教室にて、顔合わせ

 クラスの顔合わせは、入学した生徒たちを初めに沸き立たせる行事だと言える。

 担任の教師や同級生の顔ぶれ、自分の机の配置など、向こう一年間の学校生活の充実度を決める重要なファクターが一挙に開示されるからだ。人気者と日陰者とで視点は違っても、等しく息を飲む瞬間であることに変わりはない。

 ただ、能芽学園一年A組のそれは少し様子が違った。確かに騒然としているという点ではクラスの顔合わせに間違いないが、彼ら彼女らの興味はたった一点・・・・・・ある一人の女子生徒に注がれている。

 自称・風紀委員長、鉄条るるり。

 不良五名をたった一人で打ち負かすというセンセーショナルな快挙を一時間前にやり遂げたばかりの彼女は、クラスの視線を一身に集めていた。遠巻きに、だが明らかに彼女の噂話をしている生徒たちが何名か居る。

「・・・・・・まさか同じクラスだとはね」

 騒然と沸き立つ教室の様子を、平坂は最後列から傍観していた。頬杖をついている彼の顔に浮かんでいるのは青色・・・・・・一般的に憂鬱のカラーとされるものだ。

「不思議な縁もあるものだな、少年」

 そう彼に含みのある笑みを向けてきたのは当の話題の人物、鉄条るりりである。

 彼女が座っているのは、なんと平坂の隣の席だった。

「入学の朝、たまたま助けた同級生と隣同士・・・・・・ふむ、これは何かの運命を感じるぞ」

 だったら運命の神様という奴は、さぞかし性格のひねくれた陰険野郎なのだろう。露骨に顔をしかめながら、平坂は小さく舌打ちをした。

 最悪としか言いようがない。

 こんな危険人物が同じ学校に生息しているというだけで胃が痛いのに、よりにもよって同じクラス・・・・・・しかも隣の席とは。これでは、何かの拍子に朝のような荒事に巻き込まれてもまったくおかしくないではないか。

「まあ、少なくとも一年間は同じクラスなのだ。隣の席のよしみで仲良くしようじゃないか」

 そう言うと、鉄条は満面の笑みを浮かべながら彼の方に手を差し出してきた。握手を求めているのである。

「・・・・・・僕は君みたいな人は嫌いだ」

 だが、平坂が返したのは握手ではなく冷淡な態度だった。

「今後は一切、僕に関わらないでよ。暴力沙汰に巻き込まれるのは御免だからさ」

「つれない奴だなぁ。今朝、不良に絡まれているところを助けてやったじゃないか?」

 悪感情を向けられたのが予想外だったのか、鉄条がむきになって反論してくる。だが、平坂も負けじと強気だった。

「まさか恩を売った気でいるわけじゃないよね?」

 そう言って、平坂は自分の顔に張られているガーゼを指差した。

「君が絡んで来なければ、失うのは今日の昼飯代だけで済んだんだ・・・・・・僕が保健室に担ぎ込まれる羽目になったのは、つまり君が出しゃばってきたからなんだよ?」

 形だけを見れば、鉄条は不良に絡まれていた平坂を救った恩人ということになるのだろう。だが、実際には生身で五十メートル滑空という未曾有の経験をさせてくれた凶悪犯に過ぎなかった。ベッドの上から起き上がれるようになったのは、ほんの一〇分ほど前の話だ。

「おかげで周りからは可哀想な人を見る目で見られるし・・・・・・妙な評判が立ったら君のせいだからね」

「いやいや、それは済まなかった。助けてくれと顔に書いてあった気がしたんだがな」

「・・・・・・そういう勘違いが迷惑なんだよ、ほんとに」

 こういうお節介な人間というのが、たまに居るのだ。放っておいてくれれば良いものを、余計な首を突っ込んできて事態をややこしくする・・・・・・おかげで大変な目に遭うのはこっちの方だというのに。

「ともかく、僕は面倒ごとを背負い込むのが一番嫌いなんだ。いくら隣の席だからって、君みたいな人と仲良くする気は一切ないから、もう話しかけたりしないでくれる?」

「やれやれ、嫌われたものだ」

 なかなか辛辣な物言いをされた鉄条だったが、あまり驚いた様子はなかった。予定通りの出来事が起こったような平常さで、前の方に向き直る。

 というわけで、初対面でのコミュニケーションとしては結構、最悪だった。


 五分後。

「・・・・・・あのさ、鉄条さん。ちょっと聞いてもいい?」

「なんだ、早くも雪解けか?」

 ニヤニヤとした笑みを浮かべながら鉄条はそう言った。

 そんな彼女の態度に、平坂は辛酸を舐めたように顔を歪ませる。確かに、話しかけるなと突っぱねた矢先に自分から会話を振るなど、そう受け取られても仕方がないだろう。

「勘違いしないでよ。本当に・・・・・・ちょっと聞きたいことがあっただけだから」

「何だ一体。バストのサイズなら企業秘密だぞ?」

 鉄条はわざとらしく形の整った胸の膨らみを腕で隠した。

 ・・・・・・本音を言えば少しだけ気になる平坂だったが、その冗談に乗っかれば本格的に和解したことになってしまうだろう。グッとこらえて心の距離を取り、本来の質問を投げかける。

「鉄条さんってさ・・・・・・中学生の頃、いったい何をしてたの?」

「風紀委員長だ」

「うん、僕の訊き方が悪かったね・・・・・・じゃあ風紀委員長って、何をする仕事だったの?」

「意味が分からないな。学校の綱紀粛正以外に、風紀委員長が何をすると言うのだ?」

 もちろん、そんなことは平坂にだって分かっている。風紀委員長の仕事は校則違反を取り締まったり、生徒の態度を正したり・・・・・・いわゆる綱紀粛正に決まっている、普通なら。

「・・・・・・それにしては、さっきから耳に入ってくるワードが穏やかじゃないんだけど?」

 そう言って、平坂は周りのクラスメイトに目を向けた。

 クラスの皆は平坂たちの様子を窺いながら、ぼそぼそと内緒話をし合っている。だが、良く耳を澄ませば話の中身が聞こえてこなくもない。

「あれって、府木玉中の・・・・・・」

「粉骨砕身・・・・・・鬼の風紀委員長・・・・・・」

「拳一つで制圧した・・・・・・鉄条るりり・・・・・・」

 このような噂話が、さきほどからひっきりなしに教室中でつぶやかれているのである。

 最初、鉄条がクラスの注目を集めているのは今朝の一件が原因なのだと、てっきり平坂はそう思い込んでいた。しかし、中学校の名前が出たところから、どうも彼女は前々から有名人だったらしい。

「本当に、鉄条さんはいったい何をしてたの? ひょっとして、マフィアか何かなの?」

「真面目に職務に取り組んでいただけだ」

 これ以上の問答は堂々巡りになりそうだな・・・・・・平坂が納得のいく返答を諦めかけたとき。

「それはあたしの口から説明するわ!」

 どこからか聞こえてきた第三者の声が、二人の会話に割り込んできた。

 その声の主は、眼鏡をかけた同級生らしき女子だった。「記者」と書かれた腕章と、手に握った『取材ノート』という名前の手帳から、ジャーナリスト気質の人間だということがよく分かる。

「どうも、新聞部の伊勢マリコです! 鉄条さんとは同じ中学の出身で、当時からたくさん取材させていただいたわ。高校でもバリバリ活動するつもりだから、よろしくね!」

「は、はぁ・・・・・・」

 名刺を受け取りながら、平坂は気の抜けた返事を返してしまった。いったい、こいつは誰なんだ? と、そう視線だけで隣の席に訴えかけるが、当の鉄条は「はて?」と言わんばかりに腕を組んで首を傾げている。そこまで親しい知り合いというわけではないらしい。

「ところで、あなた・・・・・・『粉骨砕身』鉄条るりりと肩を並べてお喋りだなんて、いったい何者なの? 見かけによらず鉄条さんのライバルだったり、唯一無二の親友だったり?」

「・・・・・・今朝、知り合ったばかりの間柄ですけど」

 品定めをするように覗き込まれて、割と平坂は辟易していた。鉄条とは違うが、これはこれで苦手なタイプだ。こんな風にジロジロ見られるのは正直、疲れる。

「ていうか、あなたの方が鉄条さんの説明しに来てくれたんじゃないんですか?」

「はっ! そうだったわ!」

 ようやく自分の役目を思い出したのか、伊勢は電撃にでも打たれたかのように姿勢を正した。そのまま一息払うと、淡々と語り始める。

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