オン・ム・パンス

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1-1

 ポケットの中の札束は、自分の細腕うでよりもぶ厚かった。

 その心地よい重みに、玖観くみは顔をほころばせずにいられない。

 今日の取引ビズは素晴らしいものだった。

 簡単なチョロい仕事、高い報酬、小心者ビビリ依頼者クライアントと、よい商売に欠かせない要素を余すところなく兼ね備えていた。

 これだから情報屋ランナー稼業はやめられない。

 満足感が玖観の心を弾ませていた。

 だんだんと軽くなる足取りは、やがてスキップへと移り変わっていく。真っ赤な外套マントを頭からすっぽり被った格好スタイルと相まって、牧歌的メルヒェンなのどかさを醸し出している。

 無邪気な喜びを全身で表現しながら、少女は笑った。


 それは、どこまでも異様な姿だった。


 なんといっても、ここは比類なき<箱庭都市>の動脈、セベクスベス・ストリートわにわに通りなのだ。

 歩道を行き交う理想市民サラリーマンの群れ、式神型自動制動オンミョー・オート・ドライヴによって完璧な統制を保った車の隊列、空を埋め尽くす高層建築群と、一際目立つバンコ・タワーでえたらぼっちの偉容、それら全てが、空気中を漂う精霊達の遮光効果グラサン・エフェクトによって、陰鬱な灰色に染め上げられている。

 均質さと無機質さとに漂白された、清潔な世界トポス。それが<箱庭都市>の印象エイドスだ。

 その底にあって、なおほのぼのとした玖観の姿は、垂れ落ちた一滴の血液のように場にそぐわなかった。

 だからといって、玖観からしてみれば、そんなこと知ったこっちゃない。くるくるとその場で回りスーフィーしはじめたり、可愛らしく歌ってみたり。とにかく嬉しくて嬉しくて仕方ない、という様子だ。

「金! ああ、なんて素晴らしい!」

 高々と札束を掲げて、叫ぶ。

「ほらほらみてみてアイオーン、この札束の厚みすごくない!? 培養牛肉ステーキの十倍はあるよ!」

 永劫アイオーン、とその名を呼ばれて、が溜息混じりに言葉を発した。

「ちょっとは黙ってられないのか。街中なんだぞ」

「えー、そんなの関係ないよ。どうせ隠れ蓑テング・マント現象学迷彩カミカクシで、誰もわたし達のことには気づかないんだから。そんなことよりわたしは、この金の厚みを愛でていたい」

 腕時計アイオーンがふたたび溜息をつく。

「そもそもだ。私はそのマント自体が気に入らない。なんでそんなに派手なんだ。私の落ち着いたシックなイメージイマージュに合わないじゃないか」

 まーた始まった、と玖観は眉をしかめる。見た目はただの時計のくせに――いや、だからこそか――アイオーンはやたら美意識ファッションにうるさい。さらに不幸なことに、その嗜好は玖観と正反対の白黒モード趣味で、装飾具を巡っての喧嘩はいつも絶えない。

 なお悪いことに、この喋る腕時計は、やたらと口喧嘩が強いのだ。

 とはいえ、いつもいつも負け続けてやるほど、玖観は心優しくない。

 今度こそ勝つ、という強い気持ちで反論を試みた。

「キミの趣味に合わせてたらこの<箱庭都市まち>みたいなつまんない格好しかできないじゃん!」

「それでいいじゃないか。いいか、こんな派手な色の服、もし官憲どもに見つかれば一発で捕まるんだぞ。そこんところわかっているのか」

「わかってませーん。なぜならわたしが官憲オマワリごときに捕まるなんてありえない仮定であり、よって結論は成立しないからでーす」

「ふん、いっそ私がお前を通報してやりたいくらいだ」

「やってみなよ。その時はあんたのこと置いて逃げてやるから。刑務所ホテル暮らしも案外悪くないかもよ?」

「残念ながら腕時計に対する刑罰は定められていないし、その予定もない」

「腕時計だってなら、時間くらいまともに指してみせなよ」

 玖観がアイオーンを指でこづき回しはじめる。その盤面上では二本の長短針が、高速でデタラメに動き回っていた。もちろん、これでは時間なんてわかるはずもない。

「おい、暴力はやめろ。私のような高価な腕時計は衝撃に弱いんだぞ」

非壊物質アダマンタイト製なのに、こんなことで壊れるわけ無いじゃん。だいたい、腕時計はキミみたいにぺらぺら喋らないよ」

「ぺらぺら喋る時計がいてなにがおかしい?」

「だから、そもそもキミは時計じゃないじゃんか」

「……ふむ、いいだろう。お前の言うとおり私が時計じゃないと仮定しようか。ではその場合、いったい私は何者なのだ? お前はこれに答えられるのか?」

「うっ……」

 言葉に詰まった。

 要するに、アイオーンとは自律思考する魔術式汎用計算機コンピュータなのだろう、と玖観は理解している。

 とはいえ、この喋る腕時計が、実のところどういう代物であるのか、玖観自身もよくわかっていないのた。開発者である夜々子ややこに尋ねたこともあるが、説明の半分も理解できなかった。

 おぼろげながらに汲み取れた情報から察するに、どうやら盤面に刻まれた一から十二までの数字は、それぞれが数秘術カバラ神学的象徴モチーフを示しているらしい。この十二種のモチーフを二本の長短針によって組み合わせると、ある種の論理と文脈が無数に生成される、らしい。それらをベルクソン効果エラン・ヴィタール・エフェクトによって哲学的に飛躍させることで爆発的な演算展開を可能としている、……らしい。


 つまるところ、玖観には到底理解の出来ない何か、なのだった。夜々子の長ったらしい講義から理解できたのはそれだけだった。


「どうした玖観? 私が何者なのか、答えられないのか?」

 アイオーンが嫌みったらしい口調で問いかけてくる。しかし玖観は答えられない。

 しばしの沈黙があった。

 先に言葉を発したのは、アイオーンの方だ。

「答えられないか。ならばお前の代わりに私が私を規定してやる。いいか、私は時計だ。お前のような小娘が本来着けるべきではない、立派な時計だ。素晴らしい芸術品だ」

「……それじゃあ時計さん、ちょっと現在時刻を教えてもらえませんかね?」

「うむ。少し待っていろ。今から<都市>の阿頼耶識データベース接続アクセスする」

「……」

「おい、どうした、玖観ルーター。なにをぼけっとしている。神通デンパを出さんかデンパを」

「……」

 アイオーンに急かされて、玖観の身体が淡く発光する。

「そうだ。それでいい。……よしわかったぞ。いいか、よく聞け。現在時刻は十二時二十九分三十二秒だ。わはは、どうだ。これでも私が時計じゃないと言い張るか?」

 アイオーンは、長針をぐるぐると勢いよく回して勝ち誇った笑いをあげる。

 玖観は思った。

 ――やってらんねぇ。

「……ほんと口だけは達者な時計だなぁ、キミは」

「聞いたぞ、今、お前は確かに時計と言ったな?」

「はいはい、言いましたよ、言いました」

 玖観は溜息をつく。

 口喧嘩は言い返せなくなった方が負けだ。それが神代より続く不文律ルールだ。

 そして玖観は今、この果てしなく意味のない言い争いに、心底疲れきっていた。

「まったく、キミのその負けん気にだけは感心せざるをえないね。時計ってもっと従順なものじゃないの?」

「私という時計界の革命児パイオニアと共にいて、未だそのような偏見を持っているとは嘆かわしい限りだな」

 もはや言い返す気力もなかった。

 アイオーンのことは無視して、懐の札束を取り出す。

 口論で疲れ切った身体に、重みがずしりとのしかかる。

 これを見れば夜々子も喜ぶはずだ。

「へへへ」

 にへら、と笑みがこぼれる。

 クソ喧しい腕時計との口喧嘩には負けたけど、負け続けているけれど。

 きっと、次は勝てることだろう。

 なんと言っても、自分は天下の阿業玖観なのだから。

 空を見上げた。

 バンコ・タワーでえたらぼっちの大スクリーンいっぱいには、官営プロパガンダアイドル「星野みこりん」と「愛澤よしぴー」二人の御姿が映し出されていた。「みんな仲良くしましょうね」だとか、「労働に勤しみましょうね」だとか、そんなすっとこな文句が延々と垂れ流されている。

 玖観は思った。

 ――くそくらえ、だ。

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