第三章 Hello, my friend

第30話 Né Dans Un Ice Cream

 車中には運転席と助手席に一人ずつ、そして俺の監視をしている人間が二人、俺を含めて合計五人が乗車中だ。

 粘着テープで後ろ手にぐるぐる巻きにされ、目隠しされた。下手に抵抗して怪我をさせられたりしても嫌なので、大人しく従っているが、これってまごうことなき犯罪行為だよね。

 幸いにして持ち物を取り上げられたりはしていないので携帯電話は無事だ。手を縛られているとはいえ、ポケットの中身を取り出したりできる程度には動かせる。このまま何処かへ連れ去られるなら、GPSが俺の居場所をバッチリ家族に報告してくれるだろう。しかしできればその前にどうにか解決したいものだ。華名咲家の跡取り息子——今は娘だし跡取りかどうか不明だが——を誘拐とか拉致とかなんて物騒なことを仕出かしたことがうちに知れた日には、本当にこの世の中から消されるかもしれない。

 まさか殺すなんてことまではしないと信じたいが、お祖父ちゃんクラスの大物になると俺の常識では追いつかないことを裏でやっていそうな気がする。ドラマの見過ぎかもしれないんだけど。勿論実際にどうなのかは知らないんだけど、て言うか知りたくないんだけど、色々想像すると空恐ろしいよね。俺たちにとっては好々爺だけどもさ。

 しかしこんな風に縛られて目隠しなんてされてると、不安も一層高まる。何しろ今の俺ってば女子だ。性的な暴行なんて加えられたらどうしよう。想像しただけで怖気が走る。そんな目に遭うくらいならバラバラにされて太平洋の藻くずにでもなった方がまだマシだ。一瞬そう考えたが、やっぱりそれでも生きていた方がマシだろうか。分からないが、レイプされるなんてのは女子にとっては最悪の出来事だ。そんな危険、今まで考えてみたこともなかったが、改めて自分が今や女子であることを認識し、歯がガチガチとかち合うくらいに恐怖を覚えて、気が付けばポケットのキーホルダーを握りしめていた。

 恐怖の中、頭に浮かぶのは何故か十一夜君の眠たそうな顔。こんな危急時に眠たそうな顔してるんじゃないっ。とまた十一夜君に当たり散らしてしまう。脳内でだが。十一夜君でも誰でもいいから助けて、と祈るような気持ちで頭の中で繰り返した。

 とは言ってはみても、幾ら願ったところで十一夜君がいきなり助けに来てくれるはずもない。自分で何とかしなくては活路は開けないのだ。できることを考えろ。そう自分に言い聞かせ、心を落ち着かせようとする。

 車中にはタイヤが拾うロードノイズと風切音だけが響いている。俺以外は全員男だったと思うが、無口な野郎どもだ。もっともこの事態でお喋り好きな奴だったりしても嫌だが。しかしこの重い沈黙も余計に緊張を強いる要因の一つに違いない。て言うかハーゲンダッツが溶ける。こんな状況だというのに、俺ときたらそういうことが気になってしまう。


「あの、アイスが溶けちゃうので、よかったら食べません? スプーンは無いですけど」


 この情況で我ながら間抜けなことを言っているとは思うが、この緊張感と恐怖が続くのに耐えられないと思った。何かコミュニケーションは取れないものか。何が怖いって、コミュニケーションがまったく取れないことだと思うんだ。案の定、提案に応じる者は誰もいない。この人達マジで怖いんですけど。

 せめて返事くらいしろや。どういう育ち方したんだよ。親が泣くぞ。心の中で幾ら悪態を吐いたところで事態は何も変わりはしないのだが、自分の気持ちを奮い起こす為に俺は心の中で悪態を吐いた。そうでもしないと歯はガチガチ鳴るし、怖くて泣きそう。

 そうしてもう随分と走ったと思う頃、タイヤの騒音と振動が急に酷くなった。


「ちっ、パンクだ」


 声の方向から、恐らく運転手と思われる男がそう呟く。パンクか。だったら暫くは止まっているな。ここで逃げ出すチャンスは無いだろうか。多分そう簡単には行かないが、機会は窺っておくべきだろう。

 俺は、万が一逃げられるようなチャンスがあれば直ぐに行動できるよう、心構えだけはしておこうと思った。

 多分、タイヤを交換しようとしているのだろう。慌ただしく人が動いている気配がしている。恐らくは俺の見張りはしっかり俺にへばりついていると思われるので、アクションを起こすことはできない。


「おい、手を貸してもらえるか」


 運転手と思われる男が声を掛ける。無言だが、多分助手席の男が手を貸すことになったようだ。二人で作業しているような雰囲気を何となくだが感じる。

 ジャッキアップされて車が少し傾き、キュッキュッとナットを回すような音がする。車載されている予備のタイヤが外されたのだろうか、ガシガシ音がしてトンと地面にタイヤが降ろされたようだ。しかし不思議な事に、その後の作業音が聞こえてこない。

 そのことを少し訝しんでいると、俺の右横にいる男がもう一方の男に「おい」と声を掛け、左側のその男がスライドドアを開けて外の様子を確認しに出たようだ。何かあったのだろうか。男が外の様子を窺いに出たということは、俺の感じた違和感は正しかったようだ。

 暫く俺も耳を澄まして外の様子を伺っていたが、特に会話の声も物音も聞こえない。

 流石に怪しく思ったのだろう、一人残って俺を監視していた男も外に出た。ただ、用心深いことに俺が逃げ出せないように足も粘着テープでがっちり巻かれ、歩く自由も奪われた。もしかして逃げるチャンスがあるかもと期待していたのに、そう思うようにはさせてもらえないようだ。

 しかし相変わらず何の声も音もしない。一体どうなっているのだ。何も見えないので不安はより一層高まる。すると車のスライドドアが再びガラガラと開いた。

 何だ、戻ってきたのか。残念ながら期待したようなチャンスは得られなかったな。そりゃ現実はそうそう思い通りにはならないか。かなりがっかりして、これからどうなるのだろうか考えると改めて不安が募る。緊張で肩に力が入った状態で、警戒しつつ様子を窺う。


「華名咲さん、怪我はなかった?」


「え?」


「目隠し取るね」


 そう言って優しく目隠しを取ってくれた。目隠しされていて目も瞑っていたので、急に明かりの下に晒された目が痛む。何秒かして目が慣れると、目の前にいたのは十一夜君だった。十一夜君はぐるぐる巻きにされた俺の両手と両足の粘着テープも外してくれた。


「……何で?」


 訳が分からなかった。どうしてここに十一夜君が。そもそも俺を拉致した連中はどうなったのだ。正に茫然自失とは今の俺の状態のことだろう。


「偶々通りかかってな」


 て、そんなバカな。俺はそう思ったが、言葉として声には出てこなかった。十一夜君が俺の手を取って車外に連れ出してくれる。


「怪我はない?」


 もう一度そう訊かれた。


「うん、大丈夫。助かったぁ〜」


 状況は未だよく分かってはいないが、取り敢えず助かったのだろうと安心して、へなへなとその場にへたり込んでしまった。そこで気付いたのだが、車の後方で男たち四人が倒れている。


「十一夜君、この人達……」


 まさか死んだりしてないよな? 安心したばかりだが、今度はまた急に俺は怖くなって十一夜君の顔を伺う。


「寝不足だったんじゃないの? 一応車の中に入れておいてやるか」


 そううそぶくと男共を担いで車に乗せて、俺にしていたように粘着テープで手足をぐるぐる巻きにしていく。見た目細いのに意外と力持ちだな。て言うかこいつら全員音も立てずにやっつけたのだろうか? この十一夜君が?何か信じられない物を見ている気がする。


「よし、じゃあ警察呼ぶか」


「ちょ、ちょっとそれは待った」


「ん?」


「警察はまずいよ。このことが大事になったら、華名咲のお祖父ちゃんが黙ってないと思う。そうなるとわたしとしても困るから絶対避けたいの。できれば自分で解決したい」


「う〜ん、しかしなぁ。自分で解決なんてできるか? 現実的に考えて難しいと思うけどなぁ」


 確かにな。それは分かっちゃいるが、しかしそうしないといけない理由があるのだ。

 この事件と丹代が関わっている可能性がある。だとしたら同級生の人生潰すのはどうしても避けたい。甘い考えだろうとは思うが、華名咲の力を借りてきれいさっぱり片付けたとしても、俺自身の目覚めが悪いというか、後味の悪さをきっとずっと引きずることになるだろう。


「それでこいつらに心当たりは?」


 そう訊かれて全部答えるわけにも行かない。十一夜君をこれ以上巻き込むわけには行かない。

——あれ? て言うか、十一夜君は何でこの車に俺が乗ってることを知ってたんだろう。しかも拉致されていることを知ってないと、こいつらをやっつけちゃうことなんて無かっただろう。どう考えても偶々通りかかったなんて言うのは嘘だろうし、偶々タイヤがパンクして、その修理に出てきたところを音も立てずに気絶させるなんて、明らかに俺を助ける目的で付けていたとしか思えないじゃないか。どういうことだ。解せないぞ、どう考えたって。


「心当たりなんてないけど。……あの、十一夜君。ホントどうしてここに? わたしが拉致されたのがどうして分かったの?」


「……偶々通りかかったっていうんじゃ納得してくれないか」


 そう言って十一夜君は大きく一つ溜息を吐いてから続けた。


「しょうがないな。だけどその前にやっとくことがまだある。あ、それと家に連絡入れとかなくて大丈夫か?」


 おっといけねぇ。そうだったそうだった。


「あ、ちょっと電話するね」


 断りを入れて叔母さんに連絡を入れている間、十一夜君は男共の目や口も手足と同じようにぐるぐる巻きにして行く。それから手際よくタイヤを交換して、今度は背負っていたデイパックから工具を取り出して、何やら手慣れた様子でシートを持ち上げて、エンジンルームを覗いてゴソゴソやっている。


「ごめん、連絡済んだよ。それ、何してるの?」


「おぉ、バッテリー外して、エンジンプラグ抜いておいた。こいつらが目を覚ましても当分車動かせないようにな」


「え、十一夜君。……結構えげつないね……」


「そうか? でもすぐ追いつかれてもやだろ。手足も動かせないし、これで当分大丈夫だよ。そのうち警察に駐禁でやられるだろうから、その時は見ものだな。残念ながら見られないけど。だけどそうなれば暫くはこんな真似できなくなるだろう? 大丈夫。僕の顔は見られていないし、警察に行ってもこいつら絶対華名咲さんを誘拐して返り討ちに遭ったなんて口が裂けても言わないよ。この連中、詰めは甘いけど一応プロみたいだから」


 淡々と鬼畜のようなことを言いながらも、テキパキと動く十一夜君。しかしそこまで考えてやってたのか。何か凄いな。学校でいつもぼけーっとしている彼の面影もない。一体この人何なんだろうか。

 あの時、あり得ないことと思いながらも、何故か俺は十一夜君に心の中で助けを求めていた。そうしたらまさか本当に助けに来てくれるなんて。

 そんな十一夜君は、ダッシュボードから車検証やら保険の書類、納税証明などを取り出して確認している。


「レンタカーだな。直接身バレに繋がりそうなものは何もないけど、レンタカーの契約書がある」


 言いながらどんどん書類をスマホで撮って行く。そして男達のポケットもすべてチェックして行く。何という手際の良さというか、手慣れた様子だろうか。免許証なども確認して全部スマホで撮っている。


「一応な。偽造の可能性もあるが、自分で解決したいんだろう? 最低でもこれくらいのことはしておかなくちゃな」


「協力してくれるの?」


 十一夜君は欧米人みたいに肩をすくめて見せ、

「今更確認必要か?」

とぶっきらぼうに言った。


 それもそうか。謎だらけだが、兎も角十一夜君はここまでして俺を助けてくれたのだ。それにどう見ても只の高校生とは思えないような手練っぷりだ。相当頼りにはなりそうだ。そしてまた背負っていたデイパックを降ろして、中からモバイルPCを取り出すと、男達の携帯電話を接続して何かし始めた。


「それは? 何してるの?」


「携帯のデータまるごとぶっこ抜き中。携帯パクって後でゆっくり解析してもいいんだけど、そうするとGPSで相手側に追跡されるかもしれないだろ。だから取り敢えずデータだけ全部いただいて、後でじっくり調べさせてもらおうってわけ」


「何だか色々凄いんだけど、マジで十一夜君、何者なの?」


「あ〜、悪いが守秘義務とか色々あって詳しいことは言えない。まぁ、今のところは君の協力者になれると思うよ」


 守秘義務……? 何だ、マジで何だ、十一夜君。君は何屋さんなの?

 そうこうしている間にも、十一夜君はダスターで車中をずっと拭いている。


「僕は手袋してるけど、華名咲さんの指紋も残さない方がいい」


 粘着テープで床やシートを掃除している。きれい好き?


「髪の毛も取り除いておかなきゃね。よし、完了」


 モバイルPCと奴らの携帯の接続を解除し、携帯を一人ゝゝのポケットに戻して行く。何という手際の良さ。俺を縛っていた粘着テープも片付けてデイパックに仕舞っている。そして最後の仕上げと言ってマジックを取り出すと、真面目な顔をして男達の額にそれぞれ“肉”と書いてから、車を出た。こういうところは意外にお茶目さんだな。何考えてるんだかサッパリ分からん。

 十一夜君の後に付いて行くと、廃屋の裏にバイクが停めてあった。ヘルメットと一緒に、十一夜君が背負っていたデイパックを渡され、先にバイクにまたがった彼から、「乗って」と促された。


 バイクの後ろに乗るってことは、密着するよな。ちょっと恥ずかしいな。とは言え、ここがどこだかも分からないし、乗せてもらうのが一番安全なようにも思える。


「喉渇いたんだよ。何処かでお茶でも飲みながら話さない?」


「あ、うん。そうだね、いいよ」


「掴まって」


 恥ずかしかったのだが、エイっとばかりに思い切ってヘルメットを被った横顔を十一夜君の背中に寄せて、腰にしがみついた。前も思ったが、こうして実際に体をあずけてみると、ぱっと見細く見える十一夜君の背中は意外に大きい。

 中身は男同士とはいえ、今は女子の体になってしまった為何だかドキドキしている鼓動が十一夜君にバレやしないかと思うと、余計に鼓動が高まるような気がした。


「動くよ」


 エンジンの始動音がして、その直後、吹け上がる軽快な音と共にバイクは加速した。

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