第3夜 伊坂幸太郎に付ける称号は?

(この文は『カクヨム廃人』17話の焼き直しです。細部は変わっています)


 また今夜も眠れない。自分の決めたルールに従って、今夜も好きなミステリー作家の話をしよう。前回は東直己さんだったから「あ」だね。だから今回は「い」のつく作家さんだ。そしたらもう一人しかいない。伊坂幸太郎さんだ。


 伊坂さんとの出会いはやっぱり書店で文芸書の担当をしていた時の話になってしまう。本の便片(要するに品出し)をしていた時、手に取ったのが『重力ピエロ』だった。なんとも言えない不思議な表紙。そして伊坂幸太郎という名前。おいらは司馬遼太郎とか池波正太郎を想像してしまって「古臭い名前だなあ」と思って男性作家の棚にそれを差した。無知だねえ。伊坂さんはミステリー作家だ。今は微妙だけどね。その頃は完璧にミステリー作家。この本がよく売れた。ブレイクとは言い難かったけれど、気がつくと毎日のように補充をしていた。それなら平積みにすればよかったんだけど、文芸書初心者の僕はまだそういうノウハウを知らなかったから棚に一冊差しただけで満足していた。売り上げの作れない勘の悪い書店員だったってことだね。

『重力ピエロ』は直木賞候補になった。結局は落選してしまったけれど、伊坂さんの印象はだんだんと強まっていった。その頃祥伝社から毎日のようにFAXが送られてきた。『重力ピエロで人気の伊坂幸太郎のクライムコメディー』そんな惹句だったと思う。それが『陽気なギャングが地球を回す』だった。伊坂さんはこの時、ベストセラーを二つも抱えていたんだな。


 そのうちに、新潮文庫から『オーデュボンの祈り』が出た。僕は基本的に文庫しか買わないので、待ってました伊坂幸太郎とばかりに飛びついて買ったね。それで食いつくように読んだ。不思議な世界観だった。未読の方のために詳細は避けるが、今までにない新鮮な雰囲気を持った作品だった。『オーデュボンの祈り』系統の作品を伊坂さんはそのあと書いていないと思う。似ているとしたら『真夜中のクーパー』かな? これは正直、いまひとつだった。

 それはのちのことなので軽く流そう。『オーデュボンの祈り』を読んで興奮した僕は、店になかった『ラッシュライフ』を注文し『重力ピエロ』『陽気なギャングが地球を回す』そして出たばかりの『アヒルと鴨のコインロッカー』を大人買いした。本当、あの頃は金持ってたなあ。

 伊坂作品の面白さは一にも二にも伏線の張り方とそれの回収にあると思う。それが完璧にできたのが『重力ピエロ』だと思う。「伊坂作品を一冊、人に勧めるならどれ?」と聞かれたら迷わず『重力ピエロ』を押すね。

 それから第一期の伊坂作品(『ゴールデンスランバー』までが第一期だと言われている)は他の作品とリンクしていて、それを探し当てて、クスッと笑うのが楽しみだった。そのリンクを研究して一覧を作っている人もいるくらいだ。ホームページが今も残っているかもしれない。興味の出た人は検索してみるといい。僕は面倒くさいからやらないけれど。


 伊坂幸太郎の最大の代表作は『ゴールデンスランバー』だろう。でも、僕はこの作品があんまり好きじゃない。本屋大賞をとったり、直木賞を辞退したりしてかなり話題になったから僕は期待して文庫化を待っていた。ああ、このころになると僕、貧乏で文庫本しか買えなかったんだ。それはともかく、世間の評判は抜きにして、僕の正直な感想を言うとつまらなかった。なんでこんな作品がもてはやされるのかよくわからなかったよ。同時期ぐらいに出た『モダンタイムス』の方が伊坂さんらしくて面白かった。内容? もう忘れたよ。脳細胞が病気で死んじゃったんだ。仕方ないだろ。


 まあそんな不発の作品もあったけれど、僕は今も伊坂作品を文庫で追いかけている。でも、初期のみんな大当たり、すごいって感じはなくなってしまって、ちょっと僕には合わないなという作品も増えてきた。これは仕方ないことだ。こっちの期待が大きすぎるんだ。それに応えようと伊坂さんも頑張っていると思うけど、長く、多く書けば、僕の気に入らない作品も出てくるわけさ。

 

 このところカクヨムばっかりやっているから、今年、文庫化された二作品はまだ読んでいない。最後に読んだのは新潮文庫版の『あるキング 完全版』だ。これは雑誌連載、単行本、文庫と三種類の形態で出された同作を三つとも収録している。徳間文庫版の同作を読んでいたおいらは購入に二の足を踏んだ。でも、買った。そしたら面白かった。物語の骨子は同じだけれど、三作品とも全く別の作品だった。伊坂さんは単行本を文庫化するときに相当手を入れると聞いていたが、こんなに変えるのかとびっくりした。飽きっぽいおいらが一気読みしたんだ。その驚愕度がわかってもらえると思う。


 伊坂幸太郎さんには、書き直しの帝王の名を上げよう。


 この文章を書いた後『残り全部バケーション』を読んだ。初版十二月でした。すいやせん。初めは良かったんだけどね……自分の目で確かめて。

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