第76話 樹海の糸

 週が明けると、今度は十一夜君たちとの報告会議だ。何かと忙しいので、秋菜の機嫌がちょっと悪かった。悪いな、でもこの問題は秋菜には関係がないので巻き込むわけにはいかないと思うんだ。


 そんなわけで秋菜とは下校は別々に。会合の場所は久し振りの甘味処うさぎ屋。暑くなってきて、店先には氷はじめましたというのぼりが出ている。もうそんな季節だ。

 そしてメニューには抹茶エスプーマかき氷が新しく載っている。言うまでもないが、抹茶エスプーマ善哉のかき氷版だ。抹茶エスプーマ善哉ファンとしては試さないわけにはいかないということで早速注文してみたのだが、十一夜君も聖連ちゃんも同じものを頼んでいたのは興味深い。二人ともわたしと同じ考えのようだ。


 非常に肌理きめの細かいふわふわの氷に餡こと団子、そして肌理細やかに泡立てられた抹茶クリームがたっぷり掛かっている。氷に合わせて抹茶エスプーマは善哉のものより濃い目にしてあり、尚且つ甘みが付けてある。コンデンスミルクも入っているのだろうか。そして生クリームの濃厚でマイルドな味わいと、抹茶の爽快で切れの良い苦味と香り。やはり間違いない美味しさだった。


 さて、週末にじっちゃんたちが探り当てた情報については既に十一夜君にも伝わっていたようで、わたしの方から特に説明する必要は何もなかった。

 武蔵のじっちゃんとすみれさんに一泡吹かせた十一夜君の曾お祖父さんという人は、既にご存命ではないようだが、十一夜君が幼い頃にはよくかわいがってもらったそうだ。

 その頃の十一夜君は女の子だったろうから、まさかこんな頼りになる男子になっちゃうなんて想像も付かなかっただろうな。


「あの……武蔵さんが言ってたんだけど、十一夜家がいよいよ捜査に参入するだろうって……」


 気になっていたことを切り出してみた。


「そうだね……。多分そうなると思う……。今回の特許絡みでは、曾祖父の代に色々とあってね。十一夜家はいかなる権力にも屈しないし、クライアントは自分の意思で選ぶっていうモットーがあるんだけど、唯一屈せざるを得なかったのが、曾祖父が関わったこの特許に関する案件らしいんだ。本来十一夜はこの特許にまつわる情報合戦に関わるつもりはなかったそうなんだけど、罠にはめられて、不本意ながらある企業に加担することになってしまった。それがここに来て、奇しくも僕の関わっている案件がその特許絡みだったなんて……十一夜家では会稽かいけいの恥をそそぐまたとない機会だと息巻く人間もいてね。曾祖父は、歴代の十一夜家の中でも抜きん出た実力のある人だったそうで、親族の中でも非常に敬われているんだ。その雪辱を晴らす機会とあらば我こそはという人間は何人もいるんだよ」


「歯車が噛み合って、まるで時計の針がぐるっと一周してまた重なり合ったかのような……そんな運命を感じます」


 黙って話を聞いていた聖連ちゃんが、噛みしめるようにしてそう語った。


 恐らく十一夜家にとって、その特許絡みの案件というのは余程許し難い事だったのだろう。てっきり十一夜君の男子化のことで出て来るのだろうと思っていたのだが、そうではなくて、不本意に拘わらされたことによる過去の遺恨を残していたからこそということのようだ。


「忍者というと、一般的に伊賀と甲賀が有名だよね。実はそこからさらに遡ると、奈良の葛城山の修験者しゅげんじゃ……いわゆる山伏やまぶしがルーツだと言われているんだよ。うちもルーツはそこにあるらしい。元々我々の一族は、十日夜とうかんや家、十一夜じゅういちや家、十三夜じゅうさんや家、十五夜じゅうごや家、十六夜いざよい家、二十三夜にじゅうさんや家、二十六夜にじゅうろくや家、そして雨夜あまよ家があったらしいんだけど、二十三夜家と二十六夜家は既に途絶えてしまっている。元々は同じ一派なんだけど、時代の流れとともにお互いに確執が生まれたり、時代の移り変わりによる諸事情があったりして、実は曾祖父がこの件ではめられたのも、雨夜家の仕業だと言われているんだ」


「ふ〜ん。因縁の相手にはめられたってわけだね」


 十一夜家も歴史のある家だからなぁ。色々あるわけだ。


「そういうこと」


「だけどさぁ……十一夜君の曾お祖父様は、どうしてその仕事をやりたくなかったのかな?」


 何となくその辺りのことが大切な気がした。


「うん……その特許っていうのは、当時はアイディアとしては面白いけど、実験する方法もないし、実用は無理だろうと言われていたものだったらしいんだ。まあそんなマイナーな存在というか、その時点ではただの机上の空論としか言えないものだったわけさ。だけどその研究をしていた連中は、政府が興味を持てば予算が付いて、研究を進めることができると皮算用したんだろうね。特許を持っていた研究室は、政府とどうにか交渉しようとしていたようだ。兎に角政府関係者に話だけでも聞いてもらおうとどうにか取り付けた話し合いの場が、曾祖父が関わった例の密談だったらしい」


 一体どんな特許なんだろうか。まあ聞いてもわたしじゃ理解できない話らしいけど。何でも一般相対性理論と重力に関係したものらしい。


「しかし、背後では戦後解体させられた旧日本軍の残党も動いていたらしいんだ。……これがなかなか荒唐無稽な話なんだけどさ。どういうものかは分からないけど、その特許を軍事利用して形勢逆転しようと狙っていたらしいんだ。そんな馬鹿らしい話には関われないと断っていたらしいのだけどね。しかしどうも当時の旧日本軍に雨夜が通じていたらしい」


「それでその雨夜家が確執のある十一夜家をはめて、その仕事を受けさせたと言うの?」


 何だか腑に落ちない話なんだが……。


「そういうことらしい」


「……雨夜家は、どうして自分でその仕事をしなかったのかな?」


「ああ、それか。うん、そうだな。……僕らの一族は元来その家ごとに役割を持ったチームだったんだよ。今でもその伝統は守られていてね。……華名咲さんだから話すけど……ていうのは、華名咲さんみたいな大きな家と十一夜家は時々依頼を受ける関係で……つまりそれは当主の人は僕らのような表には出ない存在について知っているってことなんだけど」


「……つまりわたしが当主になれば、いずれは知ることになることだったっていうこと?」


「ああ、そうだね……だから話すんだけど、元々雨夜家と言うのは、長い歴史の中でも裏の中の裏と言うか、アサシン暗殺者集団として存在してきた家系なんだよ。戦後、時代の流れが変わっていくだろうことをいち早く感じていた雨夜家の当主は、生き残りのための活路を見出そうと軍との関係を強めたり、戦前から色々と動いていたようだね。


 諜報だとか情報戦だとかは十一夜の専門。自分たちの生き残りのために、彼らも必死だったんだろう。元軍部の連中に恩を売りたい雨夜は、確実にやり遂げるために十一夜に仕事をさせたかった。でも、十一夜としてはそんな仕事に関わる気がなかった。それでやむを得ずだろうとは思うけど、十一夜をはめたというのが真相らしい。

 ……それ以来十一夜家と雨夜家の間に横たわる溝はより深いものとなった。しかし、雨夜とやり合うとなると、本当に死闘になる。まず両家とも潰れてしまうのは自明の理なんだ。だからそんなことはできない。雨夜も十一夜が打って出ることができないことを分かっていたからそんな大胆なことをやらかしたんだ」


「それで、曾祖父が協力させられた企業というのが、元財閥系の軍事産業を手がける会社だったんです。この企業も自衛隊というか……旧日本軍時代から軍と繋がりのある企業でして、そこに力を貸すことで、雨夜家は自衛隊との関係を強固なものにしようと画策していたのでしょう」


 十一夜君の話を補足するように聖連ちゃんが言葉を繋ぐ。


 ほほぉ。なかなかこれは話が大きくなってきた。じっちゃんが言っていた通り、最早高校生でどうこうできる問題じゃないな。この規模になると……と言うか、歴史も規模もある十一夜家の因縁含みだからな。最早わたしの個人的な問題だけでは済まないということなのだ。


「はぁ……色々と複雑になってきたね。最初はわたしの手元に届いた嫌がらせの手紙から始まったことだったんだけど、それが何だかいつの間にか大変なことになってた。と言うか、実際にはもっともっと大きな問題に端を発していたと言うことか。……寧ろそんな大きなことが何でわたしにまで波及してきたのか……そのことの方が不思議」


 て言うかそもそも、わたしとその特許問題とはどう関係してるんだっけ? 全然関係なくない? まあMSが今更その特許で何かやろうとしていることに問題がありそうだ。


 そしてその特許を巡り、かつて十一夜家が拘わらされた問題があって、今に至るまでそのことで遺恨を残している。……つまり、その特許を中心として、わたしの問題と十一夜家の問題が繋がっているということか。

 そして十一夜君もTS被害者という点でわたしと結びついている。そこにはどうやらMSという組織も絡んでいるようで、MSと十一夜家には直接の繋がりはないのだが、例の特許権という一点で結び付いている。


 そう言えば、十一夜家と細野武蔵さんとすみれさんご夫妻も、特許権を巡って因縁があるのだったな。奇しくも特許権を巡る攻防に何らかの形で関わった人たちが、今わたしの周りに集まっていると言うことか。不思議な縁だ。


 何とも奇妙な繋がりが見えてきた。やはりこの特許権の部分ですべての関係性が、まるで糸のようにもつれ、絡み合っているかのようだ。

 なかなかややこしい話になり、これから調査が進むと更に話がややこしく、大きくなっていくような気がしてしょうがない。恐らくこの予感めいた感覚は正しいだろう。


「それと、須藤麻由美に関しては、相変わらず尻尾を出さないね。余程注意深いのか、いっそのこと実は僕らの見当違いであってくれればいいのだけど、色々と証拠が残っているから、やはり無関係とは言えないはずなんだ。例のビルの須藤麻由美が通っていると主張する病院も調査する方向で考えてはいるんだけどね」


 そうか。十一夜君としては、麻由美ちゃんが病気だと嘘を吐いている可能性を疑っているのだろうか。


「例の会社……エデン・ベンチャー・キャピタルだっけ? 十一夜君としてはやっぱりそっちの方が怪しいと見てる?」


 わたしとしてはその怪しい会社も勿論だが、やはりどうしても麻由美ちゃんが言っていた病気のことが気に掛かる。嘘を吐いているようには思えなかったのだ。


「う〜ん。そっちは海外に拠点があるから、海外にいる仲間に動いてもらうことになるだろうね。彼女の病気の件だけど、恭平さんに声を掛けたら珍しく忙しいって言うんだ。そういう事情でちょっと調査が滞っている面もあるんだよね。そっちは恭平さんの手が空いてからってことになりそうだ」


 なるほど、そういうことか。

 恭平さんっていうのは、十一夜君たちの従兄弟で医師免許を持っている女装家……って言うとどんな人かと思うけど、実際に接してみると案外ちゃんとした人に思える。

 十一夜君たちはいつもその恭平さんのことを暇人扱いしているのだけど、やっぱりそうそう暇な人ってわけではないのだろう。


「ま、そういうことでこっち方面は今のところほとんど進展なし。当面は件の特許権についてMSが何をしようとしているのか、そこに焦点を絞って調査を進めていくことになりそうかな」


「それから進藤杏奈ですが、彼女は下っ端過ぎて結局重要なことは何も知りませんね。須藤麻由美に唆されて利用されていた、ただのブラコンってところでしょうか。ふふ」


 最後の含み笑いが非常に気になるが、聖連ちゃんの見解としてはそういうことのようだ。


「僕らからはそんなところかな。華名咲さんからは、何かある?」


 何かあるかと言われても、特に何もない。武蔵じっちゃんから必要な情報は全部十一夜君に渡っているしなあ。


「う〜ん……あ、そうだ。十一夜君って、誰か好きな人とかいる?」


「……え?」


「わおっ」


 あれ、わたし何でそんなことを訊いてるの?

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