第75話 すみれ色

「まあいきなりで驚くか。悪かったの」


「本当よ、あなた。少しは脈絡とか流れってものを考慮なさいな」


 すみれさんの仰る通り。唐突過ぎてまだこっちは処理が追いつかないよ。


「おっほ。そりゃすまんかったの」


「いえ……確かに突然だったのでびっくりしましたけど。あの、差し支えなければ、その特許って……?」


「うん、まあそれは今となってはそう大したものではないのじゃが、基礎理論的なものなのでなあ。エントロピー・エンジンとかフリー・エネルギーと言った、まあこれは大抵は都市伝説やトンデモ話の類なんじゃが、要するにランニングコストの掛からない動力機関のことじゃ。その特許というのは基礎理論に関するもので、あくまで理論にすぎない。検証する術も当時はなくて実現化はされてなかったのじゃがな。どういうわけかMSがその特許を持つ会社を傘下に入れたということのようじゃ。何をしようとしておるのかのお」


 何だろう。MSがやろうとしていること……。人の性別を入れ替えてしまうような人たちのことだ。何か知らないがとてつもないことをやろうとしているのではないかと、言い知れぬ不安がよぎる。


「エントロピー・エンジン……ですか?」


 聞いたこともないな。永久機関とかその手のやつだろうか。


「巷ではそう言われておるな。はて、その技術を得て何をしようとしておるのやら。そこじゃな、重要なのは」


「……確かにそうですね。何か掴めているんですか?」


「……目下、調査中じゃ。十一夜の坊主にも情報は渡してある。今後はそちら方面の捜査も進めていくじゃろう。ふう……ただのお……」


「……ただ?」


「最早こりゃ、高校生だけで扱える問題の域を越えておるぞ。儂も本腰を入れるつもりじゃし、恐らく十一夜家が動くな」


「十一夜家が……」


 わたしは思わず固唾を呑んだ。

 十一夜君たちだけでも凄いのだが、総本山が動いたらどんなことになるのだろうか。想像を絶する。


「この問題は嬢ちゃんだけじゃない、十一夜にとっても大きな問題じゃ。黙ってはおらぬじゃろうて」


 もう一度、固唾を呑む。十一夜家の大事な娘が男子化された。その真相に急激に近づきつつある……のか? まあそれは分からないが、兎にも角にもその元凶と思われる組織が怪しい動きをしている。

 今まで黙していたが、いよいよ黙っていないぞということか。


「最初は道楽で若いもんらに混ぜてもらおうかと思っておったんじゃがの。面白くなってきたわい。うおっほっほ。ど〜れ、久方振りに、たぎるのお」


「あなた、程々にしておきなさいませよ。ご自分のお歳のことを考えて」


「ふん、抜かせ」


 そう言うじっちゃんだが、顔はまるでいたずらっ子のように笑っていた。


「何だか、凄いことになってきちゃいましたね……」

「なあに、これくらい大事でないと手応えがないわい。ふぉっほっほ」


「もうやだわ、この人ったら。子供みたいにはしゃいじゃって」


 すみれさんも言うほど心配してはいないのか、屈託なく笑っている。


 いきなりぶっこまれた話に思わず深刻になってしまった——深刻なのはわたしだけでじっちゃんもすみれさんも全然深刻そうではない——のだが、気付けばその所為でデミタスを満たしたコーヒーはすっかり冷めていた。

 わたしはそれを一気に飲み干すと、仕切り直しにおかわりを注文した。


「あの頃はまだこのレストランもなかったわねぇ……」


 すみれさんが出会った頃に思いを馳せているのか、とても優しい笑みを浮かべて話す。


「そうじゃの。まだこの前進の店じゃったな。あのシェフもいい料理人だったが、お前さんに懐柔されておらなんだらなあ……」


「うふふふ」


「此奴、料理人まで使って情報を得ておったのじゃよ」


「あら、プロだもの。使えるものは何でも使うのは常識よ。その辺があなたは甘かったのよ。うふふ」


 あはは、意外とこのご夫婦、嬶天下かかあでんかなのかな。一見じっちゃんのやりたい放題のように見えて、その実、すみれさんの方がどうやら上手だ。


「そんな対立していたお二人が、どうして?」


 二人を交互に見やりながら、そんな二人の馴れ初めについて質問してみた。

 敵同士なのに何がどうなって一体くっついたんだ。気になるじゃあないか。


「さあ、どうしてじゃったかの」


 すっとぼけてるなぁ、この狸爺め。


「結局、似た者同士っていう面があったのじゃないかしらね」


「似た者同士? ……お二人がですか?」


「そうなのよ〜。仕事でお互いを出し抜こうとやり合ってるうちに、この人ってわたしと同じねって」


「また此奴のやり口がエグくての」


「はあ〜」


 どうにもやはり想像できないな。目の前の奥様然とした上品な女性が、じっちゃんと出し抜き合戦に興じていた女スパイだとは到底考えられない。尤も逆に言えば、それだからこそスパイとしてやっていけたとも考えられるのか。


「ところで、今日ってお二人にとって大事な日だと仰ってましたよね。それって結婚記念日ですか?」


「ん、今日か? いや、そんな甘い記念日じゃないぞ」


「え?」


 違うの? あれ?


「散々わたしとこの人とでやり合ってるうちに、結局横から持って行かれちゃったのよ。うふふふ」


「そういうことじゃ。今日は二人で潰しあった挙句、二人共負けたという敗戦記念日じゃよ」


「敗戦記念日? ……お二人の他にもスパイがいたんですか?」


「ああ。……十一夜じゃよ。嬢ちゃんと仲良しの十一夜の坊主の曾祖父に当たるのかのお。儂ら二人を争わせておいて漁夫の利じゃ。全部あやつが仕組んだことよ。儂らは二人共十一夜の掌の上で転がされておったのじゃよ」


 何と、ここで十一夜家が出てくるとは何という偶然。


「あの頃、この人はまだ駆け出しで一旗揚げようと野心に燃えていたし、わたしは売り出し中でちょっと調子に乗っていたから、その心の隙を十一夜さんに利用されたのね。百戦錬磨の十一夜さんにとってはわたしたちなんて、利用できる駒の一つに過ぎなかったのよ」


「はあ〜……」


 何だか凄い世界だな……。


「出し抜かれたと知って、本当に落ち込んでホテルのバーで一人で反省会を開いていたら、この人も同じ気持ちだったみたいね」


「飲まずにおれなんだ。まあ自棄酒じゃの。此奴も独りで飲んでおったから、一杯奢ったんじゃよ」


「その後一緒に飲もうってことになってね。そしたら花束が届いたのよ」


「へ〜、武蔵さんもなかなかやりますねぇ〜」


「阿呆。違うわい」


「うふふふ。この人にもそれくらい洒落たことができればねぇ」


「あら、違ったんですか……」


「誰からだったと思う? 何と十一夜さんからだったのよ。お二人ともお疲れ様でしたってメッセージ付きでね。嫌になっちゃうわよ、もう。うふふふ」


 十一夜君の曾お祖父さん、なかなか小憎らしいことをするな。十一夜君のキャラクターからは全然イメージ付かないけど、曾お祖父さんはキャラが違ったんだね、きっと。


「腹が立って、散々自棄酒を煽ってさあ部屋に戻るかという段になって、お代は十一夜様から頂いておりますと来たもんじゃ。もう完膚なきまでにやり込められたような気分じゃったわ。すみれに奢った分だけは意地でも自分が払ったがのお」


 武蔵じっちゃんが如何にも苦々しいと言った表情で思い出を語る。


「この人も格好付けたかったでしょうに、最後までわたしにいいところ見せられなくて、未だに恨んでるのよ。うふふふふ」


「その後結婚して、教員をやっておった時期に、奇しくもその倅を教えることになろうとはな。皮肉なものじゃわい。きっちり鍛えてやったがな。うおっほっほっほ」


「私怨?」


「困った人でしょう? うふふふ」


 何という公私混同。そう言えばうちのお祖父ちゃんも教え子だと言ってたよなぁ。今度学生時代の話を聞いてみようかな。


「まあそんなこともあって、今日は儂らの大事な記念日じゃよ。あの日を境に本当のプロになったと言えよう」


「そうね。本当にそう。あの失敗がなかったら、わたしも本物になれないままで終わっていたわ……」


 流石、転んでもたたでは起きない人たちだな。


「さあて。今日この日にここに嬢ちゃんを連れてきたのにはわけがある」


 お、やっぱりか。ただ美味しいもの食べるだけじゃないとは思っていたぞ。

 はてさて、何が待っているのかな。


「奇しくも今日ここで、MSの連中が何やら怪しい密談を企んでおるという情報を得てな。昨日のうちに仕込んでおいたんじゃが、そろそろいい時間じゃろう」


 何とまあ。それはまたすごい偶然。

 じっちゃんがそう言いながらすみれさんとわたしに小型のラジオのようなものとイヤホンを手渡してきた。着けろということだろう。素直にイヤホンのプラグを耳に挿し込んだ。


 教えてもらって電源を入れると、ああ、盗聴、やっぱりじっちゃんもやるのね。不図ふと見ればすみれさんもイヤホンを着けて音に集中している。じっちゃんも勿論同じだ。


 ガサガサとノイズが乗って聴き取り難いが、少し訛りのある英語で会話が交わされている。


 内容は、結構難しい単語が使われていて十分には聞き取れなかったが、確かにじっちゃんが言っていた通り、エントロピー・エンジンだとか、重力制御がどうだとか、そんな単語が聞き取れた。他にも幾らか聞き取れた単語の中で、タイム・トラベルとかタイム・マシーンとか、じっちゃんの言う通りトンデモ話の類としか思えない。


 MSは神秘とやらの探求の一環として、今度はタイム・トラベルに手を出そうとでも言うのか? 意味の分からないことばかりやる団体だが、今度は他人に迷惑を掛けないようにしてほしいものだ。


 すみれさんはギャルソンを呼ぶと、メモを渡した。

 ギャルソンはすぐに奥に引っ込んで行った。


「む、お前またコソコソと裏工作しておったのか?」


「うふふ。まだ秘密よ」


「まったく。お前はもう引退しておるんじゃから首を突っ込むんじゃないぞ」


「あらまあ人聞きの悪いこと。首を突っ込むだなんて端ない真似、わたしはしませんわよ。ちょっとしたお手伝い」


「何が手伝いじゃ。よく言うわい」


 じっちゃんは肩をすくめてみせる。


 そんなことを話しながら食事の余韻を楽しんでいると、先程のギャルソンがメニューを持ってきて、すみれさんに手渡した。まだ何か頼むのか? ってことはないよな。十分に食事は堪能したし、朝食抜いてきたわたしだって満足した。


 すみれさんがメニューを開くと、大判の封筒が挟んであった。すみれさんは優雅な手つきで封筒の中身を検めると、にっこりとわたしに微笑んだ。

 はて、この微笑みの意味するところは……?


「このホテルは、昔から何故か重要な交渉に使われるのよね。だからここには昔からわたしの息が掛かった協力者が何人かいるのよ。うふふふ」


 そう言ってすみれさんは封筒の中身を取り出した。

 結論を言えば、中身は先程盗聴していた人物に関する情報だった。


 名前や勤務先、連絡先など、どうしてそんなことが分かっちゃうのか想像すると怖くなる情報がまとめられている。つまりそれが意味するところは、このホテルの利用者の情報をスタッフが横流ししているということじゃないか。


 このホテルのセキュリティ、激ヤバだな、おい。こんなことが人に知れたらこのご時世大問題だ。何しろすみれさんやじっちゃんの現役時代と違って個人情報保護法ってものが施行されているのだからな。


「あの、すみれさん。これはマズいです。万が一このことがバレたりなんかしたら、ホテルにも迷惑掛かりますし、大事になりますよ」


「うふふ。あら、心配してくれてるのかしら。大丈夫よ。わたし、こう見えてプロだから」


 キラーンと音を立ててすみれさんの瞳が光ったような気がした。

 あれだ。この人も結局は十一夜君たちと同じ世界の人間だな。聖連ちゃんがハッキングしているときの眼鏡の光と同じやつだ。難儀な人たちだよ。


 これが、武蔵じっちゃんとすみれさんと過ごした週末イベントの概要だ。


 お二人の馴れ初めからMSが何か怪しげな動きをしていることまで、実に意外性のある週末だった。

 タイムマシーンだの重力制御だの、まったくMSっていうのはとんでも宗教だな。まあ宗教の体裁を取っているのは、実際には上層部の人間がやりたいことをやるための隠れ蓑で、ちゃんとした宗教とはどうも思えないのだけれど。


 それにしても色々とまずい人ばかりが何だか周りに集まってきつつあるのだけど、わたし大丈夫だろうか……。本来ならウキウキする季節のはずなのに、何だか不安ばかりが募る初夏なのだ。

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