第6話 兆候

 ブルーインパルスが、長いスモークを青空に残していた。

 毎年行われる北部恵庭基地での誕生記念航空祭は、毎年十数万人が来場する人気のイベントであった。

 町興しの一環もかねて、広い基地内には一日を通して、様々な催しが開催されていた。

 新設された基地施設内にて、関係者、来賓用の廊下を大勢の人が行き来している。みな挨拶を交わし、世話しない声が響いていた。

「春日大尉、お久しぶりです」

 きっちりとスーツを着た若者が、春日の前にあらわれて敬礼をした。

「橋本くんじゃないか、ひさしぶりだね」

 返礼をしたのち、あらためて握手を誘う。

「きみはもう退役したのだから、わたしに敬礼はいらないんだよ」

 この台詞は何度目だろうか、と握手しつつ苦笑した。

「いえ、大尉には大変お世話になりました。お変わりありませんか」

「わたしは少佐になったよ。きみは、すこしお腹がでたかな?」

 橋本は、はっとして姿勢を正した。

「失礼しました春日少佐。出世されたのですね、おめでとうございます。知らないとはいえ失礼しました。ここは、わたしのお腹に免じて許してください」と白い歯を見せる。

「お腹のことは冗談だよ。それにしても、きみが政治の道に進むとはね。いまは黒木先生の所にいるんだって?」

「そうです。まだ駆け出しの付き人でしかありませんが、いろいろ勉強させてもらっています。不思議ですね、毎日走り回っているのにお肉がつくんですよ」

 長い握手を終えると、橋本は両手を自分のお腹にあてた。

 肉がついたと言っても、現役時代に比べればの話である。当時は毎日トレーニングに明け暮れ絞り切っていたため、現在は標準体型に戻っただけであった。

 政治の道を目指して退役したいまも、昔と変わらず瞳に希望をあふれさせている。その若さが眩しくて春日は直視できなかった。

「数年ぶりに会った先輩に、積もる話を聞いて欲しいところですが、いまは分刻みの生活を強いられているのです」

「大忙しだね」

 橋本はちらりと腕時計を見た。

 とは言うものの、充実している毎日に楽しげな表情である。

「春日た、いえ少佐。後ほど改めて黒木先生と一緒に挨拶に参りますので」

「ああ、よろしく頼むよ」

 そういうと、橋本は再び春日と握手をして、廊下の先にあるロビーへと消えた。春日はそんな若者の後ろ姿を見守っていた。

「パパ」

 ふと、声をかけられ春日は振りむいた。

 泉が紫苑を連れて歩いて来る。

「やあ、来てくれたのか。迎えに行きたかったのだが、ちょっと時間が取れなくてね」

「いいのよ。天気も良くて、紫苑ちゃんと散歩しながら来たわ」

 春日に久しぶりに会ったためか、泉の声が弾んでいる。

「紫苑、どうだ。ちゃんと学校に行ってるか」

 紫苑の髪をなでた春日の声はあたたかい。だが、その奥には娘に対する若干の遠慮が含まれていた。そんな父親の気持ちが伝わるのか、紫苑は視線を外しながら小さく頷いただけである。

 けして髪をなでられることも、父親である勇樹のことも嫌いではない。だが紫苑は心の支えを失い、すべてが弾け飛んだあの日から父親との関係性を上手に保てなくなっていた。

 彼女自身、どうして良いかわからないのだ。

「泉、なかなか帰れなくて済まない。ふたりで、うまくやっているか」

「ええ」

 ごきちない笑顔をかえした泉の表情が、すべてを物語っていた。

春日は胸がうずき、美月に言われたことを思い返していた。

 自分は泉にすべてを押しつけてしまっていると。

 けして、そんなつもりはなかったのだが、自分に好意を寄せてくれていた泉に逃げ場を求めたのは事実である。

 軍人であろうと、父であろうと、男であろうと、ひとりの弱い人間である。

 人はひとりでは生きて行けない。

 すこし疲れている泉の顔に、春日はこれも言い訳なのだろうかと、正体のない罪悪感を覚えていた。

「時々、わたしの無神経さのおかげで、紫苑ちゃんを怒らせちゃうけれど。でも大丈夫よ、仲良しだから、ね」

 少しかがみこんだ泉であったが、紫苑の目は冷たく遠くを見ていた。泉の視線に気がつかなかったのか、無視していたのか、反応のなかった紫苑が突然駆けだした。

「紫苑ちゃん」

 驚いた二人を置いて、紫苑は人垣をわけて廊下を走る。

「紫苑、あぶない」

 春日がそのあとを追ったが、すぐに娘の突然の行動を理解した。

 紫苑は、ロビーから出てきた美月に飛びついた。

「紫苑」

 すっと屈むと、それを待ち構えていたように紫苑は美月の首に両手を絡ませた。

「紫苑、もう来てたのね。元気だった」

 反応が薄かったはずの紫苑は、いまは美月の首に顔をうずめながら何度もうなずいた。首にあたたかいものを感じて、美月は力強く抱きしめた。

「また痩せたかしら。ちゃんとご飯を食べてる」

 この役目は自分ではないはずなのに、こうして孤独に怯え愛情に飢えた少女を無下にもできない。それが紫苑のためにならないとしても。

 だが、大人が未来ある子供に愛を与えて、なにがいけないのか。そう肯定する自分もいた。

 役目であるとかないとか、そんな馬鹿馬鹿しいことに捕らわれて、目の前にいる傷ついた少女を救えなくてなにが大人であろうか。

 美月の心中は複雑であった。

「こんにちは」

 追いついた泉が、ぎこちなく挨拶をした。

 美月は紫苑が首筋に抱きついているために、立ちあがることができない。顔をあげると、お互いに一瞬だけ視線を絡めた。

「こんにちは泉さん。お久しぶりです」

 さすがに気まずく、また泉の立場を考えると人目もあり、とても理想的な光景とは言えない。

 気のきいた挨拶も出来ず、春日もふたりの関係を扱い切れない。紫苑を中心に、大人たちは体面と言う呪いに縛られていた。

 そのなかで、紫苑がひとり感情を吐きだして泣いている。

 大人とは、なんと不自由な生き物なのであろうか。しがらみに絡め取られ、人として人を愛することすら出来なくなっていた。

「紫苑。美月くんは仕事中だ。そろそろ離してやってくれ」

 背中から邪魔をするなとばかりに拒絶を示す紫苑に、泉が膝をついて肩に触れようとした。

「紫苑ちゃん、美月さんの邪魔を」

 近づいた気配にさっと顔をあげると、紫苑は自分をつかもうとする腕を払いのけた。まるで汚いものから逃げるように、美月の後ろへと隠れたのである。

 紫苑は警戒し、泉は傷ついた。

 美月の肩から顔を覗かせ、自分を見つめ返す紫苑の瞳に、泉は冷たく重いものが心に広がった。それは底のない暗い沼のような、足元から感情を冷え冷えとさせる嫌悪であった。

「し、紫苑ちゃん。パパと、ママを困らせないで」

 美月の腰に、震えた紫苑の手の感触が伝わった。

「ママ」という言葉に反応したのである。

 紫苑は、泉に手をむけた。

〝ママは〟

「だめっ」

 美月は、紫苑の腕ごと抱きしめて言葉を封じた。

「だめよ、紫苑」

〝どうして?〟

 手話は使わなかったが、紫苑の目はあきらかに訴えていた。

「紫苑、あなたの気持ちはわかるわ。でも、だめよ」

〝どうして。どうして、みんなわたしを否定するの?〟

 年端も行かない少女が世界を呪い、自分の居場所すら見つけられずに苦しむ姿に、美月は紫苑を叱りきれずにいた。

 そんな中途半端な態度が、余計に紫苑を傷つけるとしても。紫苑の心にひとつの傷が生まれるたび、その傷がさらに他の者を傷つけてしまう。

 負の連鎖を抱える紫苑の姿に、美月の胸は痛んだ。

「ちがうわ。人は自分の鏡なのよ。あなたが他人を否定すれば、みんなも、紫苑を否定してしまうのよ」

 紫苑は怯えて美月を見あげた。

〝美月姉もわたしを否定するの〟

「しないわ」

〝それならいいの。わたしは、美月姉がいればいいの〟

「それでは、だめなのよ」

 紫苑は見あげながら、大きく手を動かした。

〝どうして、みんな同じことを言うの?〟

「ごめんね、紫苑。みんな、あなたに大人の都合を押しつけて。そのことは、後でゆっくりお話しましょう」

 納得のいかない様子であったが、美月の話なら聞く気になったのであろう。紫苑は〝本当に、ゆっくり一緒にいてくれるの?〟と確認した。

「わたしが嘘ついたことないでしょ?」

 紫苑は素直にうなずいた。彼女にしてみれば、美月と一緒にいられれば理由はなんでも良いのである。この航空祭も始めから興味もなく、美月にあいたいが為に足を運んだのであった。

 それがなければ、休日の今日も廃校へと足を運んでいたであろう。もっとも、いまはピアノを弾く以外の理由があるのだが、それはあくまで二次的なものでしかない。

 紫苑にとって、過去の夢の日々が戻らないのであれば、現在も未来も、地球も、そして宇宙にもさして興味はなかった。

 ただ想い出にしがみつくだけの毎日ではあるが、それが紫苑にとってすべてなのである。なにより大切なものを守ろうとすることを、他人からとやかく言われる筋合いはなかった。

 紫苑は誰からなにを言われようと、この気持ちは一生変わらないと信じていた。

 そう、いまだけは。

 

          ○

 

 ちょっとした騒ぎが起きた。

 美月が呼びだされ、紫苑が退屈を持て余しトイレへと姿を消した後のことであった。

 ロビーの奥の方で泉の声があがった。

「紫苑ちゃん、やめて」

 娘の名前に、春日は手にしたカップを乱暴にテーブルに置き捨てた。すぐさま声のした方へ駆け寄ると、紫苑が初老の男性につかみかかっていた。

 背広をひっぱり、我を忘れて何かを叫んでいる。もちろん声はしないのだが、その必死の形相に周りが騒然となっていた。

「紫苑!」

 後ろから紫苑を羽交い絞めに抱きかかえ、引き離した。

「紫苑、どうしたんだ。やめなさい」

 春日の腕のなかで、紫苑は暴れながら初老の男にむけ、必死で声にならない声を張りあげていた。

「春日少佐のお嬢さんでしたか」

 名前を呼ばれ、春日はもがく紫苑から視線をあげると、そこには見知った顔があった。

「黒木先生」

 慌てて騒ぎを聞きつけた橋本がやってきた。

「先生、それに春日少佐。一体どうしたのです」

 紫苑を囲む三人が、お互いの顔に驚いていると、紫苑は何度も「嫌」を繰り返していた。

「紫苑、なにが嫌なんだ。なにをそんなに怒っているんだ」

〝嫌、嫌。ママの学校を壊さないで〟

「学校? 銀杏ヶ丘中学校のことか。学校がどうしたんだ、紫苑。わかるように言ってくれ」

「春日少佐」

 黒木と呼ばれた男は、申し訳なさそうに背広をなおしていた。

「どうやら、わたしが不用意なことを言ったようです。さきほど、廃校となった銀杏ヶ丘中学校を解体し、介護施設にしようと計画している。そう話をしていたのです」

〝壊さないで、わたしの大切な場所なの。大事な場所なの〟

 いまにも噛みつかんばかりの形相に、春日は驚いていた。こんなにも激しく怒った紫苑を見たのは、初めてだったからである。

 言い換えれば、いまだに紫苑が母親との想い出を断ち切れない証拠でもあった。

 これほどまでに激高するなど、紫苑の受けた傷と抱えている孤独を、春日はあらためて痛感させられた。

「申し訳ありません、娘がとんだ失礼を。ただ、銀杏ヶ丘中学校は過去に、この子と、この子の母親が通っていた場所なのです。ですから、深い想い出の場所として大切に思っているのです」

 黒木は落ち着きを取り戻した代わりに、顔を曇らせた。

「そうでしたか。申し訳ないことをしました、お嬢さん」

 いまだ暴れる紫苑の前に、黒木は穏やかに言うと膝をついた。

「それでは当分のあいだ、学校は解体しません。約束します」

 春日の腕のなかで、紫苑の力がすっと抜けた。だが、いまだその瞳には大人に対する懐疑的な光があった。

「わたしは、ただ地域の皆様に役立つ街づくりを考えていただけなのです。介護施設を作る場所は、他にも候補があります。銀杏ヶ丘中学校が、お嬢さんにとって、そんなに大切な場所とは知らなかったものですから。学校はしばらく、あのままの形で残しておきますから、どうか許してくれませんか」

「先生」

 膝をあげさせようとする春日に、黒木は首を振って抑えた。

 黒木は、たとえ子供相手であろうと、その真摯な目を紫苑にむけていた。

「わたしも、銀杏ヶ丘中学校は祖父が立てた校舎だけに、思い入れがあります。ただ老朽化も激しく、痛々しい姿を見ているのはつらい、そう思ったのです。けれども、こんなにも大切に思ってくれている人がいるなんて、わたしも嬉しいです」

 紫苑も、黒木から伝わる嘘のない気持ちに、次第に湧きあがる怒りが治まりつつあった。

「ですから、将来もし解体する時があったとしても、その時はお嬢さんに、あらためてお話にうかがいます。いかがですか春日少佐」

「黒木先生、そんな大仰な」

「いえ、こんなお嬢さんの気持ちを、ないがしろにしてまで市政を進めるわけには行きません。ひとりひとりの気持ちが町をつくるのです」

 そう言うと黒木は、あらためて紫苑にむきなおった。

「お嬢さん。不安な思いをさせてしまって申し訳ない。学校はしばらくあのままにして置きます。どうか、許してください」

 黒木の気持ちは、紫苑にすっと入り込んできた。

 この人は信用しても良いのかもしれない。そう思うと、紫苑は小さくうなずいた。

 他人との係わりを否定している紫苑であったが、この時はわずかに人の善意に触れたようであった。だが、それはほんのわずかなあいだで、すぐに紫苑の抱える孤独に埋もれてしまっていた。

 けれども、その孤独にある兆しがあらわれていたことは、まだ彼女自身も気がつかない。

 きっかけは少しずつ、ゆっくりと開花しつつあった。

 紫苑の心が花開くのはいつの日か。それはまだ、いまではないようである。

 ところが、そんな光景をロビーの隅から、ひとり冷ややかに見つめていた者がいた。残酷な光を揺らしながら、黒木百合子は口元を吊りあげた。彼女の浮かべた笑みは、誰にも気がつくことがない。もちろん、その意味も。

 晴天の日差しが降り注ぐなか、百合子は黒々とした瘴気をまとわせていた。


 春日は「泉、すまないが今日はもう、この子を連れて帰ってくれるか」と、腕のなかでぐったりしている紫苑を抱えていた。

「わかりました」

 泉の表情はさえない。

 他人の前でも紫苑に拒絶され、自分が一年以上かけても払えない紫苑との壁を、美月があっさりと越えているのを見せつけられたからである。それどころか、紫苑は美月に対して絶対的な信頼を寄せている。

 もちろん、それが血縁関係のためであることは理解はしている。だが、まがりなりにも自分は紫苑の母親なのである。

 泉は人として、女として、母親としても否定された気分であった。

「泉」

 立ちあがり、春日は妻の手を取った。

「勇樹さん?」

 なにか言いたげな春日であったが、でてきた言葉は「紫苑を頼む」だけであった。

 このとき、春日が自分の気持ちをきちんと伝えていれば、泉の心も救われたのかもしれない。その小さな傷が重なり、知らぬあいだに取り返しのつかない結果を招くことになるなど、春日は知る由もなかった。

 疲れ切った紫苑は、泉に連れられて帰っていった。

 二人の後ろ姿は、微妙な距離が保たれている。

 あのふたりが手をつないでいる姿を見たことがあったであろうかと、そう春日は記憶を探った。廊下のむこうに消えてゆく妻と娘の姿に、後ろめたい気持ちがずっと胸の内にこびりついていた。

 肩で大きなため息をついたとき、そのタイミングをはかったように美月が近づいて来た。彼女の瞳にも春日と同じく、遠ざかる紫苑を気遣う光が揺れている。

 廊下に視線を向けつつ、美月は横からそっとささやいた。

「例の飛翔体が見つかりました」

 

          ○

 

 泉から、ふたりで家に帰り紫苑は疲れて眠ってしまった。という連絡を確認していた春日は、美月の声に顔をあげた。

「春日少佐、大丈夫ですか?」

 やわらかな、思いやりを込めた声色だった。

「ああ、すまない。始めてくれ」

「それでは報告いたします」

 資料端末を手にした美月は一度咳払いをした。どう報告してよいか、しばし迷っている様子であった。それを見た春日は嫌な予感がした。ふっと息を吐きだすと、美月はいつものように落ち着いて報告を始めた。

「飛翔体は、樽前山から西に三キロほど離れた地点で発見されました。本体が半壊している状況から、なにかしらの事情により墜落したと思われます」

 石川准尉の操作で正面のパネルには、すでに拡大された樽前山付近の地図が表示されていた。

 発見地点には赤いマーカーが点滅している。

「現場は衝撃によって樹木が放射状に倒れており、その中心にあった飛翔体がこちらです」

 映しだされたものは、黒い球体が壊れて四散している映像であった。防護服を着た者たちが測定器を手に取り囲んでいた。発見された時には数日が経っていたため、煙もなく静かに沈黙している。地面に激突して半壊しているが、その異質な存在感は映像越しにでも伝わってくる。

「飛翔体の原型は球体形状をしており、直径約四メートル。報告によると血痕も見つかっており有人機であったと報告を受けています」

「有人・・・」

 春日は言葉を飲み込み、額から流れる嫌な汗をぬぐった。空調は効いているのに、美月も石川准尉の首筋にも光るものが流れていた。

「素材、ハッチなど駆動系の構造、原動力などすべて不明。あの飛翔体がどうやって飛んでいたのか皆目見当もつかないとのことです。現段階ではエックス線も通さず、素材の切断、分解も困難であり解析にはかなり時間がかかる見込みです」

 美月の報告にあわせ、飛翔体の詳細な映像が映しだされる。次々と画面が切り替わるなか、そのどれもが人知を超えた技術であることが感じられた。

 形状はシンプルなのだが、ネジや溶接部なども存在せず、黒く鈍い光を放つ金属が高次元な設計で組み合わされていた。

 映しだされる映像に空恐ろしいものを感じ、春日の手にしたコーヒーが小刻みに震えていた。

「これは、いったい」

 覚悟はしていたが、実際に目にしてしまうと想像以上の恐怖が襲ってくる。それは美月たちも同じであり、いつになく重たい沈黙が圧しかかる。

「回収した飛翔体はすでに技術班に納品済みです。ですが、目下の問題は解析が困難なことではなく、飛翔体に乗っていた者の存在です」

 はっとして春日は腰を浮かせかけた。飛翔体そのものに気をとられて、有人であると言った美月の言葉を忘れていたのであった。

「そいつは見つかったのか」

「いえ。墜落現場の周囲に、それらしき存在は見つかっていません。現在も捜索を継続していますが、ただ」

 美月は端末から顔をあげると、しばし無言で視線を返してくる。望まない報告を持っているのであると理解したが、聞かないわけにも行かず先を促した。

「飛翔体に乗っていた者が、墜落後も生きて移動していた形跡を発見しました」

「形跡」

「はい。こちらをご覧ください」

 待ち構えていたように、石川准尉がパネルに一枚の画像を表示させた。

 春日は凄惨な光景に喉をつまらせた。

 ひとりの死体と巨大な死骸が映しだされている。

「なんだ、これは」

「まず、飛翔体に乗っていた存在を異星人〝α〟と呼称します。まだ異星人と確定することはできませんが、便宜上によるものです。また、そう呼ばずにはいられない現場状況から、この場ではあえてそう呼ばせて頂きます」

 美月の声色が硬くなる。薄々予感はしていたものの、まさか本当に自分が異星人の報告することになるとは思わなかったのである。

「この現場は、飛翔体の墜落地点から南東に一キロほど下った山中です。首のない死骸は五百キロある雄のヒグマです。そして、倒れている遺体は赤城鉄男。樽前山付近で猟師をしていた六十三歳の男性と判明しました。状況から推測するに、狩の最中に〝α〟と遭遇したと思われます。死亡時刻は、六月七日午後十八時前後と推定。つまり飛翔体が墜落した日の夕方です」

「すると、その猟師とヒグマは、墜落した飛翔体から逃げだした〝α〟に殺されたと言うわけか」

 小さく舌打ちした春日に、美月は「そうとも限りません」と素早く否定した。

「なぜだね」

「結果として殺してしまった事故、とも推測できます。なぜなら、故意に殺害したにしては不自然な箇所が多いからです。もっとも、異星人相手に人間の思考や感情を重ねて推測するのは無意味かもしれませんが、そう考えれば辻褄があう状況証拠が残されていたからです」

「詳しく説明してくれるかな」

「かしこまりました。まず現場の状況説明になります。雄のヒグマは体長約二・五メートル。体重五百キロという近年例のない巨体でしたが、右腕を付け根から、そして首を切り落とされて絶命していました」

「一体どうやって」と言いかけた春日は、流れをとめないために飲み込んだ。

「一方、猟師である赤城鉄男の外傷はほとんどなく、死因は頭部を弾丸が貫通したためによるものです。ほか、現場には〝α〟の物と思われる拳銃が落ちていました」

「凶器の拳銃が落ちていて、猟師の頭部を弾丸が貫通していても殺意がなかったと」

「そうです。なぜなら頭部を貫通した弾丸は、被害者である赤城鉄男が持っていたライフルの物だからです」

「ライフルを奪って、猟師を撃ったのではないか」

「その可能性も薄いと思われます」

 春日は本日、何回目かの「なぜだね」を繰り返した。

「赤木鉄男の頭部を貫通した弾丸は背後の木から摘出され、もう片方は近くの地面から見つかりました」

「片方とは」

「ライフルから放たれた弾丸は、縦方向に二つに切断されていました。そして猟師のそばに倒れていたヒグマですが、右腕と頭部を切断されていました。これらの状況証拠から〝α〟はなにかしらの刃物を持っていたと推測します」

「いくらなんでも、それは考えられないよ美月くん」

「ごもっともです。わたしも少佐と同じ考えです。放たれた弾丸が跳弾したのかとも思いましたが、その際に弾丸が縦に割れるなど過去に例がありません。また、跳弾した場合は弾頭が潰れるか変形するかします。けれども、発見された弾丸は一切の変形も見られません。また切断面の解析から、どのような形状をした刃物かは不明ですが、相当な硬度と耐久性を持っていると報告されています。刃渡りに関しても、ナイフと言うよりかは、剣に近い長さであると考えられます」

「ありえない。弾丸の初速は音速を越えているというのに」

「はい。常識では考えられませんが、状況証拠からそう考えざるを得ません。身の危険を感じて赤木鉄男は〝α〟に発砲。自分に飛んできた弾丸を防ぐため、〝α〟は所持していた刃物で斬り落としたと思われます。そして、空中で切られた弾丸がはじかれ、発砲した本人の頭部を貫通した。これが一連の流れと思われます」

「そんな馬鹿な。自分にむかって飛んでくる弾丸を見切るなど、人間じゃない」

「異星人ですから我々の常識が通用しないのでしょう。弾丸を見切ったうえに、それを的確に切断できる身体能力。さらに、飛翔体の製造技術もさることながら、弾丸を切断し、ヒグマを斬り殺したと思われる刃物の存在です。少佐、ヒグマの首をご存知ですか」

 そう言われ、春日は首を傾げた。明確な部位は出てこない。

「クマに、首らしい首はないようだが」

「その通りです。クマの首は人間のように細くなく、頭部と肩が筋肉によって覆われ繋がっています。現場で発見されたヒグマの首回りは直径四十センチほど。電信柱より太いです」

 正面パネルいっぱいに斬殺されたヒグマの死骸が映り、生々しい首の切断面があらわになる。

「硬い毛、皮、筋肉、そして骨。これらを有している強靭な肉塊が、形を崩さず見事に切り落とされています。ノコギリのように断続的に押し引いて切ったわけでも、強引に潰し切ったわけでもありません。骨もろとも、まるで豆腐を割るような切り口です。このような性能を持った刃物は、人間界には存在しないとのことです」

「人間界に存在しないのであれば、それを持ち込んだ者は異星人しかいない、と言う事か。なんにせよ、恐ろしいほどの武器だな。こんな巨大なヒグマの首を一刀で切り落とすなんて」

 冷め切ったコーヒーを飲む気にもならず、春日は手に持っていたままのカップを置いた。

「ヒグマが先か、猟師が先か、正確な時系列まではわかりません。〝α〟はヒグマを殺し、猟師とむきあったときに手にした刃物で弾丸を打ち返した。その結果として赤木鉄男を殺してしまった、というのが現場鑑識の見解となります」

「とりあえずは〝α〟は我々に対して敵意がない、と言うことなのか」

「不明です。〝α〟は斥侯として地球に来たのかもしれません。目的が分からないため、猟師の殺害にしても憶測にしか過ぎません。それよりも問題なのは、いまもこうしている間にも強力な武器を持った異星人が付近をうろつき、市民の安全が脅かされていると言う事です」

 それはテロリストよりも危険な存在であった。

 言葉も文化も違う異星人など、交渉のしようがない。そもそも、人間ですらないのだ。目的も不明であれば、いかなる理由によって住民を殺害するかも不明なのである。

「なんと言う事だ」

「現在、飛翔体とは別に、すでに〝α〟の捜索部隊が編成され出動しています」

 頭を抱え、春日はいっそのこと地域住民に避難勧告を出した方が良いのではないか、そう考えていた。

「しかし、仮に発見したとしても、大人しく拘束されるとは思えません。もし戦闘となった場合に、どれほど被害がでるか。対象が異星人など人類史上初のことですから、対応も含めて未知のことが多すぎます」

「これは、そうとう厄介だな」

「ただ、現在まで〝α〟は、赤木鉄男を除いた人間との接触をしていません。墜落現場に血痕があったことから、怪我をして動けない。もしくは身を隠している、とも考えられます。でなければ怪我も大したことはなく、隠密に斥侯として活動しているかもしれません。どちらにしろ、最悪の事態を避けるためには一日でも早い発見が望まれます」

 いままで、そわそわと落ち着かなかった春日であったが、美月の報告を聞くにつれ途中から微動だにしなくなっていた。見れば、両手を組みながら正面パネルを睨みつけている。

 どうやら、彼も覚悟を決めたようであった。

「よくわかった。とにかくいまは〝α〟の発見を最優先に。手続きは後で良いので、捜索部隊には臨機応変に対応するように言ってくれ。統合本部には、わたしが話をつけておく」

「承知いたしました」

「〝α〟の目的は不明だが、我々は国と国民を守らねばならない。アメリカの干渉もうるさいが、もし最悪の事態になったら彼らの力も必要になるかもしれない。人間同士が争っている場合ではないからな。冗談ではないぞ」

 春日は立ちあがった。

「異星人との戦争など」

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