第15話 上司と部下
ダンジョン生活にはいい面もあれば、悪いところもある。
これは、アドバイスでもあるんだが、もしアンタもダンジョンに移住を考えているっていうんなら、ここでの生活の理想的な部分だけを見ていてはだめだ。そこに住むリスクってものにむき合わなきゃならない。
ダンジョンに住んでいて一番困ることといえば、やはり生活基盤をどうするか、ということだ。
ダンジョンに住む前に、まずはそのダンジョンで自分に何ができるかを知っておかなきゃいけないってことだな。
ただし、ダンジョンの世界ってのは広大だ。どこかで誰かの力を必要としている者はいるだろう。そういうときはギルドに相談してみるのも手だ。ギルドではミッションの設定や冒険者のマッチング以外にも、ダンジョン内の仕事の斡旋もしているからな。
じゃあ、逆にいい面はときかれたら、おれならこう答える。
「ここでは、おれこそがルールだ」と。
……まあ、そうはいっても、なかなか自分の思い通りにはいかないものだけどな。
ダンジョンで生活するには、人々は助け合って暮らしていかなければならない。自己中心的なヤツほど、輪の外に追いやられる。ただ、それは裏を返せば、みなが対等な関係だということ。
それに、この世界は住人そのものが少ないのだから、組織や人間関係で頭を悩ませることは、外界に比べて圧倒的に少ない。組織は大きくなればなるほど、人間関係が煩わしくなるものだ。ダンジョンには、口うるさい上司や、権力を笠に着てやりたい放題の役人や、なぜか偉そうなその役人の愛人だとか、とにかくそういった面倒な連中はいない。
そういう意味でも、やはりダンジョン生活は気楽で楽しい。
ただ、おれは宿屋だ。
やってくる客はそういう気楽な奴らだけじゃないのが、宿屋が背負う悲しい宿命とでもいおうか……
「おやっさん、なんとか頼みますよ!もしものことがあっては困るんです!」
実は彼も元々は冒険者で、現在では
十年ほど前、ゴートがこのアマンデイを冒険していた頃は、幾度となくこの宿にも訪れている旧知の仲だ。彼は若くして魔導士としての才能を買われ、王宮付きに抜擢されると、その魔導力の高さもさることながら、各方面への調整力に秀でていたこともあり、異例のスピード昇進で魔法省大臣付の事務官に登用された。
彼は人に頼られることで、自分の力を発揮できるタイプだ。無理難題を押し付けてくる魔法省で、大臣付事務官になるには、一筋縄じゃいかないことばかりなのだ。そういう意味では、彼は組織の中でこそ才能を発揮できるのかもしれない。
そんな彼が久しぶりにこの宿を訪れてくれたのであるが、その目的は彼が仕える魔法大臣の視察先での宿泊所の手配だった。
必死に頭を下げるゴートに、おれは困った顔を作る。王国の役人になってストレスが溜まっているのか、彼の頭頂部と腹回りは冒険者だった頃を見る影もない。
「ゴートのいいたいことはわかるが、港町のヤンゴーに行けばここよりもっと立派でハイクラスな宿がいくらでもあるんだ。なのに、どうしてこんな寂れた田舎の宿に泊まる必要があるんだ?」
おれは今や王国の高級事務官になった男にむかって、これまでと同じように気安く話しかける。ゴートは額の汗を拭いながら頭一つ分、顔を寄せて小声でいった。
「おやっさん、僕たちだけの間の話にしてくださいよ」
「なんだ、そのもったいぶったいい方は?」
おれは苦笑いを浮かべるも、ゴートは真剣な目つきだった。彼は声のボリュームをひとつ落として、周囲を気にするようにいった。
「正直な話、大臣といえど国の税金を好き勝手に使える訳ではありません。もっといえば、昔よりもチェックが厳しくなっています。先般も東の都で首長による税金の使い込みが発覚して、彼も辞職に追い込まれたでしょう?」
「まあ、当然のことだろうな。それで、費用の節約のために田舎の宿に泊まるのか?」
おれの問いかけにゴートは首を真横に振った。
「そうではないんです。いわば、アリバイみたいなものでして、なんていうか……」
「庶民アピールか?」
まごつく彼に、おれはため息まじりに言う。普通は一国の大臣ともなれば、最上級ランクのグランドインに泊まるのが慣例だ。それをわざわざ、こんな田舎の宿を取るというのは、明らかに別の意図があると思われて当然だ。
おれは
「すみません。でも、僕はおやっさんのことをよく知っているし、この宿のことも信用している。だからこそ直々にお願いにあがった次第でして……」
「なあ、ゴート。悪いことはいわない。もし自分の身がかわいいのならば、この宿に大臣を泊めるのを諦めて、他のまともな宿屋を探すんだな」
「そんな、僕とおやっさんの仲でしょう?」
ゴートはすがるような目でおれに懇願する。しかしおれはぴしゃりと彼の願いを却下する。
「いいか、今までの経験からいわせて貰えれば、王国の大臣や役人が来て、おれに文句をいわなかったことは無いんだ。なぜだかわかるか?」
ゴートは首を振る。
「できないことを『できない』というからだ。やれ、どこそこのベッドでないといけない、料理には国の特産品を使え、他にも水、毛布の産地、枕の硬さ。何かにつけてあいつらは注文をつけるが、そんなことをいわれてすぐに対応できるのは、王都にあるファイブ・スター・ランクの宿だけだ。できる限りのことは惜しみ無くするが、それ以上はどう頑張っても無理なことだってある。ゴートの大臣がそうとはいわんが、『もしものこと』があって困るのはおれでも大臣でもなく、ゴートの方じゃないのか?」
ゴートはうつむき気味にだまって聞いていた。
「そういうことが得意ないい宿を知っているから紹介してやるよ。おれとゴートの仲だからな。ただし、ウチの数倍はするから庶民派アピールにはならんかもしれんがな」
おれがアマンデイでもっとも素晴らしい宿だと思っているグランドイン「ラメール」の地図と、支配人マーリィの名前を紙に書いてゴートに手渡すと、彼は寂しげに背中を丸めてこの宿を後にした。
「支配人、ゴートさん、何かイメージ変わりましたね」
隣でやりとりを聞いていたサツキがゴートの後ろ姿を見送りながらつぶやいた。
「ああ、それほど王国の仕事というのは気苦労も多いのだろうが、やはり朱に交われば赤くなるというやつだろうな。世のため、人のために働く大臣の臣下と、権威に執着する大臣の臣下とではまるで違うものなんだよ。部下を見れば上司がわかるもんだな」
「そんなもんですかね」
カウンターに肘をつくサツキの元に、清掃を終えたタオが弾むような足取りでやってきて、おれたちの会話に割って入った。
「そういえば、朱に交われば……で思い出したのですが」
そう言ってタオはおれたちにむかって便箋を差し出した。上質な手漉きの紙だ。
「例の
ざらりとした手触りが特徴的な繊維質な便箋には達筆な文字が並んでいた。タオ宛てのその手紙には二人からの結婚の報告と、お礼の言葉が添えられていて、いつかまたこの地にも訪れたいと締めくくられていた。
差し出された手紙に目を落としながらおれはいう。
「朱に交われば、で結婚か……なんかエロい……ごふっ!」
サツキの重量級のアッパーが炸裂しておれの意識はここで途切れた。
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