第18話 ショッピング

 エステ初体験(永久脱毛コースあり)を経験し、女の階段をまたひとつ上った俺は、ちょこちょこ必要な小物や雑貨、そしてサイズの合わなくなってきた下着などを、休みの期間中に買い足しておくことにした。

 不本意ながら、女子的な生活にも随分慣れてきて、こんなものがあった方がいいとか、こういうのがかわいいとか、好みみたいなものもできてきた。

 いや、まぁ、これでいいのか、俺? とも勿論思わないわけじゃない。でも女子としての生活を送らざるをえない現実が目の前にあって、こいつは全然待ってくれないわけだし。現実と理想、目標、いずれも並行して考えていかなきゃなんないと思うんだよね。例えばちょっとした小物入れやポーチの類だとか、あと文房具なんかも男っぽい素っ気ないようなものからそれなりに女の子っぽいものへ買い換えたり、以前ならばまるで用の無かったちょっと可愛らしいような一筆箋的なものとか。女子は言葉でのコミュニケーションが兎角小まめで、意外にこういう小物を使う機会が多い。ノートの切れっ端でのやり取りも結構多いんだが、その辺り、俺の性格的に多少は気の利いたものを使いたいという悪い病気が出てしまったりするんだよ、これがまた。

 そんなわけで、女子化してから初めて、一人で買い物に出た。

 秋菜あきなは秋菜でやることがあると言っていたので、特に誘わずに出てきた。そんなに四六時中一緒にいるのもお互い飽きるだろうと思うんだよね。向こうはやたらベタベタしてくるんだけどさ。

 あと思い出したけど、女子って何でああもトイレひとつ行くにもるみたがるんだろうね。それでトイレに付き合ったら付き合ったで、その場にいない子の悪口とか言ってさ。そのくせ本人の前ではそんなのおくびにも出さないんだもの。怖い世界を垣間見た気がするよ。あれって、その場にいないと何言われるか分からないから、お互いの監視のために連るんでいるんじゃないかとさえ思えてくるよ。そんなのだから俺もまぁ、できるだけは付き合って連れションするようにしてる。男の連れションには言葉は要らないが、女の連れションは俺の見立てだと、言語的コミュニケーションの一環だからな。言わば、連れ(コミュニケー)ションだな、これは。

 脱線したが、買い物だ。言わずもがなの例のデパートで。例えばちょっとした化粧品入れだ。秋菜に言われて今じゃ普通に化粧をするのが習慣化している俺。そうすると必然的に直しが発生するわけだ。そんな時持ち歩ける化粧品ポーチが必要だ。しかもそれならいつも持ち歩くことになるので、生理の時でもそこにナプキンを忍ばせておけば、男子の目を気にせずに済む。あいつ今生理なのかなんて邪推されても気持ち悪いじゃん。自意識過剰かもしれないけど。

 で、結局エプロンの件で散々抵抗していた俺なのに、マリメッコのかわいいポーチを買ってしまった。だってかわいかったんだから、しょうがないだろう。かわいいは正義ってどっかで聞いたぞ?

 実のところ母が使っていたものが家にもあったのだが、シ○ネルだのデ○オールだののハイブランドのものばかりで、何か高校生が持つにはちょっとなって感じがして、自分用を買うことにしたのだ。ブランド中毒の同級生もいるようだけど、俺はあれには違和感しか感じないんだよな。バ○キンだのケリ○だのがゴロゴロ転がっているような家庭で育った割には。

 どっちかって言うと俺は保守的なところがあるから、ブランドに関係なく、いいものを長く使いたいし、コロコロと最新のものに買い換えたいというタイプではないのだ。地味でごめんな。まぁ、ブラはサイズが合わなくなったので買い換えざるをえないんだが。


 文具店に寄って必要な物を見繕ってから、あの有能なボディコンシェルジュの武藤さんがいるランジェリーショップに来た。まさかこの俺が一人で女物の下着を買いに来るなんてなぁ。ほんのちょっと前までならとてもじゃないが気持ち悪いと思っていたのに、毎日身に着けているうちに、今では俺の日常にすっかり馴染んでしまっている。今や、男の時にトランクス履いてTシャツ着ていたのと何ら変わらない感覚になってしまっている。慣れというのは怖いな。

 ただ、今回も店に入るのには若干の抵抗感を感じた。ディスプレイされている下着の量が圧倒的なので、少し後ろめたさを感じてしまったんだが、これはまだ俺にも男の部分が残っているということだろう。そんなことでちょっとだけ嬉しい気持ちもどこかに感じつつ、実際のところは複雑な思いだ。

 武藤さんに挨拶し、今回サイズが合わなくなったので新調したいということと、スポーツブラを購入したい旨を告げる。

 前回同様、フィッティングルームに案内され、サイズの確認だ。これまた前回同様、大変手慣れた様子でサイズを測られ、陳列されている商品棚から該当サイズのものを紹介される。

 前回購入して体に合っていたブランドのものの中で、気に入ったデザインのものを何点か選んで試着してみた。今回は武藤さんの力を借りずとも、自分でカップの容量を満たすことができた。俺も成長したもんだよ。色んな意味で。

 ついでにかわいいショーツも合わせて購入する。

 スポーツブラの方は、SMLというサイズのものと、普通のカップ表示のサイズのものとがあるのか、知らなかった。できるボディコンシェルジュの武藤さんによれば、スポーツ目的であれば、カップサイズのタイプを選んだ方が良いとアドバイスされた。そういうタイプか、寧ろ普通のブラの方がしっかりバストをホールドするので型崩れ防止の効果は高いのだとか。流石できるな、武藤さんは。眼から鱗のアドバイスだよ。

 その武藤さんのお勧めのスポブラはその名もShock Absorberというもので、揺らさないことに定評があるらしい。これ、英国製だそうで、サイズ的に大きめらしいのだが、最近富みに成長著しい俺のおっぱいに死角はないぜ。

 今回は、ボディコンシェルジュの武藤さんと、正しくブラを着けるとホントにサイズアップするんですねぇ、なんていう無難な世間話もこなす余裕もあった。

 きちんとサイズの合った良い下着を身に着けることは非常に大切なんだそうだ。サイズが合っていなかったり、化繊のいい加減なものを着けていると、黒ずみの原因にもなるらしい。不要な摩擦が原因となるらしいが、黒ずむのは絶対嫌だ。

 武藤さんとのお喋りを通じて、ナイトブラが有用であることも知ることができた。秋菜たちも使ってるとは聞いていたが、寝る時ぐらい解放されたいと思って、俺は寝るときにはノーブラだったんだ。だがノーブラはめるべきだと武藤さんから説得されてしまった。型崩れは勿論だが、寝ている間には成長ホルモンが出るので、美しいシルエットの育乳という観点からもNO, ノーブラだそうだ。特に俺の年代は最も育乳にとって大切な時期だそうで、No Brassiere, No Life と、タワレコ風に言いきられてしまって、何だかよくわけは分からなかったが説得力があった。

 武藤さんは本当にプロフェッショナルで、こんな具合に有用なアドバイスをくれたり、俺が最近行なっているおっぱい体操の話題にも結構食いついてきたりして、割と楽しく買い物できた。フィッティングルームの中でなぜかおっぱい体操を実践してみせるというおかしな一面もあったが、武藤さんはさすがのプロ意識なのかすごく真剣で、それがまたおかしくて、思わず笑ってしまい、武藤さんにきょとんとされたのだった。

 それにしても今回の下着購入は、一人できたという達成感もあってか、結構楽しく買いものをすることができた。俺も一端の女の子になったようだな。全然嬉しくないんだが。


 帰宅後、秋菜に声をかけてお祖母ちゃんとお茶会だ。お土産の焼き菓子と、午前中に届いていたクラフトハウスで作った例のコップを携えて階上の家を訪ねる。


「Bonjour, grand-mère」


「Bonjour, ma belle」


 一応挨拶だけはフランス語だ。子どもの時からこうやって挨拶すると喜んでくれるのが嬉しくて時々フランス語で挨拶している。

 お祖母ちゃんたちの部屋はとってもモダンな感じだ。感覚が若いのかな。

 ル・コルビュジェのソファやイサム・ノグチの照明器具やらテーブル、ハワード・ミラーの時計等々、おおよそミッドセンチュリーモダンの定番と呼ばれそうなものは一通り揃ってるのじゃないだろうか。ま、セレブ家系なので仕方ない。気にするな。


「はいこれ、お土産だよ」


 俺が焼き菓子を、秋菜がコップをそれぞれテーブルに置く。

 二人共ちょっとそわそわしながら、開けて見るように促す。お祖母ちゃんが喜んでくれるのを楽しみにしているのだ。


「まぁ、どっちを先に開けようかしら」


 お祖母ちゃんはにこにこしながら俺たちの顔を伺いつつ訊いてくる。


「う〜ん、こっちがわたしと夏葉ちゃんが作ったガラスのコップなんだ。先にこっちを見てみて」


 秋菜がコップの方を勧める。そうだな。お菓子はそもそもお祖母ちゃんのリクエストで買ってきたものだからどんなものかよく分かっているだろう。ここは俺たちの力作を見てもらいたい。

 お祖母ちゃんは梱包された箱を丁寧に開けて中から二つのコップを取り出した。


「まあきれい。ステキなグラスねぇ。これをあなたたちが作ったの? 素晴らしいわ」


 そう言ってとっても嬉しそうにコップに見入っている。コップはマーブル柄になっていて、元々手先の器用な俺と秋菜が丹精込めて作った快心の自信作なのだ。お祖母ちゃんと言ってもまだ確か五十代だ。別にお婆ちゃんと言って人が想像するようなヨボヨボな感じではないのだ。そんな美しいお祖母ちゃんの嬉しそうな様子に俺と秋菜は心底満足して二人共顔が綻んだ。


「どれどれ〜。お菓子はどうかしら? ウフフフ」


 お祖母ちゃんはお茶目な笑顔を浮かべて嬉しそうに焼き菓子の包みを開けていく。


「あ〜、これこれ。かわいくて美味しそうよね。さ、それじゃあ美味しいお茶を入れなくちゃ」


 お祖母ちゃんはそう言ってお茶の準備のために立ち上がった。俺も手伝うためにすぐ立ち上がるが、どうせ秋菜は呑気に座ったままなので、お皿を出してお菓子を装うように指示を出す。まったくもう、言われなきゃやらないんだよこいつは。俺は幾つもあるティーセットの中から、気分でRoyal Worcesterのセットを選んで準備した。お婆ちゃんの今日のとっておきのお茶はMARIAGE FRERESのダージリン・オートクチュールだった。フランスから取り寄せたものらしいのだが、うちは貿易もやってるからその辺融通が利きそうだな。銘柄はダージリン・スノーという高級な白茶だ。封を切っただけで鼻腔をくすぐる素晴らしい香りが立ち、否が応でも期待が高まる。

 お祖母ちゃんと、学校生活のこととか、家族と分かれての生活のこととか、お喋りしながらお茶の準備を整えていく。秋菜もちょいちょい会話に加わりつつ、テーブルの準備が整う。


「さあ、いただきましょう。夏葉ちゃんも席に着いて」


「はぁい」


 俺はお湯を沸かしたポットを洗って仕舞っていたのだ。都度片付けないと気になってしまう性格で。柔らかで美しいシルエットのRoyal Worcesterのティーポットの中では、対流できっと茶葉が優雅に踊っているのだろう。封を切った時とはまた違う芳醇な香りが部屋に満ちていく。その中で焼き菓子の甘い香りがテーブルを覆うようにして広がり鼻に届く。正直言うともう既に美味しい。これは幸せを予感させる香りだ。つまりセロトニン大放出の予感だ。茶葉がゆっくりと開く時間を待つ間ももどかしく、俺と秋菜の鼻息が荒くなるが、そんな様子を見てお祖母ちゃんはクスクスとかわいらしく笑みをこぼしている。

 何だ、お菓子なんて食べなくたって、この愛おしい時間がもう幸せだな。そんな風に感じられる。


「あ、そう言えば二人はディディエのこと覚えているかしら?」


 思い出したように唐突にお祖母ちゃんが口にする。


「ディディエ、覚えてるよ。夏葉ちゃんと結構仲良くなってたよね」


「うん。まあまあ仲良くなったかな。てか他の連中ってほぼ秋菜にべったりだったよね」


「そうだっけ? また妬き餅妬いちゃって。かわゆいのぉ」


 俺は大きく溜息を吐いて、秋菜の挑発には乗らないように気持ちを落ち着ける。尤も秋菜は別に挑発しているつもりは無いんだろうけども、こいつの言い草って何かいちいち癪に障るんだよな。そんなことよりディディエがどうしたってんだ?


「ディディエがどうしたの?」

と、秋菜も同じことを思ったようだ。


 それに対して、お祖母ちゃんが優雅な所作でカップにお茶を注ぎながら、聞き捨てならないことを言う。


「あのね、あの子日本に興味があるんですって。それで近々こっちに留学するつもりらしいのよ。多分うちで面倒見ることになると思うの」


「ふ〜ん、そうなんだ」


 って、秋菜は呑気に構えているけど、ヤバイだろこの状況。

 俺のことどう説明するんだよ。


『やあディディエ、久し振り。俺、最近女の子になっちゃってさ』


『あぁ、そうなんだ。とっても似合ってるよ、よろしくね』


 みたいな訳にはいかないだろう、絶対。何がよろしくだよ、まったく。


「夏葉ちゃんにも会うの楽しみにしてるみたいよ。夏葉とは気が合うんだってディディエがいっつも言ってるって」


 何ごともないかのように、お祖母ちゃんはさらさらと話を続けているんだけども、俺は

「どうしよう、やばい」

という言葉が頭の中でぐるぐる巡って軽くパニックを起こしていた。


「どうしよう、やばい」


 頭の中でぐるぐる繰り返される内に、そのまんま言葉が口に出てしまったようだ。


「は、何が?」


 相変わらず秋菜が呑気なことを言っている。


「何がじゃないよ。俺が女になっちゃってるじゃん。どんな顔してディディエに会うんだよ」


「あら、そのままで大丈夫よ、きっと」


 今度はお祖母ちゃんが呑気なことを言っている。マジかよ、お祖母ちゃん。勘弁して欲しい。そのままですんなり行くなら俺だってこんなに心配しないっつうの。俺は返す言葉もなく黙りこむしかない。


「だってディディエは元々夏葉ちゃんのこと、女の子だと思ってるもん」


「えぇっ?」


「ね、お祖母ちゃん」


「そうね。うふふふふ」


「えぇっ?」


 俺はもう一度、驚きの奇声を発したのだった。

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