4 この夢は盗む価値がない

 ざばーん。

 僕らはいつのまにか水の中にいた。どうやら橘今日子の夢のプールの中らしい。

 水面に上がろうとしたら、ハルカに腕をつかまれた。


「水着に着替えよう」

 ハルカは水中でそういうと、あっという間に例のコスチュームをワンピースの水着に変えた。さすが夢の中、なんでもありだ。


 それにならって、着ているものを海パン一丁にイメージすると、かんたんにそうなった。

 そこでようやく僕らは水面に顔を出す。

 夢の中の住人たちは、誰も僕らに興味を示さなかった。もちろん、それは周囲に溶け込もうというハルカの気づかいなのだろう。さすがに忍者と探偵がリゾートのプールにとつぜん現れれば、それなりに目立つ。夢怪盗を待ち伏せするのだから、目立っては困るのだ。

 ハルカはすいーっとプールサイドまで泳ぐと、さっさと上がった。僕もそれに続く。


「あら、ジロー君じゃないの」

 めざとく僕を見つけたのは橘今日子だった。ハルカは顔つきや体つきからして変わっているのでわからないらしい。


「なんでこんなところにいるの?」

 それはリゾートのプールに僕がいることが似つかわしくないという意味か、それとも、なんであたしの夢の中にあんたなんかがいるのという意味か?


「遊びに来てるに決まってるだろ?」

「遊びに? あんたが? ここへ?」


 心底驚いた顔をする。なにげに失礼なやつだな。

 橘の頭の中の設定では、いったいここはどこなんだろう?

 たぶん、一般庶民はめったに来れない海外リゾートホテルかなんかなんだろう。

 そんなところに僕がいて悪かったな。


「で、この子は? まさか、ガールフレンド?」

 僕になんかこれっぽっちも興味なんかないくせに、楽しそうに聞いてくる。たぶん、僕が不釣り合いな美少女を連れていることにこっこみたくてたまらないんだろう。


「ただの友達だよ」

「ただの友達とこんなところへ?」

 いわれてみればそうだ。市民プールとはわけがちがう。


「そんな大げさに構えることないよ。いつでもこれるしね、こんなところ」

 ハルカが橘を挑発する。なにげに橘の高慢さに腹を立てているらしい。


 案の定、橘の顔は見る見る不機嫌そうになった。

「生意気!」

「まあ、まあ、まあ」

 しょうがなく、僕は仲裁に入った。


「ところでさあ、橘さん。君はこういうところにしょっちゅう来てるの?」

「とうぜんよ」

 橘はつんと高い鼻を上に向けた。


「たとえばどんなところ? 海とか湖とか? それとも山?」

「海が多いわね」


 そういえばそうだった。橘は海外リゾートでもきれいな海があるところがお気に入りだ。そんなところにしょっちゅう行けて、ほんとにうらやましい。


「あら、海といってもそこらの海水浴場を想像してちゃだめよ。真っ白な砂地のビーチで優雅に横になってゆったりと過ごすのよ。きれいな海をながめながらね」


 泳がないのかよっ。


「あら、ひょっとして今、海に来て泳がないのかと思った? お金持ちはそんなことしないの」

「なんで?」

「知らないの? 疲れるから」


 じゃあ、来んなよっ!


「なにもしないのが贅沢なの」

 家で寝てろっ!


「貧乏人にはわからないわね」

 わかってたまるか!


 こいつはほんとに海が好きなのか?

 話を聞いてみて、ふとそう感じた。はっきりいって僕は海が大好きだ。きれいな海にいるとそれだけで気分が盛り上がってくる。青空に太陽が輝いていると、それだけで幸せになる。もちろん泳がずにはいられない。マスク越しに海の中の熱帯魚やサンゴを見るのがたまらない。

 水面から見てるだけでは飽きたらず、潜りたくなってしまう。ただ今の僕にそんな技術はない。

 だから夢の中ではたまに海の中に潜る。それこそきれいな海のブルーとサンゴや魚の赤や黄色、オレンジといった原色にあふれた光り輝く海に。


 それを盗まれそうになった。そんなことはぜったいに嫌だ。

 橘はどうなんだろう? ただ金持ちのポーズでここにいるだけじゃないのか? だったら、この夢を盗まれたところでどうってことないだろうな。


「ハルカ、戻らないか」

「どうして?」

「ここには来ない気がする」

「だからなぜさ?」

「この夢は盗む価値がない。そんな気がする」

「なんですって?」

 話を聞いていた橘が叫ぶ。


「じゃあ聞くけど、今見ている夢が二度と見れなくなって、思い出すこともできなくなったとして、君なにか困る?」

「なんですって?」

「あるいはすごく悲しいとか、悔しいとか思う。はっきりいって、どうでもいいんじゃないの?」

「たしかにそうだな。プールサイドでまったりしてるだけだし」

 ハルカもうなずいた。


「なんなのよ、あんたたちふたりは? ええ、たしかにあたしにとってこんなリゾートのプールサイドなんてどうでもいいわ。もっとゴージャスなところへいくらでもいってるしね」

 橘は胸をはったが、強がっているようにしか見えなかった。


「現実の世界で疲れきっている人には、こういうところでリラックスするのも楽しみなんだろうけど、夢の中で行く意味はあまりないと思う。すくなくともちんぷんカンガルー一族がほしがる夢じゃない。ちがうかい? ハルカ」

「ふふ、はじめて人の夢に入ったくせに、なかなか夢探偵ぶりが板に付いてるじゃないか」

「夢探偵? なんなのよ、ほんとうにあんたたちは?」

「じゃあ、よい夢を。誰にも渡したくないすてきな夢を見つけたらまた来るよ。行こう、Yジロー」

 ハルカは僕の手をつかむと、そのままプールの中に飛びこんだ。

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