第16話 不死者 Z

 田中はデパートの屋上にいた。以前、夏の日にもいたあの屋上遊園地だ。

 しかし三月現在、田中以外の人の気配はない。これは今なお降り続けている数年ぶりの降雪のせいだった。異常気象はいつの間にかこんなにレベルにまで発達していた。黒い衣服の田中は雪景色の中で墨汁のようにくっきりと姿をそこに刻んでいた。

 雪を被った屋上は以前のエネルギーの塊のような、生き物の如き印象は、もうひっそりと姿を隠していた。

 田中は足首まで雪に埋まりながらも、屋上の端の方へ歩いた。眼下の町が一望できるその場所は、彼にとって心を安らげる大切な場所だった。

「やっと、来ることができた」

 白い息と同時に震える言葉が吐き出された。

 この半年の間、メディアからの取材が頻繁に行われた。テレビに出演することも多く、田中の今までの功績が過度に称賛された。週刊誌の記者に尾行されることも少なくなかった。悪を倒した瞬間に彼らが群がり、田中は一言感想を述べるように迫られた。

 ここ最近になって取材やテレビ出演がやっと落ち着き、世間の関心は少しずつ薄れてきた。

 それでも一応周囲の人々に注目されないようにこっそりと、数か月ぶりにこの場所を訪れたのだった。


 田中は町を見下ろした。町も沈黙しようとしていた。時折通る車の音が、それを妨げる。

「町が沈黙することはないのかな」

 網掛けのフェンスに田中は白い息をぶつけた。

「全く、その通りです」

 突然の低音に、田中は振り返った。

「…………サトウ」

「おやおやおや、覚えていただいているとは。感激です」

 抑揚の無い言葉を返したサトウは、純白のコートに身を包んでいた。

「こうして正面から顔を合わせるのは初めてですね」

「あんまり、特徴のない顔だな」

「はっはっは。よく言われます。末端にふさわしい顔だとね」

 本当に、サトウの顔にはこれと言って特徴はなかった。どこにでもいそうな、そこらにいる人の顔を合成したらこんな顔になる。そんな顔だった。

「あの日、あの怪獣もどきを出現させたのはあんただろ。なんの為にあんな事をした」

「ええ。あれは以前、貴方が倒した怪獣の細胞を採用して作った機械、人口生物です。貴方の力をさらに引き出すためです。貴方にはもっと強くなってもらわないと。……あれ、もしかしてちょっと怒ってます?」

「ちょっとどころじゃなく、怒ってるね」

 田中の拳は既に握られていた。

 しかし、田中が動かないのには理由があった。サトウからある程度の情報を引き出さないと彼の『上』に存在する者たちにたどり着くことができない。

 田中は末端のサトウを倒してもいたちごっこにしかならない事を直感していた。

「力を引き出す、ってのは、どういうことだ。なぜ、僕を強化する必要がある? 僕はあんたと、あんたの所属する組織を『悪』だと判断している。そっちが僕を強くしてもいいことは無いと思うけど」

「いやいやいや、貴方は聡明な方だ。実によく状況を分かっていらっしゃる」

 サトウは肩をすくめた。

「実を言うと我々は、貴方にもっと活躍してもらいたいのです。何の為に、とはまだ教えられませんが。そうそう、実はこれまでかなり研究させてもらっていたのですよ。何の考えもなくあんな事はしません。貴方は以前、既に死んでいる者には直接触れても抹殺できなかった。そこで、あの機械たちを暴れさせました。貴方は見事に血を活用しました。工夫し、さらに成長した貴方は、人口生物を抹殺できることが証明できたのです」

「そんな話はどうでもいい」

 果実を踏み潰したような音がした。田中がサトウに一歩、踏み出した音だ。

「あんたらが僕をどうしようが知ったことか。僕が許せないのは、そうやって勝手な都合で周りの人を巻き込む事だ。来るなら、正々堂々来ればいい」

 田中の足元から煙が漂ってきた。田中は足の裏の血の流れを加速して迅速に踏み出す準備に入っていた。それを一瞥して、サトウはこの日初めて心から楽しそうに微笑んだ。

「いやいやいや。コントロール出来ているようで何よりです。さて、では今回の実験を始めましょう、か!」

 サトウは一歩ずつ後ずさりしながら、右のポケットに手を突っ込んだ。するとポケットから出された右手に握られていたのは一本の注射器だった。中には緑色の液体が揺れていた。

「……それは?」

「まあ、ちょっとした薬、もとい毒です。これを打つと仮死状態になり、人の肉を欲するようになります。そしてこれを打った人間の体液が、

 そう言った瞬間だった。サトウが腕に注射を打ち込んだ。

「うっ……うあ、あああああ……!」

 サトウは急に頭を抱えた。よろけながらも屋上の一角のフェンスに走りよると、唐突にフェンスを登り始めた。あまりに突然の出来事に田中は目が釘付けになった。

「おい……何をしているんだ」

「心配ごごご無用。既に仮死状態に、なって、て、てて、てて、て」

 明らかにろれつが回らなくなっていた。田中は良くない事態だと察して駆けた。

「さ、さあああ……思ううう、ぞ、ぞん、存分にぃ、殺ってくださいいいぃ!」

 跳躍した田中の指は、サトウには届かなかった。




 そしてサトウの身体は地上に消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る