兆しの前文・その2
一年の経過は、ユウには早く感じられた。気が付けば、冬が来ていて、来年には初等学校に入学することになる。一方世間では、昨年の夏に幼稚園で発生した事件が、真相が完全に解明されずに闇に葬られていた。
明日は、幼稚園でクリスマス会が開かれる日。園児たちは、それぞれまとまって赤いとんがり帽子を作っていたり、クリスマスツリーに飾るオーナメントを作ったり、はたまたサンタクロースの絵を描くなど、クリスマス会に向けての準備に取り組んでいた。
ユウたちのクラスでは、劇の練習をしていた。ユウは天使の役を練習しており、他の子は羊飼いや旅人などの役にいそしんでいる。主役ともいえるヨセフの役は、あの男の子が演じることになっていた。
彼が順調である一方、ユウは調子があまりよくなかった。
「む、向かうの、です……ベツレヘムへ……」
もとより声は小さかったこともあって、ユウは大きな声を出すことが苦手だった。セリフの覚えは他の天使役よりよかったものの、声を出すことが最大の難関となっている。
「小さいよ、お腹から声を出して!」
練習日が残りわずかのため、先生からのアドバイスにも焦りとむしゃくしゃが垣間見える。他の子が、台本を読みながらセリフを確認している中で、ユウはただ一人、声出しを目的とした練習をしていた。
この日、ユウたちは泊まり込みで練習することとなった。保護者はすでに承諾しているところもあれば、頑なに帰そうと懇願するところもあった。ユウは、泊まり込みが承諾されていた親の子だったため、時間の許す限り練習にはげんだ。
翌日、クリスマス会が開かれた。
この日は、園児の保護者以外にも、町内会参加者や、地域に住むご年配の方々が訪れた。しかし、保護者が来訪者の大半を占めていた。
まず、年少クラスによる聖歌コーラスが開かれた。小さいながら、感動を起こさせたと称賛された。続いて、年中クラス楽団の演奏が催された。彼らの演奏は、下手ではあったものの、よく頑張ったとほめ言葉が相次いで上がった。
いよいよ次は、年長クラスの劇。しかし劇が始まる直前、ユウは舞台裏で少し震えていた。彼女に限らず、ほとんどの園児が緊張で震えていた。先生は何度かなだめたが、一向に園児たちの震えは収まらなかった。
すると、ユウと仲がよかったあの男の子が、園児たちにそっと何かささやいた。その時、ユウたちにまとわりついていた緊張感が、一瞬のうちに消え去った。
本番の間、園児たちは誰一人緊張することなく役を演じることができた。ユウも、練習の間には出せなかった声を、はっきり出せた。結果として、劇は大成功に終えることができた。
年が明け、冬も過ぎ去り春が来た。ユウが、幼稚園を卒園する時が来たのだ。
優しかった先生たちとの別れに大泣きする子もいれば、小学校へ入学することに胸を躍らせる子もいた。そんな中ユウは、友達だった男の子との別れが悲しかった。話を聞くと、ユウとは違う小学校に入学するとのこと。
「ばいばい、だね」
ユウが悲しく言うと、男の子は優しく言い返した。
「また、会えるよ」
その返事に、ユウはえっとした表情を見せた。また会える。ユウにとって、そんなことは考えたこともなかった。
「まって」
別れる直前、ユウは彼を呼び止めた。
「お名前、なんていうの?」
「僕は、トオルだよ」
そういうと男の子——トオルは、自分の母親に手を引かれ歩き出した。
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