オン・ム・パンス
■■■■
1-1
ポケットの中の札束は、自分の
その心地よい重みに、
今日の
これだから
満足感が玖観の心を弾ませていた。
だんだんと軽くなる足取りは、やがてスキップへと移り変わっていく。真っ赤な
無邪気な喜びを全身で表現しながら、少女は笑った。
それは、どこまでも異様な姿だった。
なんといっても、ここは比類なき<箱庭都市>の動脈、
歩道を行き交う
均質さと無機質さとに漂白された、清潔な
その底にあって、なおほのぼのとした玖観の姿は、垂れ落ちた一滴の血液のように場にそぐわなかった。
だからといって、玖観からしてみれば、そんなこと知ったこっちゃない。くるくると
「金! ああ、なんて素晴らしい!」
高々と札束を掲げて、叫ぶ。
「ほらほらみてみてアイオーン、この札束の厚みすごくない!?
「ちょっとは黙ってられないのか。街中なんだぞ」
「えー、そんなの関係ないよ。どうせ
「そもそもだ。私はそのマント自体が気に入らない。なんでそんなに派手なんだ。私の
まーた始まった、と玖観は眉をしかめる。見た目はただの時計のくせに――いや、だからこそか――アイオーンはやたら
なお悪いことに、この喋る腕時計は、やたらと口喧嘩が強いのだ。
とはいえ、いつもいつも負け続けてやるほど、玖観は心優しくない。
今度こそ勝つ、という強い気持ちで反論を試みた。
「キミの趣味に合わせてたらこの<
「それでいいじゃないか。いいか、こんな派手な色の服、もし官憲どもに見つかれば一発で捕まるんだぞ。そこんところわかっているのか」
「わかってませーん。なぜならわたしが
「ふん、いっそ私がお前を通報してやりたいくらいだ」
「やってみなよ。その時はあんたのこと置いて逃げてやるから。
「残念ながら腕時計に対する刑罰は定められていないし、その予定もない」
「腕時計だってなら、時間くらいまともに指してみせなよ」
玖観がアイオーンを指でこづき回しはじめる。その盤面上では二本の長短針が、高速でデタラメに動き回っていた。もちろん、これでは時間なんてわかるはずもない。
「おい、暴力はやめろ。私のような高価な腕時計は衝撃に弱いんだぞ」
「
「ぺらぺら喋る時計がいてなにがおかしい?」
「だから、そもそもキミは時計じゃないじゃんか」
「……ふむ、いいだろう。お前の言うとおり私が時計じゃないと仮定しようか。ではその場合、いったい私は何者なのだ? お前はこれに答えられるのか?」
「うっ……」
言葉に詰まった。
要するに、アイオーンとは自律思考する
とはいえ、この喋る腕時計が、実のところどういう代物であるのか、玖観自身もよくわかっていないのた。開発者である
おぼろげながらに汲み取れた情報から察するに、どうやら盤面に刻まれた一から十二までの数字は、それぞれが
つまるところ、玖観には到底理解の出来ない何か、なのだった。夜々子の長ったらしい講義から理解できたのはそれだけだった。
「どうした玖観? 私が何者なのか、答えられないのか?」
アイオーンが嫌みったらしい口調で問いかけてくる。しかし玖観は答えられない。
しばしの沈黙があった。
先に言葉を発したのは、アイオーンの方だ。
「答えられないか。ならばお前の代わりに私が私を規定してやる。いいか、私は時計だ。お前のような小娘が本来着けるべきではない、立派な時計だ。素晴らしい芸術品だ」
「……それじゃあ時計さん、ちょっと現在時刻を教えてもらえませんかね?」
「うむ。少し待っていろ。今から<都市>の
「……」
「おい、どうした、
「……」
アイオーンに急かされて、玖観の身体が淡く発光する。
「そうだ。それでいい。……よしわかったぞ。いいか、よく聞け。現在時刻は十二時二十九分三十二秒だ。わはは、どうだ。これでも私が時計じゃないと言い張るか?」
アイオーンは、長針をぐるぐると勢いよく回して勝ち誇った笑いをあげる。
玖観は思った。
――やってらんねぇ。
「……ほんと口だけは達者な時計だなぁ、キミは」
「聞いたぞ、今、お前は確かに時計と言ったな?」
「はいはい、言いましたよ、言いました」
玖観は溜息をつく。
口喧嘩は言い返せなくなった方が負けだ。それが神代より続く
そして玖観は今、この果てしなく意味のない言い争いに、心底疲れきっていた。
「まったく、キミのその負けん気にだけは感心せざるをえないね。時計ってもっと従順なものじゃないの?」
「私という時計界の
もはや言い返す気力もなかった。
アイオーンのことは無視して、懐の札束を取り出す。
口論で疲れ切った身体に、重みがずしりとのしかかる。
これを見れば夜々子も喜ぶはずだ。
「へへへ」
にへら、と笑みがこぼれる。
クソ喧しい腕時計との口喧嘩には負けたけど、負け続けているけれど。
きっと、次は勝てることだろう。
なんと言っても、自分は天下の阿業玖観なのだから。
空を見上げた。
玖観は思った。
――くそくらえ、だ。
オン・ム・パンス ■■■■ @mitata
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。オン・ム・パンスの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます