第31話 電話線

 取り敢えず、できるだけ家の近くまで走って、スタバに入った。恐らくもう溶けてしまったハーゲンダッツ含むレジ袋もやり場無く持ったままだ。

 漸く緊張が解かれてホッとしたらトイレに行きたくなって、俺は抹茶ティーラテを、十一夜君はドリップコーヒーとチーズケーキを注文して、後は十一夜君にお願いしてトイレに行った。今回もお世話になったので、お礼に支払いは俺がした。

 小用をたして、洗面台の前で髪とメイクの崩れを直す。


「はぁ〜」


 思いっきり溜息を吐いた。思い返しても震えが来るほどの恐怖を経験した。もしあのまま十一夜君が助けに来てくれなかったら、どうなっていたんだろう。まぁ、本気でまずい状況になりそうだったら、登録してある緊急連絡用の番号にコールするだけで即華名咲が動くのだが、そこをしくじったらアウトだ。兎にも角にも十一夜君には感謝だな〜。

 店内に戻ると、その十一夜君が早速パソコンと睨めっこしている。携帯のデータを確認しているのだろう。


「お待たせ〜」


「おぉ」


 コーヒーを口に運びながらも、目はパソコンに集中している十一夜君。向かい合わせに座り、俺も抹茶ティーラテを一口含む。


「はぁ〜、ほっとするぅ」


「災難だったな」


「うん、本当に。……何か分かりそう?」


「う〜ん、そうだなぁ〜。やり取りのあった電話番号をピックアップしているんだけど、その番号が誰なのかは分からないからな」


「そっか〜。やっぱり手詰まりかなぁ」


 俺は背もたれに深く背中を預けて吐息のように呟いた。


「よし、できた」


 唐突に十一夜君がそんなことを言った。会話の流れからするとさっぱり繋がらない十一夜君の言葉に、俺の頭の中に疑問符が浮かぶ。


「何?」


「あぁ。ちょっと特種なソフトがあってね。奴らの携帯を盗聴できるように設定した」


「えぇっ? そんなことができるの?」


「まあね。通話内容が自動的にクラウドに保存されるようになってるから、華名咲さんともシェアするようにしておこうか?」


 至極軽い調子でそう訊いてくるのだが、言ってる内容に沿そぐわないその軽さに少なからず面食らった俺は、戸惑いを隠せずに狼狽うろたえる。


「そ、そんなことして、大丈夫?」


「うん、大丈夫。じゃあクラウドのシェア設定するから、パソコンのメアド持ってたら教えてくれる?」


 十一夜君はあくまで淡々と、別段大したことでは無いとでもいった調子で話を進める。次から次へと繰り出される、どう見ても一般人とはかけ離れた彼の色んなスキルとか、それって犯罪じゃね? と思える行為をも粛々と進める様子に、俺は只々驚くばかりだ。


「十一夜君……本当、君って、何者なの?」


「……やっぱりそこ、気になるか」


 そらそうだろ。気になりまくりだって。明らかに常識を越えて最早スパイ映画の世界だ。何処の組織のエージェントだよ。


「気になるよ。どう考えても普通じゃないんだもん」


「そうだなぁ。……さっきも言ったけど、守秘義務があって詳しいことは言えない。漫画みたいな話で、信じてもらえるかどうかは分からないけど、うちは表では企業家だけど、実は代々、いわゆる忍者の家系でね。子供の頃から特別な訓練を受けていて、僕は今、ある調査を請け負ってこの学園にいるんだ」


 にわかには信じ難い突飛なことを言う十一夜君。忍者だと? 漫画かよ。いやでもここまで彼が見せた数々のスキルからすれば、忍者という彼の一聴すると馬鹿ゝゝしい主張も受け入れた方が納得は行くか。もっとも忍者って言うよりか、映画や小説に出てくるスパイっぽいけども。あれ? ふと疑問が湧く。


「あのさ、その調査って、もしかしてわたしも関係しているの?」


「直接君は調査対象ではないんだけど、調査過程で華名咲さんが何やら問題に巻き込まれていそうなことが分かった。だから、万が一君の身に危険が及ぶようなときには力になろうと思っていたわけさ」


 そういうことか。何だか不思議な人だと思っていたけど、話を聞いたら不思議どころの話じゃなかった。


「キーホルダー」


「え? これ?」


 十一夜君がくれたキーホルダーを出して見せた。拉致されて恐怖の渦中に当たっとき、これをずっと握りしめていた。


「それ、常に持っててね」


「え、うん。大切にいつも持ってるよ」


 なんか照れるな。


「それ、強く握ると僕のスマホにアラートが届くんだよ。それでこちらの任意で集音マイクが機能するようになってるんだ。因みにGPS対応。アラートがやたら何度も来るし、車中にいるのは何となく分かったけど、もし家族の車だとしたら不自然なくらい無言だなと思ったから、心配して来てみた」


 サラッと言ってるけど、怖っ。一歩間違ったらストーカーじゃん。でも心配してきてくれたのか……。


「あ、プライバシーポリシー、後でメールしとくわ。そこは安心してくれていい。悪用はしないから」


「はぁ……」


 何だか色々凄すぎて唖然とするしかない。だがなるほど、あの緊急事態にどうやって十一夜君が事態を把握し、駆け付けることができたのかという謎は解けた。


「それ、編むの結構時間かかったんだよ」


 って、えぇっ? これ、十一夜君の手編みだったの? もう驚きの連続コンボが効き過ぎてどうコメントしていいのやら……。思わずキーホルダーを握り締めてしまった。すると十一夜君がポケットから自分のスマホを取り出して見せてくれた。


「ほらね」


 スマホの画面にはアラートの通知が表示されており、そこには『華名咲さんがピンチかも』と書かれていた。イマイチピンチ感に欠けるなぁ、おい。十一夜君らしいけど。

 呆気にとられ過ぎてもう何をしていいのやら分からず、お茶でも飲むくらいしか思いつかない。半ば自棄糞やけくそだ。抹茶ティーラテなんてまどろっこしい呼び方してられるか。幾らお洒落感出してみたところで所詮抹茶牛乳だろうが。まぁ抹茶牛乳に八つ当たりしてもしょうがないが、無駄にお洒落感満喫しているような気持ちの余裕なんてもう無いってことだ。


「あ、やむを得ず色々喋っちゃったけど、聞いちゃったからには責任が生じます。今話したことは絶対誰にも内緒ね。喋っちゃったら協力できなくなるし、僕も君もちょっと面倒なことになる」


 ちょっと面倒なことって多分、相当やばいことなんだろうな。何となくそんな雰囲気が察せられてゾクッとした。


「それと学校でも今日のことを匂わせるような言動は慎んで。『十一夜君、昨日はありがとう』なんて言っちゃダメだよ。じゃ、メアド教えてもらっていいかな」


 そう言って十一夜君は名刺大のメモ用紙とペンを差し出してきた。俺が自分のメアドを書いている間に、十一夜君は別の紙に自分のメアドを書いて寄越した。俺がメアドを書き終えてメモを渡すと、十一夜君はスマホを操作して早速写真に撮っている。


「OCRで文字データにして取り込んだ」


 不思議そうな顔をして眺めている俺の表情を読み取ったのだろうか。説明してくれたんだが、要するに俺の手書き文字をデジタルの文字データに変換しましたよってことだな。

 十一夜君はデータの取り込みが終わるとメモを燃やしてしまった。情報をあちこちには残さないということだろうか。如何にもスパイっぽいな。だったら。そう思って俺も十一夜君のアドレスを登録してメモを燃やしてしまうことにした。


「これも燃やしちゃって」


「せっかく書いたのに、燃やしちゃうの? 勿体無い」


「え?」


 自分はさっさと燃やしたくせに?


「勿体無いから持っておきなよ」


「……分かった」


 意味が分からんが、渋々言うことを聞いて、取り敢えずメモを財布のカード入れに収めた。


「さてと。少しは落ち着いた?」


「う、うん。そう言えばわたし、助けてもらったのにまだお礼を言ってなかったよね。どうもありがとう、十一夜君。それと、もう肩の怪我って大丈夫なの?」


「おぉ、平気。気にするな」


 いつもの十一夜君の言い草だ。


「そうなんだ、よかった。ほんとうに助かったよ。今日は」


「じゃあそろそろ帰るか」


「うん、帰ろう」


 表に出ると陽が大分傾いてきていた。十一夜君のバイクのタンデムシート上で流れ行く風景は見慣れないものだ。普段の行動範囲からは結構外れた場所まで来ていたようだ。

 見慣れないアスファルトに、バイクに乗った二人の影がずっと長く伸びていた。


 帰宅すると、もう夕飯の準備が始まっていた。遅くなったので夕食の準備は免除してもらい、後片付けを全面的に請け負った。

 夕食後早めに部屋に戻ると、流石に酷く疲弊しており、こんな時にもメイクを落としたりしなくてはならない女の身を恨めしく思うのだった。

 風呂上がりに髪を乾かしつつ、大分伸びてきたなぁと鏡の中の自分を見ながら思う。今度はどんなカットにしようかな。美容師さんと相談して決めようかな。

 そう言えばこの容姿にもすっかり違和感を感じなくなってしまったな。それだけ馴染んだということだろう。女友達ともそれなりに上手くやって行けている。だがすべてが順調とはいえない。何を目的としているのか知らないが、俺を襲う連中がいる。

 恐らく丹代に関係のある秘密結社うさぎ屋絡みなのだろうが、直接的な証拠があるわけではないし、丹代花澄の性格から推測するとどうも違和感を感じる。

 階段から突き落とす。これはまだ個人でやらかすこともあるかもしれない。しかし人一人を拉致誘拐するとなると、幾ら何でも丹代花澄が単独でできるとは思えないよな。レンタカーを用意して、四人のプロを使った計画的な犯行だ。十一夜君曰く詰めの甘いプロとのことだったが。だとしても一介のJKにできるようなことじゃないだろう。もっとも十一夜君みたいな規格外の高校生もいるわけだがね。

 しかしながら俺を拉致してどうするつもりだったのだろうか。恐ろしい想像しか浮かばないが、目的はまったく見当が付かない。そう言えば、十一夜君は詳しいことは言えないと言っていたが、調査過程で俺の危険を知ったとも言ってたな。十一夜君が調査しているのって、もしかしてうさぎ屋なのか? だとしたら、十一夜君から色々教えて欲しいんだけど、守秘義務だとかで教えて貰えそうにはないか。う〜ん……。

 とは言え、今日は本当に助かったけど、十一夜君には驚かされたなぁ。俺の危急を知って駆け付け、人目に付かない場所を選んで走行中の車をパンクさせたそうだ。そして音も立てずに忍び寄り、敵に顔を見られることもなく倒したのだ。

 その後の手際も鮮やかなものだった。キーホルダーがまさかそんなものだったとは……。普通のプレゼントじゃなかったのかよ。でもまあ俺の身の安全を守るためのものだったんだからな。それにしても十一夜君が手編みで作ったとはなぁ。こんなかわいいのを。ふふふ。あの仏頂面で黙々と編んだのか? 何か笑うなぁ。ウケる。うふふふふ。

 そんなことを考えながら、いつの間にか俺は眠りに落ちていたようだ。


 翌朝目が覚めて、いつも通り朝ジョグをこなしてシャワーを浴びてから、そう言えばと思い出して、パソコンでメールをチェックした。十一夜君からメールが届いており、十一夜君の携帯の電話番号と、盗聴記録のクラウドシェアに関する情報、そしてキーホルダーの使用に関するプライバシーポリシーに関する書類が添付されていた。

 早速盗聴記録のURLを表示させて確認してみることにした。自分のメールアドレスをIDとしてログインが必要となっており、十一夜君からのメールに記されていた仮パスワードを入力してログインし、正式なパスワードを設定。IDになっているメールアドレス宛に送られてくる承認用のURLにアクセスして登録が完了となった。

 正式なパスワードを用いて再ログイン後に表示されたページには幾つかの設定項目があり、盗聴記録が更新された場合に通知するかどうか、通知の方法をどうするか等を設定できるようだ。早速通知する設定とし、通知方法はスマホにSMSを送る方法を選んだ。設定に際し、最初は認証が必要なようで、携帯に電話が架かってきて、自動音声で案内される番号をサイトに入力することで設定が完了する。セキュリティも結構ちゃんとしているようだ。

 初期設定が完了すると、漸く盗聴の記録にアクセスできるようになる。四角いウィンドウの中に更新履歴があり、そこに一件だけ日付と時間が赤字で表示されていた。昨日の夜だな……。取り敢えず忘れないうちにページをブックマークした。更新履歴の赤文字はリンクになっているようで、そこをクリックすると録音を聞けるページに移動した。そのページには架電元の電話番号と架電先の電話番号が表示されており、架電した時間と終了時間、そして通話時間がそれぞれ記されている。各条件でソートやフィルターも使えるようだが、履歴がまだ一件しかないため今のところ必要のない機能だ。

 音声ファイルは、表示されている簡易プレイヤーのスピーカーのアイコンボタンをクリックすれば再生できるようだが、残念ながらここで時間切れだ。朝食の準備のためにもう下に降りなくてはならない。

 ブックマークと設定したパスワードは、自動的にクラウドを介して俺のスマホでもタブレットでも共有されるので、後でいつでも録音の確認は可能だ。

 そう言えば、十一夜君はLINEはやってないのかな。

 連絡を取り合うのにLINEのトークの方が早いし手っ取り早いんだけど、わざわざメールで電話番号を知らせてきたくらいだからやってないのかもな。十一夜君がスタンプとか使ってやり取りしている様子を想像して、またくすくす笑いが漏れた。

 後で電話番号を登録しておかなくちゃと思いつつ、俺は朝食のために下の階に降りたのだった。

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