第11話 呪縛
「傑作だ。これは傑作だ」
分厚い強化ガラスの向こうで、アイオレスが肩を震わせて笑っていた。椅子もテーブルもベッドも何もない部屋で、彼はひとり壁にもたれて身をよじらせている。
デストシア軍の襲来と同時に起きた異変に、人類が恐怖と混乱に瞬きすら忘れて凍りついている最中の事である。初めは喉を鳴らす含み笑いであったものが、いまは額に手をあてながら高々と声を上げて笑っている。
「こんな滑稽な話があるか。神のいたずらか、それともこれが我らディアボロイドに与えられた贖罪なのか」
デストシアの軍勢に投げかけたのか、アイオレスは空に向けて笑声を響かせ続けている。その声は事実上、中央指令室となっていたモニタールームにいる春日達にも届いていた。
「こんな馬鹿げた事が起ころうとは。これはあらかじめ決められていた神の、いや地球の意思なのかもしれない。彼らも気がついたであろうか。気がついていれば今頃、怒り狂っているだろうな。これが笑わずにいられるものか。傑作だ、まさに運命の皮肉と言うものだ」
異変が起きたこの状況を、人類、デストシア軍合わせて世界中でただひとりアイオレスだけが理解している様子である。周囲が混乱しすべてが凍りついている状況だけに、その様は彼だけが別次元に存在しているかに思えるほど異質な光景であった。
アイオレスの笑いは止まらない。
何がそんなにも可笑しいのであろうか。
滅びゆく人類の儚さか、自虐か、それとも彼は気が狂ってしまったのであろうか。空を赤く染めたデストシア軍の攻撃の前兆に、人類はいまだその恐怖の呪縛から逃れられずにいる。
十二月の冷たい嵐は空を黒く覆っている。それらを通して不気味に見え隠れしていたデストシアの脅威は、一斉に大気を轟かせた。人々は、あきらかに天より破壊の意思を感じたのである。地球が震えた、と言っても過言ではないであろう。それだけに、人間たちが感じた死への恐怖はいまも全身を縛り付けていた。
全身を汗で濡らした春日は、頬をぬぐいながら笑い続けるアイオレスへガラス越しに近づいた。
「いったい、何が起きたのだ」
死を覚悟した人類は、いまだ生きている自分を取り巻く環境を理解できずにいた。狭い指令室にいる者たちは、ただ茫然とスクリーンに映し出される赤い夜空を見つめ続けていた。
映像ではよく見えないが、シミュレーションデータでは依然としてデストシア軍が地球を取り囲んでいる。
そして彼らは地上を殲滅せんと、一斉に超超高度より大量破壊兵器による攻撃を開始したはずであった。
だが、一切の攻撃は行われなかったのである。
指令室のモニター、無線、携帯電話、あらゆる通信システムが現状確認のために混戦と混乱を極めている。いまだ地上は何一つ変わっておらず、一つの被害も出ていない。攻撃が中止されたのであろうか、それともタイミングを見計らっているのであろうか。
いや、そんなはずはない。彼らは明らかに攻撃を開始し、人類はその悪意に全身をえぐられる恐怖を感じたのである。ではなぜ、いまだ空から何も落ちて来ないのであろうか。
その理由を知るものはただ一人。
「何が起きたのだ、教えてくれ。攻撃は中止されたのか」
震える足を叱りつけ、春日はガラスに手をついた。指令室とアイオレスの間では通信がつながっており、会話が可能となっている。
高々とあがっていた笑いも落ち着きを取り戻し、アイオレスはやれやれと首を振りながら歩み寄ると、自らのこめかみを指さした。
「ドグマシステムだ」
「ドグマシステム?」
この三か月、アイオレスからデストシアのあらゆる情報を聞き出していたが、その言葉を聞くのは初めてであった。
「そう。これですべて繋がった。私が猟師に向けたブラスターが発射されなかったのは壊れていたからではない。また将軍が君たちに放ったブラスターが直撃しなかったのは、タイムラグが発生したのではなく、私が飛びついた瞬間に目標がはずれてセーフティーが解除されたためだ。これが笑わずにいられるか」
「何を言っているのだ。私たちにも理解できるように説明して欲しい。そのドグマシステムとは、いったい何の事なのだ」
「ドグマシステムとは、我々ディアボロイドに埋め込まれている遺伝子とデストシアの火器が連動し、同士討ちを避けるシステムの事だ。仲間割れや戦場での誤射を避けるために機能していたはずなのだが、まさかこのような形で発動するとは誰が予想したであろうか。これが何を意味するか。我々ディアボロイドのアイデンティティーが崩壊すると同時に、生誕の謎そのものが解けたのだ」
気が遠くなるほどの昔。
その太古。
急激な環境変化に地球に住むことが出来なくなった人類は、新天地を求めて外宇宙へと飛び出した。地球に残った者、宇宙へ逃れた者。どちらが幸せだったのかはわからない。
けれども両者は互いに生き残り、それぞれの文明を新たに築き上げたのである。何万年と言う時をえて、再び相まみえた事は必然だったのであろうか。
「ドグマシステムは、我々と同じ遺伝子に対して発動する。すなわち、ディアボロイドと人間は同じ種族であると言う事だ。いや、推測するに地球から離れた我々が辺境の宇宙で生き残るための進化を遂げたと考える方が自然だろう。つまり、我々ディアボロイドはかつて人間であったのだ。これが笑わずにいられるものか」
クライル・スノーデン。
ひとりの技術者は、この未来を予想していたのであろうか。遠い宇宙の果てで、姿を変えて生き残った人間たちが再び地球へと戻ってくることを。その時に大きな戦争になるということを。
今となっては誰にもわからない。
しかし、大罪を被りながらも決行したクライルの計画が、ディアボロイドによる人類の大量虐殺を回避させたことは事実である。
「待ってくれ。君たちがかつて人間であったなんて。私たちは異星人の存在を認めるだけでも精一杯だと言うのに。とても理解が追い付かない」
ディアボロイドの正体が判明したと同時に、それは人類の歴史すらも覆す出来事である。言うなれば、人間たちは現在の文明が誕生する前に一度滅亡していた事を示していた。
常識が崩壊する地球規模の出来事に、指令室の人間たちは正気を保つことに全霊を注がなくてはならなかった。あまりに突拍子もない話に現実から離れそうになっていたが、いま彼らには人類やディアボロイドの歴史よりも先に成さねばならないことがある。
「君の話が本当なのであれば、我々人類と君たちの祖先は同じ人間であったわけか。しかし、その件はいまは置いておこう。つまり私たちは同じ遺伝子を持っていたために、君たちの火器はセーフティーロックがかかった。そのドグマシステムにより我々は守られたと」
「そうだ。本来であれば今頃、衛星軌道上からの攻撃により、ここを含めた世界中の主要都市や軍事施設が灰になっていたであろう。滑稽だな。デストシアは圧倒的な軍事力を持ちながら地球に攻撃を仕掛けられないのだからな」
「ならば、我々は助かるのか」
「それは無い」
分かってはいたが、それを聞くなとはあまりに酷である。絶望的な状況に垣間見えた、わずかながらの光にでもすがるしかないのが現実である。
「我々の中にあった遠い記憶が、無意識に地球を求めていたのであろう。満たされない欲、限りない渇き、あまたもの星を食い潰してなお侵略を続けていた我々が見つけた、最後の楽園。何万年もの悪行の末に辿り着いた星。いや、ディアボロイドは故郷へと帰って来たのだ」
「地球は私たちのものです」
世界中を貫いた恐怖の波動から立ち直った美月であったが、いまだその顔は白い。しかしガラス越しにアイオレスを見つめ返す瞳には、人間としての力強い意志が見て取れる。
「そうだな。だが我々、いや奴らはそうは思っていない」
「渡しません絶対に。あなた方がかつて人間であったからと言って、この地球が故郷であったからと言って、私たちを虐殺して地球を略奪して良い理由にはなりません。人類は地球と共に生きて来たのです。それをいまさら渡せなど、誰が許せましょうか」
「まっとうな意見だ。だが、そんな人間の理屈が通るかな」
ガラスから離れるとアイオレスは腕を組み、再び壁によりかかると顎で空を指した。
「ディアボロイドが何万年も追い求めてきた惑星だ。同じ遺伝子を共有しているからと言って、仲良くしようなどとは微塵も思わない奴らだ。それどころか同じ種族であるなら、なおさら地球の所有権を主張するだろう。火器が使えないくらいで、そうそう諦めるものか。死に物狂いで奪いに来るさ」
顔を戻したアイオレスは、苦笑したかに見えた。
「私をそんなに睨んでも、何も解決しないぞ」
アイオレスの言葉に美月は唇をかんだ。何かを言い返そうとした彼女の肩に、春日が手を置いた。
「だが、そのドグマシステムと言うものによって我々に攻撃が出来ないのだとしたら、君たちはこれからどうするつもりだ」
「火器が使えないのなら決まっている。これさ」
アイオレスは何も下がっていない腰を叩いた。
「白兵戦のみで侵略するというのか」
「それが本来の戦い方であり、信仰の象徴だ。私が所属していた騎士団でなくとも、ディアボロイドは全員帯剣し剣術も体得している。全軍が白兵戦に切り替えるなど造作もない」
「しかし、白兵戦を行うなら、まず君たちは地上に降りなくてはならない」
「その通りだ」
アイオレスは手を叩いた。
「ミサイルなどの攻撃を防ぐシールドは、戦艦にしか搭載されていない。対空火器をすべて破壊してからの降下作戦が前提とされているため、それ以外の艦には必要がないからだ」
「すると、地上に降りるまで君たちは攻撃出来ないが、その間に我々人類の攻撃は有効と言う事か」
「一方的な戦いになるだろうな。ジャミングはしてくるだろうが、目視での射撃ならどんな弾もミサイルもあたるはずだ」
春日はざわついた指令室を振り返ると、将校たちが目を交し合っている。誰もがもしかしたら、と言う気持ちなのであろう。
「それなら我々人類は」
「いや、それでもデストシア軍には勝てない」
わずかな希望すら、アイオレスは非情に切り捨てた。
「地球側が優勢なのは最初のうちだけだ。すべての突入艦、輸送船を撃ち落とすことは出来ない。一個小隊でも懐に入られれば、そこから瓦解する。敵味方が入り乱れた状態では人間たちも大型火器は使えまい。小銃で撃たれた程度ではディアボロイドは即死しない。また、奴らがその真価を発揮するのは白兵戦だ。そうなった時、人間たちはどうやって対抗するつもりだ」
ディアボロイドとて不死身ではない。状況により白兵戦でも倒せる場合もあるだろう。だが、勢力差と状況を考えれば明らかに分が悪い。軟禁されている状態でありながらも、彼らはいまだアイオレスの威圧感を払拭出来ない。武器も持たず自分たちに対して敵意がないとしても、分厚いガラス越しにたたずむ様は人間たちを圧倒し続けている。そんなディアボロイドの軍勢が、人類を虐殺するために血を求めて殺到すると言うのである。
「信仰の根底にあるものは、サーベルによって旅立った魂は救われる。つまり、斬り殺すことにより慈悲と救済を与えるという事だ。逆に言えば、生きている限り異教徒の改心などありえない。すなわち捕虜も、政治的対話も必要ない。あるのは皆殺しのみ。浄化された魂はディアボロイドとして生まれ変わり、この地球と呼ばれる楽園で永遠の安らぎが得られるのだ」
「狂ってる」
「その通りだ。狂っていなければ、無数の銀河を食い潰したりしない。お前たちと遺伝子は同じかもしれない。だがその歴史、その文化、倫理、価値観、まるで異なる凶悪な種族だ。殺せば殺すほど魂が磨かれる、という名目の裏で自らの獣としての本能的欲求を満たしているに過ぎない。そうでもしなければ、自我が吹き飛ぶほどの破壊衝動に耐えられないのだ。私は長い間ずっと疑問に思っていた。なぜディアボロイドはこんなにも渇き、体の内側より溢れ出る苦しみを抱えているのであろうか。それはまるで、自分の中に自分ではない異質な魂が存在し、お互いを喰いあう無限地獄に陥っているのではないだろうかと」
「生命として、不自然であると言いたいのか」
「我々は戦うために人工的な進化を続けて来た。千年前からか、一万年前からか、あまりに遠い昔だ。進化の特異点がどこで行われたかなど誰も知らない。だが」
一度言葉を切るとアイオレスはうつむいた。足元を見てはいるが、気持ちは空に陣を構えるデストシア軍へと向けられていた。
「唯一、その鍵を握る人物がいる」
「それは誰だ」
即答はしなかった。
この地球で新たな生を受け、ディアボロイドの呪いから解かれた今も、アイオレスはその名を口にする事をためらった。
「他でもない。デストシア軍を統括する最高権力者であり創始者である皇帝。ゼノン・ウルキナス・スノーデン。最も神に近いとされ、信仰の源でありデストシア史の生き証人でもある。一万年以上生きているという噂だが、それ以上は私も知らない。しかし、それが本当なら我々が人間に近かった頃の記憶を持っているのも、またゼノン皇帝という事になる。であるならば、皇帝が記憶の底に眠る地球を求めても不思議ではない。皇帝自身、ディアボロイドが持つこの無限地獄から逃れたいのやもしれぬ」
「ならば何故地球を略奪しようとするのだ。この星を潰してしまったら元も子もない」
「復讐とも考えられる」
「復讐」
「そうだ。ディアボロイドが無限地獄に落ちる原因となった地球に対して、復讐したいのかもしれぬ。そう考えれば、いくつもの惑星を食い潰してきた事も筋が通る」
「通るものか。そんな身勝手な筋が通るものか。そんな一方的な私怨で地球を潰されるなど絶対に許されない」
春日が拳をガラスに叩きつけたところで、沈黙が訪れた。指令室には人間だけが押し黙り、モニターや通信機器はいまだに目まぐるしく情報を送受信し混乱を極めている。
「何にせよ、奴らは潰しに来る」
「ちくしょう、ちくしょう。このまま黙って殺されろと言うのか。国を守る存在である我々が何も出来ずに」
ガラス越しに向けた春日の目は、怒りか懇願か。恥も外見もプライドも必要ない。いま人間たちに必要なのは生き残る手段なのである。
「頼む、何か手はないのか。デストシアに勝つ方法は」
「ない」
その声は短く冷たかった。しかし、絶望に額を打ちつけた春日にアイオレスは静かに続けた。
「だが、希望はある」
その場の全員がアイオレスに目を向けた。
「なんだって」
目の前に分厚いガラスがあるのも忘れ、春日はアイオレスに歩み寄ろうとした。いまにも胸倉を掴みそうな勢いである。
「どうすれば良い。教えてくれ」
アイオレスは答えない。
腕を組み、顔を伏せたのは思案しているからではなく、向けられた視線から逃げたかったのかもしれない。
こうしている間にも、いつデストシア軍が強行突入して来るか分からない。アイオレスは「希望」と言った。その意味は不完全ではあるが、少なくとも人類滅亡を回避できる事を示唆していた。
地球の科学力を何百世代も上回る圧倒的な力を持つディアボロイドに、いかにして対抗しようと言うのか。この三ヵ月のあいだ世界中が結集してあらゆる作戦を検討したが、地球と言う場所から逃れない限り有効な解決策はひとつも見つからなかったのである。
氷を含んだ冷たい豪雨を注ぐ黒雲から、透けて見える不気味な光。世界中を覆う赤い光のさらにその上に、デストシア軍の総旗艦が鎮座している。小惑星ほどの超巨大戦艦。これらの軍勢を前に、本当に滅亡を免れる方法があると言うのであろうか。
「どんな希望なのだ、我々はもう手段を選べない。どのような方法であろうと、可能性があるのならそれに賭けるしか道が残されていない。教えてくれ」
「私も確証があるわけではない。だが、少なからずともこの侵略を、いやディアボロイドの蛮行そのものに終止符を打てることが出来るかもしれぬ。永遠の負の連鎖から」
「ならば、なおさらだ。そんな理想的な方法があるのなら教えてくれ。我々人類にとっても、君たちディアボロイドにとっても救いになるのだろう」
「そうだ。しかし」
アイオレスの口は重く歯切れが悪い。選択の余地がないのは彼も同じはずである。デストシア軍が進行してくれば、彼もまた裏切り者として処刑される。
死ぬのは構わない。
地球に救われた命も、このまま第二の故郷が無くなってしまえば意味のないものとなる。だが、それ以上に大切なものがある。
愛と言う、無形ではあるが地球より重たいものを守らなくてはならないのである。しかしながら、その価値を知ったからこそアイオレスは決断できないのである。
「私はディアボロイドではあるが、この地球で人として愛なるものを知った。いや、思い出させてもらったのだ。それはお前たち人類がみな持っているものだ。なればこそ、この選択をしなくてはならないのは、とても辛いのだ」
「愛だって」
「そうだ。人類の運命を、自分の娘に託さなくてはならないのだ。春日少佐」
しかしながら、その選択は結局のところアイオレスの大切なものを守ることにも繋がるのだ。彼の葛藤は、その守る力が自分ではなく大切な存在そのものだったからである。
「なんだって紫苑に。どういうことなのだ」
「紫苑がピアノを弾けば、希望が見えるだろう」
「何を言っているのか、まるで分らない。我々に理解できるように説明してくれ」
「紫苑は、いつもピアノを弾くことで私と会話をしていた。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、苦しいこと。彼女の音色を通し、私の胸の中には人としての様々な感情が芽生えた。戦う事しか知らなかった私に、人間としての心を深い闇の中から救い出してくれたのだ」
アイオレスの脳裏には、紫苑の奏でるピアノの旋律が流れていた。金色に輝く無数の光が見えているのか、優しく受け止める形で手のひらを広げた。
「君がそうであったように、紫苑のピアノにより他のディアボロイドたちも人間としての心を取り戻せると言うのか」
「ドクマシステムが働いているのが何よりの証拠だ。我々は、人間とは似ても似つかない異形な姿かもしれない。しかし体の中には今も人としての遺伝子、記憶、魂が宿っている。いまはただ眠っているだけだ。心を失い、もがき苦しみ、永遠の闇から逃れようとディアボロイドらは地球へと辿り着いたのだ。彼らの中にある人としての心が導いたのだ」
「憶測にすぎない。そんなことが出来たら奇跡だ」
「荒唐無稽な話かもしれない。だが、奇跡でも起きなければこの絶望的な状況は救えない。私を見よ」
不気味なマスクの奥で青い瞳が見返した。春日はその瞳の中に深い悲しみ苦しみが見えたのは、お互いに人間であるからだと理解した。
アイオレスは言う。
「心とは、誰にも壊せない強固なものである反面、あまりにもろいものではないか。私はかつて多くの血を流して来た。斬り殺した血の海で泳げるほどに。私は信じていた。それが抱えていた苦しみから救われる唯一の方法であると。だが間違っていた。解放したのは神でも悪魔でもなく、人間だった。ひとりの少女だった。これが何を意味するか、お前にもわかるはずだ春日少佐」
沈黙を通し、両者の瞳を通し、ふたりは紫苑を見つめていた。人として、戦士として、友達として、父として、そして愛する者として。
「わかった。やってみよう」
成り行きを見守っていた美月は、たまりかねて小さく声をあげた。軍人として血縁者として動揺を隠せない。
「あの子、紫苑でなければならないのですか。彼女にこの星をたくすなど、あまりに酷です」
「では他に」
春日の肩越しに、アイオレスが視線を向けた。
「我らディアボロイドのために慈しみを込めてピアノを弾いてくれる者がいるのか。今まさに、お前たちを虐殺しようとしている相手にだ」
「だからと言って」
振り返った美月に春日は首を振る。
「済まない美月くん。もう他に方法はないのだ。私だって自分の娘にこんな事をさせたくない。彼もね」
「そして」
アイオレスは壁から離れると、今度はガラス越しに手をついた。いまだに生物とは思えない、大きく機械的な手が重たい音を立てた。不可能と分かっていても、そうしているだけでガラスを突き破りそうな迫力である。顔を突き出すと、奥にきらめく青い瞳が悲しい色を反射した。
「紫苑がピアノを弾くかどうかは分からない。弾かなければ人類は終わりだ。その時になって、彼女を責めないでほしい」
「そんな事するものか」
「では少佐、彼女からもらった私の携帯端末はあるか。専用回線でデストシア軍に流れる周波数を入れてある。お前たちは電波を増幅して拡散すれば良い。端末は紫苑に渡してくれ。それで準備は完了だ」
「わかった」
室内がどよめいた。
ついにデストシア軍が動き始めたのである。
〇
はるか遠く、豪雨にかき消される視界の先に一筋の光が見えた。離れているためか、ゆらゆらと長い尾を引きながら降下して来るそれは美しくも見えた。
次第に輝きを増し、遅れて低い振動が伝わって来た。吹きつける風に混じり、大質量が大気を切り裂く低い音である。
耳に届いていたものは胸に広がり、腹へと伝わり最後には足を震わせた。遠くで響いていたはずが、気がつけば背中からも聞こえていた。右からも、左からも。低いうなりは共鳴し、全身を取り囲んだ。
もはやどこから音が鳴っているのか分からない。
包まれているのだ。
震える風が全身を包んでいる。
地上にいる兵士は手を押さえつけた。自分の体が震えていると思ったからだ。そう、震えていた。体の中から震えていた。
絶望に。
心も、体も。
神に祈るために空を見上げたとき、わずかな救いをも踏みにじる絶望の始まりである事を知ったのであった。
豪雨を降らせる暗い雲を突き抜けて、頭上に無数の炎が出現した。雲が光を反射するために、空は激しい稲妻を抱えているかに見えた。だが、その色は赤く世界の終わりを思わせる光景である。
大気が切り裂かれた。
地球があげた悲鳴であろうか。
うなり、とどろき、体の底より恐怖を呼び覚ます悪魔の咆哮として世界を飲み込んだ。数が増えるにつれ鼓膜に叩きつける音は大きくなり、光は増し、空は血の色に燃えた。
ついにデストシア軍が姿を現したのである。
ひとつ、ふたつ。
先行した部隊を追って、一斉に視界を埋め尽くす数の突入部隊が業火の炎をまとって降下する。
文字通り、天から炎が降りそそぐ。
真夜中にもかかわらず、燃えながら突入するデストシア軍のために空は夕焼けよりも赤い血色に染め上げられた。
その身に炎をまとい、すべてを食い尽くすために厄災の化身が叫び声をあげる。彼らは共鳴し、雨も、風も、すべてを恐怖のうねりへと変えた。そして、地上からは絶望にずぶ濡れとなった人間たちの叫びが立ちあがる。
恐怖にかられた最後の抵抗か。
力なき人類の断末魔か。
ただ死にたくないと言う本能に駆られ、人間たちは可能な限りの抵抗を試みた。
空と地上との間に大きな爆発が起きた。
射程に入ったデストシア軍へと、人類からの迎撃が開始されたのである。それを合図に人類の存続をかけた大総力戦が始まった。
陸・海・空から、すべての武器が火を噴いた。ここで負ければ世界が終わってしまう。成層圏から強行突入して来る異星人に対して対策があるはずもなく、兵士たちに与えられた命令はただひとつ。
「すべて迎撃せよ」
理由はわからぬが、空より落ちてくる悪魔たちは白兵戦にて侵略を開始したらしい。地上に辿り着く前にすべて打ち落とせ。そして可能な限り白兵戦は避けること。過去にこんな幼稚な作戦があったであろうか。しかし兵士たちはそんな事を考える時間も余裕もない。
正体不明。
目的不明。
デストシア軍の情報は、圧倒的な技術力を持った凶悪な異星人であると言う以外はまるで分からない。正体が分からない存在は、否応にも人間の恐怖を呼び起こす。
どうやって戦えば良いのであろう。
厚い雲を突き抜けて、自分たちに燃える牙を向けて襲い掛かる相手を撃ち落とす。撃ち損ねれば待つものは死。
吹きつける雨と風。ただでさえ悪い視界に重なり合う火の粉と煙。
雲の上には、目を疑うほどのおびただしい光が見え隠れしている。鈍い赤色は光度を増し、雲を抜けると翼を広げて燃えあがり死の象徴して見る者を絶望させる。
舞い降りる炎。
舞い上がる炎。
天と地と双方からあまたの光の触手が伸び、絡み合い、爆散する。何百、何千と言う砲火、ミサイルが縦横無尽に空へと発射される。直撃し、粉々に吹き飛ぶものもあれば、大量の火の粉をまき散らしただけのものもある。
デストシア軍の情報がないために、人間たちはいま自分が何を破壊したのか。破壊できたのか。弾は当たったのか、外れたのか。攻撃は有効なのか、無効なのか。
すべてが手探りのまま、闇雲に撃ち続けるしかない。
その心理的重圧は重い。自分たちは逃げられず、正体不明の敵をすべて迎撃しなくてはならないのである。いまのところ地上への攻撃はないが、大気圏へ突入する炎の数は見る見るうちに増えている。
開戦してまだ十数秒。
国防軍が所持するすべての火器が絶え間なく稼働し、何重ものミサイルの柱が撃ち上がっている。閃光に衝撃波、耳を破壊するほどの爆音と火の粉。
発生した爆発は連なり、空中へ長い炎の壁を生み出した。それほどまでの頻度と密度で両軍がぶつかり合っているのである。
開戦から六十秒。
空を埋め尽くした爆発はいまだ連なり、爆風と衝撃派により質量を持つほどに火の粉が吹き荒れた。そのさなか、空中で巻き起こる巨大な炎の渦から一隻の黒い船が姿をあらわした。デストシア軍の突入艦が迎撃の壁を突破したのである。
〇
デストシア銀河帝国軍第五艦隊所属・戦艦グラナジャスより射出された第三突入部隊であった。
そのうちの一隻、部隊長ベランドスが搭乗する突入艦は大気圏と苛烈な迎撃をかいくぐり、肉眼で地上の戦況が視認できるほどにまで接近していた。
「降下準備」
地上に目を向けていたベランドスが振り返った。艦内は激しく揺れていたが、戦闘態勢を整えた大勢のディアボロイドたちは体制を崩すことなく整列している。
腰の左右にはサーベルが下げられ、さらにもう一本と背負う者もいた。火器が使えない代わりに、持てる限りの刃物を装備しているのである。
鎧をまとった黒い姿が、艦内の青い光を照り返して不気味に浮かび上がっている。誰もが虐殺の甘美を求め、全身から狂おしい程の妖気を漂わせている。
「この星の奴らは、我々と同じ遺伝子を持っているそうだ。つまり、同じ種族らしい」
ベランドスは手にしたサーベルで床を指した。
彼らは白兵戦に特化した騎士団ではない。したがって所持しているサーベルは、宇宙で最も硬度が高いとされている赤光岩から生成されたものではない。騎士団が持つ赤く発光するものとは違い、にぶく黒色に磨き上げられた刃をしていた。
しかし騎士団のサーベルは象徴であり、ベランドスたちが持つ武器としての性能にさほど差があるわけではない。それらの金属はデストシア軍の戦艦装甲と同じ素材である。多少の重量はあるが、騎士たちほど的確に相手の急所を突く必要がなければ、逆にその重さが対象を切るための利点となる。つまりは、切られる側からすればどちらも同じである。
艦が揺れ、手にしたサーベルが残酷にきらめいた。
「そして太古の昔、我々はこの水が豊かな地球と呼ばれる星で暮らしていたらしい。どうやら俺らは、この星の奴らに追い出されたそうだ。ひどい話だと思わないか」
ディアボロイドたちは一斉に声を上げた。
「そんなことが許せるのか。あいつらは豊かな星で贅沢に暮らし、俺たちは飢えて寒い辺境の宇宙に飛ばされた。こんなことが許せるか」
殺気を噴出させ、ディアボロイドたちは口々に激しい否定の意思を見せた。彼らは飢え、渇望していた。
「同じ種族にもかかわらず、あいつらは俺たちを拒む。なんと卑しい奴らなのか。誇り高きディアボロイドの戦士たちよ、そんな奴らを許せるか。奴らと同じ血が宇宙で最も勇敢な我々にも流れているなど、考えるだけでもおぞましい。ディアボロイドの血は誰より気高く勇敢でなくてはならない。誰より強くなくてはならない。だが、やつらはどうか。弱く、いやしい。そんな劣等種と同じ血を分けたなど、ディアボロイド史に残る最大の汚点である」
いきり立った悪魔の化身は、次々に呪いを込めて人類を否定した。いまにも憎悪を放つ口から炎を吐き、人間たちを一人残らず燃やし尽くさんばかりに。
「ではどうする、お前たち」
「殺す」
即答である。
「殺す」
「殺す」
声は同調し、突入艦の内部は憎悪に包まれた。
「我らの誇りを汚す存在はすべて排除せよ。勇敢なる戦士たちよ、ディアボロイドの力を示せ」
ベランドスはサーベルをひらめかして声を上げた。
「降下」
突入艦の後部ハッチが開き、艦内が爆発の炎で明るくなると同時に突風がなだれ込む。吐き出される空気に乗り、ディアボロイドたちは火の粉が荒れ狂う空へと飛び出した。落下地点を確認すると、ベランドスもサーベルを引き抜いたまま宙へと舞った。
対空車両大隊の中心に、デストシア軍の突入艦が墜落したのが最初の被害であった。それを皮切りに、地上は混乱の極みを迎えていた。
空から降下して来る敵をすべて撃ち落とすなど所詮無理な話である。ベランドスの隊が乗り捨てた突入艦に続き、迎撃を逃れたデストシア軍が次々と上陸してくる。
不時着する艦、墜落する艦、空中で爆散する艦。形は様々だが、デストシア軍は着々と地上へと侵攻していた。さらに、安全な着陸地点を確保できないために、彼らはすべて空中離脱を行っていた。わざわざ撃ち落とされるまで乗艦しているほどお人良しではない。
ディアボロイドたちは、翼を思わせるカイトを広げて降下を続けていた。パラシュートのように速度を落として安全に降下する形態ではなく、高速で敵陣営へと突入するための装備である。
ベランドスたちは飛び交うミサイルと火砲を潜り抜け、ついに国防軍との白兵戦を強行した。夜間にくわえて吹き荒ぶ豪雨に、煙、爆発の閃光に火の粉と視界は極めて悪い。通常の人間であれば、そんな状況で体一つで空中から飛び込んで来る敵を視認できるはずもない。一方、ディアボロイドの動体視力と身体能力を持ってすれば、かのような奇襲も可能であった。
戦々恐々と空を見上げている兵士に狙いをつけたベランドスは、急速に下降しながら「間抜け面をしていやがる」とうそぶくとサーベルを構えなおした。
視界の端に黒い影が舞い降りた、そう思った途端にライフルを放っていた新兵の姿が消えた。正確には消えたのではなく吹き飛ばされたのである。
ベランドスは高速で舞い降りると、棒立ちになっている人間の兵士に向かって体当たりをした。同時にその胸に深々とサーベルを突き刺し、抱きつく形で転がった。人間を着地する際のクッション代わりにし、また確実に絶命させる狡猾さと残忍さを見せつけたのである。
何が起きたか分からぬまま、吹き飛ばされた仲間を心配した兵士が見たものは、炎を背に黒い翼を持った異形の者がゆらりと立ち上がる姿であった。
「あぁ」
悲鳴を上げる間もない。
首を切断された兵士は、自らの死因もわからず絶命した。その頃になり、国防軍はデストシア軍がすでに地上まで進行している事を認識し始めた。爆発の閃光により大量の黒い影が浮かび上がる。まさに悪魔の襲来であった。
「油断するな。全力を持って殺せ」
ディアボロイドは残忍かつ好戦的であったが、無秩序な殺戮集団ではなく統制の取れた練度の高い軍隊である。互いの位置情報はすべて同期され、周囲の状況をつねに把握している。敵味方が入り混じる混戦した白兵戦でも、仲間を守るために背中を向けあう形で位置を取っている。
背後から急所を突かれれば死ぬ事もある。超人的な肉体を持ってはいるが彼らとて不死身ではない。なればこそ、軍隊として組織される必要があるのだ。こうして戦うことはディアボロイドにとって生きている理由であり信仰であり美学なのである。
けして国防軍が弱く無能であった訳ではない。残念ながら戦力と能力に差があり過ぎた。デストシア軍を迎え撃つにあたり、殺傷能力が高く人道的ではない理由から使用を禁止されていたホローポイント弾なども解放されたが、結局のところ当たらなければ意味がない。
そこで、このような場合に備えて至近距離で威力を発揮するショットガン、ライオットガンを所持させていた。さすがのディアボロイドも至近距離で大量にばら撒かれる弾丸を避ける事は出来ない。貫通力が落ちるため彼らの皮膚装甲にある程度は防がれるが、現状で唯一有効と考えられる対抗手段として使用が通達された。しかしながら、それも微々たる抵抗にしかならなかった。
夜間、雨、煙。
これらに加え、デストシア軍が火器を使えない事が、返って地上の人間たちにとって状況を悪くしていた。相手が火器を使えば光や音で位置が確認できる事もあるが、彼らは音もなく忍び寄り凶悪な斬撃を叩き込んで来るのである。
国防軍の兵士たちにとって、何が起きているのか理解できない事が一番の恐怖であった。闇に紛れる脅威がうねりを持って増幅している。
一瞬の爆発に、群れを成して浮かび上がる黒い姿。
黒い鎧をまとい、具象化するほどの殺気を漂わせながらサーベルを閃かしている。雨と返り血に全身がぬらぬらと光り、マスクの奥から覗く青い目は冷たい色をしていた。
寒さのためか、恐怖のためか。全身を震わせた人間たちが異星人に与えたものは、銃弾でも怒りでもなく悲鳴であった。国防軍が放つショットガンの閃光に黒い刃が反射する。
「なんと言う脆さなのか。弱い、あまりに弱すぎる。こんな奴らと血を同じくするなど我らに対する冒涜である。殺せ、殲滅しろ、ひとりとして残すな」
すでに手元まで返り血に染まったベランドスに続き、ディアボロイドたちは大地を飲み込む黒い濁流となって突き進んでいた。産まれた時より戦場へと送り込まれ、戦い抜いてきたディアボロイドにとって人間はあまりに脆弱であった。
それが人工進化の果てに心を失ったかわりに手に入れた強さであったとしても、戦場では力こそが正義である。
悪魔の牙が容赦なく人間たちに食らいつく。
ヘルメット、防弾ジャケット、プロテクター。あらゆる防具はまるで役に立たない。無力な人間の兵士たちは構えた銃器ごと切り殺されていた。サーベルが一振りされるごとに確実にひとり、ふたりと絶命する。
震えのために、照準が定まらない銃口がベランドスに向けられた。恐怖に悲鳴をあげて引き金を引くよりも早く、ベランドスのサーベルは若い新兵の首を貫いていた。踏み込んだ勢いで半身を回転させ、ふたりめの兵士の首を切断した時になって新兵の銃が火を放った。
火器を持っていても戦意を失った攻撃が当たるはずもなく、右へ左へと踏み込むたびにベランドスの背後には絶命した人間たちが倒れてゆく。
時折、流れ弾が皮膚装甲に火花を散らせるが、そんな代物ではディアボロイドの勢いを止めることはできない。
圧倒的であった。
絶望的であった。
人間たちには成すすべがない。
ただただ、迫り来るデストシア軍に一方的な虐殺を許している状況であった。そして、残酷すぎる現実に神に祈る事しかできない国防軍は、さらなる厄災に見舞われた。
「そろそろか」
悲鳴と血しぶきの中で、ベランドスは空を見上げた。
〇
「戦艦ラベリウス」
恵庭基地の地下で、春日と共に戦況を見ていたアイオレスが驚きに声を上げた。空を映し出すモニターに大きな変化があらわれたのである。
いまだ降下を続けるデストシア軍と迎撃ミサイルが激しく交差するなか、炎によって照らし出された黒雲が大きく割れ始めたのである。
雲そのものの高度が下がった錯覚に陥るほどの巨大さであった。豪雨を振りまく黒雲が押し出され、その濃度が薄れるにつれ不気味な赤い光が透けて見えた。デストシア軍の戦艦に搭載された動力炉の光である。
デストシア銀河帝国軍第一艦隊旗艦、ディアボロイド騎士団を乗せた戦艦ラベリウスが大気圏を越えて地上へ突入して来たのである。
「バカな、戦艦ごと降りてくるなど」
アイオレスはまさかと言う思いと、その豪胆なる意思に感歎せざる得なかった。デストシア軍の宇宙戦艦は、あまりに巨大なため地上に留まれる設計にはなっていない。
もちろん自力で重力圏を越えて再び宇宙へと上がる事は可能ではあるが、そのために費やすエネルギーを考えると輸送船や突撃艇を送り込むほうが効率的なのである。それにもかかわらず、なぜラベリウスは降下してきたのか。
それは突入させるディアボロイド騎士団が各個撃破される危険を回避するためである。被害を最小限に抑えながら地上へ送り込むには、戦艦自らが突入艦として盾になれば良い。
強固な装甲を持つ戦艦であれば空中で撃墜されることはないであろう。だが過去に前例はなく、大質量の戦艦が重力に逆らい大破しないよう突入させるには、それ相応の浮力エネルギーが必要である。それらが地上付近で放たれるとなれば、どのような被害が及ぶか想像がつかない。
すでに地上にいるデストシア軍に取ってもリスクが大きい。しかしながら白兵戦を決行したデストシア軍にとって最善の方法であると判断されたのである。
皇帝ゼノンが直接指揮を取る事はない。であるなら、このような作戦を決行させる人物はひとりしかいない。
さすがだな、とアイオレスは称賛と畏敬の念を抱いていた。
「春日少佐、準備はまだなのか」
ラベリウスは炎をまとい、無数のミサイルにさらされながらも降下を続けている。その黒く巨大な姿は、死の象徴として人類を絶望の底へと叩き落していた。
さらなる厄災は、他の戦艦もラベリウスに追従した事である。自軍の指揮官が危険を覚悟で突入を開始したのである。
戦士として高き誇りを持つディアボロイドの目に、勇敢なる指揮官の姿はどう映ったであろうか。答えは次々と大気圏へと突入するデストシア軍の戦艦によって示された。
第一艦隊ガンジェイミン、ガーベ、アルゴシアス、ヴェイネ。第二艦隊ハーガンディ、アロデスキナス。第三艦隊オリアス。他すべての艦隊が地上への突入を開始していた。
巨大な戦艦が炎となって迫りくる。
まさに世界の終焉である。
この世の地獄、その光景がまざまざと映し出されている。
撃墜されたデストシア軍の突入艦であろうか。それとも国防軍の重兵器が爆発したのであろうか。指令室を襲った振動に、卓上のカップや書類などが四散する。
「春日少佐」
再びアイオレスが叫んだ。
絶望の底から現実へと春日は引き戻された。
無理もない。
「準備はまだか」
アイオレスの声と同時に、大きなジュラルミンのケースを持った兵士が春日のもとへ帰って来た。基地の揺れに耐えながら持ち上げるとケースをデスクの上に置いた。中身は長い鞘に納められたサーベルと、春日自身も見覚えのある携帯端末であった。
「いま美月くんと、石川准尉が紫苑の移送に向かっている。回線の準備は完了した。あとはこれを紫苑に届けなくてはならない」
そう言うと、春日はかつて娘の物であった端末を手に取った。アイオレスと国防軍が接触した後、紫苑は基地中で保護されていた。保護と言えば聞こえは良いが、外部との接触を断つための隔離軟禁である。
もっとも紫苑自身が他人との接触を望まなかったために問題はない。しかしながら、この三か月の間、春日と紫苑との関係は変わらぬままであった。
「これは、私に届けさせてくれ」
端末を手に取る春日にアイオレスは言う。
「無論だ。それから、そろそろ私をここから出してくれないか。あとサーベルも返してほしい。それは私の半身なのだ」
端末から視線を落とすと、静かに置かれたサーベルからは主人の存在に呼応する反応を感じていた。
「もうすぐ我々の頭上にあの戦艦が落ちてくる。そして大勢のディアボロイドが攻め込んで来るだろう。いまさら、わたしひとりが抜け出したところで大差あるまい。紫苑に、その端末を渡すまでの護衛くらいはさせてもらおう」
「わかった」
うなずいた春日の視線を受けて、士官の一人が壁にカードを走らせてスイッチを押した。
〇
美月と石川准尉は、地下の長い通路を走っていた。
保護されている紫苑を、基地内にある地上ラウンジまで移送するために向かっているのである。
外からも視認可能である大きなガラス張りのラウンジに紫苑を移すなど、あまりに危険である。しかし紫苑が弾くためのピアノがある場所と、電波を拡散させるための立地条件を考えると他に選択肢がなかったのである。
デストシア軍の地上侵攻はますます激しくなり、低い爆音と振動が地下を進む美月たちにも届いていた。普段であれば気にも留めない距離が、いまはあまりに遠く感じていた。
通路を曲がるたびに揺れが大きくなる。突き上げる振動は強くなり、重なり合い、ひとつの波となって襲い掛かってくる。
何かおかしい。これは爆発の揺れではない。
美月がそう感じた時、体が宙に浮くほどの衝撃によってふたりは冷たい床へと投げ出された。
受け身を取り、身をかがめて立ち上がろうとしたが基地を揺らす衝撃はおさまらない。それどころか、ますます激しさを増し何かが衝突、瓦解する音がすべてを支配した。
爆発であれば、こんなに長時間の揺れと振動は起きない。巨大な質量を持った物が地上に激突し、大地をえぐり、基地を蹂躙しているのだ。
体が跳ね上がり、壁に打ち付けられて転がり、天井が瓦解して破片と共に折れたダクトが落ちて来た。石川准尉が美月を守るために覆いかぶさった時、基地の照明が消えた。
兵士たちの悲鳴も、指示も、なにも聞こえない。鼓膜を支配する衝撃音と、体を痛めつける衝撃は永遠に続くかと思われた。
突然に襲った衝撃は、打ちつけた巨大な波が引くように無残な爪跡を残しながら消えていった。揺れが収まると同時に予備電源に切り替わり、美月たちは暗闇の中での衝撃から解放された。
美月に覆いかぶさっていた石川准尉が身を起こす。大柄な体は、いまだ天井から落ちる破片を受けていた。手を取られた美月も立ち上がり、お互いに怪我がない事を確かめた。
天井のケーブルは断線し、火花が散っている。
無線は悲鳴と怒号が飛び交い混乱を極めている。この様子では基地内での火災も発生したであろう。
「いったい何が起きたって言うの」
それは双方にとって事故であった。
ディアボロイドの地球侵略と言う現実が、美月の目の前に個人的な脅威となって集約したのである。
しっかりと抱えていたはずの頭も、少し打ち付けてしまったらしい。美月の視界はもうろうとしていた。そんな彼女の視界の先で、誰かが膝をついていた。自分たちと同じように、いまの衝撃によって吹き飛ばされたのであろうか。だが、美月はこのフロアには自分たち以外には誰もいなかった事を思い出した。
煙の向こう側で悠然と立ち上がった黒い影は、大柄な石川准尉よりも背が高い。手足は長く細身の体形に見えたが、破片を踏みつぶした音は心臓をつかまれるほどに重たい。
想像以上の重量を持つ体躯だが、鈍重さは感じさせず獰猛な獣を思わせるしなやかさと強靭さが融合していた。
一歩、また一歩と近づいてくる。
そのたびに肌が火傷しそうな殺気が吹きつける。かすむ煙の向こうで、黒い影は深紅に輝く光の刃を取り出した。
デストシア軍の中でも卓越した戦士で組織されている主郭制圧部隊・デストシア騎士団に所属するディアボロイドのひとりであった。
〇
ディアボロイドナンバー・H2‐7114。
デストシア銀河帝国軍第一艦隊旗艦・戦艦ラベリウス所属・主郭制圧部隊デストシア騎士団アルファ隊二番組所属・序列七番・ルキナ・ウラ。
最近になり頭角を現してきた若手である。
隊長の影響のためか荒々しい剣技にまだ若さが残るが、帝国に認められた一流の騎士である。その苛烈な斬撃により葬られた命は数えきれない。
そんな彼がなぜひとり、ここにいるのであろうか。
戦艦ラベリウスが恵庭基地へと特攻を仕掛け、浮力エネルギーと共に不時着した際の事故であった。
基地へ直付けするために胴体着陸を行い、衝撃でハッチの一部が吹き飛んだのである。内部で待機していたルキナの隊は、衝撃と反重力の浮力エネルギーに飲み込まれた。
そのとき偶然にも、ラベリウスにえぐられて穴の開いた恵庭基地の地下通路にルキナが落とされた。次の瞬間にはラベリウスは数キロメートルも先へと滑り、彼だけが取り残されたのである。以上が事の顛末であった。
事故ではあったがルキナは不幸とは思っていない。浮力エネルギーに飲み込まれ、吹き飛ばされて死亡した仲間もいるであろう。
また、単身ではあるが誰よりも早く敵基地へと侵入出来たのである。どちらにせよ、作戦内容は敵の殲滅である。そう考えれば幸運であったとも言えよう。
さらに敵味方が入り乱れる混戦地帯ではなく、邪魔の入らない区画でじっくりと自らの剣技を披露できるお膳立てをされたのである。これが、戦うことに生きる理由と誇りを持つディアボロイドにとって血が踊らない訳がない。
敵は強いのか、自分を満足させられる相手なのか。武勲を立てるに相応しい力量なのであろうか。いまにも飛び掛かりそうな衝動を抑え、ルキナは興奮に震える脚を押さえて起き上がった。
立ち込めていた煙が薄れゆくと、その姿が敵の前にさらされた。いや、ルキナの持つ若く凶悪な殺気により煙が払われたかに見えた。
手に持つサーベルは、ゆら、ゆらと主人の呼吸に合わせて燐光を放っている。よだれを垂らし、いまにも獲物に襲いかかる獣の目か。
口からは熱い息がこぼれた。
少しずつ、少しずつ歩を進める。
砕けたガラスを踏み潰すと、ルキナは人間たちから距離を保った所で立ち止まった。ふと、そのとき初めて気がついたのか、ルキナは背中に手をやると突き刺さっていた何かの破片を引き抜いた。
それは根元まで赤く濡れていたが、気にする事もなく床へと捨てた。何重にも覆われた不気味なマスクの奥、青く冷たく燃える目からは何も読み取れない。
目の前に敵がいるのに、ルキナはまるで気が付いていない様子で放り投げた破片を見つめている。
視線を合わせないのは、認識していないわけでも臆病だからでもない。野生動物は殺し合いを開始するまで目を合わせないものだ。
まだか、まだか、と血に飢えたサーベルが必死に訴えかけている。脈打つ鼓動にあわせて触手を伸ばす。
血が欲しい、血が欲しい。
全身を駆けめぐる激しい衝動に耐えきれず、悪魔の欲望が踊りだすと剣先がゆっくりと持ち上がった。
ルキナは美月の黒い瞳を見た。
〇
ディアボロイド。
いち早くそう認識したのは美月であったが、そこで思考も行動も凍り付いてしまった。それは石川准尉も同じである。
隔離された分厚い強化ガラス越しの環境ではあるが、毎日のようにアイオレスと接触し、多少なりともディアボロイドの存在に耐性が出来ていると信じていた。
けして慢心していた訳ではない。
しかしながら、実際に敵として対面したこの恐怖と絶望感は美月の想像をはるかに超えていた。
ガラス越しにでも感じていたアイオレスの圧力は、それでも最小限にまで押さえてくれていたのだ、と今更ながらに彼の気遣いを知る事となった。
煙が流れ、あらわれた黒い姿は全身が鉄で出来ているのかと思わせるほど重く巨大であった。にもかかわらず、ゆったりと歩を進める姿はなめらかで優雅ですらある。
無骨なマスクの奥に見える青い目は、悲しみに沈み死者を弔う慈悲に満たされているかに見えた。
そんな静かな目の色とは裏腹に、全身から放たれる殺気は今にも発火しそうな密度で美月を包み込む。手も足も縛られ、首は見えない手に締められて呼吸もままならない。これが恐怖かと、美月は体内に氷の刃を突き立てられた思いに打ち震えていた。
そんな彼女が、対峙するディアボロイドが怪我を負っていると気が付いたのは、だいぶ後の事である。いや、実際にはほんの数秒の事でしかない。
血の跡を残しながら近づくディアボロイドが立ち止まり、背中に刺さった破片を捨てた。赤く発光したサーベルを力なく下げ、静かに立ち尽くしている。
床に視線を落としたまま動かない。
人間たちに興味を失ったのか。
そんなはずもなく、美月はディアボロイドから放たれる瘴気の濃度と温度が急激に上昇するのを感じていた。悪魔は獲物に襲い掛かるタイミングを見ているのである。
怖い、と美月は思った。
しかし、いま自分は紫苑の所へたどり着き、彼女をラウンジへまで護送する重要な任務を受けている。世界を救うため、などと大それた事ではない。
紫苑を抱いた温もり。
そこに命の息吹を感じた、美月の母性本能が生んだ願いである。愛と言い換えても良い。その小さく、ささやかな愛を守るには、目の前に立ちはだかる凶悪な存在を乗り越えなくてはならない。
あまりに残酷であった。
吹けば消えてしまいそうな光は、空をも覆いつくす巨大な絶望によって踏み潰されようとしている。
違う。
はかなく、もろいからこそ、その小さな光を全力で守る必要があるのだ。自らの命に代えても。
美月は震える体を叱り、静かに呼吸をした。
ディアボロイドの持つサーベルの刃先が、羽根を思わせる軽やかさで持ちあがる。
引き寄せられるように視線を絡ませた両者。
先に動いたのは美月であった。
〇
美月のベレッタが火を噴いた。
五発。
放たれた弾丸は正確にルキナの胸を直撃したはずである。しかし彼は微動だに動かない。変化があったとすれば、右腕がサーベルを振り払ったままで静止していた事。
吐き出された薬莢から遅れて、美月の足元に何かが転がった。
自分の放った弾丸である。
まさかと言う思いに、美月は愕然とした。
ディアボロイドの身体能力は知識としては熟知していたが、実際に目の前で弾丸を見切られた現実を心が拒否していた。
皮肉にも美月の射撃が正確だったからこそ、ルキナには弾道が読みやすかったのである。一方、弾丸を放った美月には、いつディアボロイドがサーベルを振るったのかすら認識できなかった。
水平に構えられていたサーベルが下げられると、ルキナは美月に向かってかすかに首を動かした。
マスクの奥からのぞく青い眼光。
その色が、かすかに変化した。
アイオレスと接触し、ディアボロイドとの交流を経験していなければ気が付かないほどの小さな変化であった。
だが、美月にはそれがはっきりと理解できた。
笑ったのである。
恐怖と嫌悪に身の毛がよだち、脚が凍り付いたことが逆に彼女の命を救った。脚が動かないと認識するよりも早く、美月は首をそらせて後ろへと倒れ込んだ。
まばたきするよりも早く、いままで美月の首があった位置を赤い光が通り過ぎた。凄まじい殺気が物理的な圧力となって空気を轟かす。
いまのは斬撃の音なのか、それとも音速を越えた衝撃波なのか。美月にわかるはずもなく、彼女は後ろに倒れながら残りの弾丸を打ち込んだ。
驚いたことに、ルキナは追撃する美月の弾丸をサーベルを振るって弾き、さらにその勢いを利用して身をひねると後ろ回し蹴りを見舞ったのである。
空中で捕らえられた美月はどうする事も出来ず、長く大きな脚での蹴りを受けて壁際まで吹き飛ばされた。自分の体に重さが無くなったかの勢いで転がり、美月は冷たい床に全身を打ち付けると意識が体外へと放り出された。
斬撃からの連続技となり、かつ低い位置への蹴りだったことから、ルキナは体制を整えるために膝と左手をついた。
前傾姿勢のまま蹴り上げた脚を床に置いたとき、ルキナの上半身に石川准尉の持つショットガンの銃口が向けられていた。
彼とて、いままで茫然と見ていた訳ではない。美月がルキナと打ち合ってから、まだ数秒しか経っていないのである。
射程の短いショットガンで、正体不明の相手に突撃するほど彼は無謀でも単純でもない。
倒れた美月をかばうように、前傾姿勢を保つルキナの斜め前。至近距離にて石川准尉は、信頼している上官である美月を足蹴にして傷つけた、許されざる異星人の頭部に狙いをつけていた。
威力と散弾範囲を考えた最適な距離である。放射状に広がる散弾である事から、この距離と位置から撃てば確実にあたる。仮に逃れようとしても散弾範囲からは抜け出せない。
即死はさせられなくとも、少しでもダメージを与えたい。銃口を突き付けてから一秒にも満たない時間の中で、石川准尉とルキナの思考による攻防が交わされた。
ショットガンのトリガーを引く。石川准尉の思考伝達が指に届くより先に、ルキナは床を蹴った。まさに火を噴く瞬間に、ルキナは頭を下げると銃口をぬけて石川准尉へ肩からぶつかった。
数舜遅れて、ルキナの後頭部付近でショットガンが炸裂する。懐に飛び込んだルキナは側頭部に衝撃を受けながらも肩を突き上げ、石川准尉に激突すると壁へと押し付けた。
鈍い音が響く。
肺の空気がすべて吐き出され、石川准尉は自分のあばらが折れた音を聞いた。肉体的な負傷もあるが、それ以上に石川准尉はショットガンの間合いを抜けたルキナの行動に驚愕し、動揺を隠せない。
向けられた銃口の死角に飛び込むなど、通常では考えられない行為である。理屈から言えば散弾するショットガンから逃れるには、銃口を抜けて相手の懐まで飛び込むことである。頭では理解しても被弾すれば死亡するリスクを抱えてなお、体を飛び込ませるなど絶対的な自信と、恐怖を克服する精神力が必要となる。しかしながら、自分を押さえ込んでいる凶悪なこのディアボロイドは実際に避けて見せたのである。
叩きつけられる恐怖と痛みの底で、石川准尉はルキナが持つ戦士としての誇りを垣間見た。
だがそれも一瞬の事である。まだ戦いは終わっていない。
石川准尉はルキナに恐怖を抱いてはいるが、戦意を喪失したわけでもなく諦めてもいない。
接触した両者は互いに間合いが近すぎるため、次の手を出せない。
サーベルを逆手に持ち替え、刃の根元を突き付けようとするルキナ。その腕を押さえ、石川准尉はショットガンを離すと、腰からナイフを抜いてルキナの背中へ突き立てた。
硬化質の皮膚を持つディアボロイドの体を、ナイフが通った。偶然か、それとも狙ったのか。
さきほど破片が突き刺さっていたルキナの背中は装甲が割れていた。そのすき間を縫って、石川准尉のナイフが入ったのである。
もとより、このディアボロイドは最初から怪我を負っていた。よく見れば、床には彼から流れ出た鮮血が飛び散っている。
流れた量から見ても、かなりの深手と思われる。
そんな怪我を負っていても全身全霊を込めた凄まじい斬撃を繰り出し、どんな恐れも知らぬ戦い振りに、石川准尉は改めてディアボロイドの凶悪さが身に染みた。
この化け物が倒れる姿を想像できない。
だがアイオレスも言う通り、ディアボロイドとて不死身ではない。命を持った生物である。物理的法則には逆らえず、肉体を破壊されれば当然死に至る。
自分を信じるしかない。
なにより美月を傷つけた罪は、たっぷりと仕返しをしなくてはならない。凶悪な異星人に情状酌量の余地などない。
完全に私刑ではあるが、いまはどのような理由であろうと、このディアボロイドを倒して生き残ることが先決である。
石川准尉は突き立てたナイフに私怨を込めて、さらにルキナの体内へとねじ込んだ。筋肉繊維が断裂し、硬い骨にまで届いた感触が伝わる。
人間ならすでに絶命している領域である。
低くうめいたルキナから力が抜けた。すかさず石川准尉はルキナを押し返すと、腹に膝を叩き込んでから顔面を殴りつけた。
ルキナがよろめいたのは顔を殴られたからではない。
手首が折れた気がしたが、すかさず石川准尉は床に転がったショットガンに飛びついて拾い上げると、ルキナに構えなおした。
咄嗟に銃口を支える左手を離したのは、考えての事ではなかった。ディアボロイドと戦っている間に、彼の中で眠っていた潜在能力が引き出されたのであろうか。
火花を散らしてショットガンが切断された。
手を離さなければ腕ごと無くなっていたであろう。予備動作もなく、軌跡すら視認できない音速を越えた斬撃である。
武器を狙ったのか、ダメージのためにルキナの踏み込みが甘かったのか。どちらにせよ石川准尉はこの瞬間を生き残ったのである。
しかし、それも束の間。ルキナの攻撃は止まらない。
サーベルを振り切った勢いに乗せて、左の拳を石川准尉の顔面へと叩きつけた。咄嗟に防いだ石川准尉の両腕はきしみ、ルキナの拳がガードを突き抜けた。石川准尉は顔が背中まで捻じ曲げられるほどの打撃に意識を失い、壁に叩きつけられて意識を取り戻した。
意識はあっても強烈な衝撃に脳伝達が遮断されている。石川准尉は崩れ落ちると、床に打ち付けた顔の前に自分の歯が落ちてきた。
床に飛び散った鮮血は誰のものか。
ルキナのものか自分のものか。
自分はまだ生きている。
そして凶悪なディアボロイドも。
ならば立ちあがり、戦わなくては。
痛みと恐怖に震えてはいるが、怒りと戦意はまだ失っていない。
動いてくれ、自分の手足よ。
歯を食いしばり、のろのろと首をあげて敵を睨みつけた。
石川准尉の目に映ったものは、美しい弧を描いてサーベルを逆手に持ち替えたルキナの姿であった。
サーベルが突き降ろされる。
刹那、ルキナの顔が跳ねあがった。
意識を取り戻した美月の弾丸が直撃したのである。
この戦いで、初めて弾丸があたった。
ルキナは体制を崩して足元をふらつかせた。明らかにダメージがある。
硬化質のマスクのために傷は与えられなかったが、弾丸があたった部分は人間でいえば耳の後ろ。三半規管がある個所に衝撃を受けたのである。自らの意思とは関係なく平衡感覚が狂い、たたらを踏んだルキナは激しく頭を振った。
必死でバランスを取り戻そうとするルキナに、マガジンを入れ替えた美月の追撃が加えられる。
一発、二発、三発。
もうろうとしながらも、床に倒れた体勢のまま正確にルキナの体に撃ち込んでゆく。二発が弾かれ、一発が脚の皮膚装甲を抜けて血を噴き出させた。
ルキナが身を折ったために、さらに頭部を狙った弾丸がはずれ、流れ弾は後方の壁に取り付けられていた電圧パネルのカバーを弾き落した。
中から現れたのは電圧機と断線したケーブル。
「准尉」
美月が叫ぶと、二人は一瞬目を合わせた。
言葉はいらない。
マガジンを入れ替えながら膝立ちになり、美月は両手でベレッタを構えるとルキナの頭部に次々と弾丸を叩きこむ。
たまらず両腕をあげて防御すると、ルキナのあいた胴体に石川准尉が突進した。いまだ震える四肢を叱咤し、石川准尉は声と死力を絞り出し、ルキナを抱きかかえたまま電圧パネルへと叩きつけた。
視界が焼けつく閃光。
視認できるほどの電流が走り、両者の体は火の粉に包まれながら吹き飛ばされた。
石川准尉は無造作に転がって動かなくなったが、ルキナはうつぶせに倒れてはいるものの、体から煙をのぼらせながら起き上がろうとしている。
なんと言う生命力であろうか。
ルキナは吠えた。
死への恐怖か、生命への渇望か。
いや、戦い抜くことへの執念である。
どんな獣にも出すことが出来ない、聞くものを地獄の底へと突き落とす咆哮であった。こんなにも傷ついてなお、ルキナはサーベルを拾おうとしている。
美月は悪魔に向けて飛び込んだ。
小さな光を守るために。
サーベルをつかんで半身を起こしたルキナの首に腕を入れ、後方に倒しながら武骨なマスクの左目にベレッタを押しあてた。
銃声を掻き消そうと、美月は叫び声をあげた。
襲い来る絶望を拭い去るために、何度も何度も撃ち込んだ。こんな乱暴にトリガーを引いたのは初めてであった。弾丸を撃ち込むたびにルキナの体が跳ねあがる。
どれだけ撃ち込んだであろうか。
サーベルが投げ出される音と共に、ルキナの両腕は広げられて動かなくなった。
飛び込む前に入れ替えたマガジンを撃ち尽くしてなお、美月はルキナが起き上がりそうな恐怖に銃を離せなかった。
このディアボロイドは死んだのか。
自分たちは勝ったのか。
怪我を負っていた敵に終始圧倒され、生き残れたのは偶然が重なった奇跡である。こんな敵が圧倒的な勢力を持って進行して来ている。地上は一体どうなっているのであろうか。
呼吸を整えながら震える両手を上げると、ルキナにまたがったままの美月は我に返った。
「准尉」
這うようにして石川准尉へと近づくと、首に手をあてて生死を確かめた。
生きている。
「准尉、石川准尉」
美月の声に目を開けると、石川准尉はゆっくりと身を起こした。髪は焦げ、顔は腫れあがり、鼻はつぶれて血がこびりついている。片目はふさがり、骨が折れているのか筋を痛めてしまったのか、右腕は力なく垂れさがっていた。
満身創痍。
だが彼は何も言わない。
そして、自分を覗き込んだ美月に、石川准尉は顔をひきつらせると抜けた前歯を見せた。
笑ったのである。
〇
「紫苑。紫苑、紫苑」
美月の声に、紫苑は目を開けた。
突入したラベリウスの衝撃に、室内で気を失っていた紫苑を美月が抱き起したのである。
顔をしかめた紫苑の体を、美月は手をあてて確かめる。
「紫苑、ケガは」
「平気」
何が起きたのか。
何が起きているのか。
断続的に響く低い振動。
自分の所へあらわれた美月と石川准尉。
ふたりともケガをしている。その痛みは紫苑の中へと流れ込み、何も言わずともすべてを理解せざる得なかった。
ついにこの時が来てしまったのである。
「アイオレスの仲間が来たのね」
美月はうなずいた。
いま、この少女に世界中の希望が乗せられているのかと思うと、心を痛めずにはいられない。自分たちが迎えに来た理由も、すべて察している様子である。
紫苑はただ、自分の居場所が欲しかっただけなのに。
大人としてその責任を果たせなかったばかりか、再び傷つけようとしている。両腕で抱きしめると、美月は赤子をなでるように耳元でささやいた。
「紫苑、ごめんなさい。あなたの力を借りなくてはならないの。いつもいつも大人の都合ばかり押しつけて」
しばしお互いの温もりを感じあっていたが、紫苑は顔を離すと静かな色をした瞳をむけた。
「大丈夫よ、美月姉。わたしずっと考えていた。ママのこと。パパのこと。美月姉のこと。そして彼のこと。私が生きて行くうえで、受け入れなくてはならないこと」
「紫苑」
「喜びも悲しみも、それぞれが重なり合ってひとつであると言うこと。悲しみがあるからこそ、みんな自分が生きる理由を探しているのね。わたしは大丈夫。ママが残してくれたものがあるから。それは悲しみであり、喜びでもあるから」
「ごめんね、ごめんね」
振動の頻度が増えている。
デストシア軍の侵攻が進んでいるのである。いまごろ地上は悪魔たちによって蹂躙の限りを尽くされているだろう。
どれだけの血が流れたであろうか。
どれだけの絶望が空へと消えたであろうか。
「美月姉。わたしは、何かしなくてはならないことがあるのでしょう。だから、迎えに来たのね」
「そう。紫苑にしか出来ないこと。あなたでなければならない理由があるのよ。あなたにとって、この世界はとても辛いものでしかなかったのに。そんな世界のために、またわたしたちは、あなたを」
近くで再びデストシアの戦艦が地上へと突入したのであろう。長い揺れと地鳴りが、いつまでも抱き合う二人を包み込む。
「美月姉は、どうして戦うの」
美月の首に額をあてながら、紫苑は聞いた。
「守るものがあるからよ」
「彼らも、そうなのかしら」
美月は答えない。
振動と共に照明が不安定になる。
体を突き上げるうなりは、いままでディアボロイドにより地獄へと落とされた者たちの叫びであろうか。
「以前、アイオレスが言っていたわ。彼らは苦しんでいるって。苦しくて苦しくて堪らなくて、悲しくてどうしようもなくて、ずっと誰かに助けて欲しがっているのだって」
美月の無線からは悲鳴と怒号が流れている。
地上は壊滅寸前にまで追い込まれていた。
「紫苑、あなたが助けてあげて」
「わたしが」
「そう。あなたにはその力があるのよ。だからこそ、彼と痛みを分かち合うことが出来たのでしょう」
「喜びもよ」
「そうね。その通りだわ」
まるで自分の苦しみかのように、美月は今まで以上に紫苑を強く抱きしめた。
「姉さんはあなたに、たくさんの愛を残してくれたのね。その愛があるからこそ、他者の痛みと悲しみと、そして喜びといつくしみを感じあえるのよ。だから」
無線が途切れた。
「彼らを、助けてあげて」
〇
地上へ強行したラベリウスから、恵庭施設内へデストシアの騎士団が突入していた。
ハッチやタラップが吹き飛んでいても、彼らは統率の取れた動きで次々と戦艦より降り立つとサーベルを引き抜いた。暗闇で赤い目が開かれ、まがまがしい光はあっという間に増殖して巨大な濁流となって押し寄せる。
黒き鋼を纏った悪魔の化身は、見る者、聞く者を凍り付かせ、恐怖と言う暴力で心を砕き、その肉体を血に濡れた赤い牙で引き裂いた。血煙は轟く軍靴に飲み込まれ、わずかに残された勇気と希望と未来を悲鳴に変える。
屋内に踊り込んだディアボロイドらは煙幕を有効に使用し、人間たちにほとんど抵抗もさせずに斬り進んでいた。視界を奪い、長い通路を突入する間だけ銃撃を防げれば良いのだ。
煙の中でも彼らは視界が利くのであろうか。かすんだ通路の向こうに、赤い光が見えた時には死んでいた。
刃物で斬られているにもかかわらず、人間たちの肉体は重たい金属で弾き飛ばされた音を立てた。
一切の躊躇がない。
その圧倒的な強さ、勢い、凶悪な外見も相まって、戦慄におののき銃を構えることすら出来ない兵士は、通りすがりに首を跳ねられた。血飛沫は壁と天井を染め、床には屍が積み重なり、あちこちに人間であったものが転がっていた。
トリガーを引いたままの腕が宙を舞い、弾丸、煙、悲鳴、血と憎悪が渦巻いた。断末魔が断末魔を呼び、あまりの惨状に狂気が誘い込まれて広がった。
人間たちは、もはや何と戦っているのかすら見失っていた。それほどの恐怖である。
施設内を血管に例えるなら、猛烈な勢いで黒い重金属が流し込まれている。広大な敷地内をディアボロイドと言う癌細胞が浸食し、あらゆる生命を食い潰してゆく。
何が彼らを掻き立てるのか。
その残酷さ。
その冷酷さ。
人間らには異星人が攻めて来たのではなく、突如としてこの世に魔界が開かれた光景であった。
世界の終焉は、もう誰にも止められない。
デストシア軍は恵庭施設内の中枢へと辿り着いた。
〇
「ゆけゆけゆけ、殲滅せよ」
デストシア騎士団アルファ隊副長二番組筆頭オセ・セライムは、恵庭施設内の中枢に続く二手に分かれた進路の左舷を任されていた。
施設内にいるすべての敵を殲滅せよ。
それが彼らに下された命令である。
なぜラベリウスはこの施設に降り立ったのか。
すでに数々の戦場を駆け抜けて来たオセにとって、今回の命令に含まれる意味を理解できぬはずもない。
命令は絶対である。
であるなら、オセは全力を持って任務を遂行しなくてはならない。何の疑いもなく、絶大なる信仰のもとに部下を引き連れてサーベルを振るうのみ。
突入してからここまで、狩り逃がした獲物は一匹たりともいない。
あらゆる生命を、大いなる慈悲と共に葬って来た。
しかし、とオセは思う。
先頭を走り、上半身を真っ赤に濡らしたオセは、分かれた三番組より先に施設中枢近くの広間に辿り着いた。バリケードを蹴破り、迎え撃つ敵を斬り飛ばし、後方より仲間が雪崩を打って突入する。
いまオセの中で、今まで感じたことのない感情が生まれていた。それは地球を目にし、地上へと降りた時から次第に強くなっていた。
この奇妙な感情は何であろうか。
いままで心の奥底で巣食っていた黒いものが、ここに来て何かと結びつき、深い深い闇の中から引きずり出されている気がするのである。
感じている奇妙な感情の正体はわからない。
不快ではないが、恐怖でもある。
そんなオセの葛藤が反映されたのか、突入開始時から一糸乱れずに侵攻を続けていた部隊に異変があらわれた。
いままでどのような敵や攻撃にも怯まなかったディアボロイドが動きを止めたのである。
それはデストシア軍設立以来の光景であるかもしれない。
勇猛果敢、死をも恐れぬ生まれながらの戦士たちが、明らかに動揺している。それどころか、絶対に引くことのない彼らが何かに圧倒され、後ずさりを見せたのである。
全身を滾らせていた血を冷却させた空気は、瞬時に広間を支配した。
「どうした」
オセが先頭へと歩み出た。
ディアボロイドらを威圧し、その動きを止めていたのはディアボロイドであった。
〇
「ゆけ、春日少佐。護衛はここまでだ」
地上ラウンジへと続く通路の途中、アイオレスと春日が施設内部のターミナルエリアに差し掛かったところで、デストシアの騎士団が雪崩れ込んできたのである。
「ゆけ」
アイオレスの後ろにいた春日は、その後姿を見つめたままであった。どんな獣よりも凶悪かつ残忍であり、圧倒的な侵攻の手を緩めることがなかったデストシア軍が、彼が姿をあらわしただけで動きを止めたのである。
いまさらながらに、春日はアイオレスのデストシア軍での存在を認識させられていた。
「ここを抜けなければ、奴らは紫苑の所へは辿り着けない。早く行って、その端末を渡してくれ」
「しかし」
ディアボロイドらの反応を見る限り、アイオレスが侵攻の抑止力になる実力者であることは明白であった。
だがアイオレスの周囲には、同じ赤いサーベルを持った大勢の戦士たちが取り囲んでいるのである。その色のサーベルが、何を示しているかは春日も認識している。
「紫苑に約束を守れずに済まなかった、と伝えてくれ」
「約束」
「そうだ。さあ、行ってくれ」
ここにいても、自分は何の役にも立たない。こうしている間にもデストシア軍の侵攻は続いているのである。
一秒でも時間が惜しい。
ここはアイオレスにすべてを託すしかない。
「わかった。すまない」
春日は端末を手に駆け出した。
数名のディアボロイドが反応したが、それをオセが止めた。
「アイオレス、どの」
あまり驚いた様子もなく、オセはその名を呼んだ。
やはり、と言う思いと。
やっと、と言う思いが交差していた。
「久しぶりだな、オセ」
アイオレスは、傷つき倒れた国防軍の兵士たちの前で、無造作にサーベルを手にたたずんでいた。しばし無言でいた両者であったが、オセが口火を切った。
「我々は、貴殿の身柄拘束を命じられています」
「副長になったのだなオセ。お前は腕も良かったし、誰かと違って部下からも信頼されていたからな」
「身柄の拘束は、生死を問わずとの事です。ここで投降して頂く訳にはまいりませぬか」
「部下を持つと言うのは大変だろう。自分でも承服できない命令を部下に従わせなくてはならないのだからな」
「アイオレスどの」
語尾を強めたオセが、一歩踏み出した。
「ご自分の立場を理解して御出でですか」
「分からぬな」
「なぜです、なぜ、アイオレスどのほどの騎士が、我らデストシアを裏切ったのです」
以前にも、どこかで聞いた台詞だなとアイオレスは思う。デストシアの呪いから解放されたいま、アイオレスに取ってディアボロイドたちが持つ信仰が哀れでならない。
「裏切ったのではない。わたしはお前たちを、ディアボロイドを救いたいのだ。このままではディアボロイドは永遠の餓鬼地獄に絡めとられ滅亡する」
「何を言っているのです」
「聞けオセ」
アイオレスが声を上げた。
「いつまでこんな事を続ける。いつまで戦い続けるつもりだ。虐殺と侵略を続け、すべての生命を喰いつくした先に何を求めているのだ」
「デストシアの永遠の繁栄です」
「その時がデストシアの死だ。わからぬかオセ。戦っても戦っても満たされない餓鬼感、耐えがたき渇き。それはお前も感じているはずだ」
暗きマスクの奥、オセの目が揺れた。
「感じぬか、この地球より溢れる生命の力を。科学技術に依存しているデストシアは限界に来ている。なぜ我々は自然栽培による食料生産をしない。過去にも惑星を人工プラントではなく自然生産する計画はあったはずだ。だが実現しなかった。なぜだオセ」
「それは」
「そうだ。すべてゼノン皇帝の意向によるものだ。ゼノン皇帝は自然との共存を一切許さない。すべての動植物の存在を許していない。なぜか」
「わたしには、分かりませぬ」
分からないのだが、いまのオセにはアイオレスの言葉を否定することが出来ない。それは理屈ではなく、オセの心の奥底で目覚めつつある何かが捉えて離さないのである。
「生命の輪廻を恐れているからだ。すべてが支えあい、ひとつの力となり永遠の命を紡ぎだす力をだ。ゼノン皇帝は、その力が生み出すもの恐れているのだ」
「わかりませぬ。いったい何を恐れているというのです」
「その力は」
激しい怒号にさえぎられた。
「帝国に対しての反逆だ。いや、ゼノン皇帝への反逆だ」
ひとりのディアボロイドが叫ぶと、同調した数名が怒りをあらわにアイオレスを罵り始めた。
「裏切り者め」
「殺されて当然だ」
声をあげたディアボロイドは、最近になって騎士団に配属された者たちであった。みなアイオレスの存在を知らない。
名声、力、飽くなき衝動。
若き激情が感情のままに噴出している。
「殺せ」
「特進させてもらえるぞ」
騎士であるからには、みな自分の力に自信を持っている。ディアボロイド同士の戦いは禁じられているが、今回に限っては軍部の命令により権利を与えられている。
なればこそ、うわさに聞いた騎士を相手に戦えるなど二度とない好機。見事打ち倒せば特進と言う条件付きである。
そんな若きディアボロイドが欲望に駆られ、殺到したとしても不思議ではない。もとより好戦的な種族なのである。
そのような意味では、純粋にディアボロイドらしいとも言えた。
「よせ」
オセの静止を振り切り、数名の若き騎士が怒りと欲望に駆られてアイオレスへと躍りかかった。
気合の声と共に無数のサーベルがきらめいた。
襲い来る無数の斬撃を前に、アイオレスはゆるやかに踏み出したかと思うと、先頭のディアボロイドが血飛沫をあげて転がった。
サーベルを撃ち交わしてもいない。
軌道を呼んだのか、受け止める必要もないと判断したのか。どちらにしろアイオレスと斬り結ぶことなく倒された。
四方から突き出され、振り下ろされるサーベルが、自らの意思を持ってアイオレスを避けている錯覚すら覚える。
うなりを上げて空気を切り裂く強烈な斬撃も、死角から飛び込んでくる迷うことなき非情な刃先も、アイオレスをすり抜けてゆく。
攻撃があたらぬ彼らが痺れを切らし、アイオレスを取り囲みながら一斉にサーベルを突き付けたところで、初めて刃鳴りが響き渡った。
四方八方から容赦のない斬撃が繰り出されるが、アイオレスはその場で軽やかに身を躍らせ、合間から抜け出すたびに転がるディアボロイドが増えてゆく。
右からの攻撃を防いだはずなのに、次の瞬間には左のディアボロイドが倒れていた。アイオレスの手元でサーベルがきらめくたびに、吐き出された激情と怒りと欲望が血に包まれて霧散する。
ひとり、ふたり、数えることすら追いつかない。まともにアイオレスと撃ち交わせた者はひとりとしていない。
最後の一人が、それでも戦意を失わなかったのは戦士として立派である。だが、敵わぬと知った相手に挑むのは無謀である。
繰り出された斬撃は跳ね上げられ、がら空きになった胴体にアイオレスのサーベルが滑り込む。踏み込んだ自らの勢いのまま床へと倒れると動かなくなった。
若きディアボロイドが襲い掛かってから、ほんの数秒。彼らの背中によって見えなくなっていたはずのアイオレスは、何事もなかった様子で立ち尽くしている。
刃鳴りがやんだ後には、倒されたディアボロイドたちのうめき声だけが聞こえている。
みな死んではいない。
手加減されるほどの実力差であった。
けして彼らが弱かったわけではない。彼らとして、デストシア軍のなかでも卓越した能力がなければ認められない正式な騎士たちである。
味方には神の寵愛を受けた如く、圧倒的な力。
敵には悪魔の呪いを受けた如く、圧倒的な力。
あまりに一方的な光景を見ていたディアボロイドたちを包んだのは、絶望である。自分らの姿がアイオレスと言う鏡により、過去に感じたことのない脅威となって跳ね返って来たのである。
戦場にて絶大なる信頼と強さを放っていた背中が、いま自らの敵となったことで、ディアボロイドたちは初めて自分自身の存在を突き付けられた。
その恐怖は、過去にアイオレス自身が味わったものである。
「オセ」
踏み出したアイオレスに、取り囲んでいたディアボロイドたちの輪が押し返された。しかし、オセだけはその場を動かない。いや、動けないのである。
「おれは、お前たちと敵対する気はない。目を覚ませオセ。怒りや憎しみによって救われることはない。それらは耐えがたき激情となり我らディアボロイドを突き動かしている。だが、それは呪いだ」
「わかりませぬ。わたしを突き動かす、この戦士としての血が呪いだと言うのなら、我らは一体何のために戦っているのです」
「逃れるためだ」
「何からです。勇敢な戦士であるディアボロイドは、何者をも恐れはしません。どのような敵であってもけして」
「そうか」
サーベルをひらめかせて構えたアイオレスに、かつての部下たちは動揺し緊張を隠せない。あまたの戦場を駆け巡り、何千何万と敵を打倒して来たディアボロイドたちが混乱の極みに飲み込まれている。
「では、なぜお前はサーベルを構えない。目の前に倒さなくてはならない敵がいるのだろう。勇敢なる戦士、デストシアの騎士たるお前が」
「わたしは」
オセの剣先が、ゆらゆらと力なく持ち上がる。
「わたしは、アイオレスどのと戦えませぬ」
「なぜだオセ。お前はいま、どのような敵であろうと恐れることはないと言った。では戦え。それとも死ぬのが怖いのか」
「死ぬことは恐れておりませぬ。ですが」
「どうしたオセ。なにを震えている」
「わかりませぬ、わかりませぬ。この心の底から溢れる恐怖。いままでどのような敵であろうと感じたことのなかった、この得体の知れない感情が怖いのです」
「オセ、それは」
耐えきれずオセは叫んだ。
「聞きたくありませぬ」
オセは自分を締め上げる恐怖を振り払うため、全身の血を沸騰させてアイオレスへと斬撃を打ち込んだ。
一撃。
オセのサーベルが弾き飛ばれて転がると、自分の両手を見つめながら力なく膝をついた。全身が震えているのは、サーベルを撃ち交わした衝撃からではない。
「アイオレスどの。わたしは、わたしは」
「オセ、お前がいま感じているものは」
そのとき、両者の間をあからさまな嫌悪と怒気を含ませた声が切り裂いた。
「なにをしていやがる、オセ」
部下を乱暴に押しのけ、ふたりを取り囲む輪に押し入って来たディアボロイドがいた。
「メドゥーザ隊長」
力なくオセが顔をあげた。
「だらしねえな。この役立たずが」
メドゥーザが膝をついているオセの肩を邪険に蹴った。
「メドゥーザ」
そう呼んだアイオレスの声色には、名を呼んだ以上に様々なものが込められていた。舌打ちして振り返ったメドゥーザとアイオレスが対峙する。しばし無言であったが、その間に交わされた視線による意思の応酬は計り知れない。
「生きていたかアイオレス。ずいぶん心配したぜ。ちょっと見ないうちに、随分みすぼらしくなったなあ」
揶揄を含んだ口調で、メドゥーザがアイオレスの全身に視線をはわせた。その表情にはありありと侮蔑の色が浮かんでいる。
アイオレスが地球で負った怪我は完治したが、外装である皮膚装甲の修復まではされていない。本来であれば、デストシアの技術を用いて治療カプセルの中で再生が行わるが、設備のない地球では無理からぬことである。
そのため、現在のアイオレスの皮膚装甲は割れたままとなっており、ひどく傷ついているように見える。
しかしながら、地球の恩恵を受けたアイオレスの肉体は以前とは比べ物にならない密度で再生している。肉体だけではなく、精神、命そのものが生まれ変わったのである。それらの変化をアイオレス自身ですら把握し切れていないとするのなら、他人であるメドゥーザが知る由もない。
「そういうお前は少し見ないうちに、随分と偉そうになったなメドゥーザ。いや、メドゥーザ隊長どの」
アイオレスの挑発にメドゥーザの殺気が増した。
「お前がこの星で堕落しているあいだに、おれはなあ実力でここまで上り詰めたんだよ」
「おれを蹴落としてな」
文字通り、以前にメドゥーザは脱出する船からアイオレスを蹴り落としたのである。アルファ隊の隊長と副長のひとりが死亡し、残された副長はメドゥーザとアイオレスの二名。階級が繰り上がるのなら、どちらかと言うことになる。
心の奥底で、次期隊長にアイオレスが任命されるのではないか、と言う思いがあったことは拭えない。そこを突かれたメドゥーザが愉快なわけもなく、彼を構成しているプライドがアイオレスのすべてを否定する。
「そうだな優等生。いや、あんなに将来を有望視されていたはずが、どんどん転がり落ちて、いまや反逆罪を背負わされるほど落ちぶれた落第生さんよ。お前が何と言おうと、いまのアルファ隊隊長はこのおれさまだ」
芝居かかった仕草で、メドゥーザは羽織るマントの首に飾られた紋章を見せつけた。
「くだらぬ」
「なんだと」
「くだらぬと言ったのだ」
噴き上がったメドゥーザの殺気に、彼の纏うマントがはためいたかに見えた。それほど強烈な殺気であった。
かつてはアイオレスも、喉から手が出るほどにその称号を渇望していたのである。だがこの地球に来てからすべてが一変した。
肉体も、精神も、そして魂も。
多くのものを失ったが、何にも代えられない大切なものを見つけたいま、アイオレスのディアボロイドとしての過去はすべて無意味なものとなっていた。
「戦士としての武勲、階級、そして名誉。くだらぬ。お前が大切に守っているそれは呪いだ」
「なにを言ってやがる」
少しずつ、少しずつ両者は間合いとり、足の位置を整えていた。見えない正円を描きつつ、お互いの距離が縮まる。
言うまでもなく、ふたりとも再会を喜ぶつもりは毛頭ない。そもそもデストシア軍には、反逆罪により生死を問わずアイオレスの身柄の確保が言い渡されている。
つまりは処刑命令。
剣を交わさない理由がないのである。
「おれはなあ、昔からそう言った何でも悟ったような口調で説教するお前がむかついて仕方がなかったんだよ」
「いくら言っても分からぬだろう。以前のおれがそうだったように、呪いから解かれた者にしかこの世界の素晴らしさは見えぬだろうな。とくに曇ったお前の目ではな」
「裏切り者の分際で、このおれに向かって偉そうな口をききやがって。こうして、のうのうと間抜け面をさらしてるだけでも吐き気がするぜ」
「ならどうする。また怖くなっておれを蹴落とすのか、メドゥーザ」
「殺す」
ターミナルエリアが震えた。
空気を引き裂く荒々しい刃鳴りと共に、両者の間で爆発が起きたかと思えるほどの火花が飛び散った。上半身に火の粉を浴びながら両者は鍔迫り合いの形で睨みあう。
さすがのアイオレスも、メドゥーザの斬撃をサーベルなしで受け流すことは出来ない。
「これ以上落ちようがないお前の行き先は地獄だけだ。もう一度、おれが冥界へ叩き落してやるぜ落第生」
サーベルを滑らせて離れ、両者は再び撃ちあった。
火花が散った時には、すでにサーベルは次の一撃を繰り出していた。周囲で見守るディアボロイドらは、ふたりが繰り出す斬撃を目で追うのが精一杯であった。至近距離で撃ち合っている両者にはなおさら、お互いの手元すら見えていないのであろう。
それにもかかわらず、彼らは超高速で繰り出される刃先を確実に弾き返し、受け流し、次の手を予測しながらも瞬間の隙を突いて叩き返す。
目で剣先を追っている訳ではない。
騎士としての鍛錬、経験測、呼吸の読み方、これらすべてが高次元で集約し、ひとつの完成された剣術として攻防につながっているのである。
メドゥーザは殺気を炎へと変えた荒々しい戦い方に対し、アイオレスは流れる清流を思わせる剣技を見せる。
戦い方は違えど、どちらも屈指の腕を持つ騎士であった。
デストシア軍の規律にてメドゥーザの性格と言動は問題視される部分もあるのだが、何千万人といるディアボロイド兵のなかでも選りすぐりの戦士で編成されたデストシア騎士団。その二十四隊を司る隊長の中でも、現在のメドゥーザは上位に君臨する実力者となっていた。
強さこそが正義であるデストシアにて、メドゥーザの存在はディアボロイドの本質を体現するものであった。上官に対して不満があるものは、死を覚悟して決闘の末に階級を勝ち取れば良いのである。
そんなメドゥーザがアルファ隊の隊長であり続けている事は、騎士としての正当な理由と力が存在するからであった。
またアイオレスにしても、アルファ隊の副長として所属していた時すでに、将来必ずやデストシアを象徴する騎士となるであろうと噂されていた実力を持つ。
つまり、いま繰り広げられている戦いは事実上、デストシア騎士同士による頂上決戦と言えよう。
両者は副長時代より摩擦があったのだが、いや主にアイオレスの実力に嫉妬していたメドゥーザが一方的に絡むことが多かった。であるなら、非情な手段を使ったとはいえ隊長となった手前、メドゥーザは自分自身の存在理由を示すために絶対に負ける訳にはゆかない。
いままでアイオレスに対して何度サーベルを抜きかけたであろうか。それがいま軍務により抹殺出来る許可がおりた。
何よりも邪魔で仕方がなかった存在を討ち取ることで、私怨を晴らすと同時にさらなる名声を手に入れられるのである。
「おれはなあ、お前が寝て過ごしている間も戦場を駆け巡っていたんだ。すべてを手に入れるために」
純粋な強さへの渇望。
けして見下していたわけでも、油断していたわけでもない。だが、この半年間のあいだに、アイオレスの想像以上にメドゥーザは騎士として劇的な進化を遂げていたのだ。
メドゥーザの振りは大きく時折、隙が見られる。しかしそこへ打ち込めない。
変則的な戦い方をするため動きが読みにくい部分もあるのだが、それ以上に勢いが落ちることのない斬撃、勢い、気迫。
絶対なる自信と闘志がメドゥーザの技術的な甘さを補ってなお、敵を打ち倒さんとする炎として壮絶な攻撃へと結びつけているのである。
ただ乱暴に見える攻撃も、身体の可動範囲を広げて極限まで力を解放させるためのものである。
そんな戦い方をすれば、すぐに体力を消耗して動けなくなってしまう。しかしメドゥーザの手は止まらない。無尽蔵とも思える力が彼を突き動かし、斬撃の暴風雨となって迫りくる。
「たまらねえんだよ、この衝動が、渇きが。血と名誉を、おれの体と魂が欲して止まらねえんだ」
「メドゥーザ、それは呪いだ」
「いったい何の話だ。この全身を震わせる甘美な血の快感が呪いだってのか」
「そうだ錯覚だ。ディアボロイドが持つ戦士としての勇気や闘志は、恐怖に対する裏返しのものでしかない」
「意味が分かんねえ。すっかりバカになっちまったなあ」
耳元をうなりをあげて通り過ぎるサーベルを弾きながら、言葉の応酬もまた止まらない。
「お前も感じているはずだメドゥーザ。いくら血を飲んでも決して満たされることのない渇きに」
「あたりまえだろう。おれたちは誇り高き戦士だぜ。この欲望が戦士としての力だろう。それを否定したら生きている意味もない。そんなことも忘れるほど腑抜けになったのか。もはやお前は裏切り者でもなければディアボロイドですらない」
「そうだ。わたしはもうディアボロイドではない。この地球で一度死に、人間として生まれ変わったのだ」
「ならもう一度死ね」
アイオレスの頭上より、すべてを叩き潰さんとする怒りと憎しみを込めた攻撃が振り下ろされた。両手両足に渾身の力を込めて防いだものの、すぐさまメドゥーザは体制を変えて追撃する。身をかがめながらアイオレスに肩をぶつけると、全身を使って剣先を突き上げた。
そこにサーベルを撃ち降ろそうとするものの、地面をえぐり取るほどの気迫と共に迫りくるメドゥーザの剣先がそれを許さない。
アイオレスは喉をかばうと、接触したサーベルが悲鳴を上げて火花を散らす。
立て続けに二度三度とサーベルを打ち合うと、両者は鍔迫り合いから額をぶつけて睨みあう。
メドゥーザの青い目は憎しみに燃える色を放っていた。
「むかつくぜ。騎士であるお前をぶっ殺すことが何よりの楽しみだったのによ」
「そんなものに縛られているから苦しむのだメドゥーザ」
「まあいい。お前も所詮は踏み台でしかない。いずれおれは、あいつも殺してすべてを手に入れる」
「お前こそ、その発言は反逆罪だ」
「勝てば許されるんだろう。デストシアは力がすべてだ。ならばおれが力ずくで奪い取る」
「デストシアを手に入れてどうする。お山の大将となり戦い続けるのか。行きつく先は滅亡でしかない」
「戦うことを辞めれば同じことだろ」
怒気をあらわに頭突きをあてると、メドゥーザはアイオレスを蹴って間合いをつかんだ。すぐさま右から左から、超硬質なサーベルがしなる勢いで攻撃を繰り出した。
乱れ飛ぶ斬撃のひとつが、アイオレスの肩をかすめた。
鮮血と共に装甲の一部が弾け飛ぶ。
距離を取ろうとしたアイオレスだが、斬撃を放ったメドゥーザはそのまま勢いを利用し、肘を顔面へとぶつけてきた。かろうじて避けたものの、それは続けざまに放たれた頭部への蹴り脚を隠すためであった。
とっさに首をひねって直撃を避けたものの、アイオレスは頭部に重たい衝撃を受けて膝をついた。
「相変わらず、品のない戦い方だな」
「お上品に戦って死ぬくらいなら、おれはどんな汚い手でも勝つほうを選ぶ。いままでそうやって生き残って来たし、これからもそうするつもりだ」
そう豪語するメドゥーザの姿こそ、ディアボロイドが生まれ持った本来の姿と言えよう。そう、ディアボロイドの力は弱肉強食に抗い、劣悪な環境で生き残るために授けられたのだから。
「すべてを食い潰し、自らが生き残った先に何がある。楽園か、宇宙の覇者となった超大国の設立か。デストシアによる統一宇宙がなされれば、ディアボロイドらが抱えている餓鬼道から解放されるとでも思っているのか。宇宙を征服し、自分たちの存在を脅かす存在がいなくなれば、ディアボロイドはお互いを殺し始めるだろう。行きつく先は自滅しかないのだメデューザ」
「その時こそ宇宙の覇者、万物の頂点を極める最強の存在として君臨できる。最高じゃねえか、想像するだけで血が沸騰して心の底から震えるぜ」
「お前は」
「ああ、たまらないぜ、この恍惚感。この高揚感。血を浴びるたびに湧きあがる快感と、無限に溢れてくる欲望がたまらねえんだよ」
「メドゥーザ」
立ち上がろうとするアイオレスに、メドゥーザは全身を支配する欲望の波に酔いしれ、獲物を八つ裂きにするために血に飢えた悪魔として襲い掛かった。
「たまらねえんだよ、この激情が」
「目を覚ませメドゥーザ」
とどめを刺すためにメドゥーザが飛びついたかに見えたが、実際にはアイオレスに誘い込まれたのである。距離、角度、メドゥーザにとって一番攻撃しやすい体制を、わざわざアイオレスが作ったのだ。必ず来るであろう攻撃が分かっていれば、避ける事も反撃することも容易である。
呼吸を読まれたメドゥーザの斬撃は、アイオレスの首をはねることなく空を切る。渾身の力が込められたままのサーベルが目標を失って飛び、壁へと突き刺さる。
少し遅れて、アイオレスの足元にメドゥーザの物であった両腕が転がった。
「ああ」
自分の腕が無くなったことを認識したとき、メドゥーザの両ひざから鮮血が噴出した。痛覚が脳へと届いたのか、メドゥーザは身の毛もよだつ悲鳴をあげると、自らの意思に反して地面へと転がった。
腕もなく、両脚の健も切られたメドゥーザは、その場で痛みと呪詛と怒りを込めた、生物の領域からも外れた咆哮を吐き出した。
「畜生畜生畜生、ふざけんなアイオレス」
脚を切る必要はなかったのだが、メドゥーザの性格を考えると、腕を失っても脚を使って恥もプライドも捨て、死に物狂いで襲い掛かってくるだろうと考えたのである。
もっとも蹴られたくらいでは死にはしないが、そんな光景を見たくないと言うアイオレスの慈悲でもあった。もっとも、メドゥーザにとっては屈辱にしかならない。
「ぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺す。お前ら、そいつを殺せ、殺せ殺せ殺せぶっ殺せ」
立ち上がることも出来ず、地面に顔を押し付けたままのメドゥーザが血を吐く形相で叫び続ける。
隊長の命令は絶対である。
しかしディアボロイドたちは動かない。
いや動けない。
両者の実力は拮抗し、決闘はメドゥーザが攻勢に見えた。しかし終わってみれば、初めからすべてアイオレスが支配していたのである。
騎士団の中でも上位クラスに君臨するメドゥーザが、こうも簡単に斬られたのである。この意味が分からぬ者はいない。
「なにしてやがるお前ら」
動こうとしない部下にメドゥーザは怒り狂う。そんなメドゥーザの姿を遮るように、決闘を見守っていたオセが歩み出た。
「みな下がれ。もはやこれ以上の戦いは無意味だ。ここでサーベルを抜いても、これが自分たちの未来の姿だ」
「オセェ」
メドゥーザの怒号を無視して、オセはサーベルをしまうとアイオレスに向き直った。
「もう後戻りはできませぬ。アイオレスどの、これ以上はディアボロイドの、いえデストシアの歴史が崩壊します」
「わたしは、長きデストシアの歴史に名を残す反逆者と言うわけか」
「そうではありませぬ。このままではデストシアに取って最悪の事態を招きます。我らの礎となる騎士道そのものが」
そのとき、新たな人物があらわれた。
「もうよい、オセ」
声の人物に対して、大勢のディアボロイドが割れて道を開けた。考えるよりも早く、体の中に沁み込んだ恐怖と敬愛の念が彼らを動かしていた。
周囲のディアボロイドより頭一つ分背が高く、紅蓮の皮膚装甲がより巨大な体躯を主張している。
あらゆるものが彼に引き背寄られる存在感、その重力とも思える支配力はいまだなお健在であった。
失われた左腕は再生されていたが、目元のマスクは破損し片目が露出したままとなっている。己への戒めか、その奥からのぞく青い光の色は読み取れない。
「将軍」
オセもディアボロイドらも道を開け、ターミナルエリアの中心にはアイオレスと、デストシア帝国宇宙軍総司令官ベルフライ・マグのふたりが残された。
「メドゥーザを倒した一手、見事であった。わたしと剣を交えた時よりも鋭さが増しているな」
「地球の恩恵を受けての事です。わたしひとりの力ではありませぬ。この体は大地と共に生きているのです」
「自然との共存理念か。なぜデストシアの文明を否定するアイオレス。お前とてデストシアで生を受け、デストシアの恩恵を受けて来たではないか」
ベルフライは再生された左腕を広げて見せた。
肩、ひじ、指先。
何層もある複雑な皮膚装甲は、指先まで精密に計算されて稼働しておりデストシアの技術力の象徴である。
「それは過去のわたしです。将軍こそお気づきのはずです。デストシアそのものが限界に来ていることを」
「なればどうしろと言う」
「自然と共存すべきです」
「以前も話したはずだ。我らディアボロイドはそれが出来ぬから、こうして高度な科学技術により繁栄を支えているのだ。ゼノン皇帝の意思により、数千年ものあいだ受け継いできた文明を放棄せよと」
「そうではありませぬ。自然の恩恵を受け入れれば、デストシアを維持する莫大なエネルギーが不必要になるのです。そうなれば新たな資源を求めて侵略する理由もなくなります」
「ディアボロイドは戦うことが存在意義なのだ。それを失えば生きている理由すらなくなる」
「それは呪いなのです」
何度目の台詞であろうか。
外から見た者の目には明らかなものが、内側の者にはまるで見えない。どれほど言葉を尽くしても、地球で得た死と再生は経験した者にしか理解できない。
「では聞くアイオレスよ。お前なら滅亡に向かっているデストシア、我らディアボロイドを救えると言うのか」
「わたしが救うことはできませぬ。ですが、生命が持つ輪廻の力によって導く光は見せられましょう」
「それは思い上がりだ。このデストシア帝国を、お前ひとりが知った未知の理念により文明の基礎を根底から覆すなど到底出来ぬ。我らは戦士として戦い続ける宿命を持って生まれ、死んでゆくことを定められているのだ。デストシアはそのために存在し繁栄している。戦うことを辞める。それはすなわちデストシアの死だ」
ベルフライにはデストシア軍の司令官として部下を守らなくてはならない責任がある。そう、ディアボロイドらの精神的な安定をもたらすには、戦場にて血を飲まさなくてはならないのである。
つねに燃え盛り、黒く噴出するディアボロイドの激情は戦うことでしか治めることが出来ない。これらを回避するために、外へ向けられた力を抑え込めば確実に爆発する。
望む望まないにかかわらず、ベルフライにはディアボロイドらを戦わせ続けなくてはならないのである。
「今後、デストシアを支えるにはお前の力が必要になる。もう一度言うアイオレス。デストシアに戻れ。戻って再び隊を引き連れて戦うのだ」
血に濡れた床から、メドゥーザが憤怒に燃えた目をあげた。その怒りも憎悪も、ベルフライには届いてはいない。
「一度、将軍と剣を交えたわたしを、いまだデストシアの騎士として認めてくれているのですか」
「言ったはずだ。お前はデストシアの象徴となりえる騎士だ。ディアボロイドらの暴走を抑え、軍の統制を保つには力が必要だ。理想ではなく実力でデストシアを導く者が必要なのだ」
「将軍」
改めてアイオレスはベルフライを見返した。何かを決意した声色である。受けたベルフライも、驚いた様子もなくあらかじめ知っていたかの態度であった。
「なればわたしは、デストシアの騎士として」
オセがアイオレスの意図に気がついた。慌てて間に入ろうとしたものの、結局オセは踏み出すことが出来なかった。
こうなっては、ただ成り行きを見守るしかない。
デストシアに取って最大の転機となるこの行く末が、彼らにとって良いことなのか悪いことなのか、オセにわかるはずもなかった。
「このアイオレス・オーティアギス。デストシア帝国宇宙軍総司令官ベルフライ・マグ将軍に決闘を申し込む」
どよめいた。
騎士隊長同士による対決、さらには総司令官に対しての決闘申し込みなどデストシア史上初の事柄である。
デストシアの中でベルフライの存在はすでに神聖化され、その地位も実力も、もはや別次元であり下克上を成し遂げられる希望という領域からも外れていたのである。
絶対なる力を持つベルフライが負けるはずもない。その確固たる信頼はいまも揺らいではいない。
だが、目の前で見せられたアイオレスの太刀裁きに、ディアボロイドらはもしかしたらと言う胸騒ぎを覚えていた。
「アイオレスどの、お待ちください」
たまらずオセが言う。
「この決闘は無意味です」
「わたしの心配をしてくれているのか。それとも、忠実なるデストシアの騎士としての忠告か、オセ」
アイオレスが横目でオセを見た。
「そのような意味ではありませぬ。しかしながら、アイオレスどのが敗れれば、デストシアにとって我々の未来を担う貴重な騎士を失うことになります。そして、もし」
オセは言葉を切った。仮の話でも公に口にはできないことではあるが、オセは表現を変えて続けた。
「どちらにせよ、この決闘の先には大いなる損失しかありませぬ。もし仮に、アイオレスどのが決闘を制しデストシア軍の全権を譲渡された時、どうするおつもりですか」
「地球から撤退し、デストシア全軍の武装を破棄させる」
「我々に戦うことを放棄させれば自滅へと向かうことはアイオレスどのもご存じのはず」
「戦い続けても自滅する」
「アイオレスどの」
「大丈夫だ」
確信に満ちた、希望を含んだ言葉であった。
もう止められない。
オセはそれ以上は何も言わずに下がった。アイオレスは誰に対して、何に対して言ったのか。真意は分からぬが、いまは彼の言葉を信じるしかないと考えたのだ。
視線を戻したアイオレスにベルフライが言う。
「では、受けて立とうアイオレス。お前の力はわたしが誰よりも高く評価している。お前が何者で、何を感じているかは問わぬ。いま一度、わたしに剣を見せてみよ」
ベルフライは腰をかがめると、サーベルに手を置いた。
戦う前にベルフライが構えを取るなど、初めての姿である。それは決闘を挑んだアイオレスに対する敬意であり、全力で受けて立つ表れでもあった。
アイオレスも、ベルフライの間合いとなる正円の中へと足を踏み入れた。どちらのマスクも傷ついて破損し、青い瞳が露出している。
怒りと悲しみ。
失望と希望。
憧憬、渇き、そして慈悲。
あまたの想いは交差し、お互いの瞳にそれぞれの未来を映し出していた。けして交わることのない未来を。
「悲しいとは思いませぬか将軍。なぜわたしたちが剣を交えなくてはならないのです」
「それは騎士だからだ。デストシアに生を受けた時より、我々は戦うことを宿命付けられている。剣はその心を映し、身を作り、魂を宿す。剣と共に生き、剣と共に死ぬ」
「その騎士道が、太古の昔にディアボロイドが失ったものを縛るものであるのなら。偽りの礎に築かれた帝国はあまりに脆く幼い。暗闇に怯える赤子に見えましょう」
間合いが近づきつつある。
「なればこそ剣が我らを守って来たのだアイオレス。剣に呼ばれ、魂を呼び覚まし、絶望の未来を切り開いたのだ。剣が秩序を保ち、デストシアを作り上げたのだ」
「その剣のために多すぎる命が犠牲となりました。我らは生き延びるため、暗闇から抜け出すために戦ってきたはずが、知らずより闇の中へと迷い込んでしまったのです。剣が示したものは未来ではなく、恐怖が生み出した砂の城なのです」
アイオレスの言葉は無論届いている。
だが、ベルフライは首を振る。
全身から吹き荒れる殺気とは裏腹に、青い瞳は深い海底に沈んだ色を讃えていた。
「お前とて、いまその剣を手にしているではないか。お前の分身であり、鏡であり、魂そのものだ。逃れることは出来ないのだアイオレス。逃れられないからこそ、帝国の繁栄が続いているのだ」
「ならば、わたしがこの剣にて呪いを断ち切りましょう。愛するすべての者のために」
「愛か」
鞘からサーベルの刃がのぞき、燐光がこぼれ出す。
「アイオレス。呪われた我らディアボロイドを救う光が、お前が望む未来が見えているのなら」
正円を描く動きが止まる。
「見事わたしを倒し、同胞を、我ら悪魔の化身であるディアボロイドを導いてみよ」
「光は。貴方にも見えているはずです、将軍」
両者は叫ぶと同時にサーベルが引き抜かれた。
その時、金色の旋律が響き渡った。
〇
それは温もりであった。
確かに存在していた光。
まなざし。
宇宙に輝くすべての光を集めてもかなわぬ、まばゆい光。あらゆる不幸から守られる、絶対なる救いとして注がれていた。すべてを照らす希望であり、未来であり、世界そのものであった。
つつましく小さな光ではあったが、それはどのような恒星よりも明るく、暖かい優しさで満たされていた。
自分を抱く胸から伝わる鼓動、一切の希望もない地獄にてお互いを繋ぎとめる唯一の絆であった。
母という存在。
しかし世界は崩壊する。
どんなに引きとめても、かき集めても、つかんでもつかんでも消えてゆく。求めても求めても離れてゆく。
安住の地が崩れ行く恐怖、混乱、孤独。
残されたのは絶望。
光は閉ざされ、聞こえるものは悲鳴と呪詛。
いままで、確かに存在していたぬくもりが消えている。この手にあったはずの永遠なる幸せが。
それは自然の摂理。
命あるものは消滅し生まれ変わる。何度も何度も繰り返され紡がれてゆく。光は闇に飲まれ、いずれ闇の中に新たな光が指す。
永遠の輪廻の中で。
しかし、それを否定する者がいた。
死など認めない。
冷たい暗闇のなかで掲示を受けた。
いくばくかの希望であった。
わずかな光であった。
瞬きのあいだに消えてしまいそうな、かすかな光であったが、どこまでも続く絶望の海の中では一際輝いて見えた。
あらゆる事象には原因があり解明することが出来る。
自然の摂理すらも。
その「力」は生命をも操れる。
失われた命すらも。
自分たちが生き残れたのは、父が残した英知である。
であるのなら、自分は父と同じ力を使って母を蘇らすことが出来るはずだ。そうすれば再び、光り輝く世界を取り戻せる。
父は絶大なる英知を、母は強靭なる肉体を残してくれた。
どれだけの年月を必要としようとも、再び母の手を握るその日まで。
自らが神となり、自然の摂理に抗い絶大なる力をもって生命の頂に上り詰めるまで。
暗闇を切り裂き未来を手に入れるはずの力は、長い時を得ていつしか呪いへと変わっていた。
それが光であると信じて。
〇
「ああああ」
デストシア帝国皇帝ゼノン・ウルキナス・スノーデンは叫び声をあげた。
帝国軍総旗艦ルシフェンヌにて、誰もいない暗闇で眼下に広がる青い地球が、赤い光によって蹂躙される様を暗く濁った眼で見降ろしていた彼は、突然にすべてを包み込んだ金色の旋律に苦痛の声をあげて倒れ込んだ。
「やめろ、やめろ」
拒絶反応なのか、倒れ込んだ体は激しく痙攣しゼノンは胸を押さえて身を歪めている。
干からびた大地に水が沁み渡るように、ゼノンは自らの意思とは裏腹に、突如として空間に溢れた光によって包まれていた。きらめくその音色は、抗いようのない慈しみをもってゼノンの心に流れ込む。
何十年、何百年、何千年、何万年。
何百人、何千人、何万人、何億人。
ゼノンが費やした時間と失われた命により、すべてが凍結した氷の底に眠っていたものが呼び起こされていた。
あまりに深く暗い所まで沈んでいたため、どんな光すら届かなかったはずが、いま柔らかな音色によって照らし出されている。
長きにわたり、あらゆるものを否定する強固な鎖となっていただけに、その呪いは星々の産声にも似た響きをもって弾け、ちぎれ飛んだ。
恐怖により閉ざされていた、絶対なる心の表土が崩壊してゆく。深淵の底で目覚めたそれは大いなる慈愛によって浮かび上がり、デストシアの粋を結集し建造されたどの戦艦よりも力強く、そして大きかった。
ひとつ、またひとつと呪いの鎖が断ち切られ、そのたびに超新星の誕生を思わせる光が立ち登る。
闇は氷解し、砕け、影を失った。
銀河の彼方より光を差し、銀河の奈落から救い上げた絶大なる力は、小さなぬくもりであった。
その記憶、その鼓動。
血に濡れた手は、劣悪な環境にて生き抜いてきた炭素繊維を持つ外部因子を取り入れ、人工進化の果てに辿り着いた醜悪な形をしていた。
何十万本と言う繊維が、骨、神経、血管、筋肉を構成し、さらに外皮となってその身を覆っている。外敵から守るために酷使された体は何度も傷つき、再生されるたびに姿を変えていた。もはや原型を留めぬほどに再生を繰り返したそれは、生物と呼ぶことすら躊躇われた。
だが、その腕であると思われる部位に抱かれていたゼノンは、確かなぬくもりを感じていた。
なんと言う温かさであろう。
なんと言う優しさであろう。
なんと言う安らぎであろう。
頭部は変形し、返り血がしたたり落ちていた。
頬はちぎれ、骨が露出している。体には無数のパイプが貫通し、ガラスが突き刺さっていた。
脈打つたびに、大量の血液が流れ出る。尋常なる再生能力を持ってしても、追いつかない傷を負っていた。
声帯すら失っていたが、血と肉片に埋もれた奥からのぞく青い瞳は、冷酷な絶対零度を持つ宇宙の摂理からも自分を守ってくれる愛で満たされていた。
ゼノンはルシフェンヌの床で、見えない存在を胸に抱えながら涙を流していた。
痛みでもない。
恐怖でもない。
憎しみでもない。
大宇宙の存在に比べたら、なんと小さな消えてしまいそうにはかない愛であろうか。太古の昔に刻まれた記憶は数千年の時を越えていま、ひとりの少女によって目覚めさせられた。
その幼く華奢な指が奏でる悲しくも暖かな音色に、銀河を虐殺の渦に巻き込んだ歴史が塗り替えられようとしている。
「マ…マ」
ディアボロイドは解放されたのである。
〇
アイオレスは、倒れたベルフライの横で膝をついていた。
「アイオレスよ。これはなんだ」
ベルフライは何もない空中へ手を伸ばした。
「愛と呼ばれるものです。将軍」
「これが愛か」
アイオレスは降ろそうとしたベルフライの手を取ると、両手を彼の胸の上へと導いた。目を閉じ、静かにベルフライは流れる旋律を聞いていた。
「なんと悲しいものであろうか。こんなにも苦しいものを、なぜ人間は、なぜお前は求めるのだ。この愛などと言うものに比べたら、我々ディアボロイドが抱えている呪いなど取るに足らぬ。耐えがたいこの絶望感はどうだ。なぜこんなにも胸を打ち、身が焼かれるような気持ちを呼び起こすのだ」
「その気持ちが、人を動かす情熱となるのです。誰かを守るため、愛する者のために自らを焼くこの炎が、暗闇を照らす光として心を導くのです」
「その未来には悲しみしかない。アイオレス」
「その通りです。将軍」
かすかに開いたベルフライの目は、空高く雲を越えた宇宙までをも見据えていた。
「ゼノン皇帝は、我々ディアボロイドをこの悲しみから守って下さっていたのだ。どのような戦士であろうと、この悲しみには立ち向かえない。私の剣も、お前の愛に敗れたのだ」
「違います。敗れたのではなく、目覚めたのです。もう我々は戦う必要がないのです。剣に頼らずとも生きて行ける光を得たのです」
「この苦しみを抱えながら、生きてゆけと」
「だからこそ尊いのです」
低く、途切れ途切れではあったが、ベルフライから静かな笑い声がこぼれた。喀血を伴っていたが、純粋な軽やかさを含んだ笑いであった。
「見事だアイオレス。もうディアボロイドが戦う必要がないのであれば私は用済みだ。これからは、この星で得たお前の経験がデストシアに必要になる」
そう言うとベルフライは自らの胸を指さし、アイオレスの顔を見ながら目を閉じた。
「さあ、決闘を終わらせよ。そして宣言するのだアイオレス」
「将軍」
アイオレスは立ち上がると、両手を胸元にあててサーベルを掲げた。それにオセがならうと、その場にいたすべてのディアボロイドが続いた。
「我アイオレス・オーティアギス。この決闘を制し、デストシア帝国宇宙軍総司令官ベルフライ・マグの全権を継承する。これまで我らを導いた偉大なる戦士よ。英雄の名と共に眠りたまえ」
アイオレスは静かにサーベルを返すと、そのままベルフライの胸へと突き下ろした。
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