三章:決意、ソシテ真実ハ自分ノ瞳デ確カメル

※◇12.強引な今から500年前の話


「……あのー……これはお盛んと言うことでよろしいでしょうか」

つばさくんのバカ! 悪ノリ星人!」


 床に無造作に広がり落ちている掛け布団を拾い上げた翼に、半泣き状態のわたるが噛みつくように叫んだのには理由があった。


 時は三十分ほど前に遡る。


 どうにか梨紗りさACエーシーの話をするべく真っ白な頭の中から振り絞り出した言葉こそ、まさに仁子ひとこの言う新手のナンパと言えるだろう。初対面の女性を家に誘うなど、普段の航であれば絶対にあり得ない。


 あれから航は梨紗の仕事が終わるのを待ち、ひとりで暮らす自宅へと梨紗を連れて向かった。


 何であんなことを言ってしまったのだろうか、と心の中で後悔をぐるぐる渦巻かせていた航の隣で、梨紗は特に嫌そうな素振りは見せてこなかった。それどころか、楽しそうにたわいのない会話を投げかけ続けてきた。


「ここ、です」

「おー、やっと着いたか。結構駅から距離あんのな」


 二階建て、四戸のアパート。築年数は比較的に浅く、外観はまずまず見ためよい。


 ポストを覗き、空っぽであることを確認すると、航は一階奥側の玄関扉に、鍵を差し込んだ。


「ど、どうぞ」

「へぇ、普通に綺麗じゃん。しかもひとりにしては広くね? おっ邪魔っしまーす!」


 家主に構わず、梨紗は先にノリノリで上がり込んだ。梨紗が脱ぎ捨てた靴を丁寧に揃えてから、神妙な面持ちで航もあとに続いた。


「男にしてはまじでちゃんとしてるほうだろ。兄ちゃん綺麗好きなんだなっ」

「いやぁ、そんなでもないよぉ」

「ここ1K?」

「一応、1DKだよ」

「ふ~ん、どうりで広いわけだ。そういや、名前なんつーの?」


 梨紗の言葉で、すっかり名乗るのを忘れていたことに航は気がついた。


小宮こみや航、です」

「航かー、よっしく。あたし如月きさらぎ梨紗」

「えーと、俺は梨紗ちゃんの名前知ってるよ」

「あれっ? そうだったけか、悪い悪いっ」


 よくよく思うとこのは名も知らない男にひょいひょいついてきたのか、と複雑な心情を抱きつつも、航はキッチンの上の棚からマグカップを二つ取り出した。


「水、緑茶、紅茶、どれがいい?」

「んー、何でもいいー! 任せる!」


 梨紗の適当な返事に考えた末、航は無難に水を選択した。


 マグカップを両手に持ち、ダイニングへ続く扉を潜って梨紗の姿を見た瞬間、航の手からそれらは滑り落ちていった。


 激しく悲惨な音。


 マグカップは粉々に割れ、破片と水が悲劇的に散らばった。


「ちょっ、ちょっとぉぉぉ! はっ!? なっ、ななななななっ」


 床に脱ぎ捨てられているのは、梨紗が着用していたドルマン袖の緩いベージュの春ニット。それに伴い露わになっているセクシーな黒レースのブラジャーは、刺激が強すぎる。


 動揺を隠せず、立ち竦んでしまった航は突如、思いっ切り梨紗に腕を引かれた。


 視界が回る。気がつけば、航はベッドの上に押し倒されていた。目に映る天井は、瞬く間に梨紗の顔へと変化を遂げた。


「ちょ、ちょっとな、何してるの! ふ、服着て!」

「は? 何って何だよ」

「いや、何って何って何!?」

「誘ってきたの航じゃねぇか。可愛い顔して強引だよな」

「たっ、確かにさ、誘ったけどそういうつもりじゃっ……」

「ちょうどあたしもヤりたかったし」

「へ!?」

「童貞、食ってみたかったんだっ」


 ぺろっと妖艶な雰囲気で唇を舐めた梨紗を見て、逆に航の意識はハッキリした。


「ちょ! い、今何て!?」

「童貞?」

「な、何で、な……ななななんっ……」

「顔に書いてあんだよ。興味あるだろ? こういうの」


 ないと言えば嘘にはなるかもしれない。だが、そんなことを冷静に考えられるほど、航には余裕がなかった。梨紗を跳ねのけたいが、身体に上手く力が入らない。


「緊張すんなよ。あたしがリードしてやるから、任せな」


 梨紗の顔が首元に埋められた瞬間、


「ぎっ、ぎいやぁぁぁあああぁあ~!」


 反射的に、航は絶叫した。


 そしてそれはエコーのように、



「……」

「……」



 玄関の目の前に立つ、つばさ杏鈴あんずに届いていた。


 海辺を出発した二人は、杏鈴のスマートフォンのナビの力を頼り、何とか航の家に到着することが出来た。だが、その喜びも束の間、到着するタイミングを明らかに間違えた。


 中で、とんでもないことが起こっている、それだけは一瞬にして理解が出来たのだった。


「……き、気まずい、ですね」

「……そうだな。あ、敬語じゃなくていいですよ」

「翼くんも、敬語だよ?」

「……あ、すまない」

「初めが敬語だと、中々抜けないですよね」

「……ほら、また」

「あっ、本当だ」


 事の重大さを余所に、どうでもいい会話を小声で交わして、くすっと二人は笑い合った。


「……呼び鈴、押していいのだろうか」

「どう、なんだろう」

「……もう、いいか。おーい航! 俺だ!」

「押さないんだねっ」


 ドンドンッと強めに扉をノックした翼に杏鈴が苦い笑みを浮かべながらツッコミを入れると、


「翼くん! 開いてる! 鍵開いてる! 助けてぇえぇえええぇ!」


 中から航の悲痛な助けを求める叫びが聞こえてきた。


 玄関の扉を開いて中へと進んだ翼と杏鈴は、広がっている光景に目を細めた。半泣き状態の航に覆いかぶさっている梨紗。そして冒頭のやり取りを交わすに至ったのであった。


「……帰ったほうがいいなら帰るが」

「やめて! 帰らなくていいから! とりあえず何でもいいからここにいてぇ!」

「何だよ、友達くるならそう言えよな」


 航をあっさり解放し、梨紗はベッドから下りる。彼女のその姿を見ても全く動揺しない翼に、航は震えながらも感心の眼差しを向けた。


 脱ぎ捨てていた服を拾い袖を通した梨紗は、翼の足元に隠れるようにしゃがみ込んでいる人影に気がついたようだ。割れてしまったマグカップの破片を地道に集めている少女。


 その顔を覗いた途端、梨紗の目は驚きに見開いた。



「……杏、鈴?」



 顔を上げた杏鈴も、梨紗と同じ顔をしていた。



「梨紗、ちゃん?」



 梨紗と杏鈴を取り巻く空気に重みが生まれたのを感じ、黙って見守ろうと思った航と違い、翼はお構いなしだった。


「……知り合いなのか?」


 堂々と翼は二人の間を割った。

 固まっていた空気が弾ける。


「あ、うん。同級生。高校の時の」

「まじでびっくりしたわ」


 どすんっ、と芝生風のマットの上に梨紗は腰を下ろして胡座あぐらをかいた。


 一連の流れにハラハラしていた航は落ち着きを取り戻すと、破片を拾う杏鈴の手を止めた。代わって全て拾い終えると、濡れたマットもタオルで抑えるようにして拭き取った。


「わたしもびっくりしたよ~。高校出てから会ってなかったもんね」

「そうだよな。忙しくしてたもんな、お互い」

「うん」


 航が紙コップを四つ取り出し注いだ紅茶を、翼がテーブルに運んだ。


「っつーか、三人は何かの友達?」

「いや、違うけど、どうして?」

「時計おそろじゃね?」


 すっかりすっ飛んでいた目的を思い出し、航は慌てて鞄の中をごそごそと漁り始める。


「あ、航くんもしてるんですね。わたしもさっき翼くんから頂いて、今流行ってるんですよね?」


 知らぬが仏という表現がぴったりだ。何ひとつ疑っていない笑顔を向けてくる杏鈴に、航は苦し紛れに笑みを返すことしか出来ない。


「そうなのか? 知らねえ。一見きらきら高級そうだけど、タダで配ってるって、もしかしてあんた金持ち?」


 梨紗の質問に、翼はフッ、と一策講じたように笑ってみせた。


「……まさか。それにそんなに高いものではないぞ。今人気で在庫切れ続出なんだが、実はあとひとつだけ俺達の手元にあってな」

「そんなに売れてんのかこれ!」

「……ああ。何の気なしに集まったとは言え、ひとりだけないのも寂しいだろう、やるよ」


 完全な嘘っぱちの売り込みトークをサラサラと真顔で披露した翼に、航は苦笑いを保とうとする口元がぴくぴくと引きつるのを感じたが、おずおずと茶色の小箱を取り出し開くと、ACを梨紗へ手渡した。


 瞬間、ACは少し強い黄色の光を放ち、梨紗の左胸元の中へと飛び込んだ。


「うわっ、びびった。何だこれすげぇな!」

「最新のLEDライト? なんだって。凄いよね」

「へえ~、時代の進化だな。あたし社会人なって時計欲しかったからさ、ラッキー」


 ACを左手首へ巻きつける梨紗から航は視線を逸らしてしまう。何よりライトがどうだとかそんな適当なことまで言っていたのか、と航は翼へ圧を含んだ目配せしたが、翼の表情は変わらない。


「……よ、よかったらさ、お菓子でも食べる? スナックしかないんだけど」


 気まずさを解消したいが故、航はもぞもぞと身体を揺らしながら、無難な提案を口にした。


「おう! 食べる! 気い利くじゃねぇか航!」


 梨紗がキラリと目を輝かせて航の方を向いた、刹那。


 ピリリリリリリリリリ


 大きな電子音が、部屋中に響き渡った。

 


「えっ? な、何の音だよ」

「まさか、火事とか?」


 冷静な翼を見て航は察し、自身の左腕を捲った。


「へっ!? 何だよそれ!」


 ACから浮かび上がっているスクリーン。そこには“To ALLトゥオール”の文字が記されている。


 梨紗の服を掴み震えている杏鈴。翼は自身の左腕を捲くると、三人に見えるようにかざした。


「……連絡がきている」

「だ、誰、から?」


 杏鈴の問いかけは正しい。


「……俺にも分からん。とりあえず、出れば分かる。指で、この文字を押すんだ」


 ドクンドクンと航の心臓は音を立てる。梨紗と杏鈴を騙し、こんなわけの分からないこの状況に巻き込んでしまったのは事実だ。胸の痛みが膨らんでいく。


「航なんだよこれ! っつーかお前ら何?」


 梨紗に答えを返せない。響き続ける嫌な音は全く鳴り止んでくれる気配がない。


「翼くん、これって、この文字を押さないと止まってくれない感じなのかな?」


 杏鈴が少し声を大きくして問うと、こくんと翼は頷いた。杏鈴の視線は梨紗にずれ、顔を見合わせ二人は眉を潜める。


 そんな二人に、航は頭を深く下げた。


「ごめん、二人とも! もう、これ、押すしかないんだ!」


 航の謝罪に、戸惑う杏鈴と溜息をつく梨紗。


「よく分からねぇけど、そんな空気だな」

「……お前、空気読めるな」

「もう翼くん! 感心するところじゃないでしょ!」


 翼が、航、梨紗、杏鈴の順番に、視線を合わせた。


「……押すぞ」


 翼の合図に、四人は同時に、“To ALL”の文字を指先でタッチした。


 途端、四つの“To ALL”の文字はスクリーンから飛び出した。ふわふわとある一点まで宙を昇ると結合し、光を放って姿を変化させ始めた。ありえない現象に、杏鈴と梨紗の口元はポカーンと開き切る。


 光が掃け、四人の目の前に現れたのは、宙に浮かぶ大スクリーンだった。




 ◇◇◇





「てめぇまじ出るのおっせーんだよざけんな!」


 スクリーン越しに映った翼の姿に、優は開口一番怒鳴り散らした。


「って、は? 航!? 何でお前ら一緒にいんだよ」

「【えぇっと、そのぉ、諸々、ありましてぇ……】」

「なるほど。色々あったみたいだね」


 輝紀てるきの言葉に優が視線を動かすと、怯えたような表情をしている杏鈴と、若干顔を引きつらせている梨紗が片隅に映った。


「何だか、とても怖がっているように見えるけど大丈夫かな……」


 誠也に対し、状況にも関わらず躊躇いなく頷いた翼に、優は呆れ混じりに息を吐いた。


「まぁ、こっちも大丈夫とは言えないんだけどね」


 輝紀が振り返ると、そこには屈んでいる仁子の姿。輝紀の膝で広げられているブックの上にちょこんと満足気に座っているフォールンを、いきなり受け入れることはやはり難しいようだ。そおっと覗いては頭を引っ込めを繰り返している。


「てことはよ、お前の言ってた課題ってやつ、クリアしたってことだな」

『えぇ。非常に素晴らしいです』

「さ、だけどこれでもう満足だろ。解放してくれよ、から」


 優がACをズイッと近づけると、フォールンは、ふふんっ、と笑った。


『わたくしが、いつ解放すると言いましたか?』

「ざけんな! てめぇへそ曲げて本閉じた時言ってたじゃねぇか!」

『記憶にございません。まぁ言っていたのだとしたら、それは課題をあなた達にクリアしてきて頂くための言葉の綾にすぎません』

「てっめぇ、このやろまじ……」


 ブックに掴みかかろうとする優を誠也が宥める。


『解放されたいのなら、初めから方法はたったひとつしかございません。それは、あなた達が、Organizerオーガナイザー:主催者が招待したこのgameゲームに挑戦することのみです。大変お待たせ致しました。ようやくお話しが出来る。とても嬉しいです。Crystalクリスタルに選ばれし、君達に……』


 フォールンが魔法のように取り出した小さなステッキを一振りすると、大スクリーンが現れた。


『初めに映像をお見せしながら解説します。映像を見たあとにわたくしから補足でいくつかご説明をさせていただきます。その際にある程度であれば、質疑応答もお受け致します。』

「あのー、何の映像ですか?」


 仁子がまだまだ信じられないと言う顔をしながらも、知りたい欲求からか、フォールンへ問いを投げた。


『もちろん、このgameの物語の導入部分です』


 フォールンが上機嫌に笑った刹那、大スクリーンの中で、漆黒のもやがゴゴゴゴと地響きのような音を立てながら、とぐろを巻き始めた。



 ズキンッ



 渦に刺激されたのか。優の左目の奥に痛みが走った。早くなっていく鼓動。堪えるために両瞼を力強く閉じる。


「五十嵐くん大丈夫?」


 仁子に呼びかけられ、痛む感覚を残したまま優は薄く両目を開いた。


 視界に飛び込んできたのは、スクリーンに映し出されたひとりの人間の姿。


 影がかかる演出がされているため顔は分からないが、身体つきから男性であるようだ。



『今から、約五百年以上前のお話です』



 そして、フォールンのナレーションは始まった。

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