第6話 過去という名の化け物 弐
夕日を背景に、田中は走り続けていた。もうどれほど走っていたか、田中自身もわかっていなかった。
川の土手で転んで、ついにその脚は止まった。田中は勢いよく顔を地面に打ち付けた。
「…………」
ゆっくりと仏教面で、田中は上半身を起こす。
「……何やってるんだろう」
夕焼けを飛行する鳥の鳴き声が、田中の虚無感をさらに増加させた。
田中は起き上がるのも嫌だった。そのまま身を後ろに倒して仰向けになる。鳥の姿が視界を横切っていく。
目を閉じて田中は過去に意識を飛ばした――。
それは数年前、田中が上京した時だった。都内の大学に通うことが決まった日から、田中は一人暮らしを楽しみにしていた。いや、本当はずっと昔から一人暮らしに憧れていたのだろう。待ちに待った一人暮らしを、多少の苦労はあったものの、田中は満喫していた。
今のアパートに暮らし始めて一ヶ月ほど経ったある日のこと。
「武装した男、ですか」
玄関の扉を連打してきた大家の話によれば、大通りで明らかに銃刀法違反と思われる金属物を持った男が目撃され、すぐに警察官が駆けつけて取り押さえたらしい。ところが、パトカーに乗せられる際に一瞬の隙を狙って逃走したという。その後、その金属物を持って歩いている姿がこの付近で見かけられたとの事だった。
「危ないから、用が無かったら今日は外に出ない方が良いわ」
しかし大家の忠告にも関わらず、昼食のおかずを買いに行った田中は、その帰路で路地裏から出てきた拳銃を持った男と鉢合わせてしまった。田中が何か言う前に、男は拳銃を田中の頭蓋に振り落とした。
気がつけば、田中はどこかの倉庫に横たわっていた。手足は縛られている。
「目が覚めたか」
低い声に視線を向けると、さきほど鉢合わせた男が一メートルほど積み上げられた段ボール箱の上に腰を下ろしていた。その手には拳銃は無く、代わりにアタッシュケースが握られていた。
「暴力団か何かですか」
田中は震える声を振り絞った。しゃべらない方が良いかもしれないとは思ったが、口がふさがれていないということは、そもそもいくら叫んでも誰も来ないような場所と言うことだ。出来ることはやっておくべきだと田中は判断した。出来るだけ情報を聞き出そうと決めたのだった。
「そうさ、とある組の下っ端だがな。だがそれも昨日までの話だ。昨日、あるブツを巡って抗争が起きた。結果、組は壊滅。もうおしまいだ」
だがね、と男は笑ってアタッシュケースを撫でた。
「不幸中の幸いで、俺は連中の欲しがっていたブツを手に入れた。俺はこれを欲しがっている奴になるべく高価で売り渡す。完璧なプランだ。だが……
「……全くわかりません」
「わからねえなんら、教えてや――うっ!?」
突然、男が胸を押さえて倒れた。腰の下にあった段ボールが一つ落ちる。
「うそ……だろ……こんな……ところで……死にたく…………」
それっきり、男は動かなくなった。
「何が……どうなってるんだ」
田中は芋虫のように這いずって、男の近くに行く。すると結びが弱かったのか、手首を結んでいた縄が緩くなってきた。田中は急いで拘束を外すと男の顔をのぞき込む。その目は焦点が合っていない。心臓の音を聞くまでも無く、彼は絶命していた。
「どうして突然……?」
呟いた田中の視界の隅に、アタッシュケースが転がっていた。
ケースの閉じた口の、ほんの僅かな隙間から赤い光が漏れていた。
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