人婆一体グランオウナー

黒道蟲太郎

第一クール

オープニング

そのババア、鋼鉄の衣を纏いて

 降りしきる雨。辺りを包む宵闇。

 広い校庭の奥にぽつんと浮かび上がる、一階建ての横長い木造建築物。

 寂れた漁村の小学校は、まさに大海に浮かぶ古びた小舟であった。


 窓ガラスにぶつかり音を立てる雨粒。

 空き教室に集まり身を寄せ合う娘達は、今やその音にすら魂をすり減らしていた。


 いずれも十代の女だった。

 小学生から高校生まで、数はひと学級の半分にも満たない程度。

 明かりを消し、カーテンを閉め。彼女らは震えていた。

 見つかってはならない何かから、隠れるかのように。


 数時間前、誰もが何も理解できぬまま、緊急時の避難先であるここへ逃げてきた。

 パジャマに上着を羽織っただけ、もしくは部屋着の娘が大半。

 しかも全員が濡れ鼠。

 週末にバスで都会に行くようなお洒落は、する暇が無かった。

 小学生くらいの少女が、先程から小さなくしゃみを繰り返している。


「やっぱ拭くもの探してくる」


 黒Tシャツを着た天然パーマの娘が、やおら立ち上がった。


「このままじゃ全員風邪引いちゃう」

「アルちゃん、でも大人が動いちゃダメだって」


 引き留めたのは、赤ジャージの眼鏡娘。

 双方とも高校生。この教室に、高校生は他にいないらしかった。


「タマ姉、言ったでしょ、このままじゃ」

「でも外は危ないよ、は女の子が狙いだし」

「知ってるって、だけど……ハッ」


 アルは苛立たし気に息を吐き、頭を掻いた。

 タマは俯き、もじもじと手をいじっている。

 湿った空気が、余計に重くなった。


 皆が限界に近い。

 理解できぬ状況、不快な環境、逃げ遅れた人々。不安を挙げればキリがない。

 逃げ延びた大人や男子が外を見張っているが、いつまで持つか。

 しかしここから動いても、が待つだけ。


 後輩達が、心配そうにふたりを見ている。

 アルは深呼吸をした。


「分かった。見張りの男子にさ、拭く物取って来てもらお。ならいいでしょ」

「……それなら」


 一瞬の間を置き、タマの回答。

 それを確認し、アルは己が頬を二度両手で叩いた。


「よし。みんなも欲しいモノあったら言って。あ、バッグとかやめてね、ショッピングモールじゃないし」


 何人かが小さく笑った。

 アルもニッと笑顔を作ると、教室後方の戸へと小走りで駆け寄った。

 そっと鍵を開け、戸を引き、顔を出せる程度の隙間を開ける。


「……あれ」


 首を廊下に出したアルが最初に発したのは、疑問の声だった。

 後ろから見ているタマ達には、何があったのか分からぬ。


「どうしたの?」

「いや、誰もいな……ごめん嘘、いた。暗いからさ。ねぇ、ちょっと――ひゃっ!」


 悲鳴を聞いた時には、もう遅かった。

 突如として戸が開け放たれ、闇の中から伸びた手がアルの細い腕を掴んだのだ。


「アルちゃんッ」


 タマが叫んでいる間に、大柄な人影がアルを羽交い絞めにした。

 彼には見覚えがある。先程まで見張りをしていた、同じ高校の男子。


 続いて、教室前方の戸から、鍵の開く音。

 虚ろな表情で教室へ入ってきたのは、この学校の中年教員。

 続いて漁師、警官、商店主……教室の扉を、村の男達がものの数秒で封鎖した。

 後方の窓からもドンドンと叩く音。完全に包囲されている。


 混乱する彼女らの耳に届くのは、ヒタヒタという更なる絶望の足音。


「要求ヲ繰リ返ス」


 本能的恐怖を呼び起こす、あまりに透き通った女の声。

 モーセめいて男の海を割りつつ教室に入ってきたのは、死んだ魚めいた生臭さ、そして女のシルエットが三つ。


「抵抗ヲ止メ、我等ニ従エ」


 水に濡れた全裸の金髪美女。一瞬そう見える。

 整った顔、魅惑的体型。


 そして……長すぎる指、間には水かき。

 背中や腕、下半身、首等を中心に、全身を鎧めいて覆う鱗。


 誰が最初にそう呼んだか、もう分からぬ。


「――『人魚』」


 タマが震える唇から漏らしたそれが、奴らの通称だった。


「諸君ハ丁重ニ扱ワレル」


 リーダーと思しき人魚が、ゆっくりと、だが滑るような足取りで、アルへ近付く。ぬめりけのある冷たい手が、アルの頬を撫でた。


「ひッ!?」

「我等モ大切ナノダ、諸君ノ体ハ」


 アルの抵抗は功を奏さない。拘束する男子は、ラグビー部所属だ。


 紫色をした唇が、アルの耳を数度甘噛みする。

 淫靡で、かつ嫌悪感を催す感覚が、アルの全身を駆け巡る。


 涙目のアルを銀色の目でうっとりと見つめた人魚は、哀れな少女の耳元で小さく息を吸い込み……そして!


 その口から溢れたのは、人の声帯では表現不能な名状し難い音声!

 アルの耳を、脳を、その『歌声』が凌辱!


「あ゛ア゛ッ、あ゛ッ」


 奇声を上げたアルは、痙攣と共にうなだれた。

 次に顔を上げた時……そこからは、生気が失われていた。男達と同じように。


「アル、ちゃん」


 アルはタマをちらりとも見ず、リーダー人魚の腕を抱いた。


 そう、これが奴らの能力。

 村を数時間で掌握できた理由を、アルの姿は雄弁に物語っていた。


「我々モ用イタクハナイ。影響ガアルカモシレヌ……大切ナニナ」


 人魚の股間で、が確かに蠢いた。


「タマ、姉」


 少女達の縋るような視線、人魚と男達の視線。

 全てがタマに集まっていた。


 最年長として、迫られている。

 従う地獄か、抗う地獄か。

 そんな決断を、自分が? 不可能だ。

 両親、教師、友人。相談できる者は誰もいない。

 脚が震え、涙が溢れる。


「神様」


 わななく唇で、タマは助けを求めた。溺れる者が、最後に頼る存在に。




 その時! 

 タマの背後にある窓ガラスを突き破り、紫色の何かが教室へ転がり込んだ!




 弾丸めいた速度のそれは、尋常ならざる勢いでリーダー人魚に激突!


「ガァッ!?」


 リーダー人魚は吹き飛ばされ、窓と窓枠を破り、廊下へ飛び出す!

 アルは跳ね飛ばされ、教室の床を転がった!


「アルちゃん!」


 タマは、咄嗟に年下の幼馴染へ駆け寄った。

 意識は無いが、目に見える大きな怪我も無い。座り込んで確認したタマは、改めてを見上げた。

 娘達も、人魚でさえも理解できぬその存在。

 雨の降り込む教室の中心で、ガラス片の上に立つその存在を。


(……鬼、婆?)


 どこか着物を連想させる紫の金属装甲。

 手にはガントレット。

 背負うのは、身の丈程もある巨大出刃包丁。

 長くバサバサの白髪、太く鋭い角が二本。

 顔中に刻まれた怒りの皺。威圧感に満ちた金色の双眸。

 尖った鼻。

 肉食獣めいた牙。


 般若。もしくは鬼婆。

 それを形容するなら、まさにその表現が相応しい。


「ナッ、何者ダ貴様」


 我に返った人魚のひとりが、鬼婆を指差した。


「我等ノ邪魔――ナッ!?」


 次の瞬間、老婆が人魚の目の前にいた!

 顔を掴まれた人魚を襲ったのは、体のバランスが崩れる感覚、そして後頭部への衝撃! 人魚の首から上は、床の叩き込まれた!

 倒したのだ! 人魚を、一撃で!


「ヤ、ヤレ! 何ヲシテイル!」


 慌てたもうひとりが、男達に命じる!

 自我を奪われた兵士達が、老婆を取り囲む!

 鬼の眼光でそれを睨んだ老婆は、大きく息を吸い込むと――!


「耳塞いで!」


「ヴァアアアァァア!」


 大気を震わす咆哮!

 割れる窓ガラス!

 耳から血を流し倒れる男達!

 平衡感覚を失い、倒れながら嘔吐する人魚!

 タマが咄嗟に叫ばねば、少女達も同じ運命を辿っていたかもしれぬ!


「に、逃げて、みんな逃げて!」


 外の男は既に倒されている! タマの声を合図に、娘達は我先にと窓から外へ飛び出した!

 タマはアルを連れて逃げようとする……が、気絶した女を抱えるほど力が無い!


「キ、貴様、何――」


 嘔吐した人魚は、その台詞を最後まで言えなかった!


「ヴァアァア!」


 立ち上がりかけた人魚の顔面に、老婆は重く速い鉄拳を叩き込んだ! 仰向けに倒れた人魚の胴体へ、更に連続して叩き込まれる鉄拳! 砕ける腹部装甲鱗!

 二度目の嘔吐には血が混じっていた! 教室中に充満する腐った魚の臭い!


「え゛っ、え゛ぇっ」


 タマは思わず貰い嘔吐!


「バ、カナ」


 人魚の全身が変形した頃、廊下から声がした。

 血とガラス片まみれでよろめきながら立つ、リーダー人魚。


「真実ダッタ、ト、イウノカ。長老ノ、言、葉」


 老婆の顔が、次の獲物に向いた。

 それは得物を屠る狩人の表情ではない。

 憎しみに満ちた、殺戮者のそれである。


「伝エネバ、奴ハ――!」

「ヴァアァア!」


 雷が如き速度!

 老婆は背中の巨大包丁を抜き、その圧倒的質量を叩き付けていた! 窓枠ごと、リーダー人魚に!

 左肩から右脇腹にかけ、大きく裂ける人魚の体! 血の噴水! ぐらりと後ろ向きに倒れる人魚!


「カッ、奴、ハ……ッ!」

「ヴァアァアァア!」



「『グラン』、『オウナ』、ァ」



 般若の振り下ろした二度目の刃が、人魚の首を刎ねた。

 床に刃を突き立て、彼女は噴き出す血を、転がる首を、睨むように見下している。怒り以外の感情が見えぬ、その顔で。


「……グランオウナー……?」


 少女は震える声で、聞こえた通りにその名を唱えた。

 背中からゆらゆらと陽炎を立ち上らせる、老婆の形をした怪物の名を。


 そして少女は気付かなかった。

 ポケットの中、いつの間にか衝撃で電源の入った音楽プレーヤーが、激しいギターリフを奏でていたことに。

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