第4話 外道サイエンティスト マッドドクター

 施設の最奥部に、その研究者は腰を下ろしていた。白髪は背中まで伸び、隈は目よりも大きくなっている。緑色の血痕が残る白衣を着て、枝のように細い指を組んで口を閉ざしている。

「ドクター、何か異常でも」

 背後に控えていた二メートル近くの背丈の男が、ディスプレイを凝視したまま動かない雇い主に声を掛けた。ドクターと呼ばれた研究者は大男の問いかけに、まるで自身に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を吐いた。

「昨日街に放った試作体には、活動が把握できるように心臓に装置を組み込んでおいたのだが、全くもってその活動が確認できない」

 画面には多数の試験体の情報が、全て表示されていた。それぞれの個体名の横には赤い丸印が付いていた。しかし一番上の個体の横に、印は無い。

「不具合ですか」

「違う。生命活動そのものが確認できないのだ。絶命したのだ、僅か数時間で。奴の身体に欠陥は無かった。互いに血が繋がっていたから、拒絶反応も無かった。しかも最後にいた場所は公園だ。事故や、実験後の不具合で死んだのでは無い。奴は殺されたのだ」

「まさか」

 大男は鼻で笑ったがドクターの姿勢は変わらない。その背中が語っている、異常事態に気付いてようやく彼は眉をひそめた。

 その時だった。施設中に警報音が鳴り響いた。ドクターはディスプレイを切り替える。数刻前に侵入した不審者の姿が画面一杯に映る。

「スパイですかね。消しに行きます」

「待て、施設内には出来損ないの合成獣キメラを放っている。こいつは既に餌になっているだろう。君はいつも通り、食後の床掃除をしてくれ」

「了解です」

 血みどろの床を想像して大男はこっそりとため息をついた。血が苦手というわけではない。むしろどんな命令でも拒否できない仕事上、血を見る事はざらだった。面倒なのは、床にこびりついた血はなかなか落ちないことだった。

 ドクターはディスプレイを個体が表示されている画面に戻した。ところが、そこに並んだ個体名の横に、赤い丸印は一つも無かった。一瞬ドクターは絶句したが、すぐに胸をなで下ろした。

「そうか。やはり、故障していたのか」



「違う。死んだんだ」



 突然聞こえた声にドクターが振り向くと、細身の男が、うつぶせに倒れている大男を見つめていた。男の衣服は緑色に染まっていた。

「……まさか、あの数の合成獣キメラを全て始末したのか?」

「あの三つ首を造ったのはお前か」

 男はドクターの言葉を聞いていない様子だった。大男からドクターへと視線が移る。一歩ずつドクターに歩み寄っていく。

「三つ首というと、昨日の試験体の事か。そうか、君が始末したのか。さぞかし戦闘能力が高いと見える」

 ドクターは後ずさりながら、腰に隠している小銃に手を伸ばした。

「あの犬たちを、あんな姿にしたのはお前か」

 また一歩、歩み寄る。その足取りは、蘇った亡者のそれを思い起こさせた。

「命を弄ぶ奴は許せない」

 さらに一歩近づいた瞬間。

「許してもらう義理は無い!」

 ドクターは男の顔面に小銃を向けた。男は動こうとはしなかった。

 引き金に指がかかった。




「外道が」




 呟きと同時、男の眼が充血した。否、白目が赤く染まった。

「うっ!?」

 それを見たドクターの動きが止まった。引き金にかけられた指が僅かに震えている。視線を男から外すことが出来ない。

「う、あ、い、や」

 ドクターの口から言葉にならない音がこぼれる。

 カチカチカチカチ、と震える小銃を払いのけて、男はドクターの頭蓋に手を伸ばした。

「死して償え」

 ドクターの身体が、一度だけ痙攣したように振動した。

「う、も、もて、あそん、で、いる……のは……」

 ドクターは最期の言葉を振り絞った。

「……お前、だろう……」

 そして彼は息絶えた。



 三十分後。火の手が上がる施設を、田中は見つめていた。

 後日、発火原因は施設内で当時行われていた実験の失敗によるものと判断された。

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