2 ジュベール、本気出す

 僕とハルカはジュベール伯爵の部屋にいた。

 例によってモニターとキーボードに囲まれて、伯爵は「けけけ」と笑っている。


「けっきょく、おいらが頼りかい?」

 ジュベールがえらそうにいう。しかし、じっさいそうだからしょうがない。


「いばるなよ、ジュベール。のぞきを見逃してやってるんだから、それくらいとうぜんだ」

 ハルカはジュベールに遠慮がない。


「けけけ、勝手に人の夢に出入りするおまえらだって大差ないと思うがな」

「ふん、勝手にいってろ。それはそうと満里奈の夢は見張ってるだろうね?」

「もちろんだ。おいらの分身を置いといた。なにかあったらすぐに連絡が入る」

 つまり例のコウモリだろう。

 もっともきのうのきょうで、ちんぷんカンガルー一族が満里奈の夢に出る可能性は低い。


「じゃあ、さっさと探せよ。めぼしい夢を」

「そこまで期待されちゃしょうがない」

 いや、むしろ動きが悪いから、ハルカはケツ引っぱたいてるんじゃないのか?


「ひさびさに本気出すかよ。あ~らよっと」

 ジュベールが両手を両サイドに広げると、それにともないモニターが左右にどんと増え、キーボードも長くなった。もはやパソコン用のキーボードじゃなく、楽器のキーボードになっていた。早い話がピアノだ。


「けけけ、いくぜ」

 ジュベールは、ほとんど骨だけの指をぱきぱきと鳴らすと、鍵盤の上に乗せた。


 やわらかなタッチで曲が流れる。

 この薄気味悪い変人が奏でているとは思えないほどすばらしい曲だった。


 ジュベールのまわりを小鳥や蝶が舞い踊っているように感じる。

 じっさいまわりを飛んでいるのはコウモリだけどな。


 ジュベールの指が、心地よいリズムを刻めば、まわりのモニターも躍る。中に映っている夢も小刻みに映像を変えた。

 そのうち僕はモニターに集められた夢と、曲が同調していることに気づいた。

 つまり激しいリズムを刻むときは、夢もハードな展開を。

 ゆったりとした流れになれば、夢ものんびりしたものに。

 他にもなにか法則があるのかもしれないけど、ジュベールは考えながら調子を変え、モニターに集まる夢を選択している。

 そして曲を奏でながら、目ではそれをチェックして、必要に応じて曲調を変えているにちがいない。


 こいつって、けっこうすごいやつなんじゃ?

 僕ははじめてジュベールに感心した。


 曲がはずむ。

 モニターの中の夢もはずむ。

 超絶早弾き。

 モニターの中の景色も飛ぶように流れた。


 ま、まさか……。

 ジュベールは曲にあった夢を集めてるだけじゃなくて……。


「曲で夢の内容を誘導しているのか?」

「そうさ。これがジュベールの特技。他の夢情報屋には逆立ちしたってできない技さ」

「けけけ、ようやくわかったのか、おいらのすごさが」


 ほんとかよっ!

 こいつは、ほんとうにそんなことができるのか?


「けけけけけけけけけけ」

 ジュベールの指が跳ねる。

 異様に興奮しているのが端から見てよくわかった。

 いつのまにか、背中の羽根が目いっぱい広がり、ばたばたと羽ばたいていた。

 バーン。

 両手を鍵盤にたたき付けたあと、一瞬の静寂。

 曲調ががらりと変わった。

 しずかで美しい音色が、ゆっくりと流れていく。


「小川のせせらぎのようでいて、風にそよぐ葉のようでもある」

 ハルカのポエムがはじまった。

「春の風のようでいて、同時に夏の日ざしにも似ている」

 だけどなぜか僕もそれに同調した。まったく違和感がない。


 画面に映し出された映像も、それにあわせて変わっていく。

 海。それもまるで鏡のように凪いだ海。

 風もなく、雲もほとんどなく、ただ暴力的な日ざしが海の中を照らしている。

 海面のすぐ下にはサンゴ礁。それが水没した島のようにまとまっている。

 潜るまでもなく、そこには無数の色とりどりの熱帯魚たちが乱舞していた。


「けけけ、最高の舞台を作ってやったぜ。こい。さあこい、カンガルー野郎」

 ジュベールに誘導されて作られた夢。いったいこれは誰の夢なんだ?

 といっても、なぜかそれは夢情報屋にすらわからないことらしい。夢の中に本人が出ない限りは。


「やつが海に執着しているのはまちがいない」

 ジュベールは断言した。


 いわれてみれば、僕が盗まれそうになったのは海の夢。今モニターに映し出されているものとよく似ている。さらに、満里奈の夢は、海底の人魚姫。


「いや、だけど、満里奈が最初にうばわれたのは、たしか『妖精の王国』じゃ?」

「そうさ。妖精の王国は森の中。だがそこには大きな湖がある。さらにはそれは水中の洞窟で海とつながっているっていう設定だ」

 って、それはおまえだけが知ってる情報だろうが! 前もって教えろよっ!


「けけけ、恨めしい顔でみるなよ。おいらにとって情報はなにより大事なのさ。てめえなんぞにただで教えるのはめったにないってことよ」

 こんな憎まれ口をたたきながらも、その指は華麗な曲を奏で続けているのだから、いったいどんな頭をしてるんだか。


「おっと、集中集中。ぜったいはめてやるぜ、カンガルー野郎」

 ジュベールは自分の誘導についてきたただひとつの夢に絞ったらしく、いつのまにかいくつもあったモニターは消え失せ、逆に残ったひとつはやけに大きくなっていた。


「人がいる」

 ハルカの声につられてモニターを見つめると、たしかに人がいた。小さくて見えにくかったが、鏡のような海面を跳びはねて、こちらに向かってくる。

 そう、それはたとえでもなんでもなく、そのビキニ姿の少女は、海を泳ぐでも潜るでもなく、跳びはねているのだ。どういうわけか、足が海面より下がることはない。


 まさしく無邪気に海を楽しんでいる。

 その少女が、顔がわかるところまでやってきたとき、僕はあぜんとした。

 その子は橘今日子だったのだ。

 ま、まさか……。

 その姿は、前回リゾートのプールでつまらなそうにしていた彼女の姿とは思えなかった。

 こっちがほんとうの橘今日子なんだろうか?

 だとすれば、なにか彼女に悪いことをいった気がする。ほんとうの橘今日子は、きっと海が大好きなんだ。


「来る。きっと来る。ちんぷんカンガルー一族はきっと来る」

「だろ? おまえでもそう思うよな? けけけ」

「ハルカ、行こう。橘今日子の夢に入ろう」

「ちょっと待て。同調する」

 ハルカは僕と手をつなぐと、目をつぶって指を額にあてた。


「早く」

「あせらすな、Yジロー」

 僕は、モニターを食い入るように見つめる。


「来た!」

「え?」

 真っ平らだった水面が盛り上がった。そこから現れたのが、例のカンガルーとコアラと女の子。

 ざばあっと海面に飛びだすと、あとは橘同様に、水面をまるで地面のように跳びはねる。


「けけけ、釣れた。釣れたぜ」

「同調完了。行くぞ、Yジロー」


 次の瞬間、僕らは真っ暗闇のトンネルにいる。夢から夢への通路だ。

 出口の白い光が見えた。

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