第6話 男性の品格

 二人の少女、朱姫しゅき蓮華れんげの登場により、良い意味でも悪い意味でも騒然としている食堂に、おれは今回初投入の秘密兵器、タオを連れてやや重い足取りでむかった。

 タオはおれの頼みに「私でお役に立てるのでしたら」と快諾してくれた。これがサツキだったら、二言三言じゃあすまないくらいに、不平不満が口をついて……っと危ない、うっかり余計なことをいえば倍返し、三倍返しだ。とにかくタオはいい子だ。


 さて、おれと食堂に入るとタオは、食事中だった朱姫しゅき蓮華れんげのそばに膝をつき、二人よりも目線を低く構えて、「失礼します」上品な物腰で深々と首を垂れた。それまで楽し気に会話をしていた二人の視線が、すっとタオを捉えた。


朱姫しゅき様、蓮華れんげ様。お食事が終わられました後、少しお時間をいただきたいのですが……」


 タオは相手に警戒心を与えないようつとめて穏やかな声でいった。正直、相手が男ならば、この声だけでうっとりとして心を許してしまうことだろう。そのたおやかで美しい所作は、さすが王宮仕えをしていただけのことはある。

 だが、目の前にいる二人は、そんなタオの所作にはまるで興味がないのか、つっけんどんな態度を貫いた。


「アタシらは別にいいけど、その間、あの人たちはどうするの?」


 朱姫しゅきが隣のテーブルで食事をしていた、細マッチョの男ふたりに視線を送る。自分と同じパーティメンバーを気遣うというよりも、こちらの事情を押し付けている事に対する、見返りを要求している、といった風だ。しかし、タオにはそれも想定内だった。事前におれに相談していた通りに返答する。


「彼らには宿の方でお酒をご用意しておきますので、こちらでしばらくお待ちいただければ。それほどお時間をとるつもりもありませんので」


 タオは頭のいい子だ。相手のメリットをきちんと提示して交渉する術を心得ている。

 朱姫しゅきはそれに納得したように小さくうなずくと、

「ふぅん、わかった。ねぇ、アンタたち、ちょっとここで酒飲んで待っててって! タダで良いって!」

 と、二人の男に向かって大声でいった。


 朱姫しゅきは多分性格が悪い。

 他のお客様もいる前でわざわざ大声でいうことではないだろうと、おれはこの若い女に少々イラっとさせられたが、せっかくの秘密兵器の投入であるため、大人気ない事はしないようにと自戒する。


「さっさと済ませたいし、今からでいいよ。行こ、蓮華れんげ


 そういって朱姫しゅきは立ち上がると、思いのほか素直にタオの後について事務所横にある応接室へと入った。

 二人の若い女性は促されるまま、おれとタオの向かいのソファに座りその細い足を組んだ。いけないとわかってはいるが、つい視線がその動きを追う。

 いや、その服装を注意しないといけないんだった。


「で? またアタシたちの服のこと? オジサン」


 つまらなさそうに髪の毛をいじりながら朱姫しゅきがいう。毛先の痛み具合を気にするように、じっと自分の髪の毛を見つめたままで、おれと目線を合わせようとはしなかった。おれの代わりにタオが口を開いた。


朱姫しゅき様、蓮華れんげ様、わたくしはこの宿のお世話係をしています、タオと申します」


 座ったままで、姿勢正しくタオは二人組にお辞儀をした。顔をあげると、すっと表情を引き締めた。


「率直に申し上げまして、おふたりのお召し物はこの宿でお過ごし頂くには、似つかわしくないとわたくしは感じます」


 タオは厳しい口調で結論からはっきりといった。いつものとろけるような柔らかな視線はそこにはなく、眉がぴっと引き締まり、凛とした力強い目を向けてしっかりと二人のことを見据えている。しかし、そこに二人を非難するような感情はおれには感じられなかった。むしろ生徒をたしなめる先生とでもいおうか、どこかに二人に対する愛情めいたものを感じるのは、おれの気のせいだろうか。

 しかし朱姫しゅきは大きくため息をついて、その視線をさらりとかわすように言った。


「はぁ、また? よくそんな同じ話何回も……」

朱姫しゅき様、少し私のお話をさせていただいてよろしいでしょうか?」

「……なに?」


 朱姫は怪訝そうにタオのほうを睨む。構わずにタオは呼吸を整えて話しはじめた。


「私はここで働く以前は外界で侍従職として仕えておりました。とはいっても、私は一番下の位でしたから、先輩方からは厳しく指導を受けていた立場です。先輩方はみな一様に凛として美しい方ばかりです。それは男性も女性も同じです」

「何がいいたいのかわかんない、アタシ頭悪いし」


 朱姫しゅきが拗ねたような口調で口を挟む。タオはそれを優しく諭すようにいう。


「もう少し聞いてくださいますか? 王宮で働く侍従たちはなぜ、あのように美しい方ばかりなのか、私はずっと考えていました。できれば私もそうでありたいと思ってましたから。そして、これは自分なりの答えですが」


 タオはふたりを交互に見る。


「美しくある努力をするからです」

「はぁ? 何言ってんの? そんなの当たり前じゃん! 王宮に仕える人間がそうでなくてなんなの?」


 朱姫しゅきが声を張り上げた。


「美しく見られるためには、美しく見せる努力が必要なんです。姿勢、所作、言葉遣いから、着るものに至るまで、王宮で過ごすにふさわしい教養を身につけるからこそ、美しく見えます。今のおふたりはたしかに、女性的な美しさを誇示するために、そのようなお召し物をお召しになられていらっしゃるし、とても綺麗に手入れもなさっています」

「だめ、さっぱりわかんない。もう行こう蓮華れんげ!」


 立ち上がろうとする朱姫しゅきに向かってタオはいった。


朱姫しゅき様! あなたは 由緒ある赤鬼族あかおにぞくの王、焔鬼えんき様の御息女、朱音あかね姫でございますね」


 その言葉におれはおもわず目を見開いて驚いた。蓮華れんげはわずかに動揺したように朱姫しゅきを見上げる。

 赤鬼族といえば、古くは人間族と世界の覇権をめぐって千年間も争っていた鬼族の中の最大勢力だ。長らく対立していた人間族と鬼族だったが、このダンジョン世界の解明のために、和平が締結された。それをきっかけに、種族間交流が急激に進み、外界の発展、ひいてはこのダンジョン世界の解明にもつながった。

 その鬼族の姫が、なぜこんな前衛的アバンギャルドな格好をした不良少女になっているのだ!?

 うろたえるおれを小馬鹿にした目で一瞥しつつ、朱姫しゅきは表情を変えずにいった。


「何で知ってるの? アタシのこと……」


 タオはそれまでの厳しい表情を崩し、砂糖菓子のようにふわりと甘い笑みをたたえていった。


「私は以前、王宮で朱音あかね姫に御目おめ通りしております。あのときの姫様は、王宮に使えるどの侍従たちよりも美しく、高貴な輝きを放っておられました。これほどまでに見目麗しい方がいるのかと、私もつい目を奪われてしまったほどです。ですから、こちらで一目見てあなたが朱音姫であると確信いたしました。なによりも、その『紅蓮の宝玉』の首飾りは赤鬼族の王、焔鬼えんき様がお生まれになったあなた様に授けられたたものでございますから」


 朱姫しゅきはふたたびすとんとソファに腰をかけ、細い足を組むと不機嫌そうな声でいった。顔は完全にふてくされて横を向き頬杖をついている。


「それで? 国に連絡するの?」

「とんでもない。わたくしどもには守秘義務がございますのでそのようなことはいたしません。ただ、あなた様ほど品位も格式もある方が、なぜ本来備えておられる美しさを捨ててまで、そのように俗的な美しさをお求めになるのかと不思議に思ったのです。差し支えなければお聞かせ願えませんでしょうか」

「……男のためだよ」

朱姫しゅき!」


 蓮華れんげが声を荒げたが、朱姫しゅきは意に返さなかった。

 結局そんなものかとおれは軽い失望を覚えた。どおりでパーティのメンバーがころころと変わるはずだ。ギルドでは見知らぬ男女でパーティを組むことも当然ある。それを結婚紹介所感覚で利用する馬鹿は少なからず存在するのだ。

 タオも少し怪訝そうに首を傾げてみせた。


「それは男性の気をひくため……ということですか?」

「まあね。そもそも由緒ある家柄にも品格ある振る舞いにも興味なかったんだ。だから家を飛び出してギルドに登録してダンジョンに潜り込んだ。そこで蓮華れんげと出会って、その時の彼女の格好が可愛かったから真似し始めたんだよ。この衣装の方がギルドで男のメンバー探すのに都合いいし」

「そうなんですね。ところで、もうひとつよろしいですか?」

「何? まだあるの?」


 朱姫しゅきがうんざりとしたように、刺々しい声でいった。


「これで最後の質問です。蓮華れんげ様はなぜ、そのように女性の格好をされるのですか?」


 その場にいた全員が一斉にタオを見た。おれにはタオの言葉の意味がいまいちよくわからず、なにを突然いうのかと思ったのだが、どうやら目の前の二人にはその言葉の意味がはっきりと伝わったみたいだった。

 蓮華は信じられない、とばかりに小さく首を振った。


「何であなた、わたしが男だとわかったの?」

「あなたにもお会いしましたね。蒼紫そうし皇子」

「まさか、こんな田舎の宿で素性がばれるとは思わなかったな……」

「やはり皇子でしたか。しかし夜叉やしゃ一族の皇位継承者たる方が、なぜそのようなお召し物を?」

「わたしは……生まれながらに心と体が別の性別なの」


 ……性同一性障害、か。聞いたことはある。

 男性の体で生まれてきたのに、女性の心を持ってる状態。身体からだと人格の不一致という心の病だ。いや、それを病だと言ってしまうこと自体、なにか違うように思える。とにかく、おれにとって心と体が別の性別なんて、想像もつかないことだった。


「夜叉族は長く男系の皇位継承者に恵まれなかったの。そんななか、ようやく生まれた男系の皇子が、実は女性になりたいだなんて、それこそ笑いぐさでしょ。だから、いっそのこと、わたしがいなくなれば、一族に汚点が残ることもないと思ったの。わたしは、誰にも知られることがないようにこっそりと家を出て、女性冒険者としてダンジョンに潜った。そこで朱姫しゅきに出会ったの。お互い似たような境遇だったから、すぐに意気投合して、それからは一緒に旅してる。もっとも、朱姫しゅきは最初のころはもっとおしとやかな格好だったけどね」

「つまり、朱姫しゅき様のいう男のためというのは、蓮華れんげ様のためですね。蓮華れんげ様と同じような格好をしていれば、女性のペアだと思いよもや蓮華れんげ様が男性だとは気づきませんから、素性がばれることもない。もしかしたら、パーティの男性がよく変わる、というのも蓮華れんげ様の素性がばれそうになる前に、パーティを解散しているのではございませんか?」


 タオの真剣な眼差しに射抜かれたふたりは、顔を見合わせ、タオにむけて静かにうなずいた。

 なんと、この二人にはそんな秘密があったとは。それを、思い込みとはいえ、二人のことを少しでも蔑んでしまったことを、深く反省した。


「おふたりのこと、とてもよくわかりました。ですが、やはりこの宿では、おふたり以外のお客様もお見えです。どうでしょう、私から提案があるのですが…」


 そういうとタオはテーブルの上に身を乗り出して、二人にむかってその柔らかな笑顔を差し向けた。




 翌朝、タオとともに食堂に現れた朱姫しゅき蓮華れんげに、その場にいた誰もが振り向いた。それは昨日までの奇異なものを見る目でも、俗的な物への好奇の目でもない。ため息の出るような羨望の眼差しだった。


 朱姫しゅきはシンプルな白の単衣ひとえに胸の下から足首まである朱色のはかまを、一方の蓮華れんげは宵闇のように深い黒の単衣ひとえに紺色のはかまと透け感のある白い狩衣かりぎぬをまとっていた。


 この衣装はタオが以前宮仕えをしていたときに、朱姫しゅきの住む倭国から贈答品として受け取った伝統衣装を、宿での部屋着に二人にプレゼントしたものだ。


「私には勿体なくて着る機会がありませんでしたが、さすがは東倭国とうわのくにのお姫様、皇子様ですね。朱姫しゅき様も蓮華れんげ様も大変お似合いです」


 二人は満更でもなさそうにお互いの姿を見て、「全然似合ってないよね!」と楽し気に笑いあった。

 タオは二人の前に立ってまぶしそうにその萌黄色の目を細めると、歌うような優しい声で蓮華れんげにいった。


蓮華れんげ様。差し出がましいことですが、大切な女性の側に寄り添い、お守りされていらっしゃるあなた様はすでに男性としての品格を立派に備えていると思います。誰もあなたのことを笑ったりできる者など、いるはずもございません」


 驚いて頬を真っ赤に染めた蓮華れんげだったが、口の中でちいさく「ありがとう」とつぶやくと朱姫しゅきとともに朝食の席に着いた。


 おれはこれまで、宿屋の人間が客人のプライベートに立ち入ることはご法度だと思っていた。しかし、こうやって相手の話をよく聞くことで初めて、相手とわかり合えることもあるのだと、今回ばかりはタオに教えられた。


 彼女らは出発チェックアウトの時にはいつもの格好に戻っていたが、次にここに来るときまで、部屋着を預けておくといって、再びタオにその衣装を差し出した。


「はい、またのお越しを心よりお待ちしています!」


 タオはとびきりの笑顔でその奇妙な格好をした若いを見送った。


 ちなみにふたりが連れてきた細マッチョはただ酒を浴びるほど飲んで酔いつぶれ、呆れ返った朱姫しゅきたちに置いて行かれたため、ゴリゴリマッチョの警備隊ギルドガードたちに担ぎ出されていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る