第7話 南洋の大怪獣

Zdolligaズドリガ様、『大怪獣バラン』が有りますよ」佐藤が寒さに震えながら呼び掛けると、海面に突き出た『モスラ対ゴジラ』のゴジラそっくりな顔が「じゃあ見せて頂戴」と云う。そのすぐ横に氷を割って突き出した白黒映画のゴジラそのままの顔が「吾輩も見るぞ」と云い、その向こうに海面から突き出した眼がぎょろりと大きなゴジラそのままの顔が「あ、見たい見たい」と云う。白黒ゴジラはZodigllaゾディグラ様、眼の大きなゴジラはDozaliglドザリグル様、いずれもTsathogguaツァトッグァ様の眷属”形無しの裔”だ。Tsathoggua様の落とし仔に端を発する小神達を指すもので、今、見えているのは彼等自身が人間に区別され易い様に定めた姿だ。三神はTsathoggua様から数えて二十八代目に当たる。

 三神は見る見る身体を人間サイズに縮めると、船の甲板に上がり込んで来た。三神の親はいずれも分裂増殖で彼等を産み落とされたのだが、親の一部から誕生したせいか三神とも親に似て特撮好きだった。中でも女神のZdolliga様は特に大の特撮好きで、信者の所で見る事が出来るのに、今度隔週で刊行されるDVD付の、いやDVDに解説の付いたイタリア系出版社の雑誌を生贄に代わる供え物に指定していた。

 自衛隊員二人が談笑しながら三神の横を通り過ぎる。二人の視界にはちゃんと三神の姿は入っている。別にゴジラの着ぐるみを着込んだ者が三人居るなどとは想ってはいない。彼等が何物なのか、この船に乗っている人間は全て承知している。だが、船の運航に携わっている自衛隊員達は、甲板で映画の怪獣そっくりの姿と行き会っても素知らぬ顔で通り過ぎているのだ。この砕氷船ゆきはらでは、既に見慣れた光景だった。自分だけ場違いだな、と佐藤は想う。この船に乗っているのは殆ど学者か自衛隊員だが、佐藤は神職だった。長野県の山間に在る町の神社で禰宜ねぎを努めていたのだが、日本の砕氷船には極秘裏にTsathoggua様の落とし仔達の相手役を乗せると云う慣わしが有り、今年は彼の居る河津かわづ神社が人を出す番だったのだ。しかし、佐藤はTsathoggua様に仕える神職にありながら、どうしてかこの三神に、いや多くのTsathoggua様の落とし仔達に対し畏敬の念を抱く事が出来無かった。尤もこれは実はTsathoggua様の神職のほぼ全員が抱える悩みでも有ったのだが。

 『大怪獣バラン』のDVDを取りに自分の船室に入った途端、「あ、サトウだ。今日は~!」と云う声がして振り向くと、ねっとりと蠢く不定形の塊とドロドロとした不定形の塊とぐちゃぐちゃした不定形の塊と・・・つまり、どれがどれやら変わり映えのしない三つの不定形の塊がやって来た。「見終わったよ」と先頭の塊から伸びた触手がDVDのパッケージを渡す。Zdolliga様の子供達で外見からは判別不能だが、甲板を進んで来る時は長男次男三男の順なので先頭からOzlagelオズラゲル様、Gimegaギメガ様、Maakeebマーキーブ様と成る。親よりも尚、畏敬の念を抱く事が困難な三神だ。大体、やたらに人懐っこくて今では佐藤の船室に入り浸っている有様だ。ちなみにこの三神は、未だ自分達の固定した姿を選び取れずに居た。

 「それ、母様の親にそっくりだよね」Maakeeb様が云うと、「いや、Hooldglaホールッジラ様は、これの姿を取ったって云う話だったぞ」とOzlagel様がDVDのパッケージを不定形の身体から伸ばした触手で差す。パッケージを飾るのは、海月の如き存在が幾つか宙に浮き巨大な船に触手を巻き付け持ち上げたりしている絵だ。「Hooldgla様か、まだお会いした事は無いな」Tsathoggua様とその一族を祀る河津神社の神職として、佐藤は名立たる落とし仔達の名前と性格を把握していた。その佐藤が落とし仔中最も怠惰な存在と秘かに考えているのが、宇宙空間でぶらぶらぷかぷかかしているこのHooldgla様だった。太陽から放出される熱線やプラズマを体表から取り入れる様にしており、自分自身に必要なエネルギーはそこから得ている。つまり食べる事すらせずに日々惰眠を貪るだけで良いのだ。まあ悪口半分に、ああして寝ていればこそ、体表から得ている熱やプラズマだけで事足りているのだ、と云う声も有るには有ったが、兎に角、寝ているだけで良いのだと云う事で真似する者も続出し掛け……結局、続出しなかった。と云うのは最初に真似して宇宙空間に漂ったDonghalドンガール-Gashalガッシャール様と云う落とし仔が危うく太陽に落ち込み掛け、知らせを聞いたQulutthyrachilupphomクルツティラキルッフォム様、これは落とし仔では無くGhisguthギズグス様とYhoundehイホウンデー様が冥王星軌道で交わって誕生したと云われている土星を拠点としている骰子の女神だが、その女神が大気に漂う女神Pluumnoruunpiponプルウムノルウムピポン様とその夫で地表を這う神Iquyqopocakoイキュイコポカコ様、更にそのお二人の息子で輝ける黄金の蝲蛄神Dettldottlデットルドットルbuttlghakkelブットルガッケル様に手伝わせ、自分の危機にも気付かずぐうすか寝ているDonghal-Gashal様を拾い上げたと云う事件が有った。確かにTsathoggua様や分裂増殖した第一世代、第二世代くらいなら太陽の中心に居ても問題無いが(Tsathoggua様ご自身は暑くて寝にくいから嫌だと仰られているが)世代を経た落とし仔達はそうは行かない。かくして救出されたDonghal-Gashal様は、その時は面倒臭がって海月風では無く只の黒い球体の姿に成って6おられたのだが、地球に戻る事にし、重力の有る地表に居る場合、球体では寝ている間に何処かへ転がってしまうかも知れないとの考えから、黒い正方形の姿でアマゾン河の奥地に降臨し、今では首狩を四十年前に已めたばかりと云う部族に神として祀られている。Donghal-Gashal様についてはそれで終わったのだが、この結果、Hooldgla様も危ないのでは、と云う事でHooldgla様に何処か惑星の地表に退避する様にと落とし仔の一柱Dogyuttotttaドギュットーッタschchahllスクチャール様が提言した処、Hooldgla様のご返事は恒星に落ちたり太陽系圏外に出て行く事の無い軌道上に居るから大丈夫との事だったのだ。かくしてHooldgla様は緻密な計算の上にそこに居る事が判り、その計算をするには人智を超える落とし仔達の能力をもってしても流石に大量の生贄を喰らう必要が有ったと云われ、元々労苦を好まぬ落とし仔達は、寝たきり生活を送る為とは云え、事前にそこ迄したくは無いと云う者ばかりだったのだ。それでも中には何とか寝ているだけでエネルギーの補充が出来無いだろうかと考え、試す者も少しは居た。例えばGutllotetlasグトゥッロテトラスdododorunnaドドドルンナ様と云う首の無い丸い巨体の落とし仔は、月の表面に一年の間、ずっと鎮座し続けていたと云う。その鎮座が終了したのは一個の隕石だった。宇宙から飛来した小さな石がGutllotetlasdododorunna様を直撃したのだ。小石の激突時のエネルギーで細胞レベルに迄、細切れに吹き飛ばされたGutllotetlasdododorunna様は衛星表面で自らの細胞を回収し終えるのに、鎮座していた時の三倍の時間を費やす事と成ってしまい月は地獄だと云ったとか云わなかったとか。兎に角それで月はこりごりだと云わんばかりに地球へ帰還したGutllotetlasdododorunna様はオーストラリアの荒野に丸っこい巨体のまま居座って昼夜分かたず眠り、主に日中に降り注ぐ太陽光線を全身の体表から吸収してエネルギーを得ておられた。そして万難を排して信者が訪れると、丸い巨体の中心、臍の様に見える部分からクァッカワラビーを想わせる愛嬌たっぷりの顔を覗かせて人懐っこく歓迎してくれるのだと云う。

 さて、佐藤がZdolliga様に『大怪獣バラン』のDVDを渡すとZodiglla様と二人(?)連れ立って船から出て行く。N’kaiンカイへ戻って見るのだろう。地底奥深くのN’kaiにならちゃんと多くの家電に混じってプレイヤーも存在している。そして南極大陸の中心はそのまま地球内部の世界に繋がっており、その一地点からN’kaiへ通じているのだ。処が、いつもなら三神揃って船から出て行くのだが、今回何故か眼の大きなゴジラが船に残っていた。Dozaligl様だ。それを見て何だか嫌な予感に襲われていた佐藤は、「白黒ではなくカラーのは無いのか」と云われて何とも云えない脱力感に襲われた。そう云えば、こいつは新しいもの好きだったな。彼の姿にしても、当時、最も新しかった『メカゴジラの逆襲』から取ったものだった、と今更ながら想い出した佐藤は、すぐに持って来ますと云って船室に戻った。船室にはまだOzlagel様、Gimega様、Maakeeb様の三神が居た。佐藤が棚から『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ南海の大怪獣』と云うDVDを取り出した処で、机の上の艦内電話が鳴った。出ると日本から連絡が入ったと云う。河津神社の方で緊急の連絡だとの事で、そのメッセージが当直の自衛官に依って読み上げられる。横で「あ、この特撮、まだ見ていないヤツだ」などと云う声が聞こえているが、構ってはいられない。メッセージは、進藤宮司からで権禰宜の七尾がMlzdrzklムルズドルズクル様に運ばれてそちらに行くから、代わりにMlzdrzkl様に運ばれて戻って来る様にとの事だった。佐藤はもう何年も河津神社で禰宜をしており、最近、くるま幾郎いくろうと云う新人の禰宜が入って来たのでこうして神社を留守にする事も出来たのだが、その新人の禰宜が急に居なく成ってしまったと云うのだ。つまり行方不明。一体、町で何が起きた?兎に角、Tsathoggua様の末裔の一柱で空飛ぶ落とし仔のMlzdrzkl様が到着したら、七尾と交代だ。急ぎ帰り支度をしなければ、と想って佐藤は自分が此処に戻った理由を想い出した。ええと、DVDは・・・DVDは無くなっていた。いまだ不定形のままの特撮好きの三神の姿も無くなっていた。そこから得られる結論は一つだった。「あいつら持って行ったのか」佐藤はそこで急遽別なDVDを見繕って持って行く事にした。Tsathoggua様の子孫らしく、待たされても全然気にしないDozaligl様は『恐竜怪鳥の伝説』と云うDVDを受け取ると船から出て行った。

 七尾が到着しマンタと蝙蝠を掛け合わせた如き姿のMlzdrzkl様の姿にも、自衛隊員達はまるで関心を寄せ無かったが、流石に南極圏を離れる佐藤に対して別れの挨拶くらいはしてくれた。

 日本に戻って佐藤は車幾郎が失踪したのは昨年の暮れ近くらしいと知った。行方知れずと成ってから二ヶ月も放っておかれたのは、この町ならではの事情が有る。召喚に失敗して肉体そのものが消滅した、召喚に成功したものの呼び出した何かに喰われたり浚われたりした、うっかり異世界に流されてしまった、などと云う事例が少なく無いのだ。失踪届けが出されるのは、大抵、何が起きたか判明してからだ。もっとも判明すれば、それは幸運な場合と云った具合なのだが。それに幾郎は経歴に依ると既にあちこちでトラブルを起こしていた様で、特定の神々の信者達に命を狙われてもおかしく無さそうだった。佐藤は消えた幾郎の事は考えずに業務にいそしむ事にした。

 Dozaligl様に渡そうとしていたDVDを持って行ったのがOzlagel様、Gimega様、Maakeeb様の三神だと佐藤が確信出来たのは日本に戻って数日後の事だった。

 夜半過ぎに佐藤が夕食を摂りながらテレビを見ていると、海外の「笑える」ニュースばかりを集めたコーナーで「南の海の孤島で怪獣が出たそうです」とアナウンサーが笑いながら伝え、画面が切り替わり白人の男性と黒人の女性が現れて如何にもわざとらしい「何と皆さん、南洋の孤島に突如大怪獣が出現ですよ!それも三匹も!」「まあ。それではトリオ・ザ・大怪獣と云う訳なんですね」と云う男女の会話が、恐らく声優が喋らされているのだろうが、テレビから聞こえて来る。原語では何と云っているのか判らないが画面上の二人の表情や身振り手振りから、似たり寄ったりの事を話しているのだろうと予測出来た。そして旅行客が撮ったと云う何枚かの写真が画面に映り、佐藤は飲んでいた味噌汁を噴き出してしまった。

 写真に映る怪獣達の姿は陸に直立して歩く巨大なカミナリイカに、巨大なカルイシガニに、巨大なマタマタガメだったのだ。

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