第2話 いつも通りという男
おれは海洋ダンジョン「アマンデイ」で小さな宿屋の主人をやっている。
ダンジョンというのは、あんたたちが住んでいる
このダンジョンの成り立ちには諸説あるが、強大な魔力をもった魔導士がその魔力を制御しきれずに、あふれ出した魔力によって生み出された魔法空間だといわれている。制御する者を失った強大な魔力は、ダンジョン世界を拡張し続け、やがて
さて、その魔獣の中でも魔力・知力・体力がずば抜けてが高く、それでいて、その存在そのものの全容が解明されていないモンスターを、ダンジョンでは『
この海洋ダンジョンのアマンデイにも数種の幻獣が存在する。
代表的な幻獣はクラーケンとアーケロンだ。
クラーケンは全長が舟よりも大きなイカのようなモンスターで、かつてはこの海の主としてすべての魔獣の頂点に君臨していた存在だ。航行する舟を襲い、人に危害を与えていたため、数十年前にアナコムによって討伐・捕獲ミッションが設定され無事捕獲・隔離に成功している。
他方、アーケロンと呼ばれる巨大なウミガメ形の幻獣は、クラーケンと異なり温厚な性格で、人を襲うことはなく、今ではモンスターでありながら、クジラやマンタといった海洋性の大型生物と同じ中立性巨大生物して分類されている。最近では見学ツアーなどが組まれ、幻獣であるアーケロンの姿を一目見ようとわざわざアマンデイまでやってくる冒険者までいるほどだ。
もっとも、これもアナコムがミッションにより幻獣のの生態やダンジョンの謎を解明し、幻だったレアモンスターに「会いに行ける」ようになったため。おかげで、冒険へのハードルが引き下げられ、近年の冒険ブームに火が付いたのは間違いないだろう。要するに、冒険と観光との線引きが曖昧になっているわけだ。
おれの宿屋に多くの冒険者がやってくるようになったのも、そういう理由からだ。
――ヒーヒョロロロ…
おれの事務所に
この赤いカワセミのようなやつは、魔術の力に反応して喋り出すという不思議な鳥形の
魔法を発動させこいつに話しかけると、その声を魔術で変換し、同じネットワーク内の任意の
そして、その魔法を受けた側の
こいつも元はアナコムの魔獣捕獲ミッションによって発見されたモンスターで、今ではダンジョン内の通信手段として不可欠だ。最近ではさら小型の個体が発見され、持ち運びしやすくなったため、
「はい、こちらアマンデイの宿屋です」
おれは
「ああ、どうもご主人。マクレーンです」
「マクレーン様、いつもありがとうございます」
いつものように丁寧な挨拶をする。挨拶はコミュニケーションの基本だ。
このマクレーン氏は常連客の一人だが、驚くなかれ。魔獣捕獲ミッションの老舗「アナコム」創始者のご子息である。
ダンジョン冒険ブームの火付け役であるアナコムには、冒険者の七割が登録をしているのだから、この世界における最大手ギルドといえる。
ちなみに、そのギルドの創始者である彼の父は、今はギルドの代表を引退し長男にその地位を譲っている。
それでこの次男のマクレーン氏はというと、どうも生まれついての風来坊らしく、ギルド経営ではなく、世界各地のダンジョンを冒険している。彼が普段、どういった生活をし、どうやって収入を得ているのか、詳しいことは謎に包まれているが、彼のジョブランクである「SSSランクの商人」に出会ったのは、後にも先にもマクレーン氏ただ一人だけだ。
歩けば金が落ちるといわれる「SSSランクの商人」のマクレーン氏は当然のことながら上客であり、マナーの悪い客ではない。
だが、すこし困った人であることも事実だ。
「またそちらに一週間ほどご厄介になりたいのですが」
「それはありがとうございます。それでいつご到着の予定でしょう?」
「そうだね、来週の空いてる日があれば教えてもらえるかな」
おれは予約台帳を素早くめくり来週の予定を検索する。この週ならば、
おれは空室状況の横を指でなぞりながらいう。
「では、来週でしたら十六日、
「水の暦か、うんうん。じゃあ、いつも通りでお願いできる?」
「かしこまりました。では十六日からの六泊で、お泊りのメンバーはたしか男性三名と女性二名でしたよね?」
常連客の情報は当然おれの頭の中に入っている。過去の宿帳を見るまでもない。
しかし、このマクレーン氏。いいとこのボンボン……いや、高貴な生まれであるためか、どこか我々平民とは感覚がずれているところがある。それこそが、彼の少し困ったところでもあるのだ。
「あ、そうね。今は四人? 四人だったかな? うん、女性は一人いる」
実はこのマクレーン氏。過去を振り返らない性格なのか、それとも多忙すぎて記憶が混在しているのかはわからないが、「いつも通り」という言葉がいつも通りであったためしは一度もない。
ある時はパーティのメンバーが変わり、ある時は宿泊日数が変わり、またある時は手配する食事内容が変わる。いつも通りといわれて、「前回と同じ」手配をかけるとこっちが痛い目を見てしまう。
そうであるから、おれはいつも通りといわれても、必ず予約内容を確認するようにしている。それも極力、それとなく聞き出すようにしているので、結構気を遣う。
それでも、この男の温和でおっとりとした性格のせいか、はたまたやや小太り体型で飄々とした風来坊然とした気息をまとっているせいなのかはわからないが、どこか憎めないのも事実なのだ。
かつて、世界中を冒険し、未開の地へも踏み入って、未知の原住民族や魔獣族との交流を果たし、様々な武勇伝を残していた伝説の勇者、「フジオ・カヒロッシ」の若いころに似ていて、それがまたどことなく彼の大物ぶりをにおわせる。
おまけに金払いはすこぶる良く、このうだつのあがらないおんぼろ宿が、超大手ギルドの息子である彼に文句をいわれたことは一度もない。
いや、ただ一度。一度だけ彼が顔を紅潮させて憤慨したことがあった。
マクレーン氏はいつも美しい白馬に乗ってこの宿にやってくるのだが、その日は馬やらドラゴンやらでやってきた宿泊者が多く、マクレーン氏の宿泊する部屋は確保したものの、馬をつなぐ場所を確保できずに、少し離れた知り合いの店の前に場所を借りたのだ。
場所は確保したのだから、大丈夫だろうと高を括っていたのだが、彼はその少し離れた場所が不満だったようで、普段の柔和な表情からは想像もつかないような鬼の形相で、なぜ馬を置けないのかと問い詰められた。
そういわれてもないものはないのだ。すでに先約があるものを、あとの予約に譲るわけにはいかない。それをいくら説明しても、マクレーン氏はちっとも納得してくれない。なぜ馬が置けないのだ、の一点張りで話がすすまない。
結局、その騒ぎを見た他の宿泊客が、場所を譲ってくれて事なきをえたのだが、その一件依頼、おれは宿に来る客には馬などを使うのかを確認し、台帳に記入して場所を確保できるかを調べることを忘れないようにしている。
マクレーン氏からの予約があれば、空室はもちろん、馬をつなげるかどうかも忘れずに確認するし、夕食の好みや食べたいものがあるかも確認する。
来週の予約状況は
「それでは、マクレーン様。来週の十六日、水の暦からの六泊、男性三名様と女性一名様のお部屋をお取りします。ご夕食は肉と魚を交互に、さらに西洋と東洋も日替わりでご用意しましょう」
「そうだね、うん。そうしましょう。それじゃあ、よろしく」
そういって、おれは
そう、マクレーン氏の「いつも通り」とは、「前回と同じように」することではない。
「いつもしている通りに、細やかな気配りをせよ」
という、注文の省略である。
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