それは神の御業に匹敵する-消失編弐-


 何も考えず、ただ、すがるように走った。


 家のドアを開けようとしたら鍵がかかっていた。そうだ、自分で鍵かけて出てきたんだった。手が震えて、鍵を差すのに二回ほど失敗して、三度目で開錠して乱雑にドアを開けて、二階の自室へと急ぐ。


 バンッ、と部屋のドアを開けて、部屋の隅から隅まで視線を走らせてみたものの、やっぱりと月日たんはいなかった。

 だから棚の上にしまってある妖精盤を取り出す。

 古めかしくて、なんだか良く分からない文字が彫ってある、それはいつもと同じようにほのかに暖かかった。

 もう、これに縋るしかない。

 使い方も、何も全く知らない。ただあの時と同じように奇跡が起こることを祈ることしかできない。

 なんだってする、俺の日常を返してくれ……! そのためなら、なんだってするから……!


「だから……、頼むよ……!」


 いつの間にかそれを抱きしめていた。

 ドクンっ、と何かが胎動した気がした。

 ドクンっ、と心臓が飛び跳ねた気がした。

 ドクンっ、と希望が見えたそんな気がした。

 気が付けば盤はあの時と同様に閃光を発した。

 それは俺にとって希望であり、奇跡そのものだ。


「んー? あれぇ? アタイの番はまだなんじゃないかー?」

「これは……、あら? 一体どういうことでしょう?」


 たぶん俺は泣いていた。


「シュウ……、どうしたんだ?」

「修一さん……? 何かあったのですか?」


 言わないといけない、と思ったのに俺の口はまともに動いてくれなくて、代わりに涙ばっかりあふれてくる始末だった。


「あら、そういえば……。貴女もしかすると、火日かしら?」

「そっ! アタイは火日たんだよっ! えぇっとみっきーだな!」

「はい、ワタクシ水日です」

「にしても、ミッキーはそんな感じだったんだなー? なんかイメージ通りだ!」

「火日もワタクシの思っていた通りの見た目ですよ」

「おぉ! 以心伝心だな!」

「違うと思いますが……」


 まともに受け答えできなくなっている俺のことはそっちのけで火日たんと水日たんはお互いに向き合って言葉を交わし始めた。


「な、なにが起こったんだ?」


 何とかそれだけ捻りだした。が、言いたいことはそれじゃないんだ。


「ワタクシたちにも分かりません。ですが、恐らく修一さんの想いに盤が呼応した結果かなと思いますわ」

「俺の想い?」

「そーだぞ! 聞こえたんだ、シュウの声が!」

「そ、そうなのか……! 早速で悪いんだけど、頼みがあるんだ……!」


 詳しいことは何も分からないけれど、それでも俺は一人じゃない。

 それだけで心強いものだった。


「何か起きたんですか?」


 心配そうな水日たんと不思議そうな火日たんに俺は今の状況を話す。

 朝から月日たんがいないこと。学校に行ったら誰一人として登校していなかったこと。町が妙に静かなこと。

 今俺が知っている限りの全てのことを洗いざらい話した。


「修一さんの両親方はいまどうなっていますか?」

「そりゃ、仕事に……?」


 行っているだろと思って、だけどそういえば玄関の靴箱には靴が入れっぱなしだったような気もした。


「寝室に乗り込んでみれば全部わかるだろー!」


 俺の言葉尻が切れたからかどうかは断定しかねるが、ともかく暴走しがちな火日たんがひゅーん、と俺の部屋から飛び出して行ってしまう。


「追いかけましょう、修一さん!」

「あっ、あぁ!」


 慌てて火日たんを追って両親の寝室へと踏み込んだ俺は、瞬きとそれから呼吸さえ忘れた。

 両親はいまだ眠っていたからだった。

 アレだけバタバタと騒いでいたのに、全く全然起きる気配もなさそうなのだ。

 近づく、近づく。ゆっくりと近づく。


「なぁ、みっきー? なんか変だぞ?」


 俺がベッドの横まで近づくと火日たんはそういって水日たんの横へと移動した。


「そう、ですね……。これは確かに変です」

「へ、変って何がだよ?」


 何も変なことなんてあるもんか……! だって二人は寝てるだけ……、なんだ!


「修一さん、落ち着いて聞いてくださいね。二人は呼吸してませんし、心臓も止まっています……」

「ハッ、な、何言って……? いや、違う、そんなウソだっ……!」


 俺は迷わず父さんの左胸に手を置いて、それで膝が崩れて尻餅をついてしまった。


「違うんです、修一さん。確かに呼吸もしていないし心臓も止まっています。ですけれど、お二人とも

「は?」


 酷く間抜けな声だと思う。だけど意味が分からなかった。


「だよな! やっぱり変だよな!」


 んー、と呻り火日たんは首を捻った。


「一体、どういう……?」


 理解が追い付かない。


「えぇとですね、修一さんはエーテルという概念はご存知ですか?」

「えっと、この間土日たんから聞いた……、見えない力場みたいなやつだよな? それより先に一つ確認したい」


 水日たんの問いかけに、俺はこの間の土日たんの話を思い出しながら答えて、だけれどそれよりも大事なことを知りたかった。


「修一さんの両親は間違いなく生きています。心臓は止まっていますし、呼吸もしていません。ですが、間違いなく生きています。保証します」

「そ、そっか。よかった……」


 水日たんが力強くうなずいてくれたので、俺は安堵の息を吐き出した。だけれど、まだなに一つだって、解消されてない。


「ここからは大事な、多分月日とも関係ある話になるのですが……、」

「分かった、取りあえず下に降りてそっちで話そう」


 立ち上がろうとしたら膝が笑ってしまっていて、中々立ち上がれなかった。や、仕方ないだろ、流石にパンチが強すぎた。


「火日」

「はーい」


 そんな俺を見かねたらしい水日たんが火日たんに声をかけて、揃って立ち上がるのを手伝ってくれた。ほんと、情っけねぇな……。


「ありがと、助かった」

「いえ、これもワタクシたちの役目ですわ」

「そーなのかー? まぁシュウが困ってたらアタイも助けてやるけどなー」


 気を抜くと生まれたての小鹿みたいになりそうな足を無理に動かしてリビングへと移動してきた。

 テーブルへと腰かけた俺は、状況を整理するために水日たんへと疑問を投げる。


「それで、今のこの状態と月日たんと何がどう関係があるんだ?」

「どこから説明しましょうか……?」

「全部教えてくれー、アタイもよく状況分かってないんだよー!」


 俺の問いに水日たんはうーんと考えて、火日たんは偉そうだった。


「それではまず今日という状態からですわね」


 静かに頷いた水日たんにつられて俺も首を軽く振った。火日たんは割と暢気そうだった。


「ほとんどがワタクシの推測、憶測の類になるので、確証があるとは言えないのですが……、恐らく今日という月曜日は眠っているような状態なのだと思いますわ」


 月曜日が眠っている……?


「そうですわね……、現状では修一さん以外のほとんどの人が月曜日を知覚出来なくなったと思っていただければ、差し支えないかと思います」

「そりゃー困ったな!」

「はい。なので月曜日がこのまま眠ったままだと一週間は六日になり、あるはずの月曜日は恐らく消えてなくなってしまいます。それがあの、生きているけど、心肺が停止している状態の真相かな、と思われますわ」


 月曜日が消失するのに伴って、人が月曜日を知覚出来なくなった、そのために死と見紛う状態の眠りに陥っているってことだろうか。


「なんとなくわかった……、それじゃ俺から質問するな。だとすると、俺が目覚めているのはおかしいわけだが、それは月日たんやみんなと関係があるから未だ認識疎外の支配下に入っていないと考えればいいのか?」

「えぇ、概ね間違いではないと思います」

「それじゃあ、詳しいことは置いておいて、とりあえずはいなくなった月日たんを探し出せばいい、そういうこと、か?」

「それは、断言出来ません」

「なんでだー?」


 眉間に寄せたしわを指で押さえながら水日たんは躊躇いがちに口を動かす。


「この状況は恐らく、月日自身が強い拒絶を抱いたから……、ではないかと思うのです」

「強い拒絶……?」


 とすると、俺はやっぱり何かしてしまったということなのか?


「ですけれど、先週の月日はいつも通りでした」

「そーだねー。変なところは……、いつもの変な感じ以外はなかったって、アタイも思うなー」


 それは、つまりどういうことなのだ?


「修一さん、昨日の夜日付の変更時刻付近で日日かっかと何か話していませんでしたか? それが原因、として一番可能性が高いんじゃないかと、思います」

「昨日の、日日たんとのやり取り……」


 そうか、なるほど……、聞かれてたんだ。

 俺が日日たんに日曜日が終わらなければいいのにって思ってるって言ったのを聞かれてたんだ。

 そんなつもりじゃなかったんだ、そんな、だって……、俺には月日たんが必要なんだ……!

 後頭部をぶん殴られたような衝撃ってのを身をもって経験する羽目になるなんて、誰が予測できようか。

 ……、この訳の分からない状況が俺の所為であるのは分かった。


「修一さん……?」

「謝らないと……! 月日たんはいらない子なんかじゃないって、伝えないと……!」

「そーだなー。月日がどっかに行ったまんまじゃ今度はアタイが憂鬱担当になっちゃうからなー」


 方針は決まった。のだけれど……、

「そもそも聞きたいんだけど……、月日たんはちゃんとこっちの世界にいるんだよな? 妖精世界にいるとか言われたら俺にはお手上げなんだけど……」

「それは問題ありませんよ。ワタクシたちはこちらか、盤の中にしか存在しませんから。妖精の世界とか知りませんし、きっとありません」

 うふふと笑った水日たんに火日たんが同意するようにうんうんと首肯していた。


「よし!」


 なら大丈夫だ、絶対見つけられる……!

 そして俺は、家を飛び出した。


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