第14話 寝苦しい夜は

 アンタたちもよく耳にしたことがある「魔法」は、このダンジョン世界はもちろん、外界そとのせかいでも当たり前に使われている能力だ。

 魔法を発動するためには術式が必要で、術式には体のモーションを使ったり、呪文を詠唱したり、最近では歪波石わいはいしという、魔導力を有する希少石レアストーンを使ったりと様々だが、まあ発動自体はさほど難しいものじゃない。

 ただ、その魔法を発動させ続けるには魔導力を消費する。こいつは一朝一夕には身につかない。

 体力自慢の大男でも、重い岩を何度も持ち上げればへばってしまうように、トレーニングもなしに強大な魔法を使いこなすことは、まず不可能だ。

 また、魔法には属性が強く影響する。火、風、土、水、陽、陰といった魔法属性は生まれつき個人に備わっているもので、自身の属性と違う魔法を扱うのは、利き手と反対の手で剣を振るうのと同じで、いきなり発動したところで、まずうまくいかない。

 数々の魔法を使いこなす魔導士も、厳しい訓練を積んでようやく自由自在に魔法を扱えるようになるというわけだ。

 ちなみに近年、ダンジョンで採掘されている歪波石わいはいしには術式と魔導力を封じることが可能で、この石で相性の悪い属性の魔法を補ったり、なんなら寸魔導本すんまどうほんみたいに、魔導力によって動くアイテムの魔力源にだってできる。

 だったら、この石に強力な魔法を封じればいいのではないか、と思うかもしれないが、歪波石の魔導力はその質量に比例するため、強力な魔法を発動できる歪波石を持ち運べる腕力があるなら、そいつは戦士か武闘家をやったほうがいい。

 まあ、そういうわけで、この世界の魔法も必ずしも万能というわけではないが、それでもやはり、様々な魔法を使いこなせる魔導士というのは、いまでも少年たちの憧れの職業ジョブであることには変わりない。


 とまあ、なぜこんな話をするかというと、今まさに、「おれも氷の魔法でも使えたらなぁ」などと、ぼんやりと考えているからだ。


「部屋、暑いんですけど?」


 宿泊していた客から予想通りの苦情が投げかけられる。今日だけで同様の苦情は三人目だった。

 Cランクの召喚士サマナー、スティーブ氏は憤慨というよりも、呆れているといった様子でカウンターのサツキに冷たくいい放つ。

 サツキは心底申し訳ないという顔を作って、謝罪の言葉を口にする。


「大変申し訳ありませんスティーブ様。実は昨晩から空調用の氷室アイスハウスがトラブルで使えなくなってまして、大至急手配をしているのですが、早くても空調が回復するのは明日の夜以降になってしまうかと……」


 サツキは申し訳なさそうに頭を垂れる。この召喚士は昨日から明日までの予定で宿泊をしていたのだが、タイミング悪く部屋に冷気を送るためのシステムに不具合が生じてしまったのだ。


「そちらの都合を私に押し付けられても困ります。なんとかしてください」


 丁寧な言葉を選んではいるものの、声色には確実に棘があったし、その視線の冷たさで部屋の温度も下げられるんじゃないか、というほどの冷気を感じる。この暑いなか、彼の周りだけ涼風が渦巻いているみたいだ。

 こいつは厄介そうだな。そう感じたおれは、すかさず横からサツキに助け舟をだす。


「ではスティーブ様、こちらで違う宿を至急手配いたします。ここから西に行った港町、ヤンゴーにグランドイン「ラメール」という宿がございますので、そちらに連絡をつけましょう」

「……でも、そこはここより格上のグランドインですよね? そこの宿代は払えませんよ」

「もちろん、お客様にご負担いただくことはありません。当方が全額負担いたします」

「そう。じゃあ、そこまで送ってもらえる?」


 ほとんど感情を出さない声でスティーブは言う。烈火のごとくに憤怒したさっきの二組に比べれば、すんなりとこちらの提案を受け入れてもらえたようで、とりあえずはホッと胸をなでおろした。


「では迎えの者をお呼びしますので、ロビーでお待ちください」


 おれがそう言うとスティーブはロビーのソファに腰をかけた。その間におれは赤いカワセミのような魔法生物、伝羽でんわでグランドイン「ラメール」の支配人、マーリィに連絡をとり事情を説明する。

 マーリィとは旧知の仲で、お互いに困ったときに部屋を融通し合うことはこれまでもしばしばあった。その為、今回も快く受け入れてくれ、おまけに遣いの者もよこしてくれることになった。もっとも、ここよりもグレードの高いグランドインの宿代を負担するのは、痛い出費ではあったが。

 おれはマーリィに心から礼をいって通信を切った。

 二十分後、グランドインのスタッフが馬を走らせて迎えにあがると、おれはスティーブ氏を丁重に見送った。


「なんかあの人、すごい感じ悪かった」


 ドアを閉めるとサツキが我慢していた不満を吐き出し、スティーブの出ていったドアにむかって、しかめっ面を投げつけた。そんなサツキの肩をポンと叩いて、おれはカウンターの中に戻る。


「仕方がないさ。ウチの問題をお客様に押し付けられない。それはあの人のいう通りだ」

「でもいい方ってもんがあると思うんだけど?」

「まあな。それよりも、急にあれだけの量の氷が消えたことの方が問題だな」


 おれは腕組みをして大きなため息をつく。

 この宿では巨大な氷の貯蔵庫、氷室アイスハウスを地下に備えており、冷気管を通じてそこにためた氷の冷気を客室に送っているのだ。昨日の昼間にサツキが点検に行ったときには問題はなかったはずだった。


「昨日までは確かに地下の氷室アイスハウスにはまだまだ十分な量の氷が残ってたはずなんですよ」

「ああ、おれも二日前に確認している。つまりこの一晩のうちに氷が消えたってことになるな」

「やっぱり盗まれたんですかね?」

「ただ鍵は掛かっていたし、そもそもあの重たい氷を一晩で運び出したとは考えにくい。他に原因があると思うんだ。それにたとえ氷をまたあそこに入れても、原因がわからない限りふたたび氷がなくなる可能性はあるな」

「困ったもんですね」


 サツキも不思議そうに眉尻をさげていた。そのとき、玄関の扉が開き一人の客がこの宿に入ってきた。おれもサツキも反射的に挨拶が口をついて飛び出す。


「いらっしゃいませ」

「おや、オヤジさん久しぶりですね」

「フォールズ様、ご無沙汰しております。本日からのふた泊のご予定でしたね」


 にこやかな表情を浮かべるフォールズは、ベテランの剣士ソードマンでこの宿の常連でもある。久しぶりの来訪に喜ばしく思う反面、申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。


「フォールズ様、せっかくお越しいただいたのですが、実は困ったことに宿の氷室アイスハウスから空調用の氷がなくなってしまい、今お部屋に冷気がいかなくなっているんですよ」

「なんと、それはさぞお困りでょうな」

「さすがにこの暑さで冷房なしでお過ごしいただくわけにもいきませんでしょう。もし、差し支えなければ違う宿をお取りいたしますが」

「いや、俺は別に構わんよ。外で野宿することを思えば、ベッドがあるだけで天国だ。ただ、何か少しだけサービスしてもらえれば嬉しいがね」


 おおらかな笑みを湛えてフォールズ氏はいった。フォールズ氏の気遣いに痛み入りながら、おれはせめてもの謝罪の気持ちを伝える。


「そうですよね。本当に申し訳ないことです。せめて、今回は宿代をお値引きして……」

「いやいや、それは忍びない。夕食に冷たい麦酒の一杯でもご馳走いただければ十分です」

「そんな程度でよければ喜んで」

「ではそれで」


 彼は宿帳に達筆な文字を書き記すと、星の銀貨五枚と引き換えに、鍵を受け取った。

「そういえば、こんな暑さにもかかわらず、この近所の森で凍死しているモンスターを見かけたよ。さぞや強力な氷魔法の使い手にやられたのだろうな」

「その魔導士にぜひ、うちの氷室アイスハウスにでっかい氷を作ってもらいたいものですよ」

 おれの冗談とも本気ともつかない返事に笑いながら、フォールズ氏は階段をのぼっていった。

 彼が見えなくなるとサツキが困ったような表情を浮かべていう。


「支配人。そうは言っても食堂も今、厨房の熱がこもってかなり暑いですよ? 夕食どうします?」

「そうだなぁ……」


 どうしたものかと思案していると、あっ、と声をあげてサツキが目を輝かせた。


「支配人、こういうのはどうでしょうかね?」


 サツキがおれに耳打ちする。彼女の提案に、おれも祭りを待ちわびる子供のように胸が躍った。これならばきっとお客様も喜んでくれる!

「いいな、それ! よし、早速ダンカンにも掛け合ってみるよ」

 おれは大急ぎで、この宿の料理長であるダンカンがいる厨房へと駆け込んだ。


 数時間後、夕食の時間に食堂にやってきたフォールズ氏をサツキがロビーで待ち構えていた。サツキは彼を食堂ではなく、宿の裏手にある広場へと案内すると、どうぞ、といわんばかりに大きく手を広げて扉を開いた。


「本日のご夕食はお外にご用意いたしました!」

「おお!」

 スティーブ氏の顔に歓喜の色が浮かんだ。

 広場ではグリル網で豪快に自慢のジビエ料理を焼くダンカン料理長が、夕食に集まっていたお客様に料理のサービスをしていた。よく風の通る涼しい場所にテーブルを並べてあり、その傍らには大きな麦酒の樽も置いてある。

 扉口でスティーブ氏を迎え入れたおれは、彼を席に案内しながら、今回の企画を説明する。


「実は、食堂の中も冷房が利かないもので、それならばいっそのこと、こちらの広場の方が風があって気持ちいいだろうかと思いまして。今日は特別に料理長のバーベキューグリルをご用意しました。ご自由にお好きなだけ召し上がってください。あと、麦酒は宿からのサービスですので、どうぞごゆっくりとお過ごしください」

「ほう、これはまたなかなか、粋なサービスではないですか! 外界そとのせかいにある酒宴庭園ビアガーデンのようですな!」

「宿の不都合にも関わらず、こちらにお泊まりいただけるお客様に、宿からのせめてものお詫びと感謝の印です。さあ、早く召し上がらないと、ほかのお客様がどんどんお召し上がりになってしまいますよ」


 おれはフォールズ氏に悪戯っぽい笑みをむけた。一言でいうならば、してやったり。フォールズ氏もまた、顔を輝かせ、席に座ることなく料理長に大声で呼びかけた。

「こうしてはおれんな! 料理長、私にも自慢のグリルを取り分けていただけますかな?」

「もぢろんでず、今日は鹿じがうじ、あどはわにどらにぐでずので、特製ゾーズで召じ上がっでぐださい」

「これは豪勢だ。こんなことなら明日も冷房なしでもかまわんぞ」


 フォールズ氏はダンカン料理長からご機嫌で料理を受け取ると、席に座るのも惜しいといった具合にジビエグリルにかぶりついた。

 こうして、宴は夏祭りのような華やかな熱とともに、宿のお客様にひとときの興奮をもたらした。


 やがて宴もたけなわ、お客様がそれぞれの部屋にもどった後、広場の掃除を終えたおれは、ふたたび事務所の伝羽でグランドイン「ラメール」の支配人、マーリィに連絡を入れた。


「マーリィ、どうだった?」

「おお! あんたやるなぁ、ビンゴだったよ」

「やっぱりあの召喚士だったか?」

「ああ、あいつ氷の精霊スノウノームをこっそり呼び出していやがった。そいつを冷気口から侵入させて、貯蔵庫の氷を喰わせやがった。あんたの警告のお陰でウチは貯蔵庫でノームをひっ捕まえて、召喚士もろとも警備隊ギルドガードに引き渡すことができたよ。他の宿でも被害にあってる連中もいたから、本当に感謝してるよ!」


 マーリィは興奮した様子で語った。実はおれはスティーブがこの宿をでた後、もう一度、マーリィに伝羽でんわをしていたのだ。おれはもしかしたらスティーブは召喚士サマナーではなく精霊使いエレメンタラーではないかとふんでいた。もし召喚士サマナーならば、グランドインのある港まで移動するのに、飛翔系の召喚獣を呼び出していたはずなのだが、彼は遣いの者を要求したからだ。

 この氷の精霊スノウノームは氷のダンジョンに棲む精霊で、氷や冷気を喰うことで妖力がアップする。精霊は自身の妖力に精霊使いの魔力を乗じて魔法が発動できるので、精霊を思いのままに使役できる精霊使いは、魔道士よりもさらに強力な魔法を放つことが可能となる。ただ、氷の世界で雪や氷を食って妖力を上げても、そこに棲息する魔獣モンスターは寒さに強く、妖力アップの恩恵が少ない。

 しかし、アマンデイのように暑い世界ならば一般的にモンスターは寒さに弱い。この世界で妖力の上がった氷の精霊スノウノームを呼び出せば、戦いが有利に進むのは自明の理だ。

 フォールズ氏がやってきたときにいっていた凍死したモンスターの話で、ぴんときたのだ。大量の氷がなくなる事件と、凍死したモンスターの関係。

 やつはこのアマンデイで自分に有利な冒険するために、宿屋の氷室アイスハウスや貯蔵庫の氷を氷の妖精スノウノームに食わせていたのだ。そう思えば、カウンターでの彼の冷気を帯びた視線にも納得がいく。おそらく、氷の妖精スノウノームの妖力が漏れ出ていたのだろう。


「やはりそうだったか、ありがとうマーリィ。恩に着るよ」

「こちらこそ情報ありがとうな。俺たち宿屋のネットワークをあなどるとこうなるんだよな。残念ながら、宿屋を敵に回したら冒険を続けることは不可能だな」


 たかが宿屋、されど宿屋。

 おれたちの世界にはおれたちのルールってもんがある。

 あんたたちも、この世界にくるならば覚えておいた方がいい。

 何も難しいことはない。

 宿屋のルール、それは他人に迷惑をかけず、自分は最高に楽しめばいい。それだけだからな。

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