第6話 捧げものです

 薄暗がりの中で厳かに開かれたジェラルミンの箱の中には奇妙なオブジェの如き多面体が有った。不意にその一点が曇ったかの如く影に覆われる。いや、覆われるのでは無い。その影は内部から染み出して来ていた。黒い染みの中央に三つの眼が開く。途端に辺りが陽光に包まれ、絶叫が響き渡る。次の瞬間、多面体に拡がりつつあった黒い染みは消滅していた。

 「何でえ、これだけかよ」多面体を見下ろして美少女の如き顔立ちの少年、イクローがつまらなそうに呟く。その隣に佇むわたしは顔をしかめて「駄目だよ。Nyarlathotepナイアルラトホテップを苛めちゃ」と云ったが、少年はわたしの言葉を無視すると箱の蓋を閉め、部屋のカーテンを閉め始めた。部屋は室内の器具からすると、マイクロフィルムの撮影室らしかった。視聴覚室や実験室などの用途別の教室だけを揃えたこの校舎にはあまり馴染みが無く、この階に至っては全然来た事が無かったのだが、こんな部屋迄有ったんだ。

 「もう一回やってみよう」

 「だから駄目だよ。他の大いなる古き者達グレート・オールド・ワンズからは馬鹿にされ古き神々エルダー・ゴッズからも無視され、大いなる古き者達の一柱でありながら、従属種族並みの扱いで唯一封印され無かった可哀想な神様なんだから」

 「知ってるよ。人間程度のレベルでないとまともに相手して貰えないから積極的に人間に関わろうとしている構ってちゃんだって事も知ってるって」「それ、不敬だよ」と云うわたしの声にも非難の響きは無い。そもそも笑いを堪えながらの指摘だったりするのだから。わたしは阿澄あすみ杏子きょうこ。不良と云う訳では無いが、仮にも大いなる古き者の末席に名を連ねるNyarlathotepを蔑ろにする様な男と付き合っている事からも判る様に、あまり真面目な娘ではない。自分で云うのも何だが。最近、父親が表向き謎の失踪を遂げて、その不真面目ぶりに益々拍車が掛かっている。不真面目成分が絶賛増大中と云う処だ。少なくとも他人の眼からはそう映っている事だろう。自分を客観的に見られるのがわたしの最大の長所だ。自分で云うのも何だが。ちなみにわたしの父は賢くは無かったが、それでも人を見る眼は有った。娘の交際相手としてこの美少年、イクローは已めておけと云い続けていた。わたしのの方でも父の云わんとする事は判っていたが、それでも付き合いを已めはしなかった。実を云えばイクローの事については同じクラス、つまり三年土星組の御園あかりも警告していた。イクローはこの町に在る神社に勤めており、彼は高校中退だった。首都圏に在るうちの学校の兄弟校の一つなのだが、実は彼はそこを退学に成ったのだと、御園あかりは云った。彼女の家は、Tsathogguaツァトッグァ様のみならず大いなる古き者の信者達の間で名家として通っていた。各地の信者や信仰関連でも独自の情報網を持っており、又、あかり自身、真面目で手堅い性格だったので、その彼女がこうした事を口にすると云う事は、ほぼ事実と考えて良いのだろう。多分、わたしも知らない彼の本名を知ってもいるのだろう。だが、彼女の警告は皮肉な結果を生み出した。それ迄は顔だけに惹かれていた。性格や言動に難有りと云うのも判っていて、適当に付き合い折りを見て別れる積りだった。だが、あかりの教えてくれた退学の理由は、逆に彼への興味を搔き立てられる結果と成ったのだ。彼は通っていた高校でHasturハスター研究会に入っていた。Hastur様は召喚し易く、又、召喚しても周囲に対する影響力が少なく危険度が低い事から各地で人気が有り、その高校でもご多分に洩れず絶大な人気が有った。そこの学祭でHastur研究会はHastur様の召喚会を行った。召喚は大成功で、それには、折り良く高校を探りに来てくれた敵対組織であり古き神々の信徒でもあるOrders of The Elder Godsの一員の男性が居てくれた事も有った。妖術研究会の連中が施術イベントで彼をおびき出したり、Shoggothショゴス愛好会の連中が変身や攻撃を仕込んだ多くのShoggoth達を配置したりして、美事にその男を捕らえ盛り上がったそうだ。そして、そのクライマックスは彼の身体に召喚術でHastur様の魂を降臨させるもので、縛り上げられ、直前迄恐怖の形相でもがいていた男の全身が変貌し無事に怪物化し始め、観客が拍手喝采した時に事件は起こった。他の会員達と一緒に壇上に居たイクローは、有ろう事か、隠し持っていた古き印エルダー・サインをHastur様が乗っ取っている最中の男の身体に押し付けたのだ。悲鳴が上がった。男のでは無い。Hastur様だ。そして男の身体から脱け出したHastur様は一気に地球外へと、Hyadesヒアデス星団の彼方へと逃げ去り、それを見送りながらイクローは、呵呵大笑していたと云う。そして彼はHastur様への虐待行為が有ったとして退学と成り、急ぎ校則に、《大いなる古き者を苛めない事。違反者は退学処分の上、関係各所に回状を廻す事とする》が付け加えられた。しかしイクローはその校則が出来る前に退学に成っているので、就職先へも回状は廻されてはいなかったらしい。そうで無ければ大いなる古き者への信仰に根ざした神社に就職出来る筈も無い。

 わたしはイクローの事を理解した積りでいた。いや、実際に理解していたと想う。だが、そこから導き出される計算が間違っていたのだ。わたしは遠からずイクローが自滅すると想っていた。だが、自滅だけでは済まないのではと想わせる事件が起こった。巨大な欧羅巴蜍よーろっぱひきがえるをお祭りしている事に成っている河津かわづ神社が本当はTsathoggua様をお祭りしている事は、代々この町に住んでいる者ならば、或いは町の住人や大いなる古き者の信仰の関係者であれば、皆、知っている。だが、それでも神社の関係者にしか知られていない事柄が幾つか有る。その内の一つが、Tsathoggua様の十二妃神がお祭りされている事だ。天開町あまびらきちょうは高度が高く幾つかの山々で構成されている町だが、河津神社は比較的高度の低い位置に在る小さい山、或いは丘の中腹に建てられている。しかし丘の天辺迄が敷地であり神域で、本殿の左右から上の方へと小道が続いており、それは山の天辺に在るTsathoggua様のご両親、地底の引篭りの宇宙無宿スペースワンダラー鉄腕マイティGhisguthギズグス様と四つの羽持つ天空の女王Zstylzhemgniズスティールゼムグニ様のお社へと通じる道に成っている。だが、注意深く見ていると、天辺へ行く途中で更に細い横道が叢に隠れているのが判る。それこそがZothゾスの十二皇妃の社へ続く道なのだ。

 イクローから誘われたので何処へ連れて行ってくれるのかと興味津々で出て行くと、待ち合わせ場所にスポーツバッグを抱えて現れた彼は遊園地でも映画館でも劇場でもなく、自分の勤め先である河津神社へ向かったのだ。それも行き成り横道へ逸れて中腹の草木に隠れる様にして佇む十二の社へ向かったのだ。「これ十二皇妃様のお社じゃん」と云うと、イクローはわたしが既に知っている事に一寸つまらなそうな表情を見せたが、すぐにNyarlathotepを苛めた時の様な表情に成り、黙って先を進み始めた。折角のお洒落なマフラーが梢に引っ掛からない様に注意しながらわたしもイクローに続いた。

 河津神社自体は南に面しているが、道はぐるりと丘を回って裏の方、北側へ向かっている。北側の斜面に、早速一番目の社を示す鳥居が見えた。鳥居の向こうにはTsathoggua様やそのご両親の神様達程ではないが、そこそこ大きな社が建てられている。イクローは行き成りお社の扉を開け放つと、流石にスニーカーは脱いで、ずかずかと上がり込み、ご神体の所へ進む。一応神社らしく、ご神体の所には鏡が置かれているのだが、イクローはその後ろに向かった。鏡の後ろにはまるで骨壷でも入っていそうな箱がある。厨子とか云うものらしい。いや、後で調べたらそれは仏教の場合だったのだが、この時のわたしはそんな事は知らなかった。イクローが箱を開けると中にはTsathoggua様が女装、いや性転換した様な像が入っていた。これなら知っている。見てそう想った。確かGashachtheガシャクテ様だ。実を云うと授業で教わったのに十二皇妃様の名前全然憶えていない。それでも性転換したTsathoggua様は、最初に似姿の絵を見せられた時、教室で大爆笑してしまって先生に怒られたので憶えていた。そうか、この人(?)が一番目のお妃だったのか、と今頃に成ってわたしは想った。先生達が知ったら落胆する事必至だろう。イクローは「これじゃねえな」と云うとすぐに箱を元に戻し、次の社に向かった。十二皇妃様の社は北から東周りに参拝するものと決まっている。少し進んで二番目の社に着いた。イクローは、又もご神体が安置されている箱を開く。「何だ、こりゃ?」イクローが手摑みで荒っぽく引っ張り出した像は何処から如何見てもいもりにしか見えない代物だった。舌打ちしてイクローは像を元に戻した。イクローは再び次の社を目指し、そこでも同じ事をした。今度は蜥蜴とかげだった。その次はどうやらアホロートル。次は二足歩行のガビアルわに。そして六番目の社の時だった。二足歩行の鬣蜥蜴イグアナとしか云い様の無い姿で、イクローは「惜しい」とだけ云って像を戻した。一体、イクローの狙いは何なのだろう?

 社のご神体の七番目はは象亀ぞうがめを、八番目は眼の大きな守宮やもりを想わせる姿、九番目は怪獣みたいな姿だった。『ゴジラの逆襲』とか云う白黒映画に出て来た怪獣みたいな背中と体形をしている。後で知ったが、大鎧おおよろい蜥蜴と云うらしい。

 次の十番目のお社は、一寸だけ震えが来た。何か居る感じだった。霊感が強いのがわたしの短所だった。いや、大人達はそれをわたしの一番の長所に数える。自分自身を客観的に見る事では無く。でも、わたしにとっては何ら良い事は無い。いや、一つだけ有るか。イクローと知り合えた事だ。わたしの霊感は社を訪れた際、その社に祭られている神をと交感出来ると云うものだった。とは云え距離に限界が有るらしく、地球の外に居る神様達や地球でも深海の底だの地底の奥だの、そう云った特殊な境界に居る神様は無理なのだが、それでも初めて河津神社にお参りした時、わたしは何かを感じた。それがTsathoggua様の気配だと知ったのは大分後に成ってからだったが。丘の天辺に在るTsathoggua様のご両親のお社では幾らお参りしても何も感じない。後で聞かされた処では冥王星に居られるのだとの事で、道理で何も感じなかった訳だ。この霊感のお蔭でわたしはこの河津神社の宮司さんを始めとした皆さんとは顔見知りだった。卒業したらうちに来ないかとも云われていた。大学に行くからと断ったけれど、大学を出たらおいでとも云われている。

 話を戻そう。十番目のお社のご神体は直立した襟巻えりまき蜥蜴の様な感じの姿なのだが、顔の感じが蛙で身体も何処か蛙を想わせるぶよぶよ感が強かった。でも脚や尾はやっぱり蜥蜴で、蛙と襟巻蜥蜴を合体させた感じとでも云えば良いのだろうか。このお妃は地球の何処かに居る。そう想った時、想い出した。十二皇妃様のうち、確か若い三女神はHyperboreaヒュペールボレア降臨されてそのまま地球に居着いたと云う事だった。と云う事は十番目から十二番目のお社の祭神と交感してしまうかも知れないと云う事だった。普通は感じるだけで交感しないのだが、要注意だ。しかし注意するぐらいなら来なければ良かったのだ。実は手遅れだった。次の十一番目のお社の鳥居を見た時、そこに祀られている女神様との交感が始まってしまった。女神様の名はZishaikジシャイク様。蛙が太顎鬚ふとあごひげ蜥蜴に化けた様な姿をしている。その昔、Chushaxクシャクス様と共に降臨された女神様だ。先程の襟巻蜥蜴している蛙がChushax様だ。そうした事が一瞬で頭の中に閃いた。そうした情報源は全てZishaik様だ。そして、このお社でさしものわたしも戦慄する様な事が起きたのだ。

 イクローはZishaik様のお社でも、それ迄のお社と同じ様にご神体の像を引き出したのだ。そしてZishaik様の似姿の像を見た途端、「おおっ、これだ」と笑顔に成るとスポーツバッグのジッパーをいそいそと開いた。いつも彼が抱えているスポーツバッグだが、そう云えばその中を見た事は一度も無かった。中にはホームセンターなどで売られているプラスチックケースが入っており、その中に入っていたのは・・・。

 「どうだ。可愛いだろ。さ、チビ、出て来いよ」ケースから顔を出し彼の掌に乗ったのは、太顎鬚蜥蜴だった。本物の。イクローは、チビと呼んだ太顎鬚蜥蜴をZishaik様の像の頭に乗せた。Zishaik様の像の頭の上にちょこんと乗り、上を見上げているチビの姿は確かに可愛いく、又、何とも云えないユーモラスな光景だった。そしてイクローはスポーツバツグからカメラも取り出すと、撮影を開始した。あ、まずい、とわたしは想った。わたしがその様子を見ていると云う事はZishaik様にも伝わってしまっている可能性が有った。人間達の行為をZishaik様が理解出来ていればの話だが。

 目的を果たしたイクローは、十二番目のお社はそのまま寄らずに通り過ぎたが、そこは大山椒魚の様な姿をしたShathakシャタク様のお社だ。Pnomプノムとか云う大昔のオッサンがTsathoggua様のお妃だとした女神様だ。Shathak様とは前にも一度交感してしまった事が有るので、鳥居を眼にする前から、そこがShathak様のお社だと云う事は判っていた。その時、わたしは何やら笑い声を聞いた気がした。いや、笑いと云うより嘲笑か。声ではない。気配だ。と云う事はShathak様が嘲笑されているのだ。わたしは少し怖く成って来た。怒るのではなく嘲笑。それも馬鹿にされたZishaik様ではなく何故Shathak様が?

 「女神様がお怒りに成ると想わないの?」わたしは想わずイクローに訊いていた。だが、彼の答に訊かなければ良かったと想った。「罰が当たるって云いたいのか?お前なあ、こいつ等、地球に居やしねえんだぜ。俺が何しようが判りっこねえって」こいつは馬鹿だ!いや、知らないのだ、十二皇妃様のうち三女神は地球に、地底の奥深くN’kaiンカイに居られる。いや、その前に、大いなる古き者の大半は自分の似姿の像を通して、像の周囲の情報を得る事が出来るものなのだ。それを知らない?わたしはそれ迄イクローの事をアナーキーで面白いヤツと想っていたのだが、そうでは無かったのだ。只、何も知らないお馬鹿だっただけの事だったのだ。確かイクローは此処で禰宜ねぎとか云う仕事に就いていたが、禰宜とはこんなに物を知らなくても務まる仕事なのだろうか?だが物を知らないだけでは済まされない。こいつを何とかしないと危険そうだった。こいつが下手を打てば、わたしも仲間扱いされかねないと、此処に至ってわたしも自分の立場の脆弱さに漸く気付かされた次第だ。

 イクローは「こっちから行こうぜ」と云って裏手に回る。表に回れば社務所が在り、宮司さんや権宮司さんと顔を合わす可能性が有る。それを避けたいのだろう。だが、わたしとしては気乗りがしない。子供の頃から遊び場にしているこの丘だが、裏手は苦手だった。イクローの後について行くと、全身の毛が逆立つ様な感覚に襲われた。矢張りそうだ。見えてはいないが、叢か樹の陰か何処かに社が隠れている。昔、小学校の頃、修学旅行で鎌浦かまうらと云う所へ行った事が有るが、そこで水流山つるがやま六合廷くにがてい宮へ参拝した時と同じ気配を、極めて危険な気配を感じていた。六合廷宮に祀られている六合廷くにがてい在有矛ざうむ神は、嘗てHyperboreaのCommoriomコモリオムを滅ぼした実に危険な神様で、その凶暴さは未だ鎮まっていない様に想えた。あの時、わたしが怯えずにいられたのは、もう一つの気配が、明らかに六合廷在有矛神よりも強い気配が、危険な感じでは無かったからだ。そして、わたしはその気配と交感した。気配の正体は六合廷在有矛神の母、素芭酉苦楼楼大神すはとりくるるおおみかみだった。Tsathoggua様の孫だか曾孫だか、そんな女神様の筈だった。ヒューマノイド種族のVoormiヴーアミの一人を気に入って自分の夫とし子迄した事からも判る通り、非常に情の深い女神様だ。ちなみにその子供と云うのが六合廷在有矛神だった。今、六合廷在有矛神と素芭酉苦楼楼大神の二つの気配が足元から立ち上っていた。わたしは再び素芭酉苦楼楼大神と交感していた。そして知った。わたしの足元何千メートルか下はN’kaiの一部なのだ。N’kaiは北米の地下に在るものと想っていたのだが、欧州や澳大利亞オーストラリアの下にも拡がっているのだ。特に今、わたし達の居る足元には高さが一千メートルを越す巨大な空洞が在って、気配が立ち上り易いらしい。Tsathoggua様もそこに居られる筈だ。その時、ふと妙案が浮かんだ。


 「蜂のひと刺しって云うのは蜜蜂の場合なんだよな。他の蜂は熊蜂でも脚長蜂でも雀蜂でも何回でも刺せるんだよな」出会い頭にイクローがそんな話を始めるので何かと想っていたら、「だから、あのオバさん、多分、熊蜂か何かだったんだよな」と云うのでよく判った。航空機関連で当時の首相が袖の下を渡されたと云う話で秘書も否定したのに、秘書の目立ちたがりの奥さんが、多分、夫と巧く行っていない憂さ晴らしもあってか、夫が認めていたと公に肯定してしまったと云うヤツだ。その時の奥さんが自分を蜂に例えて「蜂の一刺し」を話の枕に用いたのだが、夫を刺して夫婦ともども・・・と成るどころか半タレント化して嬉々としてテレビに出演したりしているのだ。しかし「蜂の一刺し」が世間の話題に上ったのは一ヶ月も前の事だ。「いや、実は蜜蜂女を昨日見掛けたもんでさ」蜜蜂女と云うのは、大いなる古き者達の信徒の間に伝わっている伝説の生き物で、熊の神Avrillbolbiyonnアヴリルボルビョッンと蜜蜂の女神Ohnakオーナクの間に生まれた両性具有の存在Kallisカリスを祖とし、体形はヒューマノイドで六つの乳房を持ち双つの眼は複眼で鼻と口は人間に似、後頭部から背に掛けては蜂を想わせる毛に覆われ胴と腰の辺りは熊を想わせる毛に覆われており、額からは二本の触角が、手と爪先は大きくて、指先には鋭い爪が伸びている。外見は雌だが、発情すると股間の部分から陽根が現れると云われている。しかし、それが何故この町に?「いや、此処ン処Shoggothの召喚を練習しててさ、昨晩それやってたら窓の外に話に聞いた通りの姿の蜜蜂女が立ってたんで、召喚を何処かで間違えたのかと想ったら、行き成りそいつがダッシュで立ち去って、そうしたらそこにShoggothが二体、ぐにょぐにょとやって来たんだ。だから召喚を間違っちゃいなかったんだが、そうすると何であんな所に居たんだろう?写真撮る暇が無かったのが残念だったな」蜜蜂女は人間よりも知能が高いので中には人語を解し人間と交流を持つ者も居ると云われ、人間よりやや大柄なだけで隠密能力の高さから大いなる古き者の信徒達が暗殺や情報収集の為に使っている例も有り、近年はHasturの信徒達が使っている事が多いと云う。そこ迄想って気が付いた。前の学校で当然Hastur研究会の怒りを買ったイクローは、恐らくHasturの信徒達からも恨まれている筈だ。だとすればその蜜蜂女は彼等が差し向けた刺客だったのでは無いだろうか。処がイクローが二体もShoggothを召喚したので分が悪いと見て急いで引き上げたのではないだろうか。だとするならば愚図愚図していられない。蜜蜂女がイクローを狙っているのだとすれば、一緒に居るわたしも巻き添えで攻撃を喰らう危険が有るのだ。こう成ったら一刻も早く想い着いた案を実行に移すべき時だ。イクローは河津神社の禰宜のクセしていつも通りのジーパンにスタジャンに、あの太顎鬚蜥蜴が入っているのだろうスポーツバッグを抱えていて今日は何をしようか、などと暢気な事を云っている。わたしは町の秘密の一つを教えてあげると云って、彼を空間の扉が幾つも存在する山腹の洞窟へ連れ出した。洞窟と云ってもコンクリで内側を固めており、天井や壁に照明装置が取り付けられていて一寸した地下街だ。トロリーバスで麓より若干下ぐらい迄行った所で降り、前にわたしがTsathoggua様の所に行くのに使った扉を開く。イクローは流石に眼を丸くして「わっ、わっ、何これ?すげえ!」とか云っている。扉を潜れば、すぐそこは雰囲気の異なる巨大な洞窟の中で、この前来た時は気が着かなかったが、恐らく此処がN’kaiなのだろう。足元や壁が原因はよく判らないが、うっすらと光っていて照明代わりに成っている。少し歩くと前に感じた事の有る気配が幾つか感じられ、あ、ヤバイ!と想っていると、不意に人間の言葉で「あ、この前、わたしに似た子を持っていた人間ね」と云う声がし、振り向いたら、そこにZishaik様が立って居られた。変な云い方だが、似姿の像にそっくりの姿だ。「え?何で?」と後ろからパニックに陥っているらしいイクローの声がしている。だがZishaik様は人懐っこい様子で「わたしの像に乗せて頂いた生き物は今もその中に居るのかしら?」と問いかけて来られた。益々パニックに陥っているイクローからスポーツバッグを引っ手繰ると、わたしは中から太顎鬚蜥蜴の入ったケースを取り出しイクローの腕に押し付ける。「ほら女神様がご所望よ」イクローは慌ててぎくしゃくと中から太顎鬚蜥蜴を出してZishaik様に手渡す。「チビと呼んでいましたが、それがこの子の名前なのですか?」とZishaik様に問われ、イクローはかくんかくんと頷く。Zishaik様はチビを自分の頭にお乗せに成った。すると「あら。そっくりですわね」と声がして振り向くとChushax様がそこに居られた。すると別な方角から「でも、その子は太陽光線を必要とする生き物ですわね」と声がして見ると今度はShathak様がそこに居られた。「残念ですわね」と云ってZishaik様はチビをイクローにお返しに成られた。多分、欲しいと仰る積りだったのだろう。交感していなくてもそれぐらいは判った。

 三女神から解放されてもイクローはがちがちに緊張していて、無口に成ってしまっていた。返されたチビをケースに戻そうともしないので、わたしが戻さざるを得なかった。そしてケースを入れたスポーツバッグはわたしが担いだ。この先の道は前に来た事が有るので判る。わたしは一度来た道は大抵憶えているのだ。しかし。もうすぐTsathoggua様の御前だと云う所で強い気配を感じた。素芭酉苦楼楼大神、つまりSfatlicllpスファトリクルルプ様だ。危険な感じは無いので、そのまま進む。何やら影が見えた。人間みたいだ。親父?ゲッ、と成ったわたしは想わずその場に立ち竦んだ。箒と塵取を手にしている人影は間違い無く親父だった。親父はこちらに気付かずそのまま奥の方へ歩いて行った。生贄に持って来た筈の親父がああして生きていると云う事は、Tsathoggua様が召し上がらなかったと云う事だ。もしかしてTsathoggua様、意外と美食家なのか?

 Tsathoggua様は玉座に居られた。Sfatlicllp様の気配も感じられるので、この空間の何処かに居られるのだろうが、わたしには判ら無かった。或いは壁の向こう辺りかも知れない。Tsathoggua様はわたしの事を憶えておられた様で、先日の生贄は如何でしたか、とお訊ねすると、いや、あれは中々有用なので喰わずに用を云い付けておるのじゃ、とか何とかもごもごととお答えに成る。多分、まずそうだと想われたんだろうな、と想ったわたしは、今日は捧げものを致したく、と切り出した。親父同様に食べて頂けなくても、受け取って頂ければそれで良かった。わたしは後ろを振り返るとイクローを手招きする。Tsathoggua様を目の当たりにして完全に思考停止状態に陥ったイクローは、何も考えずにふらふらと寄って来る。わたしは彼をTsathoggua様の正面に立たせると「わたくしの心ばかりの捧げものです」と畏まって云う。

 「ふむ、成る程、美味そうだな」とTsathoggua様が呟かれたのを確認して、「それでは本日はこれにて失礼致します」と云ってイクローをTsathoggua様の方へ突き飛ばすと、Tsathoggua様が片手で彼を摑み上げたのを横眼に、さっさと引き上げた。スポーツバッグを持ったまま。そして、その日から、わたしに太顎鬚蜥蜴のペットが出来た。

 この後の事は、後日Sfatlicllp様と交感した時に知った事だ。

 Tsathoggua様はイクローを気に入られたのだが、実は少し前に土星に召喚されて生贄の牛七頭を召し上がられたばかりで満腹だったのだ。それでTsathoggua様が周囲を見回すと、向こうの方にSfatlicllp様のお姿が見えたので呼び寄せられ、片手に握っておられた失神状態のイクローをお渡しに成られた。「こいつをお前に預ける。大事にしてやってくれ」畏まってSfatlicllp様が下がられると「では一眠りするとしよう」とTsathoggua様はすぐにお休みに成られた。

 そして半年後に眼覚められたTsathoggua様は、イクローが本当にSfatlicllp様に大事にされていた事を知った。Sfatlicllp様はイクローを自分の夫にしていたのだ。

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