第8話 月夜の奇跡

 ダンジョンにはいくつかの種類があることが知られている。

 例えば、ここアマンデイは海洋ダンジョンと区分されていて、世界の大半が海に覆われていて、点在する島の森を切り開いて町がつくられている。深層部はまだ未開で謎も多い。

 海洋ダンジョン以外には、鬱蒼とした森がどこまでも続く密林ダンジョン、荒涼とした砂の大地が地平の果てまで続くような砂漠ダンジョン、雪と氷に閉ざされ、いつまでも太陽が昇らない極寒の世界、氷原ダンジョンなど、あげればキリがない。要するに、ひとくくりにダンジョンといってもいろんな種類があるということだ。

 こうしたダンジョンに棲息する魔獣モンスターたちは、スライムやゴブリンみたいに、どこにでも出現するやつらもいるが、たいていはそのダンジョンの成り立ちに由来しており、それぞれのダンジョンで生態系を築いていたり、独自の進化をしているものも少なくない。

 たとえば、このダンジョンで人気の巨大なウミガメ形の幻獣レアモンスターアーケロンや、岩礁地帯でときどき見かけるマーメイド、いわゆる人魚も、このダンジョンにしか棲息していない固有種モンスターだといわれている。この宿には、そうしたモンスターを目当てにやってくる冒険者も多い。



『支配人、ちょっといいですか?』


 深夜、日付が変わるか変わらないかといった時間に、内線管でハリーにそういわれて呼び出されたおれは、宿の中にある自室から事務所にむかった。

 なんでも、また騒音の苦情が寄せられているらしいのだが、前にあの傍若無人の大陸系の戦士ファイターたちに泣きをいれさせたあのハリーが困っているというのだ。いったいどんな騒音苦情が寄せられているんだ? 

 おれはまたガチムチ野郎が部屋前でどんちゃん騒ぎでもしていたら嫌だなぁ、などと、ネガティブな妄想を膨らませながら、事務所の扉を開けた。


「おやすみ中にすみません、支配人」

「大丈夫だ。それで、その苦情はなんだって?」

「『あんあんうるさい』んだそうです」


 うわぁ……と、おれは顔を引きつらせる。

 宿屋であるからして、まあそういう事案がないわけではない。

 猫も杓子も冒険ブームの真っ只中。だれもが気軽に冒険をすることができるようになったのは、いいことではあるが、だからといって冒険者の全員が全員、ストイックに旅をしているわけではないのだ。

 なかにはギルドを男女の出会いの場がわりに、サークル活動みたいにダンジョン世界を旅行気分でのらりくらりと旅するやつらや、なんちゃら世界からやってきて、女神様からチート能力とやらを授かり、現地民をはべらせつつハーレム状態で旅するひょろっちい勇者だって少なくはない。

 いや、別にけっして羨んでなどいない!

 僻んでもいない……はず。

 せめてタイム・プレイス・オケイジョンくらいは考えてだな……まあ、そうなるわな。野宿でそんなことになってるほうが何かと問題だわ。


「僕、この手のトラブルは苦手なんですよ」


 ハリーは珍しく心底困ったように苦い顔をした。

 まあ、それもごもっとも。タオにストーカー……じゃなくて、見守るようについてまわって、同じ職場であるにも関わらず、一切色ボケした様子を見せないこの草食男のことだ。男女のあれやこれやに精通しているとは到底思えない。

 だが、おれだってこういうケースに慣れっこというわけではないのだ。厄介事に巻き込まれた、という不快感を隠すことなく「おれだって得意じゃないんだよ」と全く乗り気がしない声でいった。


「ええ、そうだと思いますが、でも支配人なら経験あるでしょう? こういうときどうしたらいいのか、ちょっと模範解答お願いしますよ」


 なんか一言多くないか?

 ハリーの悪気なさそうな言葉にわずかばかり傷つきながらも、「しようがねぇなぁ」と大きなため息をついて、事務所の引出しから一枚の紙を抜き取った。なあにも書き込まれていない真っさらの紙で、普段は案内や注意書きなどを書いてロビーの柱などに貼り付けるのに使用しているものだ。


「いつもはこの紙に『深夜ですのでお静かにお願いします』と書いてドアから差し入れるんだよ」

「へぇ。でも、それって相手が気づかなかったら意味なくないですか?」

「差し入れた後にノックして気づかせる。深夜に部屋前で真っ裸マッパの野郎と議論はしたくないからな」

「守り入ってますね」


 ハリーがしゅんと肩を落とした。お前は何を期待していたんだ?


「騒音が収まりゃなんでもいいんだよ! 行くぞ」


 つまらなそうな顔をするハリーの肩にぱしんと平手打ちをかまして、事務所を出ると階段を上がって問題の客室へとむかった。


 幸いというべきか、問題の騒音部屋は廊下の突き当りにある角部屋だったため、苦情がでていたのはその隣の部屋一件だけだった。

 それにしてもまあ、今も現在進行形で廊下にまで聞こえるほどの大音量で、あん、あん、あん……大好き! って、

「お前は絡繰からくり耳無みみなし青猫幻獣か!」

 というツッコミを心の中でキメて、おれは「よしっ」と自分自身に気合をいれる。そうでもしないと、なんとなく気持ちが前に進んでいかないのだ。


 意を決して、艶かしい声の漏れ聞こえるそのドアの隙間から注意書きを差し入れようと、身をかがめたそのときだった。おれの頭上から小さな光の粒がはらりと舞い落ちて、おれはふいに顔をあげた。

 視界にふわりと浮かぶ、その神秘的な光に、おれはあっと驚嘆の声を漏らした。


「ピクシーだ!」


 光の正体。それは、開け放たれていた廊下の突き当りの窓から飛び込んできた、ピクシーと呼ばれる人差し指程の小さな妖精だった。

 ピクシーは黄金色に輝く不思議な体を持つ、イタズラ好きな妖精だ。子供のように無邪気な性格をしていて、人や動物たちをからかって驚かせるのが趣味という、困り者だ。古い森に棲んでいて、果実や花の蜜をすって生きていて、ピクシーに蜜を吸われた花は精気を失い、たちまちのうちに枯れてしまうのだという。


 ただ、このピクシーは古代の森のダンジョンに棲息している妖精タイプのモンスターで、アマンデイには棲息していない。おそらく、どこか別の世界から冒険者によって連れてこられたものが逃げ出したのだろう。


 おれの宿屋に迷い込んだピクシーは、かなりのスピードで廊下をあちこち飛び回っていた。

 ハリーもそのピクシーを見つけると、夜中であるにも関わらず大きな声をあげた。


「うわっ! っさー! 見ました? めちゃくちゃ小さくないですか! 指先くらいの大きさですよ!」


 彼の目線が飛び回るピクシーを追いかける。ピクシーは右にいたかと思えば、瞬きする間に反対方向に移り、天井の方で飛んでいたと思った次の瞬間には、廊下に敷かれた絨毯の上に座っていたりする。まさに縦横無尽。


「しかも、なんすか、あの動き! 小さいくせに超速いですよ! 前後左右! 八の字にも動いてるじゃないですか!」


 ハリーの声に驚いたのか、ピクシーは廊下の突き当たりに飾ってあった花瓶の中へと隠れてしまった。ちなみに、この花は宿の周りに咲いていた野花をサツキが摘み取って活けてくれたものだ。案外、そういう女性らしいところがあるのが、妙に悔しい。


「あっ! 行く! 行っちゃいますよ!」


 ハリーは花瓶のそばに駆け寄ると、そっと身をかがめてピクシーが再び顔を出すのを静かに待っていた。やがて、ピクシーは花瓶からあたりの様子を伺うように顔を覗かせると、活けてあった花の花冠の中にその小さな頭を突っ込んで、音もなく蜜を吸い始めたようだった。

 すると、ピクシーに蜜を吸われた花はみるみるちにその鮮やかな色を失って、錆色にくすんでしぼんでしまった。


「あっ! もうしおれた! すごい、一瞬でしたね!」

「こら、ハリー! 深夜にお前が騒いでどうする!」


 おれは呆れてハリーに小声で注意する。

 すっかり、ピクシーに気を取られてしまったが、おれたちの要件はそれではないのだ。

 気を取り直して騒音の元になっていた例の部屋に注意書きを差し入れようとして……


 あれ、なんか静かになってるな。


 悪いとは思いながらも、中の様子を探ろうとしてそっと扉に耳をそばだてると、中で男のしくしくと泣く声がしていた。


 女と喧嘩でもしたのだろうか?


 とりあえずは、周囲に問題なさそうなくらいには騒音も落ち着いたようだ。結果的には注意書きを差し入れる必要はなくなり、おれはホッと胸をなでおろした。


 ちなみに、ピクシーは花瓶の花をカラカラに乾かせて、入り込んできた窓から外に飛び出し、満月の輝く夜空のむこうへと消えていった。


 客と揉めることなく苦情も解決。その上、異国の妖精まであらわれた。

 時にはこんな珍しいことも起こるもんなんだな、とおれは自室に戻ってなんとなくいい気分になりながら、夢の深淵へと沈んでいった。

 翌朝、ハリーと入れ替わりに出勤してきたサツキに、なぜかおれが「花を枯らせた」とぐちぐち文句をいわれる羽目になるとも知らずに。

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