第7話 潔癖症

「ごゆっくりどうぞ」


 鍵を手渡し、笑顔でそう言いながら、おれは宿泊客がロビーの階段を登っていく後ろ姿を見送る。予定よりも少し早めに到着したその客の記入した宿帳をファイリングしていると、おれの隣から聞き慣れたいつもの声が響いた。


「つまり、どういうことだったわけ?」


 午後から出勤してきたサツキが、眉をひそめ険しい顔しておれに聞いてくる。

 だがすまん。正直おれにもまだよくわからんのだ。

 サツキがおれに問いただしているのは、例の二人組、朱姫しゅき蓮華れんげの関係についてのことだった。


 タオの話から察するに、蓮華れんげは名家の長男だが、心は女で、そのコンプレックスと重圧から家を飛び出してギルドに登録して、ダンジョンで冒険家になったということらしい。

 確かに名家の跡継ぎともなればそのプレッシャーも半端ないとは思うが、一人息子が失踪した名家、夜叉族の現在が気になるところではある。

 一方の朱姫しゅきは同じく赤鬼族という、はるか古来から脈々とその血を受け継いできた、これまたいいとこのお姫様だったけど、その家柄に縛られるのが嫌で自由を求めてこのダンジョンに潜り込み、そこで蓮華れんげと出会ったということらしい。

 それで、この朱姫は蓮華を男と知っているけど、男性としてではなく「女の子」としての蓮華が好きで、蓮華は体は男だけれど心は女で、女性として「女の子」の朱姫のことが好き。

 アブノーマルとアブノーマルが掛け合わさって、一周してノーマルってことか?


「あー、なんか混乱する」


 サツキが頭を抱えた。うむ、右に同じく。おれも大きくうなずく。


「なんにせよ、あのふたりの問題をまるく収めたタオはあなどれんな」


 フロントカウンターの中でおれは腕組みをして嘆息する。この宿の迷惑客でもあった二人の若い女性(実は片方は男性だったが)たちの問題を、こともなげに収めたタオに改めて感服させられていた。

 柔らかな物腰でありながら、どこか芯のある強さを持った接遇技術は、おれが持ち合わせているものではなく、当然のことながら、サツキがもっているはずもない。

 ちなみに、彼女は今、出発チェックアウト後の部屋の清掃と、清掃後の最終確認インペクを行っている。ルームメイクというのは実は結構体力仕事だったりするのだが、そこはさすがに元冒険者。彼女はキビキビとした動作で黙々と部屋を整えていく。タオが清掃に入った後の部屋はまるで魔法のように、全てがぴかぴかに輝いて見えるんだから、まさにビフォー・アフターだ。なんということでしょう! ……もしかしたら本当に魔法使ってるのか?

 

「タオを給仕とルームメイクだけで使うにはもったいなくないですか? 食堂での接客だってお客さんからの評判は上々だし……」


 カウンターで今日の残りの到着客アライバルの確認をしながらサツキが何気なしにいう。深く考えて発言したわけではないのだろうが、いわんとすることはよくわかる。


「まったくだな。何ならサツキと業務を交代するか?」

「もっと給料くれてもっと楽な仕事にしてくれるんなら是非どうぞ」


 サツキの声にハリセンボンのような棘が生えた。おれは慌てて発言を引っ込めるように、首を振る。


「あ、いや。やめておこう。しかし、確かに他の仕事もしてもらいたいな。今度、タオと話をしてみるか」


 冗談めかして、どこか和やかな気持ちでサツキとそんな話をしていた矢先のことだった。

 ついさっき到着受付チェックインしたばかりの宿泊客が、ものすごい勢いで階段を駆け下りてくるなり、フロントカウンターに怒鳴り込んできた。

 この男はたしかBランクの勇者、クルーズ氏だ。おれが部屋割りアサインしたし、なにより数分前におれが到着受付チェックインをしたのだ。この何の変哲もないひょろっとした勇者は、地味ななりをしている割に結構な大声で、おれが一番嫌いなあの超有名なセリフを叫んだ。


「おい! 責任者はいるか!?」


 顔を真っ赤に上気させて相当ご立腹の様子だった。気が付くとサツキはいつの間にか事務所に下がっていた。忍者か、お前は?

 とにかく、こういう感情をぶちまけて怒鳴ってくる客には、こちらは常に冷静でなければならない。感情と感情がぶつかれば、解決できるものも解決できなくなるからだ。


「わたしがこの宿の支配人です。クルーズ様、いかがなされましたか?」

「いかがもタコもねぇよ。これをみろ!」


 男が手のひらをおれにむけて差し出したが、おれには何もないただの手のひらのように見えた。


「お客様の手…ですか? どこかお怪我でもされましたか?」

「違うだろうが! これだよこれ!」


 男は手のひらに力を込めて反対の手でその手のひらをの上を指し示した。

 おれは男の指先にじっと目を凝らす。

 ……糸くず?

 クルーズ氏の手のひらの上に、ようやく見えるかどうかという細い糸状のものが乗っている。おれはそれを注視しながらクルーズ氏に問いかける。


「糸くず……でしょうか?」

「はぁ? 誰がどう見ても髪の毛だろ、髪の毛! 髪の毛が落ちてるとか、宿屋としてどうなんだっていっているんだよ! おれはな、清潔好きなんだ。他人の毛髪の落ちていたベッドでなんぞ気持ち悪くて寝られねぇよ!」

「それは申し訳ございませんでした。清掃には十分注意を払っているつもりではありますが、行き届いておりませんでした」


 正直、清掃する者とて人間(うちの宿の場合はふたりともエルフ族だが)なのだから、小さなごみを見逃すことはあるし、清掃中に自身の頭髪が落ちることだってあるだろう。それを殊更ことさらに大きな問題のように騒ぎ立てるやつは、たいてい支払い拒否か、ルームのアップグレードを要求してくる。

 おそらくこのクルーズという男も同じ類なのだろう。

 この男が清潔好きかどうかなど、こちらにとっては本来なんの意味もない情報である。こちらは清潔好きでもそうでなくても、利用するすべての人が快適に過ごせるように、平等に準備を整えている。そうであるのに、宿屋の到着して最初にすることが、部屋のあらさがしとは何ともさもしい男だ。

 そもそも、潔癖症の人間がダンジョンで冒険なんぞするなといいたい。無菌処理された手術室で脳みその手術を受けた方がよい。

 内心では毒づきつつも、この日は部屋にも多少余裕もあったので、おれは無駄な労力をつかうよりも、相手の意向を汲んだほうが得策と考え、ルームチェンジで事を収めようとして、この男に提案をする。


「では、お客さまのお部屋を上のグレードにチェンジいたしますので、それでどうかご了承いただくわけにはいきませんか?」

「ほう、そうか。だがなぁ……」


 クルーズは自分の要求が通ったことにしたり顔であったが、まだ何か引き出せそうだと踏んでいるのだろうか。値踏みするような視線でおれを見ている。

 こういう男におれは正直、イラッとする。


 こういうクレーマーにはいくつかのタイプがある。

 ひとつは正義感先行型。自分の被った不利益を、他者にも与えないようにと、予防的にこちらに痛烈な意見を寄せるタイプ。こういったクレーマーは苛烈な言葉とともに、善後策を講じるように要求してくる一方で、自分への補償を求めるケースは少ない。

 もうひとつは価値観強要型。自分の基準をこちらに押し付け、それを標準化するように要求する。言葉や態度こそきつくならないが、システムとしてこちら側には無理が生じることも多く、案外厄介なクレーマーだ。

 そして、もうひとつは利益強要型。この男のように、こちらの非の大小(場合によっては有無)を問わずに、脅迫的な態度をとってこちら側を疲弊させ、自分への利益を引き出そうとする輩だ。決まり文句は「責任者を出せ」。てめえ自身は何の努力もせずに、相手に難癖をつけて利益を得ようとする。そういうやつは、さっさと魔獣モンスターにやられてしまえ。

 っと、いかんいかん。とにかくこの上手く行きそうな流れを台無しにするわけにはいかない。しかし、これ以上の要求はなんとしても断らなければ、などと考えていたそんなとき、部屋の清掃を終えたタオが、軽やかに階段を下りてくるなり、カウンターの中のおれに、いつものように朗らかなよく通る声で報告した。


「支配人、指定の清掃はすべて終わりました!」


 あぁ、なんて空気の読めない子!

 本来なら彼女の清掃もばっちり時間内なのに、このクレーマー勇者が早く到着してしまっていたために、清掃員とかち合わせしてしまった。しかも、この状況で清掃員の顔バレとか最悪のタイミングではないか!


「あぁ!? 清掃がすべて終わっただと!?」


 案の定、男は恰好の獲物を見つけた、野獣のような顔で振り返る。おそらく、同じネタで清掃担当者を強請ってやろうという腹なのだろう。こういう場面では、直接その業務担当者を強請ゆする方が、担当者に同情的になって上司が折れる事が多いとわかっているのだろう。

 まずい。

 おれはとっさにタオをなんとかしてこの男から引き離す方法がないかと、光の速さで思考回路を働かせた。

 だが、おれの残念な脳みそはたったひとつの答えすら用意することなく沈黙していた。

 このバカチンがっ!

 潔癖症のいちゃもん獣クレーマーとタオが体一つ分の距離でむき合った。すると……


「はい! お客様、どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」


 タオはとろけるようなキラキラの笑顔をこれでもかとふりまくと、きびきびとした動作で、食堂へと夕食の準備をするためにむかった。

 彼女が食堂に入る後ろ姿を見届けたクルーズ氏がゆっくりとおれの方に向きなおる。


 鼻の下がゆうに三センチメートルは伸びていた。


「ああ~、別に部屋は変えなくていいから~。でも、一応あの子には気を付けてね~って、いっておいてねぇ~」


 男は手にした毛髪を握りしめてふたたび階段を踊るように軽やかに上っていった。踊り場でくるりとターンする。


 笑顔一閃。微笑みだけでクレーム処理!

 タオ、なんて恐ろしい子!


 とりあえず、無事にこの問題が片付いておれはほっと胸をなでおろした。まるで見ていたかのように、事務所からサツキが「あれ? なんかありました?」と顔をのぞかせた。絶対聞いていただろ?


 ちなみに、クルーズ氏の部屋の清掃は午前中に夜勤明けでクタクタのハリーがしたことは、当然ながらおれの胸の内に永久に秘密である。

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