第9話 Teacher Don't Teach Me Nonsense
担任は三十歳前後ぐらいの男性教諭でさっぱりと小奇麗な感じの身なりをしている。入学式だからなのか普段からなのか知らないが、仕立てのいいグレイのスーツに身を包み、胸には白いポケットチーフをTVホールドにして挿し、首元にはネイビーのネクタイを締めている。
もっとも、高級オーダーでバッチリ決めた英国紳士かイタリアの伊達男かといった風情のうちの親父らとは比ぶべくもないが。
基本的にうちの家族は祖父さん祖母さん含めて皆着道楽だ。親父や叔父さんなど、海外の片田舎の腕利きテーラーやら靴職人やらがいると聞きつけると、わざわざそこまで足を運んでオーダーしている。何ヶ月も待たされるというのにだ。
話が逸れたが、教壇に立った担任は身長も結構高めのように見える。百八十センチくらいはあるのではないだろうか。物静かな雰囲気だが陰気臭いというわけでもなく温厚そうだ。
担任は自分の名前を板書しながら自己紹介した。
「ええ〜、これからこのクラスの担任をさせていただきます、
細野先生は極めて明快に無駄のない説明をする人のようだ。
「はい、先生」
と、ある男子が元気よく手を上げている。
先生は手元の座席表らしきものと見比べながら彼を指した。
「え〜っと、
「先生、何歳ですか? あと彼女か奥さんはいますか?」
アホな子というのはどこにでもいるものだ。入学式関連のことで何か質問はと尋ねられたのに、全く関係のない質問をしている。
「三十歳独身男です。彼女はいません。言ってて悲しくなるのでこの件を掘り下げるのは止めておきましょう。他に
先生はあくまで温厚な微笑みを湛えたまま、質問にはすんなり答えたが、巧みにこれ以上の余計な質問を拒絶したように見える。なかなか頭が切れそうな先生だな。
「講堂の場所については机の上のプリントに案内図がありますからそれで確認してください。では講堂に移動してください」
さすがに皆空気を読んだのかそれ以上の質問は出なかった。
入学式では校長の挨拶やらPTA会長の挨拶やらがあって、新入生代表の挨拶もあったのだが、なんと代表挨拶は
秋菜の代表挨拶の他には特に驚くようなこともない入学式だったが、強いて挙げるとすれば、PTA会長が緊張のあまり、挨拶のお辞儀をした際に思いっきりマイクにおでこをぶつけてしまい、講堂にボコっと音が響き渡ったことくらいか。狙ったボケではなく天然でぶつけちゃったんだな、あれ。
入学式を終えて教室に戻ると、明日以降のことが説明されて、その後生徒一人一人の自己紹介となった。
中等部からの持ち上がり組が大体女子の三分の二くらいで、残り三分の一と男子全員が外部からの受験組のようだ。俺は経営母体が共通の中学からというのと、経営者の身内ということで、申し訳程度の編入試験だけで入ってきた形なのでコネの力使いまくりだ。もし受験で落ちちゃった人がいたら誠に申し訳ない限りだが、俺にはどうしようもない。
さて、俺の自己紹介の順番が来たようだ。
「
何人かの女子が驚いていたが、恐らく俺のことを秋菜だと思っていたのだろう。ヒソヒソと話す声がそこかしこから聞こえてくる。俺の自己紹介はこれくらいで、無難にサクッと終わらせるはずだったのだが、あのアホの坂田がまた水を差してくれた。
「はい、質問、しつも~ん。華名咲さんは彼氏いますか〜?」
お前はまた同じことを。懲りない奴め、それを聞いてどうするんだっつうのよ。さっき先生にも同じこと訊いてたけど、どんだけ人の恋愛に興味津々なんだろうな。俺はお前に全然関心ないけど。
「お付き合いしている人は特にいません」
「よしキターーーー! 俺にチャンスキターーー!」
一人で盛り上がっているところ悪いが、お前に全くチャンスは来てないぞ。
全然来てないからな。
この場をどうしていいのか困ったので、細野先生に助けを求めて視線を送ったのだが、先生は相変わらず温厚そうな笑顔で見守っているだけだった。
ただひと言、
「端から見ている分にはおもしろい」
とだけ小さく呟いたように見えた。
俺としてはここは仕事して欲しいところだったんだが、ホントにそう言ったのなら随分な教師だな、おい。
すると、クラス全体が調子付いたのだろうか、アホの坂田のバカ質問が誘い水になったようで、次々に質問される羽目になった。
「どういうタイプの男性が好きですか?」
「私服はどんなファッションが好きですか?」
「お、お住いはどちらですか?」
「朝食はパン党ですか、ご飯党ですか?」
「お弁当派? 学食派?」
「無人島に一つだけ持って行くとしたら何?」
「ハァハァ。お風呂で身体のどこから洗いますか?」
「自分のチャームポイントはどこだと思う?」
「じゃあ自分の顔で好きなパーツはどこですか?」
「お友達からお願いします!」
聞き取れたものだけでこんな感じだ。最後のやつはもう質問ですら無い。
この事態に俺は固まってしまって答えに窮していた。俺も意外と想定外の事態に弱いな。いきなり女子になった時には、想定外にしてもあまりにあまりの出来事に、却って落ち着いて受け入れるよりなかったのだが。
するとどうだ。ここまでおとなしかった
「ちょっとちょっと~。こんなじゃいつまでたっても終わるもんも終わらないよ。それに夏葉ちゃん困ってるじゃない。みんなは夏葉ちゃんのこと困らせたいわけ?」
鶴の一声とでもいうのか、彼女の言葉で教室が静まり返った。
この人が一番悪ノリしそうなタイプかと思っていたのでとても意外だ。友紀ちゃん、変態さんだとばかり思っていたよ。ゴメンね。
「質問用紙を作ったので、夏葉ちゃんへの質問事項は各自1枚ずつこの用紙を受け取って書き込んでください。わたしが窓口になりますので放課後までにわたしにご提出あれ。一問一答という形で改めて発表させていただきます」
何かおとなしいと思っていたら、そんなもの作っていたのか。俺が全問回答する方向で、勝手に話が進められているのは釈然としないが。
「夏葉ちゃん、夏葉ちゃん」
後ろの席から楓ちゃんが声を掛けてきた。
振り返ると「よかったね〜」と、優しく微笑んでいる。
「これ夏葉ちゃん一人じゃ絶対事態を収拾できなかったよぉ。なんかこういう時だけは、友紀って頼りになるんだよね〜」
う〜む。そう言えばそうかなぁ。確かに俺ときたらすっかりパニクっていて何もできなかったのに、友紀ちゃんはあっという間に事態を収拾してしまった。
しかしちゃっかり「こういう時だけは」って、楓ちゃんはほんわかした雰囲気の割りに、なかなか冷静に物ごとを見ているタイプなんだな。
「じゃあ次の人の自己紹介に進んで」
友紀ちゃんが完全にこの場を仕切ってるぞ。
そうだったそうだった。初めて友紀ちゃんと会った時にも、自然とその場を取り仕切っていたっけな。秋菜もそのまま丸投げ状態だったが、仕切りはこいつに任せるという暗黙の了解が、仲間内に存在しているのかもしれない。それ以降の自己紹介はとてもスムーズに進み、特に質問が出たりすることもなく終わった。
あれ、何で俺だけあんな質問攻めにあったんだっけ? アホの坂田も俺の時以外はまるで関心無さそうにしていた。
あぁ、この外見のせいだろうか。秋菜のことは小さな頃から見慣れているし、兄妹みたいなものなので何とも思わないのだが、それでも美少女で有名なことは俺も知っている。ということは、秋菜とそっくりと言われる俺の場合も、必然的にそういう評価を受けるであろうことは想像に難くない。実はうちはお祖母ちゃんが外国人だし、母の方も欧米の血が入っている。なので俺らも外見的にどうしても目立ち気味なのだ。
もっとも俺自身は、人を外見だけで評価するのは好きではない。決して綺麗ごとを言うつもりはないのだが、全然知らない人から好意を告白されても、俺のことなんて何も知らないはずなのに、一体どこを見て好きになったのか甚だ疑問に思うもの。結局外見を見ただけで、本当の俺なんて見てくれてなんてないのじゃないか。そんな風に思えてあまり嬉しくない。
そう言いつつ矛盾するようだが、俺だって美人は大好きなんだ。だからといって美人というだけで付き合いたいとはならないわけで。言ってみれば鑑賞していたいとか、エロい妄想の素材にしたいとか、あくまでそういう対象に過ぎない。って、それはそれで酷い話だな。俺ってサイテー。
一通り自己紹介も終わって、改めて細野先生からの短い歓迎の言葉と、簡単なオリエンテーションの後、解散となった。この先生、肝心なところで仕事しなかったな。いい先生かなと思ったんだけどやる気ない系か?
放課後——入学式終了後のことも放課後でいいのか?——とっとと帰りたかったのだが、クラスメイトから囲まれた。窓口は友紀ちゃんですよ〜。
「どう見ても秋菜にしか見えないよ。ホントそっくりだねぇ〜」
「似てる〜。マジで瓜二つ。てか瓜三つ分くらい似てるって」
「いやなんかそれ使い方間違ってるって」
どうやらこの人たちは秋菜の友達の皆さんか。結構粒揃いだな。皆かわいいしいい匂いだなぁ。って、おっとっと、これを態度に出したら友紀ちゃんになっちゃうから気を付けねば。男どもは暑苦しいから近寄るな。せっかくのかわいい女子たちの美味しい空気が汚染されるから。
「か、華名咲さん。LINEのアカウント、お、教えてもらえるかな」
「おい、抜け駆けずるいぞ。華名咲さん、僕にも是非教えてほしいな」
こういうのどう対処すればいいんだ? 男の時には女子にそういうの訊いてた記憶がないな。自然に流れで教えてもらってたような気がするんだよな。やべぇ、対処方法秋菜に聞いとけばよかった。取り敢えずここはワイルドカードを使っておくべきか。
「ごめんなさい、一度には対応しきれないので友紀ちゃんに質問用紙を渡してもらえるかな」
これだ。頼むぜ友紀ちゃん。ついでにスマイルも添えておくぜ。こうしてワイルドカード連発でどうにかこうにか凌いでいると、ひょっこり秋菜がうちの教室に顔を出した。わーっと声が上がる。
「夏葉ちゃん、まだ終わらないの〜?」
よく来た秋菜。ここから俺を助け出してくれ。
「ヒャ〜〜〜。見て見て、超絶美少女が二人も!」
「おぉっ」
「ちょっ、写メ写メっ」
「眼福でございます」
「おー、秋菜久し振りーっ。ホント双子みたいなんだねー!」
「秋菜一人でも超かわいいのにまさか二人いたとは……」
「二人一緒にいるとかわいさ二乗倍だよぉ。なんかそこだけオーラが輝いて見える」
色々な言葉が飛び交っているが、兎に角ここを脱出だ。
「秋菜ごめん、もう帰れる。行こうか。それじゃ、みんなまた明日ね」
逃げ出すようにして秋菜の手を引いて教室を出た。教室の中から女子たちのキャーキャー言う黄色い悲鳴が漏れ聞こえてくる。俺と秋菜が二人揃うと相当目立つのだろうけど、今は秋菜が来てくれたのをきっかけにしてあの喧騒から脱出できたことが僥倖だ。
「いやぁ~、大変だった。ようこそこっちに来てくれたよ。お陰でどうにか抜け出せた」
「何かあった?」
「とっとと帰るつもりだったんだけどさ、何だか知らないけどみんなに囲まれちゃって、えらい騒ぎになっちゃったんだよ」
「夏葉ちゃんかわいいからな〜。しょうがないよ。えへ」
「また始まった。それって俺を褒めてるようで実は自分のことかわいいって言ってるんだろ。どんだけ自分大好きだよ」
「そんなことないよ〜。夏葉ちゃん超かわいいもん」
何となく白々しく聞こえる秋菜の言葉をやり過ごして、聞いておきたいことがあった。
「はいはい。て言うかちょっと訊きたいんだけどさ、男子から連絡先訊かれた時なんかはどうしてんの? 秋菜は」
「基本、教えないかな」
「断るの?」
「じゃあメールするからそっちのアドレス教えてって言って、携帯出さずにノートとかに書いてもらうの」
「結局教えるんじゃん」
「教えなーい。相手のアドレスは教えてもらうけど、教えてもらうだけで後はスルー」
「ヒデェ〜」
何かクラスメートだとそれじゃ気まずくなんないのかなぁ。
「別に普通だよ? あ、それかどうしてもしつこかったらLINEだけ教えれば?」
「やっぱしつこい場合教えるしか無いのか」
「LINEだったら教えてもブロックすればいいんだよ」
「そんなの通用するのか?」
「知らなーい」
「そんな無責任な」
色々言ってるが、何となく他人ごとという無関心さを感じる。何か冷たいよな。
「夏葉ちゃんこそ元男なんだからどうすればいいか分かるでしょ? むしろ私中学まで女子校なんだからそっちの方が詳しいじゃん」
「分かるかよ。俺女子に連絡先とか訊いたこと無いもん」
「マジメかっ」
「別に連絡する用事も無いし。俺に用事あるやつは向こうから教えてくるだろ?」
「うわ、何それ。余裕? 俺が聞かなくても向こうが勝手に教えてくる? モテアピールうざっ」
「うるせーよ。秋菜の方が俺よか断然モテモテだろうが」
また始まったよ。こいつとはすぐこれだ。
「あれれ? もしかして妬いてるのかなぁ? 気になっちゃってるのかなぁ?」
「あー、ウザい。妹に嫉妬なんぞするか」
「ブブー。正解は秋菜の方がお姉ちゃんでした~」
「はん。そうですかっ」
「も〜、むくれた夏葉ちゃんもかわいいなぁ」
頬をつんつん指で
「あら〜ん、かわい〜」
逆効果だった。
正門付近で叔母さんを待っている間そんなやり取りをしていると、下校する生徒たちが横目でジロジロこちらを見つつ、ヒソヒソと噂話をして行く。何も知らない人たちからは、きっと双子に見られているのだろうな。そんな中でも時折「秋菜、バイバーイ」と声を掛けられる。
その都度俺を見て一瞬足が止まるのだが、秋菜が
「従姉妹の夏葉ちゃん、そっくりでしょ」
と説明して
「へぇ〜、そっくり」
と驚かれて帰っていくパターンだ。
秋菜は幼稚舎からこの学校にいるので、上級生まで含めて顔見知りも多い。こんな風に声を掛けられていたら、双子みたいにそっくりな従姉妹の俺がいるということが知れ渡るのも時間の問題だろう。秋菜は学園内で結構有名人だしな。
初めての学校で初めての女子高生、質問攻めに遭ったり囲まれたりしたのも初めて。初めてづくしで滅法疲れている俺だった。
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