第21話 昔の話

 冒険者たちが登録するダンジョン管理組織ギルドのなかで最大手といえば「アナザー・ワールド・コミュニティ」だ。通称名であるアナコムという呼び方のほうが一般的だろう。

 アナコム創始者であるケント・マクレーンは、王国のダンジョン統括省の元高級事務官で、さまざまなダンジョンの解明に取り組んできた経験を活かし、事務官を退官してアナコムを立ち上げたという経歴の持ち主だ。

 アナコムが設定する多種多様のミッションのなかでも、魔獣モンスター捕獲ハントミッションは、冒険者にとって花形ともいえるミッションだ。

 その人気の理由は成功報酬の高さにある。冒険者の中には魔獣捕獲ミッションを専門に請け負う、モンスターハンターも多く、人気モンスターハンターともなれば、一度の冒険でおれの宿屋一年分くらいの金貨を稼ぎ出すというんだから、まさに夢の一攫千金だ。


 魔獣はダンジョンを形成する魔力をもとに生み出されている。ダンジョンに生息する魔獣を捕獲することで、そのダンジョンの成り立ち、大きさなどの様々な情報を得ることができ、ギルドにとっても貴重なサンプルとなる。

 ところで、捕獲した魔獣モンスターはどうするのか?

 モンスターはアナコムの魔獣解析センターに送るのだが、そのときにちょっとしたアイテムが必要になる。そのアイテムというのがアナコムが開発したという生体転送アイテム『倉受渡クラウド』だ。クラウドは発動すると魔獣を閉じ込める魔法空間を作り出し、さらに術を展開すると空間内の魔獣をアナコムのセンターに転送、仮想空間ごと保管庫に格納するという、高度な複合魔法が収められたアイテムだ。細かな術式については、企業秘密らしく、アナコムの飯のタネでもある。



 海洋ダンジョンであるアマンデイは、深層に潜れば広大な未知の世界が広がっていて、多くの未確認魔獣モンスターが潜んでいるといわれている。深層階には魔獣捕獲ミッションに訪れる冒険者も多いが、おれたちの宿のある階層は比較的、外界そとのせかいに近い場所にあるため、強力な魔獣や幻獣は出現しない。せいぜい、ハンターにとって、この宿は行きか帰りの通過点にしかならない。

 はずなのだが……



「あの……それを部屋に持ち込まれるのはちょっと……」


 夜遅く宿に訪れた客に、ハリーは困惑した声でいった。


「やっぱりダメですか? まいったなぁ」

「いや普通、宿に泊まるのに、魔獣モンスター同伴ってありえないでしょ」


 やってきたのは若い男で、彼は犬のような魔獣をつれている。なぜ、犬のような、といったかといえば、ぱっと見た雰囲気は犬に近いが、明らかに犬ではないからだ。

 体毛に覆われた四足歩行生物で、尻尾がくるんと巻いているのは愛らしい。が、頭部が三つもある。

 ケルベロスか。 

 小型ながら、三つの頭部がそれぞれ別の属性攻撃ができる高い汎用性と、エンカウントすれば、ほぼ先制攻撃が可能という俊敏な動きは、敵として対峙すればなかなか厄介な幻獣レアモンスターだ。

 三つの頭が舌を出しながら、何か期待した様子で、はっはっと息を吐いているのが、妙におかしい。それを連れている冒険者だということは、この男……


「お客様。魔獣使いモンスターテイマーですか?」


 おれがきくと、彼はぱっと表情を明るくして「ええ、そうなんです」と、自らのギルドカードを差し出した。

 彼の名はレイ。Aランクの魔獣使いだ。

 登録はアナコムではなく、バトルフィールド・アンド・ワールド・モンスターズという、モンスターハント系ミッションを専門とする、ベンチャーギルドだ。通称はBAWMバウム

 シェアではアナコム登録者数に遠く及ばないが、世界で初めて私設のオリジナルダンジョンを開発し、ダンジョンに潜るために魔導関ゲートを超える必要すらなくなったとあって、新規の、特に若い冒険者たちの多くがBAWMを利用しているという。


 ちなみに魔獣使いというのは、ある種の特殊なテレパス系魔法を備えていて、モンスターと意思疎通ができるという能力を持っている。高ランカーの魔獣使いともなれば、魔獣と相棒パートナー契約をもつことで、命令に従わせたり、戦闘させることまも可能だ。モンスターの能力をそのまま戦闘に反映させられるので、魔獣捕獲ミッションにおいてはかなり重宝される職業ジョブだ。

 

「魔獣使いであれば、一時的に魔獣捕獲用のアイテムなどに相棒パートナーを封じ込めておくのですが、レイ様はそうしたものはお持ちではございませんか?」

「実は捕獲用アイテムを使い切ってしまって、これからいったん外界そとのせかいに戻ってBAWM本部で購入をする予定だったのですが、夜も更けてしまって……」


 アナコムのような大手であれば、ダンジョン内に出張所があるのだが、ベンチャーのBAWMでは、まだそこまでネットワークが確立できていないらしい。


「一晩ならばこいつは外に繋いでおいてもいいのですが……」


 レイは困ったように頭を掻いた。

 よく訓練されたドラゴンならば、外に繋ぎとめていても大丈夫だろうが、さすがに魔獣モンスターを外に放置しておいて、宿泊者に襲い掛かりでもしたらそれこそ大問題だ。

 とはいえ、この客を無下にするというのも気が引ける。


「ダメならば仕方がないので、どこかで野宿します」

「せっかくお越しいただいたというのに、そういうわけにもいかないでしょう。しかし、わたしどもの宿にも、他にお客様がお泊りですし、館内で魔獣を連れ歩くというのは、やはり困りますので、ここはどうでしょう。宿にはお泊りいただけませんが、わたしの部屋をお貸しするというのは。独身男の部屋なので散らかっていますが」


 レイは驚いて目をまん丸にした。


「いや、さすがにそれは……見ず知らずの方の部屋を借りるなんて」

「部屋といっても、この宿の離れですから。少し時間をいただければ、ささっと片付けてきます。その程度でよければどうぞ」

「本当に良いのですか?」


 レイは申し訳なさそうに眉をハの字にしているのに、足元のケルベロスが、無邪気な顔をしているのが、可笑しくてつい笑ってしまった。


「ええ。そのケルベロスもずいぶんと懐いているようですし、あなたがそばにいれば問題も起こらないでしょう。今日はここでお休みになられて、それで明日、外界そとのせかいにむかわれるといいでしょう。ここからなら、急げば夕方には王都に到着します」

「ありがとうございます。恩に着ます!」


 深々と頭を下げると、レイは「よかったな」といって、ケルベロスの頭をわしゃわしゃと撫でた。三つの頭がはっはっ、と短く息を吐きながら、目を細めた。これはこれでかわいい。


 魔獣モンスターといえど、全部が全部、悪いものではないのだ。

 人と魔獣、互いに理解しあうことができれば、レイのようにモンスターと共生することもできる。それが、このダンジョン世界の魅力であり、外界そとのせかいとの大きな違いだろう。

 なにせ、この世界では、人間の方があとからやってきた移入者なんだからな。




「ふぅん、それで、ウチの宿ではモンスターも一緒に宿泊OKにしよう、っていうんじゃないでしょうね?」

 カウンターに肘をついた姿勢で、サツキのじっとりとした視線がおれを射抜く。

 朝早くに出発したレイを見送ったおれは、雑巾でエントランスホールの中央に据えられた大きな花瓶を丁寧に拭きながら返事をする。

 おれは、花のある空間というのが大好きだ。花があるだけで、心もぱっと明るくなるような気がする。ちなみに、この花瓶の花は、サツキが宿の近くで咲いていた野花を摘んで活けてくれてたものだ。


「別にそうはいっていないだろ? ただ、魔獣モンスターと人間とが、もうすこし分かり合えたらいいなと、そういう話だ」


 カウンターの中にいるサツキは、自分から質問してきたくせに、おれの答えには無関心そうに短く息をつく。


「ふぅん、まあ別にいいですけど。だいたい支配人、分かり合えるもなにも、ここより深い階層に行ったら、ソッコーでモンスターにやられちゃいますよ、多分」

「そのときはダンカンとサツキをつれていくから大丈夫だ」

「どういう意味ですか、それ?」


 深い階層に行かずとも、くだらない冗談ひとつでおれのライフはゼロになりかねない。眉を寄せて思いっきりしかめっ面をしてみせるサツキから逃れるように、距離をとっておれはロビー周りの拭き掃除を再開する。朝のロビーの清掃は、気持よくお客様を見送るために、不可欠な仕事だ。

 そのとき、入り口の扉が開き初老の男が一人この宿に入ってきた。「いらっしゃいませ」と条件反射のようにサツキが挨拶をする。


「マーカス・コーエン氏はいらっしゃるかな?」

 一目で高位の魔導師だとわかる艶やかな黒いシルクの魔法衣ローブをまとった男は柔らかく上品な声でカウンターに立っていたサツキに問いかける。しかし、サツキは聞きなれない名前に首をかしげた。


「コーエンはわたしですが、何か?」

 おれは雑巾を左手に握りしめたまま、その男にむかって名乗り出た。男は折り目正しく腰を折って挨拶をすると、おれの前に封筒を差し出した。


「私はミョングと申します。主人であるリッチー・マクレーンからこと付かってこちらに参った次第です」

「マクレーン様が? 私に?」


 ここの常連客、SSSランクの商人であるマクレーン氏の名に、ほんの少し驚いてきき返した。予約であれば伝羽でんわを通じて彼から直接、宿に連絡が入るはずだ。おれはミョングから受け取った封筒をしげしげと眺める。

「伝言はその封書の中に入っています。明日改めて私がこちらにお伺いしますから、その時に返事をいただきたいのです」

伝羽でんわで連絡をしてはいけないことなのですか?」

 男は静かにうなずく。表情は読み取りにくいが、気軽な用件ではなさそうだということが分かった。


「一晩の猶予ではありますが、お考えをいただきたい。どうかよろしくお願いします」


 ミョングは慇懃に礼をすると、静かに踵を返し宿を出て行った。おれもサツキもただ茫然として彼の後姿を見送った。扉が閉まるやいなや、サツキはおれの方を振りむいて驚愕の声をあげた。


「支配人、マーカス・コーエンっていう名前なんですか!?」

「いや、驚くポイントってそこ?」

「だって今までずっと支配人って呼んでましたから」

「まあ、おれも自分の名前を人から呼ばれたのは久しぶりだ。それよりもマクレーン氏からの用件が気になるな」


 彼にはいつも振り回されているおれだが、どうやら今回も大いに振り回されてしまう予感がした。

 事務所に戻り、手紙に目を通す。中には整った文字でマクレーン氏からの依頼が書かれていた。手紙を読み終えたおれは腕組みをして「うぅむ」と唸った。サツキが興味深そうにおれの様子を見ている。


「なんて書いていたんですか?」

「ああ、一言でいうならば、アーケロンを捕獲したいそうだ」

「アーケロンを?」


 サツキの声が裏返る。

 アーケロンはウミガメ型の大型幻獣レアモンスターで、それを目当てにここを訪れる冒険者もいる、アマンデイを象徴する固有種のモンスターだ。

 やつは海洋性モンスターのなかではクラーケンについで巨大な幻獣だが、実は非常に温厚で知能も高い。現在では、人々に危害を加えることはなくクジラなどと同じ巨大生物のカテゴリーとして分類されている。


「むしろ保護といったほうがいいのかもしれないが……」

「でも、何でマクレーンさんはそれを支配人にわざわざ依頼するんですか?」


 おれの神経伝達回路を稲妻のようなスピードで思考が駆け巡る。そして、あるひとつの記憶に思い当たった。


「恐らくだが、おれの本来のジョブをマクレーン氏が知りえた可能性がある」

「は? 支配人のジョブって宿屋の主人じゃないんですか?」


 サツキの問いかけに、おれは乾いた笑い声を漏らしてこたえた。

「ダンカンが獣戦士バーサーカーでありながら料理長シェフであるように、おれは宿屋の主人ではあるが、本来の冒険者としてのジョブ登録をまだ更新しているんだよ」

「ちなみに……それって、何だったんですか?」

魔獣使いモンスターテイマーだ」


 一瞬の静寂のあと、サツキが「プッ」と吹きだす。そして「あはははは……」と豪快な笑い声をあげた。まさに腹がよじれる、といったふうに自分のふとももをバシバシと叩きながら息をつまらせるようにして大笑いしている。


「なんでそこで笑えるんだよ!?」

「だって、うちのモンスタークレーマーにだってたじろいでしまう支配人がモンスターテイマーだったんですか? 超ウケるんですけど!?」

「いっとくけど、そこいらのモンスターよりもうちのクレーマー客の方が数倍怖いんだからな!」


 ゲラゲラと笑い声をあげるサツキがようやく落ち着くと、目許の涙を拭いつついった。

「でも、支配人が魔獣使いモンスターテイマーだとして、なんでマクレーンさんはすでに引退して久しい支配人に声をかけたんですかね?」

「アーケロンを捕獲したいということが、おれに白羽の矢が立った理由だろう。おれはかつて、このアマンデイでクラーケンという海のモンスターを討伐したことがあるんだが、その時の相棒パートナーがアーケロンだったんだ」

「アーケロンを相棒パートナーにしていたんですか?」


 サツキが目を見開いていった。驚きすぎて鼻の穴まで大きくなっている。嫁入り前の娘のする顔ではない。

 いくら魔獣使いモンスターテイマーとはいえ、幻獣を相棒パートナーにするのは容易ではない。プライドの高い幻獣は、生半可な魔獣使いの相棒には決してならないのだ。相手よりも力があることを知らしめつつ、モンスターにも敬意をもって接しなければならない。


「まあ、イカはカメのエサだからな。それでも実際はクラーケンの討伐には相当苦労したがな。なんせ、頭と腹の大きさだけで人が五人は手を繋いだくらいあるんだ。触腕部でもゆうに三人分だ。アーケロンは大きさではその半分程度だったし、攻撃力もスピードも断然むこうが上だったよ。ビクターたちと一緒じゃなければ失敗していたかもしれんな」

「はぁ、とりあえずはビクターさんたちがすごいということはわかりました」

「おい……」

「それで、どうするんですか? そのアーケロンの捕獲。手伝うんですか?」


 おれはその問いに押し黙った。

 実際、マクレーン氏がなぜ今になってアーケロンの捕獲をおれに持ち出してきたのか分からない。

 サツキには「支配人には厳しいんじゃないですか?」とバッサリ切り捨てられた。

 確かに、サツキの言うとおりで、おれ一人ではヤツの特殊能力「タイムブレス」にかけられて簡単に逃げられてしまい、捕獲なんて到底無理だろう。


「せめて、ミッションに参加できるメンバーがいればなぁ……」


 夜になり自室に戻って、おれの乏しい脳みそを必死に絞ってはみたものの、悶々とした思いが泡のように浮かんでは消えていく。

 おれが冒険者としてダンジョンを旅するには、年を取りすぎているし、なによりもミッションから遠ざかった時間が長すぎる。今更、魔獣使いとしてアーケロンとの信頼関係を築くなんてできるとは思えない。

 やがて、夜の闇は変わらぬ日常の営みの波の中に消え、窓から差し込む光が、おれに考えるための時間が残されていないことを知らせていた。

 そして、決意の朝を迎えた。

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