グラウンドの決戦(前編)

 昼休みのグラウンドはお祭り騒ぎとなっていた。

 今朝の「一年A組封鎖事件」での話題性に加え、新聞部が『激突! 二人の風紀委員長!』という号外をばらまいて宣伝したせいだろう。学校中の生徒たちが聴衆として集まってきている。中央を囲むように座っている彼らの顔にあるのは、もうすぐ始まる見世物への期待感だ。

「・・・・・遅いな」

 決闘のために空けられたグラウンドの中央で、まるで軍隊の総大将のような態度で塚田権太郎は仁王立ちしていた。苛立ちからか、その額には血管が浮き出てしまっている。

 昼休みが始まってから既に一五分が経過した。しかし、肝心の対戦相手が現れる気配はいっこうになく、集まってくるのは関係のない野次馬ばかりである。

(・・・・・・いや、ギャラリーが多いのに越したことはない)

 募る不機嫌さを理性で抑え込み、塚田は内心で独りごちた。

 あの小僧の言うとおり、今回の決闘の目撃者が多ければ多いほど、それだけ妙な噂は立ちにくくなる。むしろ誤解の余地のないように、一人でも多く集まってもらわなければ困るのだ。

 そして、その方がデモンストレーションとしても都合が良い。

 なんと言っても今回の相手は『粉骨砕身』・・・・・・不良の巣窟だった府木玉中を一人で制圧した、噂の人物なのだ。そんな有名人を衆人環視の元で叩きのめせば、この塚田権太郎の名も同じように学校内外に轟くに違いない・・・・・・形こそ上手く乗せられた風になってしまったが、この機会を用意してくれたあの小僧には感謝しなければならないだろう。

「待たせたな」

 塚田が内心でほくそ笑んだとき、ようやく本日の生け贄・・・・・・鉄条るりりがグラウンドへ入場してきた。その姿を見るなり、塚田は歯茎をむき出して笑う。

「待ちかねたぞ『粉骨砕身』・・・・・・尻尾を巻いて逃げたわけではなかったのだな?」

「いや失礼。どこぞの組織が荒らした教室の補修が案外、長引いてしまってな・・・・・・誰がしたとは言わんが、特に破壊された扉の修復に手間取ってしまった」

「・・・・・・ほう」

 放った安っぽい挑発を投げ返されて、思わず塚田の眉間に皺が寄る。だが、その衝動に身を任せるほど現・風紀委員会のトップは愚かではなかった。胸に湧いた殺意を押し殺し、冷静に言い放つ。

「さて、あまり時間もないことだし、とっとと始めようではないか・・・・・・どちらが風紀委員長の座に相応しいのか、それを決める勝負をな!」

 激昂と共に巨漢は拳を力強く掲げた。その顔は、ようやく獲物にありつける歓喜に震えている肉食獣のそれである。

「・・・・・・ん、かかってくるのはお前だけなのか?」

 だが、鉄条の態度はあくまでも平常だった。遠目で野犬でも眺めているような気楽さで、質問を続ける。

「てっきり風紀委員会が束になってかかってくるものと思っていたのだが、違うのか?」

「当然だろう。一対多で叩きのめしても、ただのリンチにしかならんからな・・・・・・風紀委員長の座をかける以上、俺とお前だけの真剣勝負だ!」

「いや、そういうのは別にいいから」

 珍しく心から公平性に則った塚田の発言を、鉄条はあっさりと拒否した。拳を構えて臨戦態勢に入ると、不敵な面構えで言い放つ。

「先に一発お見舞いした分のハンデだ。後ろの手下たちもまとめて相手にしてやる・・・・・・全員、束になってかかってこい!」

 鉄条の発言を聞いて、観客たちの間にどよめきが走った。背後に控えている風紀委員は、ざっと数えても三十人以上・・・・・・この数を相手に一人で闘うなど、自殺行為に等しいではないか。

 それでも、鉄条の顔に動揺の色は一切ない。

「どうした、かかってこないのか? それとも・・・・・・たった一人の女に打ちのめされた風紀委員の面々という誹りを受けることが恐ろしいのか?」

「・・・・・・後悔するなよ」

 馬鹿が、今のうちに吠えておくがいい。

 塚田が顎をしゃくると、それを合図に風紀委員会の面々がぞろぞろとグラウンドの中央に集まってくる。各々の手に握られているのは警棒や金属バットなど、物々しい得物の数々だ。

 しばらくの間、静かな沈黙が続いた。

 両者とも言葉を発さぬまま、お互いのことを睨み付けている。まるで取り決めもしていない勝負が始まる合図を待っているような、そんな張り詰めた空気だった。

 観客たちが固唾を呑んで見守っている・・・・・・そんな中、校舎の時計の針が頂点を回った。

 同時に、鐘の音がグラウンドに鳴り響く。

「さあ、ギッタギタにしてやれ!」

 それを開始の合図に、風紀委員たちが一斉に動き出した。塚田の号令に呼応して、三十名を超える手下たちが鉄条・・・・・・たった一人の女子生徒を目がけて突撃していく。

「きひっ!」

 風紀委員の一人が嗜虐的な笑みを顔に浮かべた。おそらく、公衆の面前で相手を目一杯いたぶる快感を先取りしたのだろう。

 自分たちは学園の治安を守る精鋭部隊・・・・・・体制に歯向かう不届き者を取り締まるための訓練を日常的に課され、また「許されている」実力者の集団なのだ。鬼の風紀委員長だか『粉骨なんたら』だか知らないが、所詮は中学の不良ごときを相手にしてきただけの女・・・・・・自分たちが負けるわけがない!

 下卑た笑みを浮かべた一名の金属バットが、鉄条を目がけて振り下ろされる。

 鉄と固いものが激突する鈍い音が、グラウンドに響き渡・・・・・・らなかった。確かに目標物を捉えたと思われたそれは、空振りして地面に激突した。

「なっ、なにぃ! いったいどこに消え・・・・・・ごふぅ!」

 驚愕に顔を見張った男が、目標を再び視界に捉えることはなかった。後頭部に襲いかかった打撃が、彼の意識を深い闇の中に沈めたからである。

「まずは一匹」

 間髪入れずに、鉄条は間近に居た別の風紀委員に対して掌底を繰り出した。直後、腹部に強烈な打撃を食らった男が、剛速球のように遠くへ吹っ飛んでゆく・・・・・・途中でもう一人、巻き添えを食って犠牲になった。

 目の前で起こった出来事に、残りの風紀委員たちは言葉を失っていた。驚きのあまり、顎が上手く動かなくなっている者すら居る・・・・・・早くも瓦解しつつある戦線を見て、鉄条はどこか残念そうにつぶやく。

「どうした? これでは今朝の不良どもと変わらないじゃないか・・・・・・まさかこの程度の実力で、私を打ちのめせると本気で思っていたわけではあるまいな?」

「ひ、ひぃ!」

 その瞳に見据えられた瞬間、風紀委員たちの頭の中は一つの感情に支配された・・・・・・恐怖、生命の危機に立たされた生物が本能的に感じる、根源的な恐怖である。

 パニックに陥った一名が、背を向けて逃亡を図ろうとした。だが、あえなく拳の餌食となって宙を舞う。

 そんな壮絶な光景に、ギャラリーは歓声を上げることすらできなかった。

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