第4話 黒い湖

講堂には凄まじい臭気が渦巻いていた。わたしには何の臭いかすぐに判る。嗅ぎ慣れているから。教室の皆も慣れている慣れていないの差は有れど、皆、幾度か嗅いで既知の臭いでは有る筈だ。それでも嫌だと云う人は少なく無いし、況してや、わたしにしても、最初は想わず引いた程の臭いだった。既に青い顔をしている人達も可成り居る。女子校で男子の眼が無いのを良い事に服の前を開けてブラを外し大きく深呼吸している人も居る。そんな事をしたら、益々臭いを嗅いでしまうだけなのだが。そしてその臭いの源は正面の壇上で大人しくぐねぐねしている。わたし達が修学旅行先の南極から持ち帰った、いや、連れ帰ったその時はまだ野生だったShoggothショゴスだ。Shoggothの中でも特に大きい方で今は身体を縮めているが実際はこの学校の敷地よりも巨大だ。その分、臭いも強く、日頃Shoggothに慣れ親しんでいる生徒の中にも、この臭いだけは無理だと云う反応が少なからず有った。巨大に成ったのはずっと独りで成長を続けていたからで、仲間からもはぐれたShoggothだった為、Shoggoth間での個体名が無い珍しい仔で、誰かが、水樹さんだったかが、野良ShoggothだからとNoraノラと呼び、それが定着して今では正式にNoraktchelノラクトケルと云う名を或るShoggothから付けられている。日本に今、二十億体程居ると云うShoggoth達殆どの祖とでも云うべきShoggothで、古事記や日本書紀にも最初の方で名前が記述されており日本全国に神社が点在している偉いShoggothなのだが、人に変身している状態でお会いすると、とてもそうは見えず、それどころか非常に親しみ易くて戸惑ってしまったものだった。彼女の話では、このNoraktchelは第一世代、即ち最後は南極に細々と生き残っていた異星人達の手で産み出された世代では無く、その仔等が交接し産卵に依り繁殖して誕生して行った世代らしい。自身が第一世代の、それも最年長グループの一体である彼女にとり同世代と第二世代は、皆、既知で有るのだがこの仔は知らなかったのと云う。つまりNoraktchelは第三世代以降のShoggothと云う事に成る。尤も、その世代の中では進化を極めており、このまま行けばわたしの様に大いなる古き者グレート・オールド・ワンの一柱に成れるかも知れません、とは彼女の弁だ。又、Noraktchelに関してNyarlathotepナイアルラトホテプが何やら暗躍していたらしく、彼女が見つけて秘かにお仕置きして追い払ってくれていた。今日も彼女は何処かに潜んでNoraktchelの様子を見ている。それが証拠にNoraktchelが喜び興奮している。臭いで判る。何せ南極で見つけた時からの付き合いだ。南極に居た間も、此処に連れて帰って来てからも、ずっとわたしが飼育係だったからだ。わたしは三年土星組の日笠ひかさ月子つきこ。本当はこう云う名前だから月組に入りたかったのだが、わたしの学年は火星組、木星組、土星組だった。一学年上が月組、水星組、金星組だったので、こう云う名前を娘に付けるのなら、もう一年早く生んで欲しかったと親を恨んだものだ。今は感謝している。土星組に入れて良かった。そうで無ければNoraとの出会いも無かっただろうから。それでも矢張り月組の月子と名乗りたかったと云う想いは僅かながら残ってはいるが。

 その月組の教室には南極の写真が張られている。正確には南極に向かう途中の写真だ。点在する氷山をバックに一頭の巨大な肉食恐竜型の怪獣の顔が写っている。Zothゾスから飛来した神々の中にも顔だけは似たのが居ると云うが、あちらは首から下が玉蜀黍とうもろこし型で腰(?)から下は海盤車ひとでなのに対し、こちらは東宝に売り込んでも良さそうな由緒正しい二本足の怪獣型。実際、南極へ向かう砕氷船の自衛官が眼にして「放射能を吐かれる前に逃げろ!」と叫んだと云う逸話も残っている。確かに顔もそんな感じで肉食恐竜型の顔ながら二つの眼はイグアナを想わせる様な大きな眼をしている。Tsathogguaツァトッグァ様の落とし仔の子孫の一体に当たる女神のZdolligaズドリガ様だ。正直、Zdolliga様に遭遇した先輩達が、わたしは羨ましかった。Noraに出逢う迄は。

 さて、そのNoraktchelは南極で独りで成長を続けていた、つまり色々な物を食し取り込み吸収して行ったのだが、その中には人間も多く存在していた。その中の数人の末期の記憶が取り出せたとかで、その内の一人の話を此処でNoraktchelに、その人物に成って語らせるのだそうだ。

 「え~、皆さん、静かにして下さい。Noraktchel君はShoggothの中でも人見知りで臆病なんです。ですから皆さん、騒いだりして彼、あれ彼女だったかな?兎に角、Noraktchel君を怯えさせない様にお願いします」江戸えど太吉たきちと云う人間の先生が懸命に皆に呼び掛けるが、実を云うとShoggothの扱いに一番慣れていないのがこの先生だったりする。先生は昨年の春にこの町にやってふらっとやって来て先生に成った。どうやって先生に成ったのかは判らない。先生は大いなる古き者の信徒では無いらしく、それが何故殺されもせず内の先生に成ったのかは大いなる謎だが、兎に角、貴重な存在だ。何しろ人間の先生は二人しか居ないのだから。そして、外から来たばかりで信徒でも無いと云う事は、先生のShoggothに関する知識は、他所からやって来た一年生と同レベルだ。この町に生まれ育っていれば幼稚園に入る頃には遅くてもShoggothの事を知る様に成り、小学校に上がる頃には遅くてもShoggothに馴染んでいる様に成る。かく云うわたしは幼稚園に行く前、物心着いた頃からShoggothに慣れ親しんでいた。幼稚園に通う頃にはお隣の家のShoggothや迷子のShoggothが勝手に付いて来たりして、お蔭で幼稚園では『Shoggoth遣いの月子ちゃん』と呼ばれたりして、このクラスにも、その頃からわたしを知っている人が少なく無い。皆がわたしをNoraの飼育係に推したのは、そうした事情も有るのだ。

 さて、いよいよ本番、Noraは壇上で身体を見る見る縮込ませると変身を開始する。アメリカ人の男性の姿だ。最初の頃はこの変身にも時間が掛かり、おまけに素っ裸だったものだから、わたしや訓練に付き合った皆は大騒ぎで、茸の先生達は何故皆が騒いでいるのか判らない様子だった。茸の先生達は、冥王星から来た茸の親戚でMi-Goと云うエイリアンなのだが、生徒の多くはキノコと呼んでいる。ちなみにNoraを当事者に変身させて語らせると云うのは、茸の先生達の発案だ。更にもう一つ苦労したのが翻訳だった。当事者がアメリカ人なので喋る内容が英語だったのだ。そこでも茸の先生達が活躍してくれた。茸の先生達はShoggothとはテレパシーで意思の疎通を図れるので、内容を日本語でわたし達に伝えて貰い、それを元にわたしと水樹さんとで台本を書き、Noraに覚え込ませたのだ。だから現実には当時の人物の記憶に語らせるのでは無く、役者を仕立てたテレビの事件再現映像みたいな感じなのだが、まあいんじゃないかな。壇上では、ちゃんと死んだ時と同じ防寒着姿に変身したNoraが低い声で淡々と語り出した。日本語で語らせているが、声も死んだ人物のものの筈だ。


 「わたしはハワード・スミス。考古学者だ。わたしの不運が何時始まったのかは判らない。だが、その一つは間違い無く軍の知人の依頼で軍艦に乗船した事だろう。フーヴァー大統領が世界恐慌への対策を何やら発表したが、果たしてそれが有効だろうかと世間ではとかくやかましい頃合で、わたしにはそんなものはどうでも良かった。兎に角、仕事が欲しかった。それ也に蓄えは有ったが、このご時勢では明日にどう成るかも判ったものでは無いし、それ以上にそろそろ暇を持て余し始めてもいた。目的地は聞かされていなかったが軍の仕事では良く有る事なので気にしていなかった。だが船中で南極と聞かされて驚いた反面すぐに察した。昨年、嘗てわたしが奉職していた大学の調査隊が南極で二人の生存者を残して全滅した。詳細は不明だが、わたしには予感が有った。わたしが大学を辞めたのは、仕事に不満が有ったからでも給料が低かったからでも同僚と揉めたからでも無かった。或る夜、大学の図書館に稀覯本を盗みに入った賊が番犬に噛み殺された現場を見、人々が知るべきでない真実を知ったからだ。嚙み殺された存在もの、戸籍上はDanwichダンウヰッチと云う寒村に住む少年の筈の物体の屍骸を眼にしてしまったのだ。その様な恐るべき秘密の一端が大学の中に有ると知って、その事に耐え切れずわたしは辞職した。わたし以外にも見た者達は居たが、彼等は今も大学に残って秘密を堅く守り続けている。彼等の精神の強靭さには賞賛を送らずには居られ無い。そして、大学が秘す人々が知るべきでない真実が、南極の件にも関わっている様に一種の本能で感じられていたのだ。

 全てを知らされたのは南極に着いてからだった。指揮官だと云う大佐がしてくれた簡単な説明に依ると、哺乳類の誕生以前に建設された異星人の殖民都市を様々な角度から調査を行うのだそうだ。彼はわたしの様子を注意深く見ながら語ってくれた。どうやら、わたしが今にも笑い出すか、それとも莫迦にするなと怒り出すかと想っていたのだろう。だから、わたしが「判った」と云うと驚いた顔を見せ、本当に理解しているのかと逆に質問して来た。だが、わたしとしては、その程度の真実かと云う感じだったのだ。それで大佐に「その異星人と云うのはNecronomiconネクロノミコンに地球の先住者として記述の有る者達の事ですか?」と問うと、行き成り得心した表情に成り「その通りだイエス」と答えた。そして、Necronomiconを知っているなら、Shoggothも知っているなと問うので、今度はわたしの方が「知っているイエス」と答える番だった。すると、その異星人と云うのがShoggothの造物主に当たり、これから行く先ではShoggothが敵として出現する可能性が有るので対抗手段として先の大戦で独逸が用いた火炎放射器を大量に用意もしていると云うのだった。

 大佐は調査と云っていたが、可成りの時間と人員を費やして上陸を果たした時には、わたしはその事に疑いを持っていた。大佐はまるで戦争に行くかの様な準備を整えていた。Shoggothと云う人造生命体がそれだけ危険なのだとも考えられるが、それよりもその都市とやらには、まだ住民が僅かに生き残っていて、Shoggothに狩られているのだと云い、その住民にしても素手で大勢の人々を惨殺出来る力の持ち主だと云う。もしかして大佐はShoggothのみならず、住民達とも一戦交える積りなのでは無いだろうか。つまり戦闘で都市から異星人とShoggothを一掃した上で調査を開始すると云う事なのでは無いだろうか。

 機械の故障が有ったり作業中に誰かが転んで負傷したりと云った事故は有ったが、それでも今にして見れば順調に計画は進んで行った。副官と一部の部下達だけを残すと、大佐に率いられた一行は南極大陸を奥へ奥へと向かって行った。フィールドワークには慣れていたわたしだったが、流石に南極の移動は疲労を覚えるものだった。なので、前線基地を設営し、わたし達はそこに残り偵察隊だけ先行すると聞いた時は、ホッとしたものだった。わたしがテントの中で一休みした後、調査用の道具を点検していると飛行機が到着した。飛行機は異星人の都市が在る山脈を発見していた。その手前の湖も。そこで一騒ぎ有った。都市の発見にでは無い。都市はそこに存在しているのが前提だったからだ。手前に巨大な湖が有るとの報告に皆は訝しんだのだ。嘗て南極大陸を踏破し異星人の都市を発見した調査隊、知り合いこそ居なかったものの、わたしの昔の職場の者達でその生存者の報告では湖は山脈の手前迄およそ八マイル程の規模で、それだけの大きさで有りながら生存者の報告には湖の事は無かった。飛行機のパイロットを努めた中尉もその辺りを訝しんだらしい。彼は低空飛行を行い湖面の状態を観察して来た。それに依ると湖は泥炭を多く含んでいるのか一面黒く、凍結を免れている様子だったと云う。湖迄の距離は我々の現在の進行速度からすると、前線基地から半日程の距離だった。我々の目的地と成る山脈に行き着くには、その湖を超えなければ成らぬのだが、大学の調査隊は湖越えをした様子が無いのだ。迂回ルートか、それとも山脈の中に通じる地下洞窟でも有るのだろうか?偵察隊が送り出され、半日経たぬ内に湖発見の報が無線通信でもたらされた。しかし、それっきりだった。こちらから幾ら無線のキーを叩いてみても返事は無かった。そして一日経っても彼等は帰って来なかった。飛行機に燃料を入れ、中尉がもう一度飛んでみる事に成った。中尉は湖岸に打ち捨てられた橇や装備を認めたが、人影は確認出来無かった。大佐は帰還した中尉を詰問攻めにした。無理も無かった。我々も大佐と同じ気持ちだった。中尉の報告に有った偵察隊の物と思しき橇や装備は、湖の向こう岸に見つかったと云うのだ。どうやって偵察隊は湖を渡ったのか、渡る方法を見つけたのならその時点で連絡が有るべき処を、何故連絡しなかったのか、そもそも彼等は何処に消えたのか、延々議論が続けられた。湖の向こう岸に橇や装備が有ったのは湖に何処か一箇所凍結している所が有ったのではないかとの説を一人が唱えたが、しかしこれは中尉が否定し、それに湖を渡る際に連絡して来なかった理由が不明のままだった。次に進んでいる最中に洞窟か何かに入り込んでしまって前進を続けたら向こう岸だったのでは無いかと別な一人が唱えたが、、洞窟の中からは連絡出来ずとも入る前に連絡して来なかった理由は矢張り不明で、そもそも湖の手前に洞窟の入り口など有るのだろうか、中尉は自分が見た範囲ではそれらしい物は見当たら無かったと答えていた。一方、偵察隊が消えた理由については何らかの遭難と云うより、彼等はShoggothに襲われたのでは無いか、不意を突かれて無線連絡する間も無く全滅させられてしまったのでは無いかとする見方が、大勢を占めた。結局、新たに偵察隊を送り出すと云う事以外に、何一つ結論は出なかった。新たな調査隊は人数も倍に増やし、Shoggothが出現した可能性も考慮して火炎放射器もたっぷり持たせ、電話も持たせた上に送り出された。調査隊は湖岸に到着し調査を開始すると云う連絡を電話と無線の両方で送って来たが、その二時間後、電話が鳴り当番の兵が受話器を取ると、何か騒がしい音が向こうから飛び込んで来て、室内の皆の耳に迄届いた。何事だ、と皆が緊張して電話に注意を傾けていると、すぐに誰かの声が、何かに攻撃を受けていると叫び、声は悲鳴に代わった。「おい、どうした!報告をせんか!」想わず電話を引ったくって送話口に向かって叫ぶ大佐の声に答えたのは、風音に混じるテケリ・リ・テケリ・リ…と云う囀る様な音だった。その後は大佐が懸命に呼び掛けても答える物は無かった。

 調査隊を束ねる軍の大佐にはもはや後が無かった。彼は遂に全隊をもって進むと通達し、翌日、テントを畳むと皆は出発した。飛行機を先に発進させる事にしたが、湖岸付近には着陸出来そうな場所が無いとの事で、湖周辺をもう一度上空から見た後は船に戻る事に成った。中尉は、今度はもっと低めに飛んでみますと答え、大佐に低く飛び過ぎて事故だけは起こさぬ様にと注意されていた。

 焦燥に掻き立てられたか我々は四時間足らずで湖岸に着いた。湖は黒く不気味で沼と呼んだ方が良さそうだった。二度に渡る偵察隊の痕跡らしい物はちらりと見渡した限りでは無さそうだった。電話のコードも湖岸の手前、半マイル程の所で千切れていた。その時点で全員が疲弊していたが、それでも湖岸に前線基地を設営し警戒を怠らぬ様にと大佐の指示が有った。実際、先の偵察隊は到着して二時間後にShoggothの襲撃を受けている。電話のコードの千切れていた場所が襲われた場所である可能性が強かった。それで湖岸から一マイル程のなだらかな所に前線基地は設営された。発電機が無事に回転し始めると、大佐はすぐに電信で船に湖岸到着の連絡を入れた。そして飛行機で飛んだ中尉からの報告を求めると、返って来たモールス信号は、「マダキカンセズ」だった。大佐も、後ろに居た我々も蒼白に成った。そこへ一人の下士官が飛び込んで来た。大佐に見て欲しい物が有るのだと云う。行ってみると、湖の中程に島の様な物が見えるのだが、そこから何かが突き出しているのだ。双眼鏡で覗くと、どうやら飛行機の尾翼らしかった。中尉の機はあの島に墜落したのか?我々にはボートの用意も有ったが、大佐は今日は休んで明日から調査を開始しようと云った。

 翌日、ボートに三人が乗って島に向かう事に成った。湖水は黒く可成り粘性を帯びている様だった。しかし漕ぎ手がオールで水を搔くと、ボートは意外と簡単に進んだ。島には二人が上陸し漕ぎ手だけがボートに残った。上陸した二人に何か事有れば、直ちに二人を見捨てて戻ると云う嫌な役目だが、今の我々にとってはボートは貴重だった。ボートの三人には新装備が、正確には軍用装備の試作品が渡されていた。背中に背負う大きな箱型の無線通信機で、電話の様に通話が出来る画期的な装置だった。湖岸に佇む大佐の傍らに同じ装備を背負った兵士が居る。通信の有効範囲が一マイルに満たないそうで、メーカーでは最低でも有効範囲を一マイルにし、片手で持てるくらい小型化すべく尚も研究中との事だったが、今の我々にとっては申し分無かった。上陸した二人の内、一人が無線通信機の箱を背負っていた。皆が双眼鏡で見つめる中、二人は飛行機の尾翼と想える物に近付いた。丁度、山なりに成った頂の部分から、その物体は突き出している。一人が、頂の向こうを覗き込んで驚きの声を上げ、仲間が背負っていた無線通信機で大佐に連絡して来た。中尉を発見したと。生死を確認出来るかと大佐に云われて彼は再び頂に戻って向こうを覗き込み、途端に彼の身体は頂の向こうに消えた。無線通信機を背負った一人が急いで頂に上り、そこで彼は恐怖の叫びを上げた。頂の向こうから黒い触手の様な物がうねり彼の身体に絡み付く。彼は咄嗟に銃を抜こうとして已めると無線通信機で報告を入れて来た。「出ました!多分こいつがShoggothです!」彼の言葉を裏付ける様にテケリ・リ・テケリ・リ…と云う囀りが、無線通信機から流れて来ており、すぐに絶叫が囀りを覆い、砕ける様な雑音と共に通信機は沈黙した。双眼鏡の向こうで潰れた通信機の箱が頂からボートの方に向かって落下して来るのが見えていた。箱を背負っていた兵士は触手に絡み取られて頂の向こうに落下して行った。「居ない!」不意に一人が双眼鏡から眼を離して叫ぶ。その時には皆も気付いていた。漕ぎ手がボートから消えていた。

 島の頂の向こう側と湖中にShoggothは潜んでいる。それが結論だった。それで無ければ皆が島の頂に気を取られている間に漕ぎ手が消えた理由を説明出来無かった。生き残った者達は必死に前線基地迄逃げ帰り、緊急に召集された会議の席上で報告させら、翌日、もう一度偵察隊を湖岸近くへ出してみる事と成った。Shoggothの襲撃を折込済みの上で。

 その夜、前線基地に異変が起きた。真夜中に何物かの襲撃が有ったのだ。恐らくShoggothの仕業なのだろうが、皆が物音と銃声に気付いた時には物置にしていたテントが引きずり倒され、幾許かの物資と幾人かの歩哨が犠牲に成っていた。犠牲に成った物資の中には肉や馬鈴薯ジャガイモなどが含まれ、どうやらShoggothが食べてしまったのか拾い集めようにも雪と氷の上には見当たら無かった。一方、Shoggothは流石に燃料などは食べ無いらしく流れ出した燃料はすぐに見つかったが、殆ど回収は出来無かった。敵が何処から来たのかは判らなかった。大佐は残っていた全員を班分けし、四交替制にした。睡眠は六時間。四つの班の内、常に一つの班は睡眠、一つの班は屋外で見張り。一つの班はテント内で執務、一つの班は食事を摂るなどして待機、と云う状況で、つまり何か起きても四つの班の内、三つは即座に行動出来る状態にしてあった。それから丸一日、見張りに徹するだけで時間が過ぎ去った。食糧と燃料を可成り失い、船に戻る迄の時間を考えると、此処に居られる時間は後僅かでしか無かった。援助の為の部隊を編成出来る程、船に人員は残していなかった。それに船に残した物資もそれ程多くは無かった、こちらがどの程度日数を要するか判らなかったので、丁度、帰りの航路分程度しか残していなかったのだ。大佐は前進すべきか退却すべきかの決断を迫られていた。しかし、彼が決断を下す時間は無かった。決定的な出来事が起きたのは、丁度わたし達の班が睡眠中の時だった。 

 わたしは寝入りばなを叩き起こされた。「敵襲だ!」何が、と訊く迄も無かった。テケリ・リ・テケリ・リ…と云う囀りが耳に入って来る。テントから飛び出してわたしは、アッ、と息を呑んだ。黒い湖から巨大な触手が幾つも伸びて向かって来る。触手の太さはトラックよりも大きく、一マイルもの距離をものともせず伸びて来ていた。湖底に巨大なShoggothが潜んでいたのか?だが、そうで無い事はすぐに判った。黒い湖面に幾つもの眼が浮かび上がっている。湖と想っていたのは実は巨大なShoggothだったのだ!」

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