宿屋の主人だが最近の勇者はマナーが悪い

麓清

第1話 最近の勇者ときたら……

「いってらっしゃいませ、よい旅を」


 扉を開け、慇懃に挨拶をして二人組の冒険者を見送る。扉の外は清々しいまでの快晴。たったこれだけのことで、なんだかこっちまでいいことがあるような晴々とした気分になる。

「ありがとう、また来るよ」

 ふたたび果て無い過酷な旅を続けるだろうに、穏やかな笑顔を置き土産に冒険者たちは旅立っていった。


 おれは海洋世界のダンジョン「アマンデイ」で宿屋を営んでいる、一般的にいう「宿屋のオヤジ」だ。

 人はおれのことを「宿屋の主人」とか「オヤジ」とか「旦那」とか「支配人」とか好き勝手に呼んでいる。名前? まぁ、適当にオヤジと呼んでいただいて結構。ここのところ固有名詞で呼ばれたことがないからな。


 これまで馴染みの客でのんびりやってきていたので、ここで働いているのは主人であるおれと従業員のサツキ、そしてあとは料理長の三人だけという、うだつのあがらないの小さな宿だ。

 ところがどうだ。

 最近は降って湧いたような冒険ブームのおかげで、ここ一年ほど休みなしだ。宿屋の主人にこそ休息が必要とか、どんな皮肉だよ、ちくしょう。


 ただ、そんな愚痴をこぼせば、宿の従業員のサツキに下等モンスターでも見るような、蔑んだ視線の火炎放射を浴びる羽目になる。

 愚痴ってる暇があったらきびきびと働け、といわんばかりだ。


 おれの方が主人なのに、だ。


 恐らくだが、サツキは目力だけでスライムやゴブリン程度はやれるはずだ。もしかしたら、伝説の幻獣レアモンスター「メデューサ」ともいい勝負をするかもしれない。そんなサツキに向かって「休ませてください」など、口が裂けてもいえるはずがない。


 おれの方が主人なのに、だ。


 くそっ、こんなブラック宿屋いつかやめてやる!!

 ……すまない。取り乱した。


 別に、この仕事が嫌いだとか、人間関係がどうとかという話ではない。おれも宿屋の仕事そのものは気に入っている。たくさんの冒険者がやってきてくれるのは宿にとっては喜ばしいことだし、いろんな人びととの出会いがあるのも、宿屋の醍醐味なのだ。

 今日も新たな出会いが待っている、そう思えばこの仕事の面白みだって違ってくる。

 とはいうものの……


「まずかったんだけど」


 カウンターで出発チェックアウトの手続きを進めようとしていたサツキに向かって、開口一番そう言い放った。

 もちろんおれが、ではない。客がだ。

 もとい、この男は実際のところは客ですらない。なぜならば、本来なら到着時に宿代としてこちらが受け取るべき星の銀貨五枚を、この男はまだ支払っていないからだ。

 そう、ここを訪れるすべての冒険者が必ずしも「いい客」というわけではないのも、また事実だ。招かれざる客、なんていえば大げさだけれど、とにかくこれだけ多くの冒険者が訪れると、時には迷惑な客もやってくる。とりわけ『勇者』と呼ばれる連中にはちょっと手を焼くことが多い。


「ええっと、何がでしょうか?」


 おれにはサツキの丁寧な口調の中にも刃のようにとんがった殺意を感じ取れるのだが、相手の男はまるで空気が読めないのか、成長不良のなすびのようなあごをしゃくらせて、カウンターに肘をついた。どうやら彼の中での威嚇のポーズらしい。「あぁん?」と妙な声を出してバシバシとカウンターを叩く。


「だーかーらー、まずかったんだよ、晩めしがっ!」

「それは残念なことです」

「残念なことです、じゃねーだるぉうが!」


 ろの発音で巻き舌を駆使して奴は大声をあげる。サツキは顔では営業用の穏やかな表情と、すまなさそうなハの字眉を取り繕ってはいるものの、カウンターの下ではぶっとい血管を浮き上がらせて、男がこの宿に到着した時に書いた宿帳を握りつぶしている。


 馴染みの客で細々とやっていたときにはこういう問題は起こらなかった。それが、冒険者が増えたせいで、タチの悪い客が紛れ込むことが以前と比べて格段に多くなった。

 ああ、面倒くさいと思いながらも、下手すりゃ死人が出る(もちろん相手のほうに)と踏んで、おれがそれとなく二人の間に立って仲裁に入る。


「どうかされましたか?」


 サツキが目から殺人ビームを照射するまえに、おれはサツキと客の間に割り込んで、やつの視線をこちらに誘導させた。サツキは仕事の手際はいいし、判断力も高い非常に優秀なスタッフだが、すぐに感情が顔に出てしまう悪い癖がある。感情的な相手にはこちらは一歩引いて冷静に対応が鉄則だ。

 男は相変わらず、肩をいからせながら、何度もカウンターをガンガンとたたく。痛くないのだろうか?


「どーもこーもねーよ。てめー、この宿じゃあ勇者様に豚のエサでもよこすってのか?」

「滅相もない。私どもの料理長シェフが腕によりをかけたお料理をお出ししております」

「その料理がまずいっつてんの! わかる? お客様を満足させられない料理出しておいて、不快な気持ちにさせてるってわかってんの?」


 よくもまあ、こんなに好き放題いってくれるものである。


「それは失礼しました。ですが、まずい、とおっしゃられても、味覚については人それぞれですし、そもそもあなたがまずいとおっしゃる料理、他の方はおいしいといって召し上がってくださいました」

「おい、てめー。俺様を誰だと思っているんだ?」

「ギルドコードは93153、ジョブランクAの勇者、アレス様でいらっしゃいます」


 宿帳に記載されている情報をそらんじる。

 ギルドコードというのは、冒険者ごとに割り当てられている識別番号のようなもので、所属するギルドが発行するギルドカードに番号が刻印されている。このカードには魔力が封じられていて、様々な冒険の記録が記されている。現在ではこのカードがなければ、ダンジョンに通じる魔導関ゲートを超えることさえできない、冒険者の必携アイテムだ。


「おうよ、俺様はAランクの勇者なわけだよ、Aランクの! いいか、Aランクっつーのはな、ダンジョン最深部の魔獣討伐にも参加できる、いわばダンジョン探索の救世主、エリートなわけだよ」


 この自称『勇者』様はひん曲がったあごとをしゃくらせて、傲慢な態度でいった。

 ちなみに、この『勇者』という職業。一見すると凄い職業に見える。まるで魔王から世界の危機を救ったかのような錯覚さえ覚えるが、実情はちょっと違う。

 かつて、外界そとのせかいでこのダンジョンが初めて発見されたとき、王国はこの未知の世界を「災いの前兆だ」と恐れ、このダンジョンの正体を探るべく、世界中から命知らずの冒険者たちを集めた。そして国王は彼らに『勇者』の称号を授け、突如として現れたこのダンジョンの探索のために次々と勇者を向かわせたという。

 それから百年以上の時がたち、ダンジョンの謎も少しずつ明らかになってきた。今では各地に『ギルド』と呼ばれるダンジョン管理組織が発足し、広大なダンジョン探索のために世界中から冒険者を募っている。


 ダンジョン探査のためには様々な能力スキルが必要になってくる。冒険者たちはその能力スキルが一目見てわかるように、ギルドが設定する職業ジョブを選択する。

 力自慢で戦闘力が高いやつは戦士、頭が良く魔導力を自在に操れるなら魔導士といった具合だ。

 勇者という職業は、かつてダンジョン探索に向かった者たちのことを指すもので、ギルドとしては「とりあえず、ダンジョンに潜る奴は全部勇者でよくね?」くらいの位置づけのもので、裏を返せばどのスキルにも取りたてて突出したものがない平凡なヤツが、過去の勇者たちの威光にすがって名乗っているだけの場合が多い。まったく、名前負けもいいところだ。


 くわえて、冒険者ランクというのは、その職業ジョブの成熟度をあらわし、高いランク程、より高難度のミッションに参加する資格を得ることができるもので、確かにやつのいうようにAランクは最深部の魔獣討伐ミッションに参加できるが、裏を返せば、こいつ自身は一度も討伐に成功していないということになる。なぜなら、魔獣討伐ミッションに成功すればSランクが与えられるからだ。

 要するに、この勇者様。口だけのでくの坊である。


「いいか、俺様は世界を守る勇者様なわけ。その勇者様にくそまずい飯食わせて、おれが病気にでもなったらどうすんの? 世界滅んじゃうよ? えぇ? 世界滅んじゃっていいとか思ってるわけ?」


 お前が病気で死んだくらいで、世界が滅ぶわけがない。と、思いつつも「滅相もありません」なんていっちゃうあたり、おれも大人だなあ。

 まあ、こういう態度をとっている時点で、何かを企んでいるのは間違いない。この男は本来前払いのはずの宿賃を出発時に支払うといい、挙句の果てに食事代や飲み代までも部屋付けにして、まだ一枚の銅貨すらも宿に払っていないのだ。

 断言しよう。

 これはもう、完全に宿代を踏み倒す気マンマンだ。


「だいたい、さっきからあんたら、俺に一度も謝ってねぇじゃねーか! おい、馬鹿にしてんのか? 誠意を見せろっつってんだよ、誠意だよ!」


 ガツンと大きな音を立てて拳でカウンターを叩きながら、男はいきり立った。そのなすび顔が茹蛸のように真っ赤になり、今にもこめかみあたりから、ピーッと音を立てて勢いよく湯気を噴出しそうだ。

 この男のいう「誠意」というのは、懇切丁寧に謝ることを指しているわけではない。それは、明確だ。


「では、お客様のいい分としては、私どもの宿のサービスが不満である。そしてそれに対して『謝罪』と『賠償』を要求する、ということでしょうか?」

「なんだ、わかってんじゃねーか。さっさとしろ、俺は忙しいんだ」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」


 おれはサツキの腕をつかみ事務所の中に連れ戻ると、彼女の耳元で、この男を応接室に通すように、と小声で告げる。サツキは一瞬不満な顔をしたが、おれが謝罪するからというと、

「こっちへどーぞー」

 と、あからさまに不承不承、といったふうに、彼を事務所横の窓のない応接室に案内した。それを見て俺はため息をつく。また機嫌が顔に出ている。


 さて。奴を応接室に「閉じ込め」てから数分後、ふたたびおれはこのなすの生霊のような男と対峙した。しかし何度見ても変な顔だ。よくこんなふうに成長したものだ。つい特徴的なあごに目がいってしまうが、よく見れば目は落ちくぼんでその瞳は干しブドウのように潤いがなく、頭髪は長く伸ばしているものの、痛んで細く縮れて頭頂部の砂漠化が著しい。暗い森の中で出会えば、グールとかのアンデッドタイプのモンスターと間違いかねない。


「おう、それでどーすんだよ、オヤジよぅ」


 ぐいっとおおきなあごをしゃくらせて威嚇をしてくる。巨大なくちばしを持つ鳥型モンスターも、相手を威嚇するときにそのくちばしを高くかかげると聞いたことがある。同じことなのか? うん、こりゃあ完全にモンスターだな。モンスターはモンスターでもモンスタークレーマーだが。

 いやいや、今はしょうもないことを考えているときではない、と雑念を振り払い、おれは丁寧な口調で奴に告げる。


「今回の件について料理長シェフがアレス様に直接謝罪をしたい、と申しておりましたので、まもなくこちらに参ります」

「おう、そうか」


 満足そうな笑みを浮かべた男だったが、その顔はすぐに不安にゆがんだ。

 どすんどすんと重量物を床にたたきつけるような音が響き、館内が揺れて天井がミシミシと音を立てはじめたのだ。


「な、なんだ? 地震か?」


 動揺する男に次なる衝撃が走った。

 応接室の扉を開けて入ってきたのは、おれやこの男の倍ほどもある大男だった。

 丸太のように盛り上がった筋肉、正面から押しつぶしたような顔面。口許には上向きに反った鋭い牙。黄金色の虹彩を切り裂くような、縦一文字の瞳孔。まるで巨大な獣のようなこの男が、オーク族との交雑種族ハーフであるこの宿の料理長シェフ、ダンカンだ。


 ダンカンの蛇のような瞳がギョロリと動いて、Aランクの勇者様をとらえた。なすび男はその巨大なあごをガタガタ震わせている。さらに、ずいっと体を応接室のなかにねじ込むと、ダンカンが唸り声のような低い声で男に向かっていった吼えた


「ごのだびは、わだぐじの料理によっで、お客様ぎゃぐざま滞在だいざいに、大変だいへんなご不満を、あだえでじまいまじで、まごどに、申じわげございまぜん」


 低音のディストーションの効いた言葉の音節ごとにぐおうぐおうと息が漏れる。窓のない部屋の壁に、ダンカンの声が反響して、二重三重になって聞こえる。


「もぢろん、お客様ぎゃぐざまにはお料理代金だいぎんを、いだだぐわげには、いぎまぜんから、どうぞお代は結構けっごうでございますが、後学ごうがぐのだめにも、わだぐじの料理の、何がどうまずがっだのがを、具体的ぐだいでぎに、ぐわじぐ、おがぜ願えまぜんでしょうが」


 ダンカンはじわじわと距離を詰める。この応接室には窓がなく、入り口からダンカンが入ってくると逃げ場は、ない。

 実は彼も元々は冒険者だったのだが、このダンジョンが気に入ったらしく、かれこれ十年ほどここで料理人として働いてもらっている。

 彼を料理長として雇っているのは、料理の腕が確かなこともあるが、なによりもその剛腕でダンジョンに生息する野獣を素手で仕留めることができるため、新鮮な肉の調達に一切困らないのだ。

 しかも、見た目とは裏腹で彼の考案する様々なジビエ料理は、ワイルドさと繊細さを兼ね備えたこの宿の名物料理になっていて、実際に彼の料理のファンも多い。ジビエを口にしたことがない者からすれば、未知の味との遭遇となることもあろうが、少なくとも、これまでに料理がまずかったという類のクレームはほとんど耳にしたことはない。

 結局、なすびの化身であるこの勇者様は応接室の壁によりかかり、カニのように泡を吹いて気絶していた。


 実はこういうことは他の宿屋でも少なくない。

 他の客の目にもつきやすいフロントでもめ事を起こし、ことを荒立てられる前に穏便にすまそうとする宿の主人につけこんで、宿代を支払わずに出ていく奴や、さらにひどいのになると、しれっと消えていなくなる奴までいる。

 おれたちはそういうやつらを「逃げ屋スキッパー」と呼ぶ。

 だが、今回はばかりはゆすりネタとその相手が悪かったようだ。ダンカンは現役時代であれば、何度となく魔獣討伐ミッションをクリアしてきたSランクの獣戦士バーサーカーなのだ。


 ちなみに、サツキはダンカンの巨体のせいで応接室の中が見えなかったといって、おれに文句をいってきた。サツキにも勇者様が恐怖で白目向いて失神するさまを見せてやりたかったが、さすがにあの狭い空間にダンカンとおれとが入ればサツキのいる場所はないからな。


 男は失神しているところを警備隊ギルドガードに取り押さえられた。警備隊ギルドガードはアマンデイを管理しているギルドの職員で、ダンジョンの秩序のために、日夜働いているのだ。敬礼。


 後々に気づいたことだが、この勇者様。宿屋仲間の中で出回っているアンディザイアブル・ゲスト招かれざる客の一覧に掲載されていた。それを見落としたのは、チェックインをしたサツキのミスだが、おれはなんとなくそんな気がしていた。ギルドコードが奴を「クサイゴミ93153」だと教えてくれていたからな。

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