第一話『ババア再誕』

ババア再誕:Aパート

 午後十一時。村外れのコンビニ前。

 自転車を脇に止め、大股開きで地面に座るポニーテール娘あり。


 メタルバンドTシャツにスウェット。

 眉間に皺を寄せ、超大盛カップ焼きそばを啜り、サイダーを飲む。

 耳には、激しく音漏れする白い安イヤホン。


 彼女は、機嫌が悪かった。


 不快な蒸し暑さ。

 うんざりする潮の臭い。

 その上雨まで降りそうときている。

 音楽とソースの香り、圧倒的カロリーで、息苦しさを誤魔化すより他にない。


 ここはあまりに狭かった。

 とうに見飽きた海と山、そして一日五本しかないバスで鎖された、この檻は。


 思ったより腹が膨れた。焼きそばはまだ三分の一ほど残っている。

 唸るような声と共に、彼女はふと顔を上げ……そして気付いた。こちらに近付いてくる、別の娘に。

 赤いジャージを着た、眼鏡の――。


「――タマ姉?」


 イヤホンを片耳外し、その名を呼ぶ。


「……えっ、ヨシホちゃん?」


 地面を見ながら歩いていたタマは、少し驚いた様子で顔を上げると、小走りでヨシホへ駆け寄った。


「なんか久し振りだね」

「悪かったなアタシだけアホ高校で」


 しかめっ面のヨシホの隣に、タマは微笑みながら腰掛けた。


「てかタマ姉、それ中学のジャージだろ」

「あ、これは……誰にも会わないかなって思って」

「てかどしたのこんな時間に」

「……ヨシホちゃんこそどうしたの?」


 己に話が向いた途端、ヨシホの表情が更に険しくなった。ヨシホは低く息を吐く。


「……喧嘩した」


 タマは苦笑いをした。


「またおばあ様と? 今度はなんで?」

「ババア、アタシの聴く音楽にケチつけやがんだ」

「何聴いてたの?」

「北欧メタル。不良音楽聴く女は嫁の貰い手がいなくなるって」


 メタルは分からないが、ヨシホの祖母が怒る様子は、タマにも容易に想像できた。


「いつもケチばっかつけやがってさ。ムカついたから飛び出してきた」


 炭酸の抜けつつあるサイダーを、ヨシホはぐいと飲み干した。


「焼きそば食う? アタシ腹いっぱい」

「そ、そう。じゃあ」


 冷えた焼きそばを食べながら、タマはヨシホと共に村を見渡した。

 山肌と海岸に貼り付くように、古い家がいくつも並んでいる。このコンビニより低い所にも、高い所にも、ぎゅうぎゅう詰めで。あちらもこちらも坂道だらけ。

 下方に見える海の音が、ふたりの沈黙を埋めた。


「……フィンランドってさ」

「フィンランド?」


 ヨシホは突然切り出した。

 この枕詞に続く言葉が、タマにはまるで予想できない。


「クソ寒くて、暗くて、人の心も落ち込んじまうんだって」

「そ、そうなんだ」


 本当にそうなのかは知らないが、タマは余計な口を挟まなかった。


「雪とか多そうだよな。閉じ込められてさ。気も滅入るんだろ。一生この狭苦しい中で生きなきゃなんねえのかって」


 ヨシホは一度ため息をつく。


「この村とそっくり」


 ヨシホはタマに、イヤホンの片耳を差し出した。

 タマは何も言わずそれを受け取って、耳に挿入した。


 聴力が下がりそうな音量で、雪国から音楽が届く。

 重く激しく、それでいてどこかクリアな爽快さのある、疾走感溢れる曲が。


「……気持ち良いね」

「だろ」


 タマが素朴な感想を述べると、ヨシホは満足気にニッと笑った。


「囚われた苦しみに負けないように、音楽をやるんだ。そういうとこが好き」

「囚われた、苦しみかぁ」


 ぽつりと呟き、タマは暗い海の向こうを見た。


「もう少し聴いてていい?」

「おうよ」


 ひとつのイヤホンを分け合い、しばらくの間ひと言も発さず、ふたりは同じ時間を共有した。

 そのサウンドは、海のにおいを忘れさせ、波の音を消し去る。

 そして、今まさに迫っている、尋常ならざる者の湿った足音をも……!


 ピンポンパンポーン。


 はじめに、遠くでチャイムが鳴った。村内放送のお知らせである。


「何だ?」

「こんな時間に?」


 音楽をそのままに、ふたりは音源である村役場の方角を見た。


孰波いずなみ村の皆さん、緊急のお知らせです。外に出て、よく聴いてください。繰り返します。孰波村の皆さん……』


 男の声が、繰り返し告げる。ヨシホの安イヤホンより音質が悪い。


「ウン、何だぁ?」


 元酒屋のオヤジ、現コンビニ店長も、音を聞きつけ店外に現れた。

 たくましい肉体に、制服がまるで似合っていない。


 オヤジは呆れ顔でふたりを見た。


「まだおったか不良娘」

「悪ぃか」

「後でうるさいんだぜお前のバアさんが――って、どこの悪ガキかと思ったら、連れは福島の家のお嬢様かい。いいのか夜遊びして」

「いや、別にお嬢様じゃ」


 オヤジがガハハと笑う間にも、村に明かりが灯ってゆく。


『緊急のお知らせです……』


「だから何なんじゃいそのお知らせってのは」

「分かんね」

「さぁ」


 そう。先程からこのアナウンスが続くばかりで、肝心の内容が流れて来ない。


「そんなに緊急なら早く言えってんだ」


 オヤジが正論を述べた、その時。


「――ウム。コレデ声ガ届クノカ」


 いやに澄んだ女の声が、不意に村中に鳴り響いた。

 役場の人間に、こんな声の持ち主はいないはず。


「シカシ音ガ悪イナ、カドウカ」


 ヨシホもタマもオヤジも、唖然としたまま声に耳を傾けた。


「サテ、要求ヲ述ベル。


 何を言っているのか、村のほとんどの者が理解できなかった。

 故に、声の主が起こした次の行動に対応できた者も、多くはなかった。

 声の主は深く息を吸い、そして!


 突然の大音量!

 聞いたこともない、本能的恐怖を覚える音が、スピーカーで拡散される!

 そのやかましさに、思わず耳を塞ぐヨシホとタマ!

 その耳元では相変わらず勇壮な北欧メタルが鳴り響き続けている!


 数十秒後、突如ブツンと音が途切れるまで、ふたりは顔を伏せていた!


「……な、何だよ今の」

「びっくりした」


 ふたりは顔を上げ、そして気付いた。

 オヤジが、音のした方を向いたまま硬直していることに。


「オヤジ?」


 ヨシホが声を掛けた、次の瞬間!

 オヤジが突如振り向き、タマの手を万力めいた力で掴むと、ぐいと引っ張った!


「ひゃ!?」


 強引に立ち上がらされるタマ!

 耳から抜けるイヤホン!

 地面を転がり、散らばる焼きそば!


「な、痛っ――」

「何やってんだテメェッ!?」


 ヨシホは素早かった!

 考えるより先に立ち上がり、オヤジへタックル!

 オヤジは思わず体勢を崩し、手を放す!

 そのままオヤジと共に倒れ込み、馬乗りになるヨシホ!

 激情に任せ顔面に一撃を見舞おうとする!


「とうとう性欲爆発したか変態中年――えっ」


 その時ヨシホが見た彼の顔は……死者めいた、ぞっとするほどの無表情。


「ぐわっ!?」


 一瞬凍り付いたヨシホを突き飛ばし、オヤジは再び立ち上がる!

 それが変態中年男性の面でないのは、ヨシホにも分かった!


「何だってんだよ!」


 答えの代わりに、彼は再び向かってくる! 今度はヨシホめがけて!


「ファック、こうなりゃ!」


 ヨシホは脚を振り上げる!

 それは真っ直ぐオヤジの股間へ!


「ヌフゥ!?」


 彼は唸り声と共に倒れ、股ぐらを押さえながら悶絶!

 フッと鋭く息を吐くヨシホ!


 地面にへたり込んだタマは思い出した!

 中学時代、ヨシホが喧嘩で出席停止処分を二度も喰らっていたことを!


「逃げっぞタマ姉、後ろ乗れ! なんかおかしい!」


 ヨシホは自転車にまたがった!

 タマはバタバタと立ち上がり、後ろに座ると、ヨシホの体に精一杯抱き付いた!


 オヤジが再び立ち上がる前に、二人乗りの自転車は発進、村の明かりへと向かって行った!


「音か? さっきの訳分かんねぇ音のせいか? 催眠術? 怪音波?」

「分かんない、分かんないよ!」


 ヨシホの判断は、さほど妙ではない。

 このような異常事態、人に助けを求めようとするのは当然。

 だが、事件の原因を本気であの音だと思うならば、この選択は最適解ではなかっただろう。

 村外れでこれならば、村の中心部がどうなっているか。冷静になれば、想像できたはずだからである。


 ポツポツと、雨が降り始めた。

 やがてそれは、土砂降りへと変わった。

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