兆しの前文・その1

 じりじりと日差しが照り付ける町中で、ユウは一人で幼稚園へ向かっていた。入園してからすでに、一年は経過していた。そのため、一人だけでも通園ができるようになっていた。

 幼稚園につくと、ユウは先生にあいさつをした。母親から、そうするよう言いつけられていたからだ。依然園内において、初めて仲良くなった男の子以外の友達は、ユウにはいない。しかし彼だけでなく、先生も味方であることを学んでいたため、彼女に不安はなかった。

 ユウは、ほとんどの遊び時間を、読書に費やしていた。しかし、例の男の子がいる時は、一緒に遊ぶことを優先していた。ユウは、自分自身でもわからない謎の免疫(?)を持っており、彼と一緒だと、他の子と怖がらずに接することができるからだ。

 この日は、他の子たちと室内でかごめかごめをして遊んでいた。ユウは、男の子を含む十数人の生徒たちに囲まれ、しゃがみながら目を閉じていた。

「かーごめかごめ、かーごのなーかのとーりーはー……」

 園児の円が回り始めた。同時に、ユウは恐怖など感じず、後ろが誰かをじっと考え始めた。

「いーつーいーつーでーやあるー……」

 歌詞が中盤にさしかかったその時、ガラス戸がパリーンと音を立てて割れて、一人の男が入り込んできた。男は黒づくめで、片手には包丁を持っていた。背丈は中背ほどだった。そして、園児たちを捕まえにかかった。

 子供たちは、クモの子を散らすように逃げた。びっくりして泣き出す、どこかに隠れ始める子、はたまたへたり込むなど、気が気でなかった。一方男は、すばしっこい子供たちを捕まえることに苦労していた。捕まえたかと思えば、すぐに腕からするりと逃げ出されるなど、業を煮やしていた。

 しばらくして、一人の男の子が捕まった。それは、ユウが仲良くしていたあの男の子だった。ユウは助けようとしたが、不審者に蹴とばされてしまった。

「その子を放しなさい!」

 子供たちの泣き声に駆けつけた先生たちが、今起こった惨劇を目の当たりにして叫んだ。

「放すもんか。オイそこのババアども、こいつがケガしてほしくねえなら、有り金全部持ってこい。そうすりゃ放してやる」

 そう言いながら男は、少しずつ後ずさりしていった。このままでは逃げられてしまう。そう思った先生たちは、急いで有り金の準備と通報をしに職員室へ向かった。同時に、残りの園児に避難するよう誘導した。

「チッ、ガキどもを逃がしやがったか。まあいい。このガキだけでも捕まえられただけでもよかった。さあ、ずらかるか」

 そういうと男は、男の子を抱えたまま、仲間に手配させていた馬車に乗り込んだ。有り金など、実際彼らにはどうでもよかったのだ。

 もぬけの殻となった教室を見て、先生たちは逃げられたことを知った。そこで彼らがどこへ向かったのか探すため、園長先生は数名の保育士に外へ探すよう命じた。

 10分もかからなかった。先生の一人が、さらわれた男の子をおんぶしながら戻ってきた。そのことを聞き、園長先生をはじめ、先生たち全員が安堵した。


 その後、警察の調査によると、この事件には不可解な点があったという。まず、馬車の中にいた誘拐犯や、グルと思われる御者が、全員傷だらけで発見された。馬車を調べてみたものの、誰かが乗り込んだという形跡はなかったそうだ。次に、犯人が傷だらけであったにも関わらず、被害者だった男の子は無傷だったと報告されている。しいて言えば、足に擦り傷があった程度だ。

 この事件と警察の調査結果は、事件から二日後に新聞に大きく掲載され、その翌日にはニュースでも取り上げられた。しかし、真相はいまだに解明されていない。

 幼稚園は、この事件のために一週間ほど休園となった。その間ユウは、男の子としばらく会えないと知って、いつも以上に暗く家庭生活を過ごした。

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