第9話 つかえない技術
「え? 結婚ですか?」
サツキが驚いて声をあげる。
結婚といっても、おれがではない。当然サツキがするはずもないわけであって……
「
「いや、なんとなく殴った方がいい気がしたので」
どんな理由だよ! こいつは流行りのマインドハッカーとやらか?
おれは殴られた頬をさする。本気じゃないとわかっているが、サツキのグーパンは正直かなり痛い。
「それにしても姪っ子ちゃんの結婚、早いですね。まだ十代じゃなかったですか?」
「ああ、今年で十九だ。昔、弟につれられてここに来たとき、ジェシカはまだ九歳だったからな。なんだか懐かしいな」
ジェシカは武器商をしているおれの弟の愛娘で、幼い頃から人懐こい性格をしていたので、「おじちゃん、おじちゃん」と、おれにもよく懐いてくれていた。おれは思い出の中の姪っ子の姿を思い浮かべて、ほのぼのとした気分になった。
「ちなみにお相手は
「外科医ですかね?」
サツキへのわずかばかりの反抗に、そのくだらないダジャレを無視してやった。
「まぁ、おれはここの仕事があるから式には出られないんだが……」
「いや、出ないとダメでしょ?」
「え?」
「なんですか? その超常現象でも見たような顔は?」
サツキは半目にして非難めいた視線をおれにむける。どんな天変地異があっても「休みたい」などといえないだろうと思っていたおれは、心底驚いていた。
「いや、でも式に出るとなると当然、
「大丈夫も何も、宿屋の仕事は誰かに代れますけど、姪っ子ちゃんの叔父は代わりがききませんよ。一生に一度の花嫁姿はちゃんと見届けてあげなきゃ、それこそグーパンじゃ済まされないんじゃないですか?」
まさかサツキにこんなことをいわれるなんて、思いもよらなかった。姪っ子の花嫁姿を見届けることを、仕事よりも大切に思ってくれているなんて、やっぱりサツキも女の子なんだな、となんとなく嬉しくなる。
「それに、ハリーもタオもここに来たときに比べて、随分としっかりしてきましたから、数日なら支配人が不在でもなんとかなりますって」
「本当にいいのか?」
「くどい。つうか、あたしらだけじゃ不安だっていうんですか?」
「いや、そんなことない。むしろ休み慣れてないから、かえっておれの体が変調をきたすんじゃないかって、そっちの方が心配なくらいだ。もし式に出るのなら、ここを朝一番に出ればその日のうちには外界につくだろう。向こうで一泊してから翌日の式に出席して、とんぼ返りで戻ってくれば、三日目の夕食には間に合うと思う」
「もっとゆっくりしたら?」
サツキの気遣いは嬉しかったが、おれはもう何年も親戚付き合いをしていないのだ。今更、
「ゆっくりしてもやることなんてないんだから、姪っ子の式が終わったらさっさと帰るよ」
「わかりました。じゃあ、それまでにタオとハリーにもう少し仕事、覚えてもらいますね」
ぶんぶんと腕を回して、サツキは張り切りだした。彼女は長年おれと二人だけで仕事をしてきたので、なんだかんだと後輩ができたことが嬉しいのだろう。
そして、いよいよ式の前日。夜明けとともに、おれは宿を出発することにした。
「じゃあ、気を付けて行ってきてくださいね」
「ああ、留守中よろしく頼むな」
「支配人こそ、ゲートにたどり着くまでに、モンスターにやられないで下さいよー!」
背後でサツキが両手を口元にあてがって、大声で叫んだ。さすがに、このあたりに出現する
通りに面した露店には、色とりどりの野菜や果物が並び、商人たちの威勢のいい呼び込みの声があちこちから聞こえてくる。
まっすぐに延びるその大通りのむこう、小高い丘の上には、高い城壁に囲まれた巨城が空を切り取るように堂々とそびえたち、この世界の
どうやら、おれのなかにある時計は、
その日の宿はジェシカがとってくれた、王都でも最高クラスのファイブ・スター・ランクのグランド・インだった。衛兵のようなドアマンが豪奢なレリーフの施された天然木のドアを恭しく開く。そこに広がっているのは、三フロアをぶち抜いた吹き抜けのロビー。このロビーだけでもおれの宿がすっぽりと収まりそうだ。
大理石のチェックイン・カウンターにずらりと並んだスタッフの背後には、鯨よりも大きな絹織物のタペストリーがかけられている。わかりきっていたとはいえ、おれの宿とは比較にもならないその光景に、打ちのめされるというよりも、なんだかひどく場違いな場所に迷い込んでしまったような気分になった。
「本日より一泊のご予定ですね。ではこちらをどうぞ」
愛想のいい女性のフロントスタッフがおれの書いた宿帳と引き換えに差し出したのは、誰もがよく知っている金属製の鍵ではなく、手のひらより一回りほど大きな板状のもので、本でいえば表紙にあたる部分には、ガラス状の透明なパネルがはまっていて、ぼんやりと光っている。
「えっと、これは?」
「
「そうか、わかった。ありがとう」
おれはそういってその寸魔導本とやらを受け取ったが、本当はなに一つ理解していなかった。
七階に用意されたおれの部屋にあがるのにも、階段ではなくエレベーターという、キネシス系魔法の力によって上下する箱に乗って、何の苦労もなく上がることができてしまった。
部屋の扉には
部屋はおれの宿のロビーくらいの広さがあり、クイーンサイズのベッドが二台並んでいる。おれの宿ならばベッドボードのあたりに内線管を設置してあるが、そういったものは見当たらず、代わりになにやらぼんやりとした色彩の抽象画の額が飾られている。
窓は出入りができる掃き出し窓で、外は小さなテラスになっていた。テラスからは、赤紫色の残照に燃える西空を、丘の上に立つ王宮のシルエットが、黒く染め抜いているのが見えた。
部屋に戻りふかふかのベッドの上に体を投げ出す。どうも落ち着かない。自分の宿と勝手が違いすぎるせいだろうか。
と、ぐうと腹が鳴った。そういえば、早朝に出発してから、ダンカンが持たせてくれたサンドイッチを一つ食べただけだった。
「ルームサービスもこの寸魔導本でできるといっていたな。たしか、この本に話しかければいいってことだったけど……」
おれは枕元に放り投げていた本ともいえない、板状の寸魔導本を手に取ると、手の中で弄ぶように何度かひっくり返し、ガラスのはめ込まれた表紙をじっと見つめた。
やべえ、なんだかしらんが、いざ話しかけようとすると、すげえ恥ずかしい。ここにはおれ一人しかいない。誰かに見られているわけでもない。だけど、いい歳した大人が本に話しかけるなんて、正気か?
ごくりと唾を飲み込み、意を決したようにおれは寸魔導本を顔の高さに掲げた。
「は、ハイ、モノー……」
……
…………
なにも起こらねえじゃねえかっ!
うんともすんとも反応しないぞ!? これ、本当にちゃんと動くのか? そもそも、そうやって話しかけて、どんな反応が返ってくるのかも知らんぞ、おれは。本が話しだすのか? それともランプの精霊みたいに、本の中からおれの願いをかなえてくれる何かが飛び出してくるのか?
「お、おい。聞いているか? ハイ、モノー」
さっきよりも、少し声を大きくしてみたが、寸魔導本はやっぱり動かなかった。
「だあっ、もういい! 食い物屋の場所くらい、自分で探す!」
誰にいうでもなく、そう叫んで上着を羽織ると、おれは部屋を出て一階に降りる。エレベーターを使うのもなんだか癪で、階段を早足で駆け下りた。
ロビーまで来たところで、フロントカウンターのほうから、なにやらいい争うような声が聞こえてきた。
「だけん、このナントカ本っちゅーもんの、使い方がわからねんだって! 普通の鍵で通話管のついた部屋はねぇんかいちゅうてんの!」
「申し訳ございませんが、当館ではすべて寸魔導本を導入しておりまして……使い方は、ハイ、モノーと呼びかけていただいて、ご要望を本に直接申し付けていただければ……」
「だけん、その本がダメだっちゅーてんの、わかんねー
地方の出身者なのだろうか、訛りのあるイントネーションで男はまくしたてる。カウンターの中のフロント係の女性スタッフは、困ったような顔を繕いながら、何度もおなじ説明を繰り返していた。
なんだかよくわからないシステムに不安になる客の気持ちも、どう説明してもなかなか理解してもらえないときのもどかしさも、今のおれはどちらもよくわかる。
おれは、大声でわぁわぁと騒ぐ男のそばに行くと、ぽんと肩を叩いた。男はぎょっとして振り返り、すぐに厳しい視線をむけた。
「ああ、なんだー、おめ」
「とりあえず、落ち着いて。おれ、今から飯でも食いに行こうと思ってるんだけど、良かったら一緒に一杯どうですか? おごりますよ。おれも、こいつの使い方、よくわからないんだよ。わからないもの同士、飯でも食いながら一緒にいろいろと試してみませんか?」
「ああー、おめもコレ、わからねぇんか?」
おれがうなずくと、男はフロントのスタッフに「それ、みろ! なんでも最新のものが一番いいわけじゃねぇんだど!」と勝ち誇ったようにいった。
「じゃあ、兄さん。お言葉に甘えて、ご一緒させてもらおうかね」
よかった。どうやら彼もほんの少しだけ機嫌を直したようだった。
「そうと決まれば行きましょう。おれも王都は十数年ぶりで、勝手がわからなかったんですよ。どこか、おススメの店とかありませんか」
「おうおう、まかしとけー」
男性をさりげなく外へと誘導する。ちらりと振り返るとフロントの女性は、会釈でおれに礼をした。
結局、おれは宿にいる間、一度も寸魔導本のモノーに何かをお願いすることはなかった。
チェックアウトのときに、昨日の女性のスタッフがやってきて
「昨日は、ありがとうございました。おかげで助かりました」
と、丁寧にお礼をいってくれ、少しだけ救われた気分になった。
「とんでもない。それよりも馬車を呼びたいんだけど、寸魔導本じゃなくても頼める?」
「もちろんです」
彼女は上品に微笑んだ。
実は昨日のあの男、話をしてみたら、なんと王宮騎士団の鎧を作っている伝統甲冑師の先生だった。長年の王国への貢献と伝統技術が認められ、国王より褒章を賜ったとかで、翌日に執り行われる授章式に出席する予定だった。
賓客である彼にくれぐれも失礼がないようにと、王国が気を利かせてこの最高級ファイブ・スター・ランクの宿を手配したのだろうが、かえって彼にとっては、自分が知っている宿とまるで勝手が違って困る結果になってしまった。
最新のシステムはたしかに便利だ。でも、例え不便だとしてもおれはやっぱり、人と人とが顔を合わせる一期一会の出会いのほうが好きだし、古臭くても伝統の技に心惹かれてしまう。
扉を開けたドアマンが深々と礼をする。
おそらくは、もう二度と泊まることはないだろう最高級ホテルを仰ぎ見て、おれはジェシカの結婚式が執り行われる教会に向かうため、フロントの彼女が呼んでくれた馬車に乗り込んだ。
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