第6話 捧げものです
薄暗がりの中で厳かに開かれたジェラルミンの箱の中には奇妙なオブジェの如き多面体が有った。不意にその一点が曇ったかの如く影に覆われる。いや、覆われるのでは無い。その影は内部から染み出して来ていた。黒い染みの中央に三つの眼が開く。途端に辺りが陽光に包まれ、絶叫が響き渡る。次の瞬間、多面体に拡がりつつあった黒い染みは消滅していた。
「何でえ、これだけかよ」多面体を見下ろして美少女の如き顔立ちの少年、イクローがつまらなそうに呟く。その隣に佇むわたしは顔をしかめて「駄目だよ。
「もう一回やってみよう」
「だから駄目だよ。他の
「知ってるよ。人間程度のレベルでないとまともに相手して貰えないから積極的に人間に関わろうとしている構ってちゃんだって事も知ってるって」「それ、不敬だよ」と云うわたしの声にも非難の響きは無い。そもそも笑いを堪えながらの指摘だったりするのだから。わたしは
わたしはイクローの事を理解した積りでいた。いや、実際に理解していたと想う。だが、そこから導き出される計算が間違っていたのだ。わたしは遠からずイクローが自滅すると想っていた。だが、自滅だけでは済まないのではと想わせる事件が起こった。巨大な
イクローから誘われたので何処へ連れて行ってくれるのかと興味津々で出て行くと、待ち合わせ場所にスポーツバッグを抱えて現れた彼は遊園地でも映画館でも劇場でもなく、自分の勤め先である河津神社へ向かったのだ。それも行き成り横道へ逸れて中腹の草木に隠れる様にして佇む十二の社へ向かったのだ。「これ十二皇妃様のお社じゃん」と云うと、イクローはわたしが既に知っている事に一寸つまらなそうな表情を見せたが、すぐにNyarlathotepを苛めた時の様な表情に成り、黙って先を進み始めた。折角のお洒落なマフラーが梢に引っ掛からない様に注意しながらわたしもイクローに続いた。
河津神社自体は南に面しているが、道はぐるりと丘を回って裏の方、北側へ向かっている。北側の斜面に、早速一番目の社を示す鳥居が見えた。鳥居の向こうにはTsathoggua様やそのご両親の神様達程ではないが、そこそこ大きな社が建てられている。イクローは行き成りお社の扉を開け放つと、流石にスニーカーは脱いで、ずかずかと上がり込み、ご神体の所へ進む。一応神社らしく、ご神体の所には鏡が置かれているのだが、イクローはその後ろに向かった。鏡の後ろにはまるで骨壷でも入っていそうな箱がある。厨子とか云うものらしい。いや、後で調べたらそれは仏教の場合だったのだが、この時のわたしはそんな事は知らなかった。イクローが箱を開けると中にはTsathoggua様が女装、いや性転換した様な像が入っていた。これなら知っている。見てそう想った。確か
社のご神体の七番目はは
次の十番目のお社は、一寸だけ震えが来た。何か居る感じだった。霊感が強いのがわたしの短所だった。いや、大人達はそれをわたしの一番の長所に数える。自分自身を客観的に見る事では無く。でも、わたしにとっては何ら良い事は無い。いや、一つだけ有るか。イクローと知り合えた事だ。わたしの霊感は社を訪れた際、その社に祭られている神をと交感出来ると云うものだった。とは云え距離に限界が有るらしく、地球の外に居る神様達や地球でも深海の底だの地底の奥だの、そう云った特殊な境界に居る神様は無理なのだが、それでも初めて河津神社にお参りした時、わたしは何かを感じた。それがTsathoggua様の気配だと知ったのは大分後に成ってからだったが。丘の天辺に在るTsathoggua様のご両親のお社では幾らお参りしても何も感じない。後で聞かされた処では冥王星に居られるのだとの事で、道理で何も感じなかった訳だ。この霊感のお蔭でわたしはこの河津神社の宮司さんを始めとした皆さんとは顔見知りだった。卒業したらうちに来ないかとも云われていた。大学に行くからと断ったけれど、大学を出たらおいでとも云われている。
話を戻そう。十番目のお社のご神体は直立した
イクローはZishaik様のお社でも、それ迄のお社と同じ様にご神体の像を引き出したのだ。そしてZishaik様の似姿の像を見た途端、「おおっ、これだ」と笑顔に成るとスポーツバッグのジッパーをいそいそと開いた。いつも彼が抱えているスポーツバッグだが、そう云えばその中を見た事は一度も無かった。中にはホームセンターなどで売られているプラスチックケースが入っており、その中に入っていたのは・・・。
「どうだ。可愛いだろ。さ、チビ、出て来いよ」ケースから顔を出し彼の掌に乗ったのは、太顎鬚蜥蜴だった。本物の。イクローは、チビと呼んだ太顎鬚蜥蜴をZishaik様の像の頭に乗せた。Zishaik様の像の頭の上にちょこんと乗り、上を見上げているチビの姿は確かに可愛いく、又、何とも云えないユーモラスな光景だった。そしてイクローはスポーツバツグからカメラも取り出すと、撮影を開始した。あ、まずい、とわたしは想った。わたしがその様子を見ていると云う事はZishaik様にも伝わってしまっている可能性が有った。人間達の行為をZishaik様が理解出来ていればの話だが。
目的を果たしたイクローは、十二番目のお社はそのまま寄らずに通り過ぎたが、そこは大山椒魚の様な姿をした
「女神様がお怒りに成ると想わないの?」わたしは想わずイクローに訊いていた。だが、彼の答に訊かなければ良かったと想った。「罰が当たるって云いたいのか?お前なあ、こいつ等、地球に居やしねえんだぜ。俺が何しようが判りっこねえって」こいつは馬鹿だ!いや、知らないのだ、十二皇妃様のうち三女神は地球に、地底の奥深く
イクローは「こっちから行こうぜ」と云って裏手に回る。表に回れば社務所が在り、宮司さんや権宮司さんと顔を合わす可能性が有る。それを避けたいのだろう。だが、わたしとしては気乗りがしない。子供の頃から遊び場にしているこの丘だが、裏手は苦手だった。イクローの後について行くと、全身の毛が逆立つ様な感覚に襲われた。矢張りそうだ。見えてはいないが、叢か樹の陰か何処かに社が隠れている。昔、小学校の頃、修学旅行で
「蜂の
三女神から解放されてもイクローはがちがちに緊張していて、無口に成ってしまっていた。返されたチビをケースに戻そうともしないので、わたしが戻さざるを得なかった。そしてケースを入れたスポーツバッグはわたしが担いだ。この先の道は前に来た事が有るので判る。わたしは一度来た道は大抵憶えているのだ。しかし。もうすぐTsathoggua様の御前だと云う所で強い気配を感じた。素芭酉苦楼楼大神、つまり
Tsathoggua様は玉座に居られた。Sfatlicllp様の気配も感じられるので、この空間の何処かに居られるのだろうが、わたしには判ら無かった。或いは壁の向こう辺りかも知れない。Tsathoggua様はわたしの事を憶えておられた様で、先日の生贄は如何でしたか、とお訊ねすると、いや、あれは中々有用なので喰わずに用を云い付けておるのじゃ、とか何とかもごもごととお答えに成る。多分、まずそうだと想われたんだろうな、と想ったわたしは、今日は捧げものを致したく、と切り出した。親父同様に食べて頂けなくても、受け取って頂ければそれで良かった。わたしは後ろを振り返るとイクローを手招きする。Tsathoggua様を目の当たりにして完全に思考停止状態に陥ったイクローは、何も考えずにふらふらと寄って来る。わたしは彼をTsathoggua様の正面に立たせると「わたくしの心ばかりの捧げものです」と畏まって云う。
「ふむ、成る程、美味そうだな」とTsathoggua様が呟かれたのを確認して、「それでは本日はこれにて失礼致します」と云ってイクローをTsathoggua様の方へ突き飛ばすと、Tsathoggua様が片手で彼を摑み上げたのを横眼に、さっさと引き上げた。スポーツバッグを持ったまま。そして、その日から、わたしに太顎鬚蜥蜴のペットが出来た。
この後の事は、後日Sfatlicllp様と交感した時に知った事だ。
Tsathoggua様はイクローを気に入られたのだが、実は少し前に土星に召喚されて生贄の牛七頭を召し上がられたばかりで満腹だったのだ。それでTsathoggua様が周囲を見回すと、向こうの方にSfatlicllp様のお姿が見えたので呼び寄せられ、片手に握っておられた失神状態のイクローをお渡しに成られた。「こいつをお前に預ける。大事にしてやってくれ」畏まってSfatlicllp様が下がられると「では一眠りするとしよう」とTsathoggua様はすぐにお休みに成られた。
そして半年後に眼覚められたTsathoggua様は、イクローが本当にSfatlicllp様に大事にされていた事を知った。Sfatlicllp様はイクローを自分の夫にしていたのだ。
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