第10話 いつも何もいわない女

 街はずれの森の中にひっそりとたたずむ教会で、十年ぶりに再会した姪っ子のジェシカは、おれの知っていた子供のころの彼女とはまるで別人で、すっかり大人びていた。

 大粒のパールのように、光を弾いてきらきらと輝く純白のウェディングドレスに身を包んだ彼女に、おれだけじゃなく、その場にいた誰しもが息を呑んだ。

 そんなジェシカは、おれの姿を見つけると子供の頃と同じように、満面の笑みを浮かべて飛びついてきて、何度も「ありがとう」といってくれた。


 おれは、このとき心からサツキに感謝をしていた。彼女が「叔父の代わりはいない」と、いってくれなければ、たぶん、おれはこの場にすらいなかっただろうからな。

 おれの親戚連中でさえ、ダンジョン世界に何年間もこもっていたおれが、わざわざ外界そとのせかいまでやって来たことを、「なにがあったんだ」といって笑い合っていたぐらいだ。


 教会で無事にジェシカの晴れ姿を見届け、その後、近くの会合所で開かれた祝宴で親戚に一通り挨拶し終えたおれは、再びアマンデイにむけて大急ぎでとって返した。

 魔導関ゲートを越え、アマンデイにたどり着いたときには、辺りはすっかり宵闇に包まれていた。さすがに、この暗闇の中をろくな装備も持たず移動するのは危険だ。魔導関付近には、こうした冒険者のための簡易宿泊所がある。そこに一泊することにして、翌朝に自分の宿屋にむけて、ふたたび歩き出した。


 宿を出発してから三日目の夕方。おれはようやく自分の宿に戻ってこれた。宿の前に立って改めて眺めてみると、ずいぶんとくたびれた宿だなと、呆れとも愛着ともつかない含み笑いが漏れてしまう。


 とりあえず、事務所に行ってサツキたちに礼をいわなきゃな。

「ただいまー!」

 柄にもなく、大声で挨拶したというのに、事務所の中はもぬけのからで誰もいなかった。

 なんだよ、このスベった感! むちゃくちゃ恥ずかしい!

 誰もいないというのに、「そうか、今は夕食時か」と照れを隠すように独り言ちて手を打った。

 事務所を素通りして、ロビーのむこう側にある食堂のドアを開けたところで、おれは顔をしかめた。食堂の中がいやに騒然としていたのだ。

 何事か、とその騒ぎの中心へ駆け寄ると、そこには床に片膝をついてうずくまるサツキと、彼女の肩を抱き心配そうに声をかけるタオがいた。

 よく見るとサツキのこめかみあたりから血が滲んでいる。

 ハリーは別の席のお客様に騒がせてすみませんと頭を下げて回っている。


「これはいったい何事なんだ?」

「あなた支配人ね?」


 おれがタオに声をかけると、返事をしたのはタオではなく、二人の前に立っていた女性だった。

 おれは彼女を知っていた。この宿によく泊まりに来ている客だったからだ。


「マチルダ様…ですね。この宿の支配人です。不在にしており今戻ったところですが、何か失礼がございましたか?」

「失礼なんてもんじゃないわ! あなたは従業員にどういう教育をなさってるんです?」

「申し訳ございませんが、私も今、外出先から戻ったところでして事情がつかめておりませんので……」

「あなたね、私が肉を食べないことはご存知でしょう?」


 この壮年の女魔道士は肉類、魚類を一切口にしない。

 おれが彼女から予約を受けたり部屋割りアサインをするときは必ず彼女の食事には菜食中心のメニューを用意していた。しかし、おれがここを空けるときに彼女の名前はなかったはずだ。

  おそらく、おれの留守中に急遽、ここに泊まりに来たのだろう。

 実は、このマチルダは予約の時も到着チェックインの時も、自分が菜食主義者ベジタリアンだといわないのだ。

 彼女は自分の名前をいえば、いつも通りに菜食の食事が出されると思い込んでいる。もちろん、そうさせてしまったのは、おれの過剰なサービスが原因だったのかもしれない。サツキならともかく、予約なしで来て、タオがチェックインをしていればそのことを知らなくても無理はない。彼女は、おれが不在にするということで、つい最近チェックインの業務を覚えたばかりなのだ。


「とにかく、すぐに代わりの食事をご用意します」


 おれはハリーを呼びダンカンに野菜中心のメニューを作ってもらうよう指示し、タオには一度サツキとともに事務所に戻り彼女の怪我を治療するように伝えた。

 タオがサツキを支えて立ち上がった時、おれはその場所の床にに割れた皿と、ダンカン自慢のジビエグリルが落ちているのを目に留め、それを拾い上げるとタオたちに問いかけた。


「この皿はあなたたちが落としたのですか?」


 おれの問いにサツキもタオも答えず、ただ目を伏せた。


「この宿が私の要求通りの物を出さなかったのだから、私が怒ったんです。そもそも、支配人の教育がなっていないわけですから、まずは謝ってしかるべきでしょう? 違います?」


 不遜な態度で夫人は仁王立ちしていた。おれはゆっくりとその女魔導士のほうに振り返る。


「まさか、とは思いますが、マチルダ様。従業員に怪我を負わせたのはあなたなのですか?」

「それは、あなたの従業員が私の求めるものを遂行できなかった結果でしょう?」

 おれは立ち上がり、憤然としている彼女に毅然とした眼差しを向ける。

「失礼ながら謝ってしかるべきはあなたです、マチルダ様。あなたが彼女に、サツキに怪我を負わせたのならそれを謝るのはあなたです」

「何を馬鹿なことを!」


 マチルダはゆでたロブスターのように真っ赤な顔になり、大声で喚いた。しかし、おれは彼女の厳しい視線に、敢然と立ち向かいはっきりといった。

「私はこの宿の支配人です。お客様に快適な時間をご提供することは私の使命です。しかし、同時にこの宿の従業員の安全と生活を保障するのも私の責任です。ご事情は察しますが、だからといって私の従業員に、まして女性の顔に傷をつけることは許されません」


 しかし、彼女はおれの抗議を受け入れる様子はなく、逆にヒステリックにまくしたてた。


「なんて非常識なッ! 客に謝れというのですかッ! そもそも、あなたの従業員の教育がなっていないことがッ! 問題だというのがッ! わからないのですかッ!」

「あなたのご希望に添えなかったことは認めます。しかし、我々はあなただけの従業員ではない。ましてや奴隷では決してないのです。我々は皆さまにとっての世話係コンシェルジュです。そのことをどうか……」


 そのとき、おれの抗議をさえぎって、サツキがおれとマチルダとの間に割って入った。

 彼女は腰を直角に折り深く頭を下げる。


「今回の件は支配人代理の私の責任です。申し訳ありませんでした。以後このようなことがなきよう、従業員にも十分に教育いたします。ですので、なにとぞ、重ね重ねの失礼をご容赦ください」


 サツキは頭を下げた状態で微動だにしなかった。おれはただそのサツキの姿をじっと見つめることしかできなかった。

 結局、マチルダは「ふんっ!」と荒い鼻息をついて椅子を蹴っ飛ばして食堂を出ていった。彼女が食堂をでていってもサツキはまだ深く頭を下げた姿勢を保っていた。

 近くに座っていた男性客がサツキの肩をぽんとたたいて席を立つと、そばでしゅんとしていたタオにも「頑張ってね」と声をかけて食堂を出て行った。

 ようやくサツキが顔をあげたので、おれも彼女に声をかけようとした途端、サツキはものすごい勢いでおれにくってかかってきた。


「いきなりやってきて状況もわからないのに勝手に引っ掻き回さないでください!」

「いや、おれはただ…」


 胸の前に両手をかざして縮こまるおれに、サツキは続けざまにまくし立てた。


「お客様に不快な思いをさせないようにと、いつもいってるのは支配人のほうでしょ? それを、何が『女性の顔に傷をつけることは許されません』よ! 格好つけて!」

「おれは、サツキのことを心配してだな…」


 サツキの剣幕に気圧されておれは言葉を失う。なぜおれが怒られているんだ?

 しかし、息巻いて言葉を吐き出したあと、サツキは不意に表情を緩めた。


「……でも……ちょっと嬉しかった。ありがとうございました。タオ、マチルダ様の夕食、お部屋にお運びしますから」

「はい、かしこまりました」


 タオは折り目正しい返事をして厨房にむかった。サツキも踵を返し他のお客様のフォローにまわろうと、一歩踏み出したところで、くるりと振りむいておれに言った。


「そうだ、支配人。姪っ子ちゃん、綺麗だったでしょ?」

「ああ、とても綺麗だった。サツキには……ちょっと感謝してる」

「あの子、絶対美人になるって思ってましたから」


 鼻で笑うとサツキは食堂のお客様一人ひとりにお詫びをして回った。

 おれも慌てて、反対側のお客様のテーブルへと向かった。


 結局、その後、サツキが直接マチルダの部屋に行き、無事に彼女と和解して事なきを得た。後に残ったのはサツキのこめかみの傷跡と、おれが放ったくさいドラマのセリフのような一言だった。


 しかし、おれは思うんだ。

 毎日一緒にいると人の成長はわからないものだと。

 だから、時にはいつもの場所を少し離れてみるのもいいのかもしれない。

 久しぶりに会ったおれの姪っ子がとても美しく成長していたように、そばにいる者の知らなかった一面が垣間見えるのかもしれないってね。

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