第18話 老木の花

 以前にも職業ジョブについて少し触れたことはあったと思うが、冒険者とひと口にいっても、いろんな職業ジョブの者たちがいる。これはひとえに、ギルドという管理組織によるところが大きいだろう。

 まだダンジョンの存在も知られておらず、現在のようにギルドも確立していなかった時代には、王宮付の近衛兵や魔導士たちは、悪しき者から国や国王を守るという滅私奉公こそが、彼らの美徳であり、唯一にして絶対の意義だった。

 やがて、ダンジョン世界の存在がしれると、その探索のために世界中から、様々な能力スキルを持つ者たちを集める必要があった。今のような職業ジョブの概念が確立され始めたのはこのころだ。

 ダンジョンの謎の解明のためとは表向きの建前で、実際にはその功績によって王国から報奨金が与えられていたのだ。つまり、「国のため」という立場ではなく、自身の能力を金銭にかえるという目的のために冒険者たちはダンジョンに潜ったというわけだ。

 ダンジョン世界では近衛兵のように、甲冑で身を包むのはかえって探索の障害になったので、どんどん装備も簡素化されていった。例えば「戦士」のカテゴリーは「剣士」「槍使い」「拳闘士」など個々の能力スキルに特化した職業ジョブに細分化されていった。


 ダンジョンの管理組織であるギルドが確立されると、同じ目的をもつ者同士が簡単にマッチングできるようになり、より気軽にダンジョンを冒険をすることができるようになった。

 あるものは神器と呼ばれるレアアイテムを手に入れるため。またあるものはレアモンスターを倒し捕獲するため。ただ単純にいろんなダンジョン世界を冒険して回りたいというものもいる。まさに十人十色、老若男女を問わずに冒険の世界に飛び込むことが可能になったのだ。

 かくして、昨今の冒険者ブームという大きなムーブメントが巻き起こったわけだ。




 さて、猫も杓子も冒険者となりえる今日こんにちではあるが、今回おれの宿にやってきたのは三人の初老の男だった。


「すまんが、今日三人で泊まりたいのだが構わんか?」

「ええ、お部屋は空いてますよ」

 カウンター越しに男と目が合った途端、おれは「あっ」と驚嘆の声をあげた。


「よう、ひさしぶりだなぁ」

「ビクター! ビクターじゃないか!」

 白髪の目立つ髪を後ろにまとめた日に焼けた顔に、かつての仲間の面影がはっきりと残っている。

「オレだけじゃないぜ」

 ビクターは親指で後ろを指し示す。彼の背後にいた細身で長身の男と、小太りでずんぐりむっくりの髭の男が手を挙げておれに挨拶する。


「ラリー! それにポールまで!」

「ああ、実に三十年ぶりの再会というわけだよ」

「みんなすっかり歳とったなあ!」

「そういうお前こそ、ケツの青いガキンチョが立派なオヤジになりやがって!」

 おれとビクターはかたい握手をかわす。そのゴツゴツとした分厚い手のひらは、歳をとってすっかり潤いを失ってはいたものの、年齢を感じさせない力強さがあった。


「支配人のご友人なのですか?」

 隣にいたタオがおれにたずねてくる。おれは興奮の色を隠すことなく、タオにいった。

「ああ、昔一緒に旅をした仲間だよ。おれがまだ十五歳のガキだった頃に、彼らと共に世界中のダンジョンを旅して回ったんだ」

「そうなんですか! 支配人も冒険者だったんですね!」

「まあな。それにしても突然だな、ビクター。今回はどうしたんだ?」

「はは、ちょっとお前を驚かせてやろうと思ってな」


 ビクターは目元に艶のある笑みを浮かべると、握ったこぶしを傾けてジョッキをあおる仕草をする。

「どうだ、久しぶりに今晩一杯?」

「行きたいのはやまやまだが、おれもここの主人だから……」

「行ってらしたらどうですか?」


 すかさずタオが声を弾ませた。見れば、おれ以上に嬉しそうな笑みを浮かべている。

「お仕事なら心配いりませんよ。もうすぐサツキさんも来ますし、今日中に戻ってきてくださるなら、わたしが残りますから。せっかくの再会なんですよ? 外でゆっくり旧交を温めていらしてください」

「お嬢ちゃん、良い娘だねぇ。名前は?」

 ビクターがタオに握手を求める。タオはその手を握り返して微笑んだ。


「タオと申します。支配人も時には息抜きが必要ですから、よろしくお願いいたします」

「タオさん、ありがとう。ちゃんと日付が変わるまでにお返しするからね」

「シンデレラみたいですね」


 いつもは静かな宿屋のロビーが、賑やかな笑い声にあふれ、おれは胸の中がじわりと熱くなるのを感じた。おれの宿屋にこんなに嬉しい来訪者がやってくるとは思ってもみなかったからな。


 タオに仕事を引き継いで、おれもビクターたちと一緒に港町ヤンゴーにある酒場へとむかった。ヤンゴーの街はいつも多くの冒険者で賑わっていて、酒場もほとんどの席が埋まっていて活気にあふれていた。店員に四人掛けのテーブルに案内されると、おれたちはさっそく麦酒で乾杯した。


「それにしても、何でまた今になって冒険を始めたんだ? ビクターはあれから王宮付の近衛兵になっただろう?」

 ビクターは麦酒のジョッキを半分ほど胃に流し込み、「プハーッ!」と美味そうに息をつく。

「ああ、最終的には兵長も務めた。だが、外界そとのせかいは今や巨大なジオラマようなものだ。最近、お前は外界そとのせかいにいったことがあるか?」

 

 ビクターのその問いかけに、おれはわずかにあごを引いてうなずいた。姪っ子のジェシカの結婚式の時に一度外に出ただけのことだったが、それでもおれの知る時代から随分と発展していて驚いたものだ。


「なら話は早い。いまの外界そとのせかいは、誰かの手によって完璧に計算されて作られた平和な箱庭だ。王宮兵団だってかつては悪しき意志から国を守るという崇高な務めがあった。だからこそ王宮兵の任務につくというのはそれだけでも名誉なことだった」

 そういうと、ビクターは寂しげに小さなため息をついた。

「しかし、今はもうそんな必要はないんだ。外国や異種族間での和平を結び、さらに魔法省が主体となった魔導システムが構築され、完璧に運用されている。今や王宮兵の仕事は日常の警備や巡回が主な任務だ。長年冒険をしてきたオレにとってみれば、少し物足りなくもあったが、オレの家族にとっては他国との戦争にかり出されるよりはずっとマシだったみたいだ」

「そうか、ビクターは結婚して国に戻ったんだったな。そういえば、ビクターには子供たちはいるのか?」

「ああ、せがれたちは成人してもう外界そとのせかいで働いていて結婚もしている。妻は昨年病気で亡くなった」

「そうか、それは残念だったな…」


 こういうとき、おれはどういえばいいのかいつも迷ってしまう。だが、ビクターは気にする様子もなく、おれの言葉はさらりと聞き流していった。

「ああ。だが、彼女は最期にオレに笑ってくれた。もう一度、オレの冒険している姿を見たかったといってくれたんだ」


 彼の妻とは、かつての旅の途中に立ち寄った街で出会った。旅を終えてからもビクターはその街に通い、やがて二人は結婚することとなったのだ。

「つい先月、妻の一周忌を終えたんだが、その時にラリーとポールも来てくれてな。そんなときに妻の言葉を思い出して、二人にまた冒険をしないかといったら、二つ返事でな」

「ラリーとポールには家庭はないのか?」


 ラリーは細身の体に似つかわしくない低い声でいった。

「俺も妻は若くして亡くなったからな。子供たちは今もダンジョンに行ったままだ」

「ポールは?」

「ボクは独身。この冒険で奥さん探すんだ」


 おれたちの楽しげな笑い声が混じり合う。みんなの話を聞くのは、自分を偽る必要などない、とても心地のいい時間だった。

 だがそのとき、その笑い声とは違った冷笑がとなりのテーブルから漏れ聞こえてきた。声の聞こえた方へ目をむけると、男女二人ずつの若いパーティが見下すような視線をこちらのテーブルに送っていた。


「なんだ、あいつら……」

 楽しい気分に水を差されて腹が立った。

「放っておけ、どうせ手を出せやしねぇよ。若造が粋がっているだけだ」

 ビクターはぐいっと残りの麦酒を飲み干すと、給仕ウェイターにお代わりを注文した。その給仕ウェイターがグラスを持ってさがると同時に、奥に座っていた四人組が立ち上がりおれ達のテーブルの方へやってくる。


 一人は騎士ナイトらしき男と、もう一人は筋肉ダルマな戦士ファイターのようだ。連れの女性二人は魔導士メイジなのだろうが、本来、身体を覆うはずの魔法衣ローブを着崩して、朱姫たちのように肌を露出した恰好だ。流行っているのだろうか。


 おれは奴らに気づいて身構えたが、ビクターがさっと腕を突き出しておれを制した。

「気にするな、手を出せば相手の負けだ。お前は関わるんじゃない」

「しかし……」

 戸惑うおれにビクターたち三人は余裕の顔をしたまま、テーブルの上に並ぶつまみを口に放りこんだ。


「おう、おっさんども。いい年こいて冒険者ごっこか?」

 案の定、細身の騎士風が因縁をつけてきた。それに返事をしたのはビクターだった。

「そうだ、お前らには関係ない。他の客にも迷惑だ。さっさと席に戻れ」

「うるせぇ! 命令してんじゃねぇよ! この死に損ないがよ!」

 男はだいぶ飲んでいるようだった。顔が赤く染まっていて、吐く息もむせるようなアルコール臭がする。


「ふん、どうせくだらないミッションに失敗して賞金を獲り損ねたんだろう」

「ああ? テメェ喧嘩うってんのか?」

「ふっかけたのはお前だ。オレたちはこっちで楽しく飲んでいただけだ。先にオレたちの気分をぶち壊したのはそっちだぞ」

「あぁ、やんのか!?」


 男の口元に唾が泡状になって溜まっている。異様な雰囲気を察知したのか周りにいた客たちも騒然とする。

 ビクターが椅子を鳴らして立ち上がると、今度は男が身構えた。周りの客がさっと身を引いて、おれたちのまわりに小さな空間ができる。店主らしき男がその輪の中でおろおろとしていた。


「店の迷惑になる。さっさと金を払って出ていけ」

 ビクターの言葉に男は顔を真っ赤にして叫ぶ。

「うるせぇ! ジジイどもが調子乗ってんじゃねぇぞ!」

 騎士風の男が右拳を振り上げ、ビクターめがけて殴りかかってきた。

 あっと思った次の瞬間、おれにはそこで何が起こったのか理解ができなかった。本当に一瞬の出来事だったのだ。


 騎士風の男がビクターと交錯すると思われた次の瞬間に、男の身体がくるりと空中で一回転して床に倒れこむと同時に、よろめいたビクターが男の上に重なるように覆いかぶさった。

 下になった男は、ボエッ! と変な声をもらして、吐瀉物を吐き出し気を失ったのだ。

 ビクターはよろよろと立ち上がるといった。


「ああ、びっくりした。こいつが勝手につまづいて転びおったわ」

「てめぇ! やりやがったな!」

 筋肉ダルマが腰に下げていた大剣に手をかけた。

 周りで悲鳴にも似た声が上がる。

 ざわつく観衆を無視してビクターは静かに、しかし力強くいった。


「その剣を抜けば命の取り合いだとわかっているな。オレはもう守るものもない爺さんだが、守るものがないとはどういうことかわかるか?」

「なに?」

「いつでも死ぬ覚悟があるってことだ。それでも勝つ自信があるならかかって来い」


 ビクターは初めて腰を深く落とし、両手を突き出して力を溜めた。彼の体の隅々にまで気力が行き渡っり、後ろに束ねた髪が充満する気力になびくほどだった。

 その状態で向き合ったまま、息をのむほどの時間をおいて、筋肉ダルマは剣にかけた手をすっとおろした。


「こいつを連れて行ってやれ。さっきラリーが回復魔法をかけてやった。じきに意識も戻る」

「くそっ! 覚えてろよ!」

 男たちは捨て台詞を吐いて酒場を出て行った。

 観衆からは小さな歓声と、喧嘩があまり盛り上がらなかったことへの失望が入り混じっていた。おれたちを取り囲んでいた輪はすぐに霧散していった。



 おれたちは気を取り直して飲み直し、タオとの約束どおり、日付が変わる前には、ほろ酔いで宿にむかって歩いていた。

「なぁ、ビクター。あんたあの時、何をやったんだ?」

 俺は人がくるりと空中で一回転して、その上ゲロまで吐いたあの一瞬にビクターが何かをしたのだと確信していた。


「なに、相手の力を利用してテコの原理で跳ね上げてやっただけさ。突進して来た相手の力をうまく利用してすっ転ばせたんだよ。あとはよろけたフリをして、倒れこむ勢いを使ってみぞおちに一発、肘を放りこんだ」

「あのわずかな時間にそれだけのことをやったのか?」

 ビクターは笑いながら答える。

「若い時は体力に任せてブンブン振りまわせるが、歳をとれば動くのもなかなか疲れるんだよ。いかに少ない動きで、美しく攻撃できるか。そう考えて行きついたのが倭国の古武道だ。達人ともなれば、その場を動かず、三人の男をねじ伏せるらしいぞ」


 気分よさそうなビクターの笑い声が満天の夜空に吸い込まれていった。

 麒麟も老いては駄馬にも劣るという古いことわざがあるが、老いてなお一輪の花を咲かせる老木の研ぎ澄まされた美しさというものを、おれはの当たりにしたのかもしれない。


「何事も始めるのに遅いということはないのさ。だから俺たちだってふたたび冒険者にだってなれるんだ。どうだ、お前にだって、いまからでもかなえてみたい願いの一つぐらいあるんじゃないのか?」

 頭上に降り注ぐ星空を眺めながらビクターは問いかけた。

「そうだな。とりあえず今日の連中がウチに泊まっていないことが、おれの今の願いだな」


 くだらない冗談に、かつて焚き火を囲んで語り明かした夜を思い出し、あの頃のようにおれたちは四人でまた笑いあった。ひやりとした夜風が火照る頬を優しくなでて、おれの酔いもほんの少し覚めたようだった。

 そのときの三人の嬉しそうな顔を、おれはいつまでも忘れることがなかったんだからな。

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