第10話 尋問

 異星人との接触から二週間が経過した。

 春日勇樹は、会議室の巨大パネルに映し出される交戦記録の映像を、ひとりで幾度も見続けていた。問題となった部分を切り取り、音声補正をしたものだ。

 異星人〝β〟が放った攻撃により、動揺した国防軍が一斉射撃を開始した場面である。火花と煙が、異星人〝α〟と〝β〟包み込む。激しい銃弾にさらされながら、異星人〝α〟が銃声にかき消されながらも自分たちに叫んでいた。

「やめろ、校舎の中に紫苑がいる」

 銃声のノイズのために不鮮明な部分があるが、異星人〝α〟は確かに流暢な日本語でこう叫んだのである。たった一言ではあるが、この一言が持つ意味は深い。〝彼〟と称するとして、なぜ彼がその言葉を発するに至ったのか、その経緯を導き出すにはあまりに情報が少なすぎた。けれども春日は限られたこの映像から、少しでも何かを知りたいと見続けているのである。

 長い溜息をつくと、脳裏に紫苑の叫びが蘇った。

「助けて! 助けて!」

 数年ぶりに聞いた紫苑の声は、燃え崩れる家の前で泣き叫んでいた時と同じであった。いまだ、彼女の時間は止まったままでいた。いや、それは紫苑だけではなく、自分も同じだと春日は暗澹たる思いに苛まれていた。

 春日は額に手を当てると目を伏せた。

 紫苑と泉は、検疫と激しいショックのために、国防軍の施設内にケアスタッフと共に安静に保護されている。美月も含め、自分の家族がこの案件に係わる事になるとは誰が想像したであろうか。

 過去に捕らわれ凍り付いてしまった自分たちの間に、彼と言う存在が現れたことにより、くさびが打ち込まれたのである。その亀裂によって、長年閉じ込められていた氷壁から解放されるのか。それとも、粉々に砕け散ってしまうのか。

 今まで背を向けていた現実が、審判の時を待ってついに自分の足元まで来てしまった。踏み出したその先に待っているものは、紫苑に押し付けてしまっていた闇の気がしてならない。それが自分に与えられた贖罪と言うのであれば、春日はどのような形であっても受け入れなくてはならないと覚悟していた。

 結局、自分は紫苑を救うことが出来なかった。紫苑は、私を許してくれるであろうか。そう心でつぶやいたとき、美月が静かに会議室に入ってきた。

 ついに運命の時が来てしまったのである。

「〝α〟の意識が戻りました」


          ○


 地下三階にある隔離エリアは、文字通りあらゆる侵入者を拒んでいるのか、耳が痛くなるほどの静けさに包まれていた。廊下に響く足音は見えない主の眠りを妨げる異物として、神聖なる場所に無断で入り込んだような気にさせられる。

 尋問をするにあたり〝α〟が自分を指名したと聞いたとき、春日は何か予感めいたものがあったため「そうか」と短く答えた。いぶかしげな眼を向けた美月に、「どうやら、父親としての責任を追及される事になるようだ」と苦笑した。

「まるで立場が逆だな。公私混同も甚だしいが、私は〝α〟と世界の命運をかけて個人的な話をしなくてはならないらしい」

「少佐」

「大丈夫だよ、美月くん。私は投げやりになっているわけでも、諦めているわけでもない。いままでのつけを払う時が来たんだ。なにが起きようと受け止める覚悟は出来ているよ」

 長い廊下の突き当り、二重の厚いドアをくぐりながら「もちろん、怖いけれどね」と春日は言った。


 隔離エリアの最深部は、室内の中央にモニターが埋め込まれた白いデスクに椅子と言った、二十名ほどが入れる程度の質素な作りであった。だが、明らかに他と異なる部分は、室内の奥窓に大きなシャッターが下ろされている事である。もちろん地下であるから、景色や雨風を遮る用途ではない。

 室内には恵庭基地指令の西村と副指令。端末を手にした白衣の技師が数名いるだけである。扉の外に石川准尉を残し、春日と美月が姿を現すと、顔を見合わせていた彼らが振り返った。

「遅くなりました」

 春日に返礼を返すと、指令の西村はしばし無言でいた。何かを言いたげであったが、困ったように白髪をなでるとシャッターへ向き直った。

「胃が痛くなるね」

「申し訳ありません」

「いや、少佐のせいではないよ。だが、この二週間うちの回線はパンクしっぱなしだ。ここは静かだが、今日も地上では地獄の蓋を開けたような騒ぎだ。私の電話も鳴りやまないので、電源を切ってしまったよ」

 西村は背を向けたまま、胸ポケットを指さした。その後ろ姿を横目でちらりと見やった春日は、自分も含めみんな疲れ切っているのだと実感した。

「まさか人類史上、異星人との初接触がこのような形で行われるとはね。アメリカでもロシアでも中国でもなく、この小さな島国で、世界を揺るがす大事件が勃発するとは皮肉なものだ」

「申し訳ありません」

 先ほどから「申し訳ありません」としか返さない春日であるが、「事」が大きすぎる故にほかに返答のしようがない。自分でもひどい返答だとわかってはいても、そんな余裕もないのである。もっとも、いまは誰もそんなことは気にしていない。すべての意識は、大袈裟なほどの重厚なシャッターの向こうに存在する主に向けられているのだ。

「私たちは、国防軍として国を守るのが仕事だ。少佐の判断・・・ではなかったな。戦闘が起こってしまった事はもう隠しようのない事実だ。だが少佐」

「は」

「攻撃命令を出さなかったのには、なにか理由があるのかね?」

「それは」

 言葉に詰まり、春日は答えることが出来なかった。

「少佐のお嬢さんが近くにいなかったとしても、同じ判断をしたかね?」

「そうしたと思います」

「それはなぜかね。現場でしか感じられないものが、そう判断させたのか。それとも、思うところが何かあったのか。報告書にあるように、、異星人〝α〟がお嬢さんと何かしらの接触があったことを、少佐はあらかじめ知っていたのかね?」

「いえ、もちろん知りませんし、私も驚いています」

「今回の件は政治的な大きな局面ではなく、もっと小さな、とても個人的な感情が広がり、否応なく私たちが飲み込まれてしまったように感じるのだ」

 再び喉を詰まらせた春日に、西村は「けして少佐を責めているわけではない。どのような理由や発端であるにしろ、避けられなかった事柄なのだ」と付け加えた。

「何にせよ、この大役は君に委ねられたのだ」

 無言でいる春日の肩に手を置くと、西村は技師たちに振り返った。それを合図に技師たちは端末を操作し、室内に重たい音が響く。

 沈黙を守っていたシャッターが開き始めると、分厚い強化ガラス越しに差し込んだ光が、周囲を青色に染め上げる。光と共に流れ込んだ圧力に、春日は見えない手で喉をつかまれたように身を固くした。

 シャッターが開かれるにつれ、取り巻く空気がひやりと冷たくなると同時に、重さをもって押し潰そうとして来るのである。誰もが固唾を飲んで身構えるなか、ついに〝α〟が姿を現した。

 円柱型をした医療用のカプセルには液体が注入されており、殺菌灯の光は青く、さながら巨大なアクアリウムを思わせた。だが、カプセル内に浮かぶ存在は、優雅な熱帯魚などと言う可愛らしいものではなかった。それどころか、この世の悪夢を具象化した存在なのであろうか。黒い異形の姿は天より舞い降りた、いや、地中より這い出てきた魔物のごとく、怯え、恐怖におののく人間たちをあざ笑うかのように冷たく浮かんでいる。

 あらためて間近で対面した春日らは言葉をなくし、体は硬直し息をするのも忘れていた。強化ガラスを超えて押し寄せる見えない圧力に、彼らは襲い来る現実を受け入れようと、硬直した足で必死で心と体を支えなければならなかった。

 一方、望むと望まざるに拘わらず、存在そのものが異分子として地球上のあらゆるものとの交わりを否定しているのか、反発しあう具象の力は結果として、その〝主〟の絶対的な支配として空間を包んでいた。酸素を供給するマスクから時折、小さな気泡があらわれる他には〝主〟は目を閉じて眠っているかのように動かない。

 だが、その全身から放たれるものは、見る者の皮膚を焦がすほどの空気となって絡みついた。捕食者としての性なのか、ガラス越しの人間たちひとりひとりを値踏みし、目の前で舌なめずりしている錯覚すら思わせた。

 その圧倒的な存在感は内なる生命力の表れとして、重傷を負っていたはずの肉体が回復する様によって証明されていた。

 多数の銃弾によって傷ついていた全身の皮膚は、目覚めた治癒能力により急速な代謝を繰り返し、鱗が生え変わるごとくはがれ、新しい皮膚装甲として再生していた。腹部を貫通していた刀傷は、緩やかに呼吸するたびにひきつれる様子を見せていたが、傷口はふさがっており今は内臓の修復にいそしんでいる。

 そして、大口径の銃器により腕が断裂するほどの穴が開いた右肩は、粉々だった骨がつながり、その周囲を筋肉繊維が覆いつつある。新しい血液が送られるたびに毛細血管が手を取り合って伸びゆき、心臓の鼓動にあわせて目覚める細胞の息吹を感じ取れるようであった。

 いまだ大きく傷ついた体ではあるが、見る者は痛々しい姿を感じるよりも、その内側より溢れ出る生命力と再生能力の高さに戦慄を隠せずにいる。

 異星人という存在だけでも十分すぎるほどの衝撃は、その人間離れした未知なる力を見せつけられる事により、受け止める者たちをより凍り付かせていた。

 物言わぬ主は、静かに時を待っている。

 実際にはわずかな時間でしかないはずが、もう数十分も硬直した時間が流れている気がしていた。汗でぬれたシャツで額をぬぐうと、春日は浅くなっていた呼吸を整えるために深呼吸を繰り返した。

 いま自分の背中に、多数の視線が突き刺さるのを感じている。皆が自分の言動を見守りつつ、不安を抱えながらも接触を促しているのである。

 春日は一度後ろを振り返り、それぞれの顔を確認したのち、最後に美月の瞳に送り出されて一歩を踏み出した。口内に張り付いた舌のような脚を引きはがし、強化ガラスまで近づくと震える手でマイクのスイッチを入れた。

 大きくふた呼吸おいてから、春日は接触を試みた。

「私は日本国防軍少佐、春日勇樹である。そちらの指名により、代表として来た。我々の言葉がわかるだろうか」

 そもそも、何度も見た交戦記録や指名を受けた時点で、日本語による意思の疎通が可能であることは分かり切ったことである。だが、実際に異質な異星人を目の当たりにし、日本語を話す姿を想像出来ないのも無理はない。

 数秒の沈黙が流れた。

 強化ガラスの向こうでは、取り付けられたマスクのためにくぐもってはいたが、規則正しい呼吸とときおり湧き上がる気泡の音だけが聞こえている。重たい空気に締め上げられ、耐えきれなくなった春日が反応を求めて再び口を開こうとしたとき、まるで呼吸を読んだように〝主〟が目を見開いた。

 春日は咄嗟に身を引き、誰かが小さく声を上げた。一斉に身を固くする気配が広がった。銃撃によるものか、まだ割れたままの装甲から露出した頬の奥から、青い目が春日を見返した。

「お前が、紫苑の父親か」

 声色は穏やかであったが、スピーカーを通してでも力強く相手の腹に響き渡った。また、その流暢な日本語もあり、異質な迫力はあっと言う間に人間たちの肝をわしつかみ、「おお」と悲鳴とも感嘆ともつかないざわめきが通り過ぎた。

「そうだ」

 異星人が日本語を発して接触をなしえた、という事実に押されて言葉の意味を遅れて理解した春日は、短く肯定することが出来なかった。また、もとより自分を指名した理由から推測すれば、目の前の異星人が紫苑と何かしらの接触を持っていたことは明らかである。だが、直接本人の口から娘の名を出され動揺を隠せない。さらには、人類と異星人との初めての対話が、このような個人的な形で始まるとは誰が予想したであろうか。それだけに、春日の受けた衝撃は少なくない。

「春日少佐。後ろにいるのは誰だ? なぜか紫苑と同じ目をしているな」

 春日が振り向くと、緊張した面持ちではあるが、しっかりした足取りで美月が一歩前に出た。

「私は中野美月。紫苑は私の姪にあたります」

「そうか、お前が。近い血縁の者は容姿が似るのだな」

 カプセルの中で青い目が揺れ、あらためて美月の姿を見やると何かを納得した様子であった。

 しばし見つめあう両者に、春日はあらためて美月の細い体に似合わない豪胆な内面に舌をまいた。緊張はしているものの気圧された感もなく、濡れた黒い目で見返している。この中で対等に渡り合えるのは美月だけではないか、と思いもしたが、春日は自分に与えられた使命を果たさなくてはならない。完全に先手を取られ飲まれている空気を取り戻すべく、強引にふたりの間に割って入った。

「私の質問に答えて欲しい。君は何者なんだ。なぜ紫苑と一緒にいたのだ。一体何の目的で地球に来たのか」

「お前たちが知りたいことは、答えられる範疇ですべて教えよう。だが、質問は一つずつにしてくれないか」

 大きめの泡が、吸気マスクよりこぼれた。

「君は何者だ」

 慌てたように春日が言う。

「それは私の種族についてか。それとも、私個人についての質問か。まあ、どちらの説明も必要であろうな。私の名は、アイオレス・オーティアギス。ディアボロイドである」

「ディアボロイド・・・?」

「地球で言うところの〝人類〟を指す名称だ。人間たちが狩りをして命をつなぐように、我々ディアボロイドも他の星に住み着く異教徒を根絶やしにし、奪われた地を取り返す形で繁栄を続けている」

「つまり、侵略ということか」

「狩られる側から見れば、そうかもしれぬ」

 アイオレスの存在を初めて認識した時から、考えなくはなかった話である。けれども異星人による侵略など、そんな骨董無形な話がすぐに消化できるわけもない。だが感情的なものを他所に、目の前にいる侵略者の存在が、いま地球という惑星規模に大いなる脅威となってのし掛かっているのである。

「だが、本来すべての宇宙、すべての銀河、すべての惑星、土地、水、空気、あらゆる資源、それは我々の物である。よって、不当に占拠している異教徒こそ侵略者である。我らディアボロイドは、そのような不浄の存在を浄化するための聖戦を何万年と続けている。この世から、すべての異教徒を葬り去り、我らの前に永遠の富を約束された楽園が開かれるまで」

「そんな、無茶苦茶な」

「信仰とは、外から見ればそのようなものだ。そこで、私はデストシア帝国軍にて白兵戦に特化した首都制圧部隊に所属していた。飛び道具ではなく、サーベルによって異教徒を斬首する、それこそが最大の慈悲であると信じ、数え切れない異教徒の首をはねてきた。戦士であろうが、なかろうが。生きている者は区別なく一匹残らずだ。我らの土地を汚す者はすべて根絶やしにしなくてはならない。異教徒には人権などない。捕虜、奴隷などという制度もない。必要ないのだ。神に与えられし土地を荒らす害虫は、この世から駆逐しなくてはならない。存在そのものが不浄なのである。天文学単位に及ぶ慈悲を与えられた魂は浄化され、我らディアボロイドとして生まれ変わり、誇り高き戦士として聖地奪還という聖戦の巡礼に加わるのだ。そして、取り戻された聖地は我らの手によって再開発され、惑星規模でのエネルギー、もしくは食料プラントとして生まれ変わる。水を吸いあげ、鉱石を発掘し、動植物をかき集めて合成食品として加工する。惑星内部のエネルギーはデストシア軍の動力源として摂取される」

 侵略の虐殺さを淡々と語るアイオレスに、人間たちは青ざめながら絶句していた。人類の道徳も文化も思想も通用しない。そこにあるのは、ディアボロイドと呼ばれる彼らの純粋な〝欲求〟だけであった。

「そんなことをしたら、星が死んでしまうわ」

 美月のつぶやきは誰かに向けられたものではなかったが、静まり返った室内では意外なほどに響き「その通りだ」とアイオレスは続けた。

「過去数千年に渡り、我らディアボロイドは数多の惑星を食い潰してきた。摂取した資源とエネルギーにより、デストシア帝国は繁栄し勢力を拡大させている。組織が大きくなればなるほど、それに比例した資源が必要になる。近年、拡大しすぎた帝国は資源不足が深刻化し、問題解決のためにより多くの聖地を必要とした。戦えば戦うほど、我々は肥大し飢えに悩まされるという餓鬼道へ陥っている。だからこそ、ディアボロイドはこの無限地獄から逃れるために、今日まで永遠の富を得られると言う楽園を探していたはずだった」

「さきほどから言っている楽園とは一体何の事だ。それに、はずだった、とは過去形なのか」

 問われたアイオレスは、今度は即答しなかった。目を伏せた彼は疲れてしばし眠ってしまったのか、それとも人間たちにどう説明すれば良いか思案しているのか、水の中で揺らぎながら無言を守っている。長い沈黙が続き、このまま対話が終わってしまうのかと、春日があらためてアイオレスに歩み寄ろうとすると再び目を開けた。

「地球だ」

「地球? ここが君たちの言う楽園なのか?」

「そうだ」

「どう言うことか説明してほしい。地球はそんなに大きな惑星ではないし、資源も無限にある訳ではない。ましてや、君たちディアボロイドがこの地球を」

「物質的なものではない」

 春日の問いを遮って、アイオレスは答えた。

「農学や食物連鎖、自然の摂理、輪廻の事だ。人間がこの地球という惑星で自然と共存している世界こそ、楽園であると気付いたのだ。デストシア帝国は、すべてが科学技術によって支えられている。ディアボロイドは生まれた時より機械に支配され、環境、大気、食料、知識、そしてこの肉体の進化までもが、帝国の科学文明によって構築されているのだ」

 カプセルの中で、アイオレスは人間たちに手のひらを見せると拳をつくり、また開き、手首を返して甲を向けた。鎧として機能している全身を覆う硬化質の皮膚もさることながら、手に存在する指などの各関節は、何重もの装甲によって構築されているにもかかわらず、人間と同じように精密かつ器用な挙動が可能であることが伺える。これらの肉体デザインすら人工的な進化の果てに成し遂げられた技術は、人間たちの想像を絶する超文明であった。

「だが、我々とて万能ではない。無から有を生み出すことはできず、また不死でもない。生きるには大量の水と食料が必要となる」

「君たちは地球を奪うのか」

「このままでは、いずれデストシア帝国軍が押し寄せるだろう。そうなれば地球上の主要都市は灰となり、自然は枯れ、海はなくなり、生物は合成食料の蛋白源として再生成される。水、食料、鉄鋼資源、そして惑星エネルギーをすべて吸い上げられ、文字通り地球は死の星となる」

「きみはさっき、地球はディアボロイドたちが探し求めていた楽園だと言ったが」

「そう。地球に限らず、楽園はいつも目の前にあったのだ。だが科学文明に頼り切り自然と共存することを否定し、殺戮と略奪を繰り返しているうちに、ディアボロイドは何も見えなくなってしまったのだ。目の前にどれほど尊い生命が紡ぐ輪廻の輝きがあったとしても、深い血の海に沈んだ我々の目には見えないのだ。なぜ見えなくなってしまったのか、その昔は見えていたのか。なぜ否定するようになってしまったのか、種の誕生から持ち合わせていなかったのか。それは我々も分からない。しかし、悪魔の化身と呼ばれたディアボロイドである私を、紫苑が目覚めさせ、気付かせてくれたのだ」

「紫苑が? いったい何をだね」

 カプセルの中の青い瞳は、ゆらゆらと光の反射を受けながら、春日を通してここにはいない誰かを探しているようであった。

 異星人。

 日本人でもなければ、地球人でもない。

 人ではない存在であるにもかかわらず、その瞳にやどる光は誰もが持つ痛みを含んでいる。少なくとも、カプセルと強化ガラス越しにたゆたう脅威なる存在から、現段階では危害を加えられる心配がないと感じた人間たちは、少しずつ彼の表情や心証を汲み取る余裕が生まれていた。

「愛だ」

 遠くを見ていたアイオレスの瞳が春日をとらえ、異形の者から紡ぎ出された言葉は短い一言であった。「愛」と言う一見陳腐な言葉ではあるが、誰もがその深い色合いに照り返す瞳から、人としての原始的な情熱を感じずにはいられない。そう、彼は紛れもなく人間としての心を持ち、愛と呼ばれる無形でありながらも、生きる為の理由として存在する尊い魂が育まれていたのである。それは種族を超え、互いの心の奥底に納められている生命の輝きを結びつけ、共鳴させることにより何万年という長き眠りから呼び起こされたのだ。

 ただの偶然か。

 それとも運命か。

 どちらにしろ、戦うことでしか生きられなかったアイオレスが、サーベルと共に燃え上がるたびに感じていた恐怖をいま、愛であると知ったために長きに渡る苦しみから解放されたのである。血に濡れた盲目な世界が晴れ、光り輝く生命に彩られた光景に包まれ開眼し、儚くも無限の輪廻に触れることにより、肉体の内側より細胞の一つ一つが大いなる恵みに歓喜し謳歌しているのである。

「皮肉なものだな。愛は私のような悪魔を地獄から救い上げる事もすれば、罪のない娘を暗闇に突き落とす事もする。私の扉は開かれたが、彼女のピアノはもう聞こえない。あの小さな体では、とても受け止めきれない悲しみに飲み込まれている。とても残酷だ。彼女はずっと苦しんでいた。いや、今も苦しんで」

「やめてくれ」

 春日はさえぎった。

「私とて、好きで紫苑を苦しめていた訳ではない。私にないものは与えられない。だからこそ新しい家庭を持ち、父として出来る限りの事はしたつもりだ」

「だが救えなかった」

「君たちのせいだ」

「では、我らが来なければ紫苑は救われたと?」

「そうは言っていない。しかし、少なくともこんな最悪な状況にはならなかった。私たちは望まない形で引き裂かれてしまったのだ。いまも紫苑の叫び声が耳を離れない。君に父である私の気持ちが理解できるものか。そもそも紫苑は」

 時間が止まっていた春日家は危ういながらも、ぎりぎりの所でバランスを保っていた。それがディアボロイドと言う大き過ぎる存在により断ち切られたのである。それは時間の問題ではあったのだが、春日は自分たちの傷を他人によって晒されたことが感情的に許せないのだ。さらには娘との関係が歴史を揺るがす大事件と結びついているために、春日自身も解決の糸口を完全に見失っていた。

「私は、紫苑の旋律を何度も聴いた。歌い、笑い、時には泣いた。その音色は数え切れない殺戮を繰り返し、夕日すらも血に見えていた私を目覚めさせたのだ。彼女の心を知るには」

 アイオレスは、カプセルの中で両手をあげた。

〝言葉が必要か?〟

 美月が軽く息をのんだ。

 動揺を悟られまいと無言でいた春日は、大きく溜息をついた。負けを認めたのだ。

「苦しんでいる娘を見て、平気でいられる親がいるものか」

「私はきっかけに過ぎない。遅かれ早かれ、私たちは紫苑を通してもう一度、自分自身に向き合う必要があったのだ。それによって得られるものもあれば、失うものもある」

「その代償が地球だと言うのか」

「父親であるお前には、娘と地球。その重さは天秤にかける必要すらもあるまい」

「極端すぎる」

 カプセルの中で、アイオレスが目を細めた。春日の肩越しに見ていた美月が、彼が笑ったのだと理解するにはわずかな時間が必要だった。

「比喩だ」

 無骨なマスクの奥から覗く青い瞳。嘲笑した様子であったが、それは彼自分に対してなのか、それとも人間たちに向けられたものかは分からない。だが、美月はまるで人間のようなアイオレスの言動に親近感を覚えると同時に、見てはならないディアボロイドの闇を覗き込んだ不安に駆られた。

 美月は背中に張り付いた冷たいものを引きはがすように、一歩進み出ると小声で「少佐」と声をかけた。目でうなずくと、春日はさらに重たい問題に踏み込まなくてはならないためか、大きな溜息をついた。

「紫苑の件も大切だが、それよりも今我々が何よりも先に向き合わなくてはならない問題がある。それについて、君にはたくさん教えて貰わなくてはならない」

「そうだろうな。私とて、第二の生を授けてくれたこの地球を失いたくはない。自分の立場を明確にするためにも、お前たちに与えられる知識と情報は提供しよう」

「協力してもらえると受け取って良いのかね?」

「そうだな。紫苑と地球には大きな借りがある」

 逆に言えば、それ以外の人間たちに対しては考慮されていないと言うことだ。けれども、紫苑を通した間接的なものではあっても、ディアボロイドであるアイオレスの力は人類にとって救いの糸である。

「少なくとも、私は人類の敵ではない」

「あなたは人間を殺しました」

 間髪を入れず美月が声をあげた。

「猟師のことか? 殺すつもりはなかった、と言っても納得はしてもらえないだろう。あのとき私は大怪我をしていたし、地球に落ちたばかりで混乱もしていた。確かにブラスターは向けたが、出力を押さえて眠ってもらうつもりであった。だが、ブラスターは故障しており発砲はせず、それを見た猟師が恐怖に撃ち返して来た、という経緯だ」

「猟師は、自分が所持していた銃の弾丸が頭部を貫通して死亡していました。あれはあなたがやったものでしょうか。そうであれば、一体どうやって弾丸を?」

 資料を熟知していた美月は、詳細な事柄をよく覚えていた。そして、これから人類の脅威となるディアボロイドの能力を知るために必要な尋問であった。

「手にしていたサーベルで弾丸を斬り飛ばしたが、運悪く跳弾し死亡させてしまった。不可抗力ではあるが、ディアボロイドである私は情状酌量が受けられるのだろうか」

「本当に弾丸を見切ったのか」

 アイオレスの皮肉に気が付かなかったのか、それとも無視したのか。美月の立てた仮説が証明され、春日はまさかという思いであった。

「きみは飛んでくる弾丸が見えるのか」

「さすがにそれは無理だ。我々とて限界はある」

「ではどうやって」

「経験則だ。銃口の向き、相手の呼吸を読めば、飛んでくる時間と射線を予測できる」

「理屈はわかるが」

「デストシア帝国軍にて、選ばれし騎士たちはみな卓越した剣技を習得している。弾丸を見切るなど基本技術のひとつに過ぎない」

「基本技術・・・」

「そう。我々ディアボロイドは、太古の昔より戦うためだけに進化を続けた種族だ。生まれた時より訓練され、極限にまで鍛え上げられる。他種族を一匹残らず殺戮することが使命であり、生きている理由なのだ。兵士一人の戦闘能力、そして軍事兵器の技術水準。デストシアは絶対的な力を持って、この銀河に君臨している。そんな帝国軍に、この地球の存在が知られてしまった。どうする、人間たちよ」

 あまりに勝手な言い種ではあったが、現実を突きつけられた春日らには、それが冗談か皮肉か、または自虐なのかなど腹を立てる余裕もなかった。

「映像を見る限り、君たちは敵対していた。宇宙へ離脱したあれは、君の仲間なのか」

「かつては、私の上官であった者だ。彼は将軍ベルフライ・マグ。長きに渡り、銀河の星々を侵略するために、何百万という軍勢を統率しているデストシア軍の長だ。私は彼をデストシアに帰すことを阻止するために、命を懸けて戦ったが」

 アイオレスは肩の傷口に手を当てた。

「叶わなかった」

 春日は言葉を飲み込んだ。彼の責任ではないとしても、人間たちがアイオレスの邪魔をしてしまったのは事実なのだ。そのために、今人類は最大の窮地に立たされているのである。また、アイオレスも人間たちを責めている様子はなく、自責の念にかられているかに思える。

「君たちは、いや彼らは来るのか? この地球に」

「来る」

 アイオレスの答えは短かった。

「腹をすかせた獣の前に、極上の獲物を置いたらどうするだろうか? それに、大きくプライドを傷つけられた手負いの獣だ。戦士として、一切の手加減なく潰しに来るだろう」

 思わず歩み寄り、春日は分厚いガラスに手をついてアイオレスと顔を突き合わせた。お互いの心の内にあるものは、「愛する者を救いたい」と言う切実な思いである。

「異星人との侵略戦争など、冗談ではない。教えてくれ、我々は彼らにどう立ち向かえば良いのだ。有効な防衛手段はあるのか」

「基本的には、まずは成層圏から巨大戦艦による長距離攻撃が行われる。世界中の主要施設を破壊し、あらゆるネットワークを遮断して麻痺させるためだ」

「核ミサイルは有効なのか」

 しばしの沈黙が答えであった。アイオレスはカプセルの中で瞳を閉じ、なにかを思案しているようでもあり、残酷な運命をたどるであろう人間たちを憐れんでいるようでもあった。

「艦隊総旗艦ルシフェンヌは、小惑星ほどの大きさだ。仮に核ミサイルが直撃しても破壊はまず不可能だ。大戦艦級にはシールドが張られ、さらには地上から飛んでくるミサイルはすべて迎撃される。デストシア軍の戦艦を破壊するには、白兵戦を仕掛けて内部から爆破するか、乗っ取って同士討ちをさせるくらいしか方法はない」

「そんな事が可能なのか」

「お前たち地球人が宇宙戦艦を所有し、かつディアボロイド相手に白兵戦にて打ち勝つことが出来れは可能だろう」

「ヒグマを即死させ、弾丸を打ち返す相手にか。そもそも、地球に宇宙戦艦など存在しない」

 ガラスを叩きつけた鈍い音をきっかけに、誰もが言葉を失った。もはや人類に対抗する術がない事を告げられたのである。それは地球にとっての死刑宣告であった。氷の刃に喉を掻き切られたのか、絶望すら凍り付いた人間たちは慟哭の声をあげることすら出来ない。膝をついてしまいそうな足を叱りつけ、春日は最後に残された頼みの綱にすがりついた。

「彼らは、いつ地球に来るのか」

 あらかじめ予想していた事だったのか、すでに計算していたアイオレスの返答は冷たかった。

「三か月後だ」

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