第9話 愛と忠義の狭間

「なんですって」

 片耳を押さえながら美月が叫んだ。

 異星人〝α〟の発見がままならない状況で、国防軍内にて疑心と焦燥が限界にまで高まっていた時の事である。

 飛び込んできた情報に、美月は自分の耳を疑った。

「どうした」

 依然として〝α〟の行方が知れず、あらたな方針を思案していた春日は、声をあげた美月に腰を浮かせたのである。

 なにか重大な事が起きたのだ。

「二体目が、出現しました」

「情報をまわして」と指示した美月は、震える手で通信を切ると、そう春日に向き直った。

「二体目って、例の飛翔体がまた落ちたと言うのか」

「そうです。しかも、今度の反応は前回より大きなものです。いま情報が来ます」

 言い終わる前に、石川准尉が受け取ったデータを会議室の巨大パネルに表示した。

 数秒の映像ではあるが、夕日を照り返す支笏湖の上空に、強烈な光が映し出されていた。それはすぐに収束し、赤い線となって風不死岳方向へと流れつつ姿を消した。

 映像の後に、三次元化された北海道周辺地図が立ち上がり、上空の出現位置と発生した熱量が視覚化されて表示される。

「凄まじいエネルギーです。瞬間的に空間が歪んでいます」

 喉が張り付き、うるおすことも忘れ、美月はかすれた声のままパネルを食い入るように見つめる。

「なにが起きたって言うのだ」

「春日少佐、これが偶然であるはずがありません」

 会議室のサブモニターには、対策室や捜索隊などの映像も流れており、誰もが右往左往する大混乱である。指示、要請、怒鳴り声。いまも春日のイヤホンモニターには数々の無線が鳴り響いていた。

「何らかの理由で、異星人〝α〟に仲間が接触してきたと言うことか」

「その可能性が高いと思われます。状況から察するに、飛翔体を失った異星人〝α〟の救出に現れた、と考えるのが自然ではないでしょうか」

 額に手を当てた春日は、パネルをにらんだまま美月に聞いた。

「救出に成功したとして、彼らはそのまま帰ると思うかね」

「一時的にはあると思います。ですが、新しい土地と資源を発見した者が取る行動は、いままで何度も歴史が証明しています」

「くそ」と春日は床を蹴りつけると「あらたに現れた異星人〝β〟の着陸地点の割り出しを急げ。そこに〝α〟もいるはずだ」と声をあげた。


          ○


 銀杏並木に囲まれた木造建ての校舎を侵食するように、あまりに異質な輸送艇が中庭に鎮座していた。

 いまだ熱を放っている輸送艇より、一瞬にして、すべてを飲み込んでしまう圧倒的な存在感が降り立った。

 巨大な体躯、紅蓮の皮膚装甲、そして頭部より空をも貫きそうな角。漆黒のマントからは長いサーベルが覗き、堂々たる風情は騎士の象徴を体現化したものに思えるほどである。

 空から飛来し、アイオレスの前に姿を見せたのは、デストシア銀河帝国軍の先鋭部隊。七万名のディアボロイドにより構成され、白兵戦に特化した主郭制圧部隊、デストシア騎士団隊長・将軍ベルフライその人であった。

 それがいま、地球の大地に降り立ってしまったのである。重さを感じさせず、ベルフライは悠然とアイオレスの前へと歩み寄った。

「アイオレス、無事であったか」

「将軍」

 サーベルに手を置くと、アイオレスは一礼した。

「死亡認定を受けたものとばかり思っておりました。まさか、ベルフライ将軍直々に救出に頂けるとは」

「大切な部下をないがしろには出来ぬ。こうして、無事に見つけることが出来てなによりだ。よくぞ生き残ったアイオレス」

 これはベルフライの本心ではあるのだが、その裏に皇帝ゼノンよりアイオレスを監視するという勅命を受けていたことも事実である。

「幸運が重なり、今日まで生き恥を晒しておりました」

「何を言う。負け戦でもあるまいし、お前が負い目を感じる必要などあるものか。そう感じるのであれば、生きてこそ成しえることがあるであろう」

「は。しかし将軍、よくわたしの場所が」

「あのとき、わたしもお前と一緒に次元の狭間に飛ばされてしまったのだ。だが幸いにも、すぐ本隊へ戻ることが出来た。そこで飛ばされた大体の方角を頼りに、お前を探していたのだが時間がかかってしまった。許せよ」

「将軍おひとりで」

「お前を飛ばしてしまったのは、わたしの責任でもあるからな」

 であるならば、ディアボロイドのなかで地球の存在を知っているのは自分と、目の前のベルフライだけである。そうアイオレスは考えずにはいられない。それが何を意味するのか、あまりに重い決断にアイオレスはひしひしと押し寄せるプレッシャーを感じていた。

「それにしても」

 アイオレスの肩に手を置いたベルフライは、日が沈み、紫色の燐光を残した地球の空を見渡した。

「こんなにも、資源が豊富な惑星など滅多に見られぬ。お前の事故は不幸であったが、こうして素晴らしい星を発見出来たことは、類まれな幸運である。わたしも過去にこれほど豊かな惑星を見たことがない」

 海から吹いてくる風に、アイオレスは微かに潮の香りを感じていた。地球における生命の母となる存在。その香りの中に、アイオレスは遠い記憶を呼び起こされるようである。

 だが、その風は急に湿り始めていた。

「わたしも、この星の事を調べました。地球と呼ばれ、原住民と自然が共存し、惑星そのものと一体となることで生命を育んでいるのです」

 しばしアイオレスの顔を無言で覗き込んでいたベルフライは、なにかを感じたように目を細めた。

「人は、この地球と自然から大きな恩恵を受けて、永遠に紡がれる命の輪廻と共に生きているのです」

 もっと他にやりようもあったはずである。

 だが、突然のベルフライの来訪にアイオレス自身、気持ちの整理もつかぬまま対面してしまったのである。一度流れ出てしまった想いは止めることが出来なかった。

「その自然と共存するという英知は、我々ディアボロイドを救う希望なのだと、身をもって痛感しました。太陽、海、水、風、そして大地。これらが、それぞれの調和のもとに生命を育むのです。この世に生を持つ者は、自然と共に歩まねば生きては行けないのです」

「アイオレス。一体なにを言っている」

「その本質をディアボロイドが学べば、我々はこの永遠の苦しみから解放されるのであります。お聞きください、ベルフライ将軍」

 地平線に太陽が沈み切ると、急に夜の風が雲を運んできた。揺れる銀杏の葉は、本来であれば夏の到来を思わせる柔らかなものであったが、今夜に限っては、ざわざわと冷たい気配を感じさせた。

「わたしは、この惑星に墜落して一度死に、そして新たに生まれ変わったのです。その時に、あらゆる地球の恩恵を与えられ、心身ともに開眼したのです。自然と共存すると言う、デストシアの超科学を超える英知。共に生きるために、人間の持つ慈しみと呼ばれる心をです。それを学べば、我々ディアボロイドは救われるのです」

「アイオレス」

 湿った風が、黒雲を運び込んでいた。

 冷たくなった風が、ふたりを包み込む。

「我らディアボロイドは、異教徒より聖なる大地を奪還することによって救われるのだ。そのようなこと、今更お前に説く必要もなかろう。今までも、数々の星からサーベルによって救いが得られたではないか。そしてこれからも。お前の言う、この地球と呼ばれる惑星からにもだ」

「そうではありませぬ将軍。我々ディアボロイドは、すべてを食い潰す永遠の餓鬼道に陥っているのです。わたしは自らの手で生命を育むことが出来ました。ほんの小さな命ではありますが、寄り集まれば大きな力となります。それは、デストシア帝国とは真逆の信仰なのです。他者から力ずくで奪うという蛮行を続けている限り、ディアボロイドは未来永劫自分で自分の首を絞め続け、いづれは崩壊へ道をたどることになります。わたしは同胞を、ディアボロイドである眷属を救いたいのです」

 ぽつり、ぽつり、と雨が降り始めた。

 湿った風と雨により、銀杏の木々たちが冷たい音を奏で始める。

 微動だにせずアイオレスの話を聞いていたベルフライは、しばし無言でいたが何かを諦めたように目を見開いた。

「この素晴らしい惑星を解放するため、すぐにでも本国へ連絡を取って艦隊を召喚しようと考えていたが。アイオレス、お前はどうやら混乱しているようだ。まあ無理もない。わたしと共に、一度デストシアへ帰還しないとならないようだな」

「なりませぬ」

 アイオレスは鋭く言った。

「このまま、わたしも将軍も、デストシアへ帰ることはなりませぬ」

「なぜだ」

「わたしは」

 本格的に降り始めた雨は、あっと言う間にふたりを、そして古びた校舎を抱える中庭を濡らし始める。雨色に塗り替えられた廃校は、重たい景色に飲み込まれた。

「約束したのです。紫苑を守ると」

「ほう」

「ディアボロイドからすれば、この地球はまさに理想とする資源豊かな魅力的な星に映るでしょう。であるならば、大軍をもって押し寄せることりなります。そうなれば海は干上がり、森は焼かれ、多くの人間が虐殺されるでしょう」

「そうだな。いままで、お前が数多の異教徒を葬ったように」

「その通りです。だからこそディアボロイドは、それら負の連鎖を断ち切らなくてはならないのです。この地球を守ることによって、自然の英知を学ぶためにも」

 雨脚は強まり、葉や地面に打ち付ける音が大きくなった。

 それはまるで、これから行われる出来事に対して空が泣いているかのようである。

 遠くで雷鳴がとどろいた。

「なればこそ、将軍をデストシアへ帰還させるわけには行かないのです」

「アイオレスよ。さきほどから、お前は自分が言っている意味を理解しているのか。いや、どうやら、すべてを理解した上で言っているのであろうな」

 打ち付ける雨の合間を縫って、雷光がふたりの姿を浮かび上がらせる。お互いのマスクの奥に光る目は、さきほどから固く結ばれて瞬きすらしない。

「お許しください、将軍。わたしには果たさなくてはならない約束があるのです。この美しい星にて、ひとり孤独を抱えている少女を騎士として守らなくてはならないのです」

「それは、我らデストシア帝国の冷厳なる信仰に背いてまで、果たさなくてはならないものなのか」

「左様であります」

「アイオレスよ、なにがそこまで、お前を突き動かすのだ」

「それは」

 ベルフライは両手を下げたまま、アイオレスの目前で雨に打たれている。間合いはどちらも同じだか、初めからアイオレスは右足を一歩踏み出していた。

 左足が完治していないだけに、無理な動きはできない。だが、居合抜きにて一撃を打ち込むことは可能である。

 最初の一撃にて、ベルフライを撃ち倒せなければ、すべてが終わる。自分は裏切者として斬首され、地球にディアボロイドの艦隊が押し寄せるであろう。

 アイオレスはいま、最大の選択を迫られていた。

 だからと言って、紫苑との約束を反故にする気はない。であるなら、必然的に進むべき道は決まっていた。あとはアイオレスの気持ち次第である。

 不意打ちなど、騎士道の風上にも置けぬ。だが、アイオレスは手段を選んではいられない。たった一度の斬撃を成功させなければ、いま立っているこの大地、降りつける雨、その空をも失うことになるのである。それほどまでの危険を冒してまで、アイオレスが成さなくてはならない理由、それは。

 それは。

「愛」

 全身全霊を込めた一撃である。

 いや、地球上のすべての命を懸けた一撃であった。

 愛などと言ったら、紫苑は笑うであろうか。だが、アイオレスはデストシアを裏切ってまで刃を向けなくてはならない動機、想い、情熱を表現する言葉を他に知らなかった。

 地球にて与えられた力、大地の恩恵。

 紫苑と共に過ごした光り輝いていた日々。

 そして、彼女と交わした心。

 紫苑の弾くピアノの音色。

 弾かれた旋律によって呼び起こされた涙。

 それは、アイオレスが人としての心を持った瞬間でもあったのだ。アイオレスはこの地球で死に、生まれ変わり、人間としての生を受けたのである。

 そう考えるのなら、彼が人として地球を守る意思を持ったとしても、なに不自然ではない。ましてや、自分に人としての目覚めを与えてくれた少女を守るためであるのなら。

 アイオレスは騎士なのである。

 これら様々な想いが鞘走るサーベルへ込められ、アイオレスは地球そのものを乗せてベルフライに斬撃を叩き込んだのである。

 両者の間に雷が落ちたかに思えた。

 激しい衝撃にアイオレスは肩までしびれ、視界を覆うほどの火の粉が飛び散った。それは叩きつける雨と風に流され、アイオレスの視界には鍔迫り合いになったベルフライの顔が現れた。

「愛、とはなんだ」

 声色は静かであったが、マスクの奥に灯るベルフライの目には憤怒の炎が吹き荒れていた。

 失敗した。

 この惑星に存在する、あらゆる生命の祈りを込めた希望の光は、ベルフライがいつ抜刀したのかも見えないほどの剣技によって、いとも簡単に受け止められてしまったのである。サーベルを抜いてしまった彼を前にして、アイオレスは絶望に膝をつくことすら許されない。

 すでに刃を交えてしまったのだ。

 それが、どんなに低い可能性であっても、アイオレスはこの場でベルフライに勝たなくてはならないのである。自分が倒れてしまえば、すべてが終わる。アイオレスは自らの死をもってしても、ディアボロイドの侵略を止めることが地球の騎士としての役目であり、紫苑との約束であると考えていた。

「愛とは、わたしを動かす情熱の証」

 暗闇に、再び閃光と激しい刃鳴りが響き渡る。

 押し返されたアイオレスの足元に、強烈な唸りをあげてベルフライのサーベルが襲い掛かった。最初の一撃で、すでにアイオレスが左足を怪我していることを見抜かれていたのだ。

 とても受け切れないと判断したアイオレスは、左足の外側にサーベルを地面に突き立てて防いだのである。それでも全身に衝撃が襲うほどの質量を持った攻撃であった。

 そのときアイオレスは、改めてベルフライの戦士としての力量の違いに戦慄せずにはいられなかった。力強さに、速度、そして正確さ。どれを取っても神の祝福、いや敵となったいまは悪魔の寵愛を受けたような残酷さを持つ強さである。

 自分が技術的に勝っているものは何一つない。唯一の可能性であったスピードによる一撃も、完全に手の内を読まれ防がれてしまった。

 もはや勝ち目はない。

 全身を絶望が包み込もうとするアイオレスは、地面よりサーベルを引き抜いて振り払った。勝てる見込みがあるとすれば、それは紫苑を守りたいと言う気持ちだけである。

 この瞬間も、校舎の中でひとり恐怖に怯えているのかと思うと、アイオレスの胸の内に眠っていた炎が目を覚ます。それを皮切りに、両者の間に凄まじいサーベルの応酬が交わされた。

 考えてみれば、アイオレスは常に戦場にて自分を燃やし尽くすほどの場所と相手を求めていたのである。心の底に見え隠れしていた激しい「それ」は、たったいま明らかに愛として自覚し燃え上がったのである。であるのなら、愛する者を守るために最大の障害となっているベルフライに対し、アイオレスは長いあいだ眠っていたものを解放したのである。

 おおお、と言う獣のようなアイオレスの咆哮に、ベルフライも呼応し両者はすべてを焼き尽くす炎となって激突した。

 雨が打ち付ける暗闇に、まばゆい閃光が走り、火花が飛び散るたびに雨に濡れた両者の姿が浮かび上がる。自らの一部となったサーベルは、考えるよりも早く相手の急所を狙って襲い掛かり、唸りをあげて喰らいつく。

 魂を込めた一撃を放ち、突き、薙ぎ、払い、また放つ。

 刃鳴りが止まぬ前に次の斬撃が交わされ、暗闇に浮かぶ赤いサーベルは音速を超えて襲い掛かる。視覚で認識するよりも早く体が反応し、常識を超えた速度による攻防が繰り広げられた。

 かつて同志であった者が、お互いに信じるもの、守るべきもののために決別し刃を向けあう。その悲劇は他のディアボロイドに見届けられることもなく、信頼しあっていた両者の悲痛なる想いは轟々と放たれ渦巻く炎に飲み込まれていた。いまあるものは胸の奥、心の底から無尽蔵に溢れ、すべてを燃やし尽くさんとする激情のみであった。

 一撃、一撃とぶつけ合うたびに燃え上がり、ふたりは灼熱の想いに駆られ突き動かされていた。

 雨をも蒸発させ、サーベルが焼ける匂いに包まれながら、一体どれだけのあいだ撃ち交わしていたであろうか。お互いに強敵であると認め合い、命を懸けながら続いた攻防も少しずつ均衡が崩れ始める。

 技量もさることながら、両者がぶつけ合っていた「それ」の性質そのものが違っていたからである。

 アイオレスが戦場にて抱えていた魂の渇きと激情の炎は、戦いにおいて満たされるものではなく、また彼自身そのことに気が付いてはいない。

 ともすれば、必然的に勝敗は決することとなる。

 無謀な賭けであったのだろうか。

 否、勝ち負けではなく、アイオレスは今自分がやらなくてはならないことに従ったまでである。それは勝負などという小さな事柄ではなく、地球という星で芽生えた人としての感情に開眼した目覚めなのであった。

 だが、現実問題としてアイオレスを突き動かす「愛」は、幾千もの火花をかき分けて襲い掛かる獰猛な斬撃に、残酷にも打ち破られようとしている。

 強烈な力と勢い、そして正確さ。

 一切の無駄もなければ、隙もない。

 ベルフライの斬撃は、赤い死の象徴として容赦なくアイオレスを包囲する。背中を追いかけていた存在が正面に立ちはだかった今、アイオレスは初めて彼に撃ち倒された者たちの圧力を味わっていた。

 あまりに大きく、そして強烈であった。

 悪魔が憑依したような底知れぬ力の前には、どのような攻撃も無意味だと思わせる絶望が立ちふさがる。折れてしまいそうになる心を必死で支えているが、自分が斬撃を放つよりも攻撃を受ける頻度が増していた。

 アイオレスとて、ディアボロイドの中でも卓越した精神と肉体、そして技術を持った騎士であるが、今回ばかりは最大の壁に阻止されつつある。そのすべてを叩きこまれたベルフライが相手とあっては、一流の騎士であるアイオレスも攻めあぐねていた。

 いまなお吹き荒れる炎も、さらなる巨大で高熱を誇るベルフライの熱量に溶かされようとしている。

 右から左から、一本しかないはずのサーベルが同時に多方向より襲い掛かる。斬り上げられる攻撃を防いだ瞬間には、すでに首筋を狙った赤い光が頭上より迫っていた。

 サーベルを弾いた衝撃を流す暇もなく、アイオレスはベルフライの暴風雨を思わせる斬撃に飲み込まれていた。

 全身という全身がきしみ、体の奥底へとダメージが蓄積する。宇宙で最強の硬度を誇る金属から生成されたサーベルが、今にも折れてしまいそうな悲鳴をあげる。

 地球で再生し、新たな力と肉体を手に入れたアイオレスであったが、それでもなお絶対的な存在であるベルフライの剣術には及ばない。

 致命傷ではないが、避けきれない攻撃がアイオレスの皮膚装甲を傷つけ始めていた。

 弾いたはずのサーベルが反動を利用して宙で向きを変えると、一直線にアイオレスの首筋を突き抜ける。咄嗟に首をひねったものの、アイオレスは左頬を突かれ、装甲が割れると鮮血が飛び散った。

 そのまま横に首を落とそうとするベルフライのサーベルを払い上げると、両者は再び鍔迫り合いとなって視線を絡ませた。

「アイオレス。言ったはずだ、選択を間違えるなと」

「わたしは、自分の気持ちに従ったまでのことです」

「一度たりとも後ろ指を指された事のないお前が、異教徒の地でディアボロイドの誇りと信仰を忘れるなどと」

「忘れた訳ではありません。わたしは、それよりも大切なものを学んだのです。それは我らディアボロイドを救う英知なのです」

「世迷言を」

 ぎらりと目の奥を冷たく光らせたベルフライは、鍔迫り合いから刃を滑らせて、火花を散らしながら強引にサーベルを押し込んだ。

 圧力に耐えられなくなったアイオレスは、全身を使って押し返すと圧力を逃がすように体を入れ替えた。だが、そのタイミングを読んだように、一瞬の死角から飛んできた刃先がアイオレスの左肩を切り裂いた。

「失望したぞ、アイオレス」

 痛みに反応が遅れたところに、ベルフライはさらなる攻撃を被せてくる。濡れた地面を踏み鳴らし、黒雲を切り裂く雷光と呼応するような激しい斬撃が、息をつく間もなく叩きつけられる。

 両手で受け止められなくなったアイオレスは防戦一方となり、やがてサーベルを持つ手も痺れ、飛び散る火花に押されるように壁際へと追い詰められた。

 そして、足元から振り上げられた一撃にサーベルを弾き飛ばされ、大きく空いたアイオレスのわき腹に赤い刃が貫通した。

 

          ○

 

 紫苑からの着信が鳴ったとき、春日は確信に近いものを感じていた。いつもはテキストのメッセージにもかかわらず、このタイミングで電話をかけてきたのである。春日は電話をスピーカーに接続し、通話ボタンを押すと会議室に紫苑の声が響き渡った。

「パパ、助けて」

 それは絶望にまみれた悲鳴に近かった。

 心からの慟哭に、紫苑が泣き叫んでいる。

 春日の脳裏に、火事を目の前にした紫苑の姿がよみがえった。

「紫苑、紫苑なのか。いったいどうしたんだ」

 会議室に響いた紫苑の悲鳴に、美月は「紫苑」とスピーカーに向けて顔をあげた。彼女の声を聞いたのは何年振りであろうか。記憶にあった、やわらかな鈴の音を鳴らすようなものではなく、無理に絞り出した声は胸を引き裂かんばかりの悲痛な声色であった。

「殺されちゃう、アイオレスが殺されちゃう」

「紫苑、落ち着け。大丈夫だ、パパが助けてやる。今度こそ、パパが助けてやるから」

 過去が交差し、現在の時間とつながった。

「空から来たあいつに、殺されちゃう」

 春日と美月は、愕然として顔を見合わせた。

 予感が的中したのである。

 まさかこの案件に、自分たちに一番近い存在である紫苑が関係していたなど想像もしなかったであろう。紫苑の通話から位置を特定した石川准尉が、会議室の正面パネルに座標を映し出しだす。それを見た美月が声をあげた。

「廃校になった、銀杏ヶ丘中学校です」

「すぐそこじゃないか。手続きは後だ、待機させている部隊を急行させろ」

 言い終わる前に美月は襟もとに向かって指示を出していた。

 春日はふたたび電話を抱えると、紫苑へ向けて言葉を放つ。

「紫苑、いますぐパパが行くから待っていろ。必ず、お前を救い出してやるから」

 春日は会議室を飛び出した。

 

          ○

 

 皮膚装甲が砕け、背中から突き出たサーベルはアイオレスの背にある校舎の壁をも貫いた。

 両者は、激しく打ち付ける雨に濡れた額を突き合わせた。

「アイオレス」

 ベルフライは繰り返した。

「なぜだアイオレス」

 体を貫いたサーベルから、その怒りと悲しみが灼熱の痛みとして伝わって来るようであった。焼けたサーベルに雨が蒸発し、血の焼ける匂いが交じる。

「愛などと言うもののために、アイオレス。お前がここまで変わろうとは」

 わき腹を貫かれ、焼ける痛みに苦しみながらも、アイオレスは偽りのない自分に長い間抱えていた暗い霧が晴れた思いであった。

「愛を知らぬ者に、それを説くことは出来ませぬ。将軍」

「ディアボロイドの誇りを忘れるのであれば、それは忌むべきものでしかない。我々はデストシアの戦士として死ぬことが神への忠誠の証なのだ。そうすることにより、戦場にてサーベルと共に絶対的な幸福を約束されているというのに」

「それはすべてを管理され、自分という存在を持つことを許されない欲望を誤魔化すための幻想に過ぎません。ディアボロイドは本来持つべき人としての尊厳を奪われた兵士、まさに心を奪われた人形なのです」

 サーベルの柄が突き上げられ、体をえぐられ苦痛に喉を鳴らすも、アイオレスは決してベルフライとの視線を外さなかった。

「聞けアイオレス。デストシアは忠誠を誓い、信仰の証を示した者にはすべて平等である。それが、この銀河の覇者たる我々ディアボロイドを幸福にするシステムだからだ。ゼノン皇帝は未来永劫、我々を導くために楽園を追い求めているのがなぜ分からぬ。迷うな、振り向くな、信じるのだ。究極の幸せのために」

「デストシアは、信仰という虚像の上に築かれた幻でしかありません。もし仮にゼノン皇帝がいなくなれば、我々はどうなります。絶対的な信仰による意思統一が崩壊し、ディアボロイド同士は殺し合い、デストシアは滅びるでしょう。その証拠に、我々はドグマシステムによって強制的に同志討ちを回避させられ、サーベルによる決闘が禁じられています。それは愛があれば、すべて不要なものなのです」

「愛など知らぬ」

 サーベルを引き抜かれたアイオレスは、濡れた地面に投げ飛ばされた。焼けた傷口に冷たい泥が染み込む。雷光により浮かび上がったベルフライは、サーベルを逆手に横たわるアイオレスに歩み寄った。

「すまない紫苑。きみとの約束は守れそうもない」

「それが遺言か」

 闇夜に赤く揺れる光は、ベルフライの心情を吐露する様にも見えた。

「お前ほどの騎士ともあろう者が」

 お互いに、もはや分かり合える余地を見失ったのか。両者の間には、激しく打ち付ける雨音と雷鳴だけが交わされていた。

「無念」

 それは、どちらの台詞であったのか。

 そして、ベルフライがアイオレスに最後の別れを告げるために、高々とサーベルを掲げた時である。

 闇夜を突如、風を切る爆音とまばゆい光が支配した。上空に出現したヘリコプターから、強烈なサーチライトが降り注ぐ。それに呼応するように、地上からも目も眩む光がベルフライとアイオレスを包み込んだ。

 気が付けば、両者は大勢の国防軍・恵庭基地の部隊に取り囲まれていた。サーチライトの逆光の下で、無数の銃器が反射する。

「この星の異教徒どもか」

 舌打ちしたベルフライが顔をあげた。

 周囲を火器を持った部隊に囲まれているというのに、軽く首を振っただけで意に介していない様子であった。

 一方、国防軍は前代未聞の異星人との遭遇に、極度の緊張状態にあった。その存在を資料と共に聞かされていたとしても、実際に地球外生命体の存在を目の当たりにして冷静でいられるはずもない。

 さらに、ひとりは地面に倒れ、ひとりは今にも振り下ろそうとサーベルを掲げている。

 急行した部隊は何が起きているのかも分からず、状況から察するに彼らにとっても、また駆け付けた自分たちにとっても、望ましい状況ではない事だけは確かなようだ。

 この場を支配する不穏な空気に、緊張はますます高まるばかりで、いつ思わぬ事態に発展するかと隊員の誰もが固唾を飲んだ。

 そのタイミングを狙ったように、静かにサーベルを下ろしたベルフライは、マントの内側に手をやると腰からブラスターを取り出したのである。

 それにいち早く反応を示したのはアイオレスであった。

 ベルフライの取り出したブラスターが最高出力に設定されていたのを確認したからである。本来であれば、サーベルにて白兵戦を仕掛けるのが最大の慈悲でもあるのだが、その価値すらもないと判断し、ベルフライは取り囲んだ国防軍を一斉に吹き飛ばそうと考えたのである。

「よりによって決闘の邪魔をするなど」

 目もくらむスポットライトと無数の銃口を向けられながらも、ベルフライは歯牙にもかけない優雅な動作でブラスターを構えた。未知なる存在が、自分たちを意識して銃口を向け返した姿に動揺が走り、国防軍の光を反射する銃器が揺らめいた。

「異教徒どもめ」

「なりませぬ」

 ベルフライがトリガーを引くのと同時に、アイオレスがその腕に飛び掛かる。両者はもつれ合いながら地面へと転がった。

「邪魔をするなアイオレス」

 ブラスターの銃口が国防軍の部隊から外れると、最大出力のビームが闇夜を切り裂いた。赤色の閃光は地面をえぐり、周囲にある銀杏の木々を蒸発させ、ビームの残光が校舎の一部を吹き飛ばすと、あっと言う間に炎が広がった。

 砕け落ちるガラス。炎に包まれた木材が次々と降り注ぐ。

 轟音と悲鳴。

 それを合図に、緊張と恐怖に耐えきれなくなった国防軍が一斉に攻撃を開始した。燃え盛る炎に照らし出された二体の異星人に対し、容赦のない弾丸が襲い掛かる。

「やめろ、校舎の中に紫苑がいる」

 流れ弾が次々と校舎の壁に穴をあけ、ガラス窓を破壊する様にアイオレスが声をあげた。だが、それは地面を轟かす銃声にかき消され誰の耳にも届かない。

「ええい、下賤な者どもめ」

 ディアボロイドが持つ硬化質の皮膚は、流線型を基本にし多少の弾丸であれば軌道をそらすことが出来るが、それにも限度がある。また、白兵戦では銃弾をサーベルで弾き返す技術を持ってはいても、取り囲まれた状態での一斉射撃ではさすがに防ぎ切れない。

 国防軍が放つ距離のあるライフルの銃撃では、直撃を受けても致命傷にはいたらない。だが、いくつかの装甲を傷つけられて激昂したベルフライは、アイオレスの手よりブラスターを取り返す。

「どけ、アイオレス」

 ベルフライは国防軍を吹き飛ばさんと立ち上がり、再びブラスターを構えた。それを倒れた状態から見ていたアイオレスは、ベルフライの頭上に迫る物体を視認した。思うより先に、アイオレスは反射的に身を転がして、その場より逃げ出したのである。

 ベルフライの上に、失速したヘリコプターが墜落した。

 彼の放ったビームが校舎をかすめた際に、吹き飛んだ破片が頭上を旋回するヘリコプターのプロペラを直撃したのである。

 ベルフライを巻き込んで地面に激突したヘリコプターは、地響きを立てて爆発した。火の手が広がる校舎の中庭に、燃料をきま散らして爆散したヘリコプターから、さらに巨大な炎が立ち上る。校舎と炎上するヘリコプターの間に逃れたアイオレスは、半身を起こしてベルフライを確認した。

 いくらディアボロイドとは言え、不死身ではない。並外れた強靭な肉体を持つベルフライとはいえ、あれだけの質量を持った乗り物が直撃したのである。

 それが事故という形であったとしても、ベルフライをデストシアへ帰すことを止められたのであれば、アイオレスは本望である。たとえ自分がここで死んだとしても、地球をディアボロイドたちの侵略から防ぐことが出来たのである。

 紫苑との約束を守れなかったことだけが、心残りである。

 許してほしい。

 そして、校舎の中に残してきた紫苑は無事であろうか。

 そうアイオレスが校舎を振り返ったときである。

「おおおお」

 突然に、炎に包まれたヘリコプターの残骸の下から、ベルフライが破片を押しのけて立ち上がったのである。

 半身はいまだ炎に包まれ、体中の装甲は剥がれ落ち、左手を失っていた。おびただしい出血をしながらも、それでも彼は地面に立ち、声にならない咆哮をあげた。

 怒りの叫びであろうか。いままでに聞いたことも見たこともないベルフライの姿に、アイオレスは戦慄した。

 その不死の肉体に。その驚愕すべき精神力に。

 いまなお襲い掛かる銃撃の中を、一歩、また一歩と、ベルフライは呪詛のような声をあげながら、体を引きずるように歩きだす。

 装甲がはがれた体に銃弾が直撃し、鮮血が飛び散る。それでもなお、ベルフライは歩みを止めない。

 向かう先は、大きな銀杏の木の横に鎮座する、彼が乗ってきた輸送艇であった。近づいた主人を迎え入れるように、輸送艇のハッチが音もなく開かれる。

 ベルフライは、デストシアへ帰ろうとしているのである。

 呆然とその姿を見ていたアイオレスは、我に返った。

 傷ついた巨体をシートへ沈め、ベルフライはハッチを閉じようとした。だが、それよりも早く、彼のサーベルを拾い上げたアイオレスが輸送艇へと駆け寄った。

 さきほどとは立場が逆になり、アイオレスはサーベルを逆手に、深手を負ったベルフライに止めを刺すべく、最後の力を振り絞った。

「将軍、お許しください」

「アイオレス」

 アイオレスの体が、宙へと吹き飛ばされた。

 通常弾では効果がないと判断し、国防軍が放った大口径の弾丸がアイオレスの体を直撃したのである。アイオレスは糸の切れた人形のようにサーベルを放り出し、力なく濡れた地面へと転がった。


 気が付けば銃撃が止んでいた。

 何が起きたか分からぬまま横たわるアイオレスに、慌てて近づく影があった。

「アイオレス、アイオレス」

 何度もその名を叫びながら、紫苑がアイオレスの手を取っていた。

「紫苑」

 薄れゆく意識の中でアイオレスが最後に見たものは、紫苑の頭上に不気味に輝く、上空へと昇ってゆく赤い光であった。

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