人は上っていく。
映画で見るゾンビよりは素早い。とはいえ、囲まれなければギリギリ回避できる。
雨音と悲鳴の中、三人は自然と小学校を目指していた。
村の高い所にあり、緊急時の避難先に指定されているからである。
「あっ、アレ!」
タマの指差した先に、小学校高学年位の女子。転んでいる。
背後には太った老人。
「タマ姉ぇ!」
タマの姿を見つけ、少女は助けを求める。
「アル、自転車代われ!」
「ひぃ!?」
「うわっ、ちょ、私裸足、もう!」
ヨシホは自転車から飛び降り、駆け出した!
「オラァ!」
ジジイ一人ならヨシホの敵ではない。案の定、脛を思い切り蹴飛ばせば転んだ。
「よし、逃げっぞガキ! アルも行け!」
「わ、分かった……痛ッ! 足の裏痛ッ!」
アルが裸足で運転する自転車を先に行かせ、ヨシホは地べたの少女に歩み寄ろうとした。
その刹那。
「アラ? 可愛イ娘ガ沢山」
不気味なほど澄んだ声が、頭上から。
直後、幼い娘の背後へ、何かがバシャリと着地した。
ヨシホも少女も自転車のふたりも、それに釘づけとなった。
露出狂めいた格好の、グラマラスな金髪美女。
だがその手には水かき、ニタリと歪む唇は紫、覗く大量の牙。
「稚魚ヲ食ベルッテ、背徳的ヨネェ」
三人は直感した!
人に似て非なる、人魚めいたこの存在が、村を地獄に変えたのだと!
「テメ――」
「あっ、ヨシホちゃん!」
タマの警告は遅かった!
いつの間にか起き上がり、ヨシホを羽交い絞めにする先程の老人!
その隙に、人魚は少女を抱き上げ――!
「やめろォ!」
人魚の口から、歌にも似た怪音!
雨音で分かりづらいが、それはあの放送と酷似していた!
「……サ、オ行キ。小魚チャン」
ヨシホが老人を振り払った時には、もう手遅れ。
虚ろな目の少女は、無言で坂を下り始めたのだ。
「……逃げっぞォ!」
顔面を殴るようなヨシホの叫びを合図に、三人は全速力で逃走を開始した!
あの痴女人魚の『歌声』を喰らえばそれで終わり!
距離を取らねば、少しでも!
「活キガ良イワネ」
余裕の表情で、人魚は地面を蹴る!
「身ガ締マッテ! 歯応エガアッテ! 味ハ濃厚ッ!」
僅か三歩のうちに、化物は獲物との距離を急速に詰める!
ヨシホが振り向いたその時、人魚は既にほぼ真後ろにいた!
怪物に背中から抱き付かれ、ヨシホは転倒!
「ヨシホ!」
「ヨシホちゃん!?」
「止まんな! 行け!」
一瞬速度を緩めた自転車に向け、ヨシホは怒鳴る!
「三人で捕まりてぇか!?」
「……あぁクソッ!」
アルは歯を食いしばり、真っ直ぐ自転車を走らせた!
「えっ、そん、アルちゃん!? ヨシホちゃ、ヨシホちゃあん!」
タマの声は段々と遠ざかり……雨に溶けて消えた。
「海ノ底ミタイニ冷タイオ友達ネ、デモ大丈夫」
ヨシホを仰向けに転がし、人魚は馬乗りになる。
生臭い。ヨシホは顔をしかめた。
「ドウセミンナ仲良クオ城デ暮ラスノヨ、毎日可愛ガラレテ。デモソノ前ニ……フフ、味見シタクナッチャッタ、貴女ノコト」
(おいおいおいッ!?)
ヨシホは見た。相手の下半身、鱗を押しのけメキメキと伸び出す、管めいた形状の突起物を。
あんな場所から生えたあんな器官、ヨシホはひとつしか知らぬ。
(嘘だろ、だってコイツ――マジか!?)
水かき付きのぬめる両手が、ヨシホのTシャツを脱がせようと脇から手を――!
(なら話は早ェ!)
ヨシホは突如腰を高く突き上げた!
「エッ」
そのまま横方向にローリング、流れで立ち上がる! 逆に地面を転がる痴女!
ヨシホは迷いなく相手を踏みつける! 股間! 腹! 顔面!
「ヴェア!?」
狙うは股間と目、力の差がある相手と戦うなら定石!
振り返らず走るヨシホ!
「ア゛ァッ!? 船虫ガッ、ワタッ、私ノ!?」
血が下半身から頭へ上った化物は、金切り声にも似た『歌声』を発する!
「アイツニッ! 雌ニ生マレタ事ヲ後悔サセロォ!」
周囲の村人が、一斉に現在の行動を中止! ヨシホを追い始めた!
「マジか!? っていうか走れんのかよコイツら!?」
最早ゾンビめいた動きではない!
少しでも速度を緩めれば、一瞬で取り囲まれるだろう!
ヨシホはただがむしゃらに駆けた!
学校が、幼馴染との合流が遠ざかることすら、気にする余裕のないままに!
……どれほど経っただろう。
ヨシホは山の木々の間を歩いていた。
体中に傷、雨に奪われる体温、限界に近い体力。
ここがどこかもよく分からない。
捕まっては、いない。その事実だけがある。
身を隠せる場所が欲しい。雨風をしのぎたい。
朦朧とする頭で、ヨシホは考えた。
無理か、こんな山奥では。こんな村に産みやがって、クソ親が。あの世で会ったら殺す。ヨシホは心の底からそう誓い……そして、その建物を見つけた。
苔むした石の鳥居、草まみれの境内、古びた建物。
神社だ。村にこんなものが? 知らないが、とにかく建物に入りたい。
窓は無し。戸には古い錠前がかかっている。蹴飛ばすと、戸の方が壊れた。
社の中には、生ぬるい空気が充満している。
ヨシホは隅で座り込み、ポケットの中の携帯を見た。奇跡的に動いたが、電波が入っていない。
ヨシホは舌打ちし、携帯の明かりに照らされた室内を眺めた。
一番奥に、大量の札が貼られた祭壇がひとつ。あるのはそれだけ。手入れの形跡が無く、埃にまみれている。
中央上部には、煤けた鏡。その少し下には……黒い木製の台座に突き立てられた、一本の出刃包丁。
武器だ!
ヨシホは何の躊躇もなくそう思った。
喧嘩はステゴロ中心で、刃物の扱いには慣れていない。
だが、いざとなればこれで人魚のナニを切るくらいはできよう。
ヨシホは祭壇に手を伸ばし……柄を握った!
その時である!
この社めがけ、邪悪な紫色の雷が落下したのは!
それは屋根をぶち抜き、包丁へと引き寄せられる!
『滅ぼすッ!』
(なっ!?)
聞き慣れぬしゃがれた声と共に、ヨシホの視界が紫に染まった!
弾け飛ぶヨシホの服!
一糸纏わぬ姿の彼女の全身に、絡みつくような紋様が浮かび上がる!
続いて両手に手甲!
両脚に鋼鉄のブーツ!
全身を覆ってゆく、どこか着物を思わせる紫色の鎧!
頭から生え出す、一対の鋭い角!
そして、ヨシホの眼前に迫る、紫色に燃え盛る人影!
それがヨシホに、重なった!
『
瞬間、彼女を中心に爆発が巻き起こった!
響き渡る轟音! 粉々になり吹き飛ぶ社! ひび割れる参道! 揺れる木々!
その衝撃は、山中の兵士、そして彼らに交じり自分を辱めた愚か者を探す人魚にも届いた!
「……何、今ノ?」
爆心地の方角を見やり、人魚は訝しんだ。
直後、感じた。
とてつもなく不吉な気配を。
「エ、エ?」
背中がざわつく。
在ってはならない何かが、こちらに近付いている。それも急速に。
馬鹿な、陸にそんな者がいるなど。
だが、逃げねば。本能がそう確信させる。人魚は爆心地に背を向け――。
「ヴァアアアァァァア!」
その背中で、耳をつんざく咆哮を聞いた!
人魚は目撃した!
闇の中輝く金色の瞳を!
憤怒の皺を!
憎しみを表現したような角を!
虎めいた牙を!
宙を舞う鋼鉄の老婆が、二人の村人を掴み、自分に向けて猛スピードで投げつけて来るのを!
大砲めいた速度と威力で、それは人魚の背中に激突!
吹き飛んだ人魚は、顔から木に叩き付けられた!
「ア、ナ――エ!?」
向き直った人魚の眼前に、迫っていた!
二本の角を生やした鬼婆が!
その手には、身の丈ほどもある巨大な出刃包丁!
大剣めいた包丁が、人魚の体を……貫く!
木に磔にされ、胸と口から血を流す人魚! その顔には確かな恐怖!
さっきまで自分は確かに狩人だった、それが何故こんなことに?
……いや、この距離なら!
人魚は『歌声』を発そうと口を大きく開け、
「ヴァアァア!」
その口に鉄の拳を高速で捻じ込まれた!
外れる顎、折れる牙!
涙で歪む視界に映るのは、明らかな憎悪の表情で鉄拳を振りかぶる老婆!
(何、ナンデ!? 私、何モシテナ――!?)
股間! 腹! 顔面!
打ち込まれた三発の拳が、骨を、鱗を、内臓を粉砕した!
……動かなくなった人魚を、彼女は数秒そのまま見下ろした。
やがて体から大包丁を引き抜き、背負い直す。
「ヴァアァア!」
そして大きく跳躍! 圧倒的筋力で木々を飛び移りつつ、山を下ってゆく!
このとめどない憎しみの対象を、人魚を!
この手で、この包丁で! 残らず始末するために!
人と
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