第17話 Brand New Day

 エステ・クリニックは、最早お約束と言ってもいいかもしれないが、そう、華名咲かなさき傘下の病院の皮膚科に併設されている。

 レーザー脱毛に関しては、十八歳以下の場合、親の承諾が必要だそうだ。うちの場合は、ほぼ親と言っていい叔母さんの積極的な勧めによって脱毛するわけで、当然何の問題もない。ただ、脱毛後のエステは良くないそうで、先にエステでスキンケアコースとなった。パックやらアロマオイルマッサージやら、超音波やらミストやら。もう何が何やらなされるがまま。体中揉みに揉まれている内に、いつの間にか爆睡していた。

 昨夜あれやこれや考えて眠れなかったというのもあるだろうし、エステが思いの外気持ちよかったので、すっかり気持ちまで揉み解されてしまったようだ。施術が終わった時にはフェイスもボディもピッカピカ。なるほどこれはいい。こんな世界知らなかった。

 まぁ、俺だけじゃないだろう、普通の高校生は知らない世界だと思う。華名咲家の女性は美容意識が高過ぎるのだ。


 気が付けばお昼はうに回って昼下がりとなっていた。晩も天麩羅だし、昼食は軽く近くのカフェで済ませることにした。

 店内は広々としたスペースで採光も良く、その自然光が気持ちの良い空間を作り出していた。ウッドフロアと壁面の勿忘草色わすれなぐさいろとの調和が落ち着く。BGMにはしっとりとコリーヌ・ベイリー・レイが流れている。音量が控えめなところに好感が持てる。BGMと合わせて時々聞こえるカップを置く音や、広い店内に柔らかく反射する客同士の話し声が耳に心地よい。

 店員さんに案内されて席に着いた時には、既にBGMはオレンジ・ペコーに変わっていた。俺と叔母さんは、お店オリジナルの天然酵母パンとオーガニック野菜のスープのセットを注文した。


「夏葉ちゃん、エステどうだった? 気持ちよかったでしょ」


「うん、気持ち良すぎてすっかり爆睡しちゃってたよ」


「うふふふ。よくあることよ。秋菜も来るといっつもぐっすり眠っちゃってるもの」


「だろうね」


 即座に秋菜が間抜け面で爆睡している顔が思い浮かぶ。だが考えてみると、それはそのまま俺の姿でもあるわけだ。そう思うとあいつの間抜けな寝顔をバカにできなくなるな。他愛もない会話をしている間に、知らないジャズが何曲か流れ、今流れているのはハーパース・ビザールの『The Drifter』だ。俺が年に似合わずやたら音楽に詳しいのは、音楽好きの叔父さんの影響だ。小さな頃から叔父さんの部屋に入り浸っては、CDやらレコードやらを、ジャンルを横断して聴きまくっていた。叔父さんは古いものから新しい物まで幅広く聴く人で、休みの時なんかはいつも叔父さんから音楽の薀蓄うんちく話を聞かされるのが好きだった。聞いた話じゃ趣味で時々DJなんかすることもあるらしい。

 BGMがサンダウナーズの「Always You」に変わったところでセットが届いた。オーガニックを売りにしているらしいこのお店だが、それらしく素朴で滋味深い、出てきたものはいずれもそんな味わいのものだった。パンには野菜が入っていてヘルシーだし、野菜スープは素材の自然な甘みと旨みを感じられる優しい味がした。有機野菜のサラダにかかっていたのは店オリジナルのドレッシングで、こちらは摩り下ろした人参と玉葱と醤油がベースになっており、これもまた美味だった。

 思えば叔母さんと二人だけでこうして過ごす時間というのも珍しいかもしれない。まぁ、家にいても毎日キッチンには二人で立っているから、毎日一緒にお喋りしているのだが、またそういうのと違って新鮮に感じるものだ。話す内容は学校のことや秋菜のことなど、大していつもと代り映えしないのだが。

 手作りのジンジャーエールもピリッと辛味が効いていてちょっと癖になる味だった。冷たくてさっぱりとした味だが、きっと体を温める効果があるはず。


 遅めの昼休みを終えるといよいよ脱毛だ。クリニックに戻り受付を済ませると、まずは医師からの簡単な問診と説明があるとのことで、暫し待合室で待たされた。

 先生の説明では、今回受けるレーザーは長短異なる波長のレーザーによって、毛根ではなくてバルジという発毛因子を破壊するのだとか。産毛まで脱毛しちゃうという。ただまだ若いので、年を取ってから毛が生えてくる可能性もゼロではないという。この辺の説明は叔母さんから散々聞かされたので、ほぼ復習しているような感じだ。

 専門的なことは結局分からないが、ポイントは理解できたのでいいだろう。脱毛っていきなり毛が無くなるのかと思っていたが、今ある毛の寿命が来て抜けたら、その後は生えて来なくなって、結果脱毛するというわけだ。いきなり無くなるより心の準備をするための猶予期間ができるな。


 脱毛自体は驚くほど簡単なものだった。ジェルを塗って、見た目はごっついドライヤーの親分か、スーパーのレジのバーコードリーダーの化物みたいな機械を皮膚に当てて滑らせていくだけだ。ピッピッピッと断続的に音が鳴りながら、ジェルを塗った肌の上をなぞっていくのだが、熱しながら同時に冷却も行なっているらしく、恐れていたような痛みはなかった。ちょっと熱さを感じる程度で我慢できないようなものではない。

 上半身をやるときには変な目隠しを着けられて目を保護した。やはりレーザーなのだなとそんなところで意識する。腕や脛の脱毛はそんな感じで意外なほど呆気なく進んで行き、そして最終的に所謂VIOの脱毛となった。しかしこれが恥ずかしいなんてもんじゃなかった。施術者も女性とはいえ、大股開いて他人の目に晒されるんだもん。死にたくなるくらいの恥辱だった。完全にプライベートな空間になっているとはいえ、一対一でのこの状況。風呂とか、秋菜や叔母さんとなら堂々としていられる様になったが、さすがに赤の他人の目の前で大股開いて触られるとか、羞恥プレイにも程がある。尤も一対一ではない場合もまた違ったタイプの羞恥プレイになるだけだ。いや、そうは言ってもプレイ的要素は全く感じてはいないのだけどね。

 結局、毛があるとレーザーの出力のロスが大きくなるんだとかで、まず剃毛された。どうしてもやらなきゃならないことならば自分でやるから、できることならやめてくれと言いたかったが、小心者の俺にはそれも叶わず、羞恥心に塗れながらじっとなされるがままでいるより無かった。最終的に、見られるどころか施術のためにびよーんと引っ張られたりして触られまくることとなったのだ。それはもう赤面どころの恥ずかしさではなかった。もうこんなのゴメンだと、かなり心がし折られたが、皆最初はそんなものだが何度も通っている内に慣れてくると言われた。正直慣れたくないと思った。

 すぐ毛が無くなるわけではないと聞いて、心の準備ができるだけの猶予時間が与えられたように感じていたのだが、実際には剃毛されてしまったので、結局ツルッツルのハイジニーナ状態となってしまった。

 今までそこにあったものが、突然無くなるというのは何か物寂しいものだ。例えば、たった一つ操作を間違えたばかりに、セーブしなかったばかりに、一生懸命書き上げた文章が一瞬にして消し飛ぶ。切ないものだよな。十五年かけてやっと生え揃った毛がな、今日唐突に赤の他人の手で消し飛んだのだよ。寂しいことよのぉ。

 エステで散々癒やされた分、脱毛——取り分けVIOラインの脱毛——でごっそりと抉られてプラスマイナスで言うと大きくマイナスが出たような状態だ。完全に赤字決算の破産寸前。しかしまあ、脱毛が進めば普段の手入れが随分と楽になるのは確実だ。いちいち剃ったり抜いたりするのは結構面倒くさいのだ。肌も荒れるし。ものは考え様なのだ。そうやって前向きに捉えて自分を鼓舞するよりない。それが今の俺にできることだ。クソ、絶対男に戻ってやると強く思った。

 あれ、しかし晴れて男に戻ることができた時、俺の体は全身脱毛済みのツルッツルのハイジニーナ状態になってるのじゃなかろうか……。結局俺の心は余計に深く抉られることとなるのだった。


 日々の女子イベントで結局いつも通り疲れ果てたまま、待ち合わせの『銀座えんどう』という天麩羅屋に向かう。叔母さんもすっかりツヤッツヤでいつにも増して美しい。俺は精神的に顔面蒼白でゲッソリやつれているはずだったのだが、そんな内面とは相反して、お肌艶々ピッカピカで何かよく分からない敵に負けた気がする。

 老舗の天麩羅はさすがに美味い。家族皆で落ち合って入ったお店は、叔父さんがちゃんと予約を入れてくれていて、お座敷天麩羅というやつだった。個室で目の前で職人さんが天麩羅を揚げてくれるのだ。家族水入らずでリラックスできて良かった。今日もかなり抉られたからな。

 俺と叔父さんと秋菜は職人さんのお勧めを頂く。祐太はいきなり天丼。叔母さんは野菜を頼んでいた。

 揚げたてのそら豆や稚鮎がホクホクと湯気を立てて出される。職人さんの勧めでシンプルに塩で行く。そら豆はそれこそホクホクで、豆の香りが鼻腔をくすぐり味覚をほぐしていくようだ。そして稚鮎はちょっと大人の味。ほろ苦さの中に独特の風味が沸き立つようだ。どちらも塩でいくのを勧められたが、なるほど納得だった。そら豆と稚鮎はちょうど今の旬だそうだ。この二つの料理ですっかり嗅覚と味覚が刺激され、これから大いに味わうためのウォーミングアップが完了した気がする。さあ準備万端。かかって来いやー。

 次に出てきたのはアスパラガス。甘い! アスパラガスってこんなに甘かったのか、と感動するくらい自然の甘みがじわりと舌の上に広がる。アスパラガスを噛み切る時の柔らかくも無くなってはいない食感も素晴らしい。旬の新鮮な野菜を適切に調理すればこんなに豊かな味がするのだなぁ。お昼のカフェで食べたパンも野菜スープも美味しかったが、職人さんが目の前で揚げてくれる天麩羅はまた格別に美味い。

 椎茸やウド、ふきとうといった野菜類を頂き、海老、きす、穴子と進んだ。その後、生姜や豌豆豆えんどうまめ南瓜かぼちゃと続き、いずれも素材の味が引き出されていて十分に満足した。締めにかき揚げを頼んでご飯に乗っけて天丼風にして食べた。そして恐らく、天麩羅用の魚のアラから出汁をとったと思われるほうれん草の御々々付おみおつけも抜群の味わい深さで、心から味わいつくすことができた。

 こんな風に、途中予期していなかった毛を失うという出来事もあったが、これで全体的には至福の一日になったと言えそうだ。脱毛後はもうすっかり消耗しきった俺だったが、どうにか生き返ったような心持ちである。叔父さん、ありがとう。感謝せずにいられない俺だった。

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