授業中、つかの間の平穏
本日の昼休み、グラウンドにて風紀委員長の座をかけた決闘をする。
その約束が取り交わされた後、ようやく風紀委員会による教室の封鎖状態は解除された。締め出されていた担任教師も無事に入室できたようである・・・・・・他のクラスに遅れること三〇分、一年A組はようやく平常の授業を開始したのだった。
「助けられた、ということで良いのか?」
教壇の前で行われている国語の授業・・・・・・それを完全にスルーしながら、鉄条は隣の席に視線をやった。その先に居るのはもちろん、件の少年である。
「・・・・・・授業中なんだから話しかけないでよ」
平坂は露骨に顔をしかめていた。ノートに板書を写す手を止めて、鬱陶しげに言い放つ。
「そういうわけにもいかないだろう。なぜ助けた?」
だが、鋼鉄の美女は邪険に扱われても追求をやめようとはしなかった。真剣な表情で、返答を求めている。
「なぜって・・・・・・どう見ても不利な状況だったじゃん?」
塚田と対峙していたあの場で、先に手を出したのは鉄条の方だった。
顔面に一発、血飛沫が上がるほどのストレートパンチを決めてしまったのだ。それを理由に、風紀委員側は鉄条への制裁を正当防衛として押し通そうとしていた・・・・・・たとえあの場を切り抜けられたとしても、後々の立場が不利になるのは火を見るより明らかだっただろう。
だから、誤魔化したのだ。
起こるかも分からない悪い未来を想像させて不安を煽り、こちらの提案を鵜呑みさせてやったのである。おかげで先制攻撃の件をチャラにしたどころか、風紀委員長の座を正式に認めさせる機会すら転がり込んできた。自分で言うのもあれだが、なかなかのファインプレーである。
「・・・・・・誰かさんが後先考えずに手を出すから、見かねてフォローしてあげたんでしょ。まさか、全員ぶっ倒せば問題ないって、そんな頭の悪いこと思ってたわけじゃないよね?」
「誤解するな。私が言った『なぜ』はそういう意味じゃない」
ぶつけられた嫌味に気分を害した様子もなく、鉄条はそう言った。ただ純粋に、世の中の不思議に触れた子どものような面持ちで尋ねる。
「暴力沙汰に巻き込まれるのは御免だと、そう言っていたじゃないか?」
「・・・・・・」
どうやら、頭の悪いことを思っていたのは平坂の方だったらしい。ばつの悪い顔で黙り込んでいると、鉄条は更に追求してくる。
「こんな風に、ご丁寧に顔の傷まで増やして・・・・・・いったい何を考えているんだ? わざわざ飛び出してこなければ、余計な怪我をせずに済んだだろうに」
「知らないよ・・・・・・って、わひゃっ!」
思わず平坂は素っ頓狂な声をあげてしまった。よそ見している間に忍び寄っていた美しい指が、彼の頬をなぞったのだ。反射的に飛び上がって、椅子を倒してしまう。
すると、教室の中の全員の目が何事かと問うように平坂の方へ向いた。
「・・・・・・ご、ごめんなさい」
咎めるような視線の群れに向かって、平坂は居心地の悪い気持ちで謝罪した。椅子を元の位置に戻すと、何事もなかったかのように授業が再開される。
「え~っと・・・・・・スマン、痛かったか?」
驚いた顔の鉄条が、申し訳なさそうに謝罪を口にした。おそらく、飛び上がるほどの激痛が走ったのだと勘違いしたのだろう。その察しの悪さが今の平坂にはありがたかった。
「・・・・・・いや、別に大丈夫」
そう言って、平坂は頬杖をついてそっぽを向いた。隣の席からは不機嫌そうにむくれているようにしか見えなかっただろうが、実際には頬の赤らみを手で覆い隠しているだけである。
「・・・・・・小学生の頃、いじめられてたんだけどさ」
先ほどの指先の感触を思い出しながら、平坂はそうつぶやいた。同時に、記憶の奥底にしまい込んだ記憶が甦ってくる。
“アタシは、真生君一人を犠牲になんて絶対しないからね”
そうだ、『あのときの子』も今みたいに、自分の頬を撫でたのだ。
「そのとき、君と似たようなことを言ってた子が居てさ・・・・・・でも、僕はその子の味方になってあげられなくて・・・・・・」
苦い液体を喉に流し込んだときのように、平坂は表情を歪ませた。目を閉じて、まぶたの裏に当時の光景を浮かべる。
“お前みたいなお節介なやつが、僕は一番嫌いなんだよ!”
チクリと胸の奥が痛んだ。
「・・・・・・そのときの代わりに手助けをしてあげたっていう、それだけ。だから別に、君のことを助けたわけじゃない」
「・・・・・・そうか」
鉄条が軽い相づちで済ませたのは、平坂のことを慮ってのことだったのかも知れない。その顔には過ぎ去ったかつての、不甲斐なさへの後悔のようなものが刻まれていたからだ。
「・・・・・・それよりさ。後は君の方でちゃんと・・・・・・勝手にやってよね。せっかく人が誰かさんに有利なように条件をセッティングしてあげたんだから」
「そうだな。せっかく誰かさんがお膳立てしてくれたのだから、な?」
平坂はことさら突き放すような言い方をしたが、鉄条がそれを気にした様子はやはりなかった。それどころか、口元に笑みさえ浮かべている始末である。
そこで平坂は再び意識を教壇の方に戻し、手元のノートに板書を写し始める。随分と進んでいたので大急ぎでペンを動かす。
「少年」
しばらくして、鉄条が再び声をかけてきた。今度は何だという表情で平坂が振り向く。
すると。
「ありがとう」
そんな率直な感謝の言葉が、彼女の口から告げられた。
「お前のおかげで助かった。後は私の方で上手くやる」
「・・・・・・真面目に授業を聞きなよ」
相変わらず平坂は不機嫌そうな顔で、素っ気ない返事をするばかりだった。そして、内心でぶつくさとつぶやく。
だから、そういうところが嫌いなんだってば。
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