第7話「憧れのヒーロー」

 火災が起こっているビルは、建設途中のマンションだったはずだ。

 まだ、建物の中は、ほとんど吹き抜けと同然だった。


「エイリ!」

 俺は、さっき、一瞬だけ、上階の窓から見えた、女の子の名を呼ぶ。

「どこにいるんだ! エイリ! 返事してくれ!」

 しかし、階段を駆け上がった俺は、だんだん視界が悪くなっていくことに気づく。


 思わず、激しく咳き込む。

 つい、感情が先走って、エイリを助けようとビルに入ってしまったが、煙を吸ってしまったのだ。

 呼吸が苦しくなり、激しく咳き込んでしまう。

(くっ、こんなの、基本的なことじゃないか……!)


 火災が発生した時にどうすべきか。

 警察官であれば当然学んでいる。

 さっき消防車は呼んだばかりだし、俺の任務は、周囲の一般人を避難させることだったはずだ。


 俺の肩に、白い肌がふれる。

 HENTAIに、身体を支えられたのだ。


「少女を助けたいという、その意気やよし。だが、現実を見ろ」

「……」

 俺は、まったく反論することができなかった。

 現実を直視すれば、裸の女の子に説教されている状況でもあるわけだが……。


「私はHENTAI……ハイパー・エモーショナル・ネイキッド・トランスフォーメーション・アタッチメント・インテリジェンスとしての力により、しとやかの身の安全を確保することができる。だが、貴様はどうだ?」

 奴の言う通り、俺はただの地球人だ。

 火災が発生しているビルの中に入って、女の子を救おうとするなんて、ただの無謀な行為でしかない。


「ところで、異性の身体に接触することは、しとやかの羞恥心を刺激するらしいな。さきほどから、私のエネルギーが上昇している」

「この変態! げほげほっ!」

 HENTAIの最悪な発言のせいで、俺は激しく咳き込んだ。

 しかも、しとやかは、このことを憶えているのだった。

 後で気がついたら、今度はどんな態度を取られるのだろうか。


 まずい。

 だんだんと、意識が、もうろうとしてくる……。


 俺は、HENTAIの背中……十代の少女の小さなものだが、とてもそうは思えない……に背負われた。


 昔のことが、また、思い出される。

 子どものとき、ヒーローが、俺を助けてくれた時のことだった。


 でも、あれは、大人の男性だったはずだ。

 それに、断じて、全裸などではなかった。

 なにより、すごく、かっこよかった!


 けれども、あの戦い方は……。

 これまでのHENTAIの戦い方が、あのヒーローにそっくりなのはわかっている。

 特別な武器のようなものは何もない。

 徒手空拳の使い手であること。

 そして、人間離れしたパワーと技の持ち主であること。


 もしも、HENTAIが憑依していたのが、しとやかではなく、別の人物であったなら……?

 それに、しとやかは、俺より年下なのだ。

 俺が物心つくくらいの子どものとき……まだ生まれていないのではないか?

 だったら……!


「なあ、HENTAI。おまえ、もしかして、昔……」

「細かい話は後だ」

「だけど、おまえ」

「煙をこれ以上吸われても困る。私の力によって防ぐのも限界があるからな」

 たしかに、HENTAIの周囲に、煙や火の手は近づいてこないように見える。

 これも、特殊能力の一環なのだろう。


 こうして、HENTAIは、エイリがいたとおぼしきフロアへと、俺を背負ったまま、たどり着いたのだった。


 不思議なことに、そのフロアには、まったく煙が充満していなかった。

「待て、様子がおかしい……」

 だが、HENTAIの制止を、俺は待つことができなかった。


「エイリ!」

 小さな少女が、何もないビルのフロアの真ん中に立っている。

 エイリは、無表情に、こちらを見つめていた。

 もともと、感情表現が豊かではない子だが、恐怖心も何も感じられない。


 いったい、どうやって、ここに入ってきたんだ⁉


「早く、ここから出よう! な、俺たちと一緒に……!」

 俺は、エイリに向かって駆け寄る。


御巡おまわり! 冷静になれ!」

 HENTAIの声が後ろで響く。

 だが、俺は、エイリに駆け寄るのをやめることができなかった。


 そして。


 目の前で、爆発が巻き起こった。


「え……?」

 間抜けな声をあげてしまう。


 爆風が、人影によってさえぎられる。

 俺の前に、HENTAIが立って、かばってくれているのだ。

 爆風のため、彼女の身体の、詳細な部分が見えなくなっていた。

 だから、そのシルエットが、昔のヒーローの姿と重なって感じられた。


「……く」

 爆風がやむと、HENTAIがつぶやく。

「遅かったか」


 そこには、もう、エイリの姿はなかった。


「そんな……!」

 俺は、エイリがいたあたりに近づこうとするが、HENTAIに制止される。

「そこまで、大規模な爆弾ではないようだが、床がもろくなっただろう。移動には注意しろ」

「お、おい、なんでそんな冷静でいられるんだよ!?」


 エイリを助けられなかった。

 そのことに、取り乱す俺に、HENTAIがさっきと同じことを告げる。

御巡おまわり。冷静になれ」

 HENTAIは、俺の前で仁王立ちしていた。

 彼女が、最初に、コンビニ強盗を捕まえた時のように。


「奴こそが……エイリが犯人だ。宇宙犯罪者は、地球人の少女に擬態して、UFO撃墜時の難を逃れ、そのうえ、さらに罪を重ねたのだ」

「え!?」

「あれを見ろ」


 HENTAIの指さした先には、何か金属の塊がある。

 ……いや、違う。

 ただの金属なんかじゃない!

「不発弾!?」

 それは、見るからに爆弾だった。

 表面には、まるで、火星人のような、タコみたいなマークが描かれている。


「あれが、奴がエイリアンである動かぬ証拠だ」

「ちょ、待てよ」


 いろいろと思考が追い付かなかったが、だんだんわかってきた。

 この、冗談みたいな状況が。


「なんだよ、あの古典的な宇宙人みたいなマークは!」

「奴が地球をしつこくねらっているエイリアンだからだ。当然、目撃情報も地球人の間で共有されているだろう。まあ、不完全な形ではあるだろうが」

「あいつ、本当は、ああいう形の身体なのか⁉」

「様々に擬態可能だから、ああいう形にもなれるだろうな」


 かなり、げっそりしてきた。

 俺は、エイリ……エイリアンに騙されていたのだ。


「だいたい、あの投げやりな名前……なんで気づかなかったんだ、俺は!」

「これが、奴の地球人への擬態能力なのだ。完全にやられてしまったな。この私でも気づかなかったのだ。人類であれば、やむを得ないだろう」

「だからって……!」

 あくまで冷静に告げるHENTAIに、俺が、反論を続けようとした時だった。


 火星人風のマークの、不発弾が、怪しい発光を始める!

 UFOが光っていた時の、銀色の光に似ていた。


「危ない!」

 気づいたとき、俺は、HENTAIの身体を突き飛ばしていた。


 だが、空中で、手が伸ばされ、俺の腕は引っ張られる。

 そして、そのまま、宙返りしたHENTAIにより、逆に、俺の身体の方が、不発弾から遠ざけられていた。


 今度の爆発は、先ほどとは異なっていた。

 

 爆音と、爆風が起こったと思った瞬間、俺の身体は、ビルの窓の外に出ていた。

 HENTAIが、空中を飛行して、ビルの外に飛び出したのだ。

「おのれ……! 宇宙犯罪者め!」


 その瞬間、ビルのフロアは、跡形もなく消し飛んでいた。


 爆風が、俺を抱えたHENTAIの身体を吹き飛ばす。


 路上から、新聞あらきき紙子かみこが、俺に向かって何か叫ぶのが聞こえたような気がする。

 爆音が響いてるはずなのに、どうしてだろう?


 ビルの外に投げ出された、HENTAIと俺の身体は、地面に向かって落下する。

 そして、そのまま、視界は真っ暗になる。

 俺は、完全に意識を失ったのだった。

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