第1話 ディアボロイド

 覚醒プログラムが起動した。

 液体に満たされた静寂なる睡眠カプセル内に、微かな光が出現する。

 主人を目覚めさせる為に音も無く動き出し、切り離されていた重力が緩やかに戻る。睡眠時の体力回復と治癒能力を高めていた液体が、赤色の光を放つ背面へと吸い込まれ行く。

 体内へ直接酸素を運んでいた培養液が流され、肺呼吸へと切り替わると眠っていた者の胸が上下し始める。

 続けて頭部から爪先までを光が横断し、スキャンが終わると測定されたデータが側面へ表示された。

(オールクリア)

(ディアボロイドナンバー・G7‐106714)

(デストシア銀河帝国軍第一艦隊旗艦・戦艦ラベリウス所属)

(主郭制圧部隊デストシア・ソードアグナ・ファーストトップ)

(アイオレス・オーティアギス)

(覚醒)

 血の色を思わせる明かりに促され、アイオレスは目を覚ました。

 作戦時間が近付いた為、帝国軍侵攻スケジュールに従い覚醒させられたのである。出撃前にデストシア銀河帝国軍総旗艦ルシフェンヌにて、デストシアの頂点に君臨する皇帝ゼノンからの教戒を受ける為である。

 体に重力が掛かると血圧が回復し、曇っていた意識が鮮明となる。カプセルが開くとアイオレスは半身を起こし、一度頭を振ると立ち上がった。

 薄暗く、外部から隔離された睡眠エリアには他に誰もいない。

 自らの体を確認すると、前回の作戦時に受けた傷は治癒が完了していた。しばし体の様子を確かめていたアイオレスは溜息と共に胸に手を当てた。睡眠から目覚めた後は、必ず胸の悪さを覚えるのである。

 肉体的な要因ではない。

 繰り返される夢の為に、アイオレスは眠る事を嫌がった。

 揺らめく光が深い闇に飲み込まれまいと、必死で抗いながら叫んでいる。儚い金色の燐光を零しながら、ゆら、ゆらと揺れ、不快では無いがアイオレスの心を揺さぶり動揺させるのであった。

 今も胸を締め付ける夢の残滓に、アイオレスは深い溜息を吐いた。

「オールクリアなものか」

 軍務に支障が有る訳ではないが、気が滅入る。

 帝国軍の戦士たる者が「そんなこと」で不満を述べるなど、信仰心の甘さを自ら公言する様なものである。だが「そんなこと」が、数分後に起きる揉め事の種になったとあれば彼自身の不徳とする所であろう。

 憂鬱な気分に押し出されながら壁のパネルに手を触れると、承認した収納ラックが開く。

 騎士の象徴であるサーベルが厳重に守られたホルダーから顔を覗かせ、静かに主人の手に取られるのを待っている。サーベルを腰に下げると、浮かない気分を振り払う様に早足に睡眠エリアを後にした。

 新たな旗艦とするべく新造された戦艦ラベリウスは、巨大で内部構造も兵士達の動線を優先された設計と成っている。

 アイオレスは幾つかの通路を曲がり、艦内のターミナルエリアへ通じるエレベーターへと辿り着いた。

 広大な艦内ではあるが、ナビゲーションにより迷う事はない。頭部に埋め込まれた小型端末により様々な情報を得る事が可能なのである。

 士官用のエリアである為にアイオレス以外の姿は無く、ひとり待ち構えていたエレベーターに乗り込んだ。

 音も無く降下し、階層を示す数字が次々と姿を変えた。足元を抜けて行く光に照らされて、正面の黒い扉には自分の姿が映っている。

 ユラ銀河系の外れに存在する惑星デストシア。

 其処に生を受けた者達は、ディアボロイドと呼ばれる類稀な科学技術を有する上位種族として栄えていた。

 全身は硬化質の皮膚で構成され、小さな刃物などでは傷を負わす事も出来無い。

 上頭部には、角の様に自己主張をする鋭利な皮膚が発達している。目や口に装備された開閉式の内装甲は、仮面を思わせるフレームで顔を守っていた。

 喉から後頭部までの首周り。心臓部の胸、肩、肘、膝などは何重もの装甲が覆っている。特に指などは、関節ごとにスライド式の装甲に保護され、複雑に絡み合いながらも滑らかな挙動を見せていた。その武骨で禍々しい容姿は、より強靭な肉体を求めて人工進化の果てに辿り着いた究極の姿である。

 そう、ディアボロイドは産まれながらに鎧を纏い、戦う一生を定められた戦士なのであった。彼等は戦う為に産み出され、永遠に続く血の輪廻に飲み込まれていた。

 だが、アイオレスは思う。

「何故、俺は戦っているのであろうか」

 戦場に身を投げ出す度にアイオレスは自問する。

 戦う事は嫌いではない。

 デストシアに生を受けたその瞬間から、体の奥底から噴き上がる衝動に突き動かされて戦って来た。

 戦場の匂い。

 血と炎。

 赤く、赤く、何処までも赤く。

 激しく脈打つ鼓動に、熱く抑えがたい欲求が駆り立てるのだ。

 サーベルを振るい敵を斬り倒し、更に多くの獲物を求め、更に強き獲物を求め、全身の血が沸騰するのである。

 神が与えしこの力。

 神が与えしこの体。

 より力を求めて。

 より己が求める戦いの彼方へ。

 何時か神の導きにより開かれる楽園へ辿り着く為に。

 そう、それがデストシアの戦士達に課せられた使命である。神の御心のままに戦い、この宇宙から穢れを払い、開かれた楽園に永遠なるディアボロイドの血を紡ぎだす為。

 全ては神の思し召しのままに。

 全ては神の為。

 全ては神。

「神か」とアイオレスは呟いた。

 無論、自分の信仰には何の疑いもない。彼は模範なる戦士として信仰の厚い存在として認められている。だからこそデストシア帝国軍の中でも、名誉有るソードアグナのセカンドを任されている。

 しかし、アイオレスは自分の戦う理由を知りたかった。信仰の証ではなく、内なる力は何の為に授けられたのか。

 何故サーベルを抜くのか。

 何故サーベルは自分を突き動かすのか。

 何故サーベルは血を求めて赤く光るのか。

 自己顕示か、名誉欲か、または階級による潤沢か。そのどれも間違ってはいないが、戦っても戦っても永遠に満たされない心の渇きがアイオレスを暗い迷宮へと引き摺り込むのである。

 自分が忘れてしまっている何かの鱗片が浮かぶ。

 否、遥か太古の昔より受け継がれていた大切な何かが、ディアボロイドである魂の底から弱々しい凍蝶の如く姿を見せる。

 時折、それは急に羽ばたいて鮮明な光景として蘇るのだが、それを確かめる間もなく消えてしまう。

 良く知っている様でも有り、まったくの未知でも有る様で、アイオレスは正体の解らない不気味な存在に後を付けられている気持ちに成る。確実に其処に居るのだが、振り返ると余りに淡く霧散してしまう。

 胸を貫く残酷な刃物かと思えば、触れると血液までを凍らせる冷酷な炎。かと思えば、温かい光に包まれる気配を見せる時も有る。その都度、姿を変化させながらアイオレスの奥深くに留まり続けている。

「消えろ」

 幾ら振り払っても、ふと気が付けば暗闇から自分を見詰めている。何も言わず、何も示さず、アイオレスの目覚めを待つ様に鎮座し続ける。

「止めろ、止めろ」

 余りに儚く、脆く、小さい。

 それにも関わらず、全身を焼き尽くす熱量を持って訴えかけて来るのである。

 「それ」は、どの様な敵をも恐れない屈強な戦士で有るアイオレスを不安にさせた。

 浮かんでは消え、浮かんでは消え。

 眠る毎に現れる頻度が増え、点が線となり、繋がった先に導かれる如く引き寄せられてしまう。

 その先に待つ未来が悲痛なる世界に包まれているかに思え、渦巻く不安を焼却する為に戦場にてサーベルを抜く。

 そんな葛藤が常に、彼の頭上に冷たく重い風を吹かせているのである。

 扉に映る蒼い目は、武骨なマスクの奥で冷たく光りながら見返していた。その色は、産まれる前より引き継いだ記憶の波に浮かび、揺れていた。

「お前の目には、何が見えている」

 アイオレスは自らの瞳を覗き込む。

「無粋な事を考えるなアイオレス。お前は神の為、同胞の為に戦えば良いのだ。無心でサーベルを抜け。そして振るうのだ。戦い続ければ自ずと答えも見付かるであろう。見るな、惑うな、躊躇うな」

 見詰め返す自分の瞳に手を付いた時、ふと長靴の底に微かな重力の変化を感じてアイオレスは現実に引き戻された。

 エレベーターが動きを止めた。

 最下層へ到着したアイオレスは、廊下より見渡せる広大な出撃ドックに視線を滑らせた。其処には数千を越える突入艇と、それを超えるディアボロイド兵が集結している。アイオレスは出撃ドックを横目に、道を譲る部下の間を縫って足早に廊下を進む。

 総旗艦ルシフェンヌへ接続された専用回廊への順路は、ナビゲーションを通して床のパネルへと投影される。

 表示は網膜に投影されている為に、他人には知覚出来無いのだが、誰かの長靴が故意に踏み隠した。

「いつまで寝ていやがる。アイオレス」

 十字路の手前で、壁に手を付いてアイオレスの前を邪魔した者がいた。そこには身長も体格も、ほぼアイオレスと変わらない精悍なディアボロイドが立ち塞がっていた。

 ソードマスターのライセンスを持つアイオレスに、明確に揶揄する態度を取れる階級なのであろう。同級か、上官か。

「メデューザ。何か用か」

 アイオレスの口調から、立ち塞がった者との関係性が垣間見える。

 彼の名はメドューザ。

 アイオレスと同じく、デストシア騎士団・ソードアグナ・セカンドトップである。口が悪く、乱暴なサーベルを振るう凶悪な強さでの悪名が高い。実力主義のデストシア帝国軍に置いて、それは評価される部分でも有る。

「用事が無ければ口も利かないとは冷たいだろう。少し幼稚じゃないかなアイオレス」

「お前に構っている暇は無い。邪魔だメドゥーザ、道を開けろ」

 通路で向かい合う両者から不穏な空気が漂い、忙しく行き交っていた兵士らの通りが絶える。

 皆、火の粉を浴びたくは無いが、だからと言って士官であるソードマスター同士の喧嘩を無視する訳にも行かない。ふたりを遠巻きに兵士達が溜まる。

「何事だ」

 其処へアイオレスの部下であるオセ・セライムが通り掛かり、脚を止めた。

「アイオレス殿とメドューザだ」

 オセと同じファーストであるひとりが、小声で言う。

 所属がファースト、セカンドの違いは有るものの、同じ隊の上官であるメドゥーザに敬称を省く辺り、彼との関係性が表れていた。

「呼び捨ては止めろ。曲がりなりにもセンカドのトップだ」

「お前も今、曲りなりにと言ったではないかオセ」

 舌打ちを溜息に変え、オセは不毛な会話を断ち切って踏み出した。しかし、その肩を強く掴まれ引き戻された。

「離せ」

「行くなオセ。巻き込まれたら手足が飛ぶぞ」

 どんな相手も恐れぬデストシアの戦士達だが、彼らに取って最強の敵は身内である。

「決闘騒ぎなどアイオレス殿の経歴に傷が付く。何時も一方的に絡まれているのは周知の事実だ。此処でアイオレス殿が挑発に乗ったら大変な事に成る」

 続いた言葉は「あんな奴など相手にしてはならない」であったが、流石に飲み込んだ。先程、自分でも同僚の呼び捨てに苦言を呈したものの、咄嗟に押さえた言葉が正直な所である。

「お前では仲裁出来無いだろう」

「では誰なら止められるのだ」

 未だふたりの間に飛び込もうとするオセは、何時の間にか傍観を決め込んだ者達から両腕を掴まれていた。

 その間にも、睨み合いの温度は上昇する。

 アイオレス、メドューザがお互いの爆薬庫へ投げ入れる火種の応酬を、周囲の者達は戦々恐々と見守っていた。命の保証が無い消火活動など、誰も遣りたがらないのである。

「何をビビッていやがる。俺が怖いのか。強がっていても、お前の弱虫が手に取る様に伝わるぜ」

「退けと言ったのだメドゥーザ」

 すっと、アイオレスに青い炎が揺らめいた様に見えた。

 メドゥーザは出鱈目に難癖を付けただけなのだが、自分が抱えている不安を見透かされた気がしたのである。その残滓が絡み付いていた為に、何時もであれば流せる筈の挑発に反応した形であった。

「おやおや、何を苛立っているのかな。何時もの沈着冷静で、格好良いアイオレス君はどうした。寝不足で俺に八つ当たりするのは止めてくれよ」

 無視されれば嫌がらせも出来無いが、今日に限っては珍しく挑発に乗って来たアイオレスに、メドゥーザは内心してやったりとほくそ笑んでいる。

 幼稚なのである。

 品性と強さは比例しない。

「プログラム通りに起床したのだから何も問題は無い。お前もこれから謁見だろう。こんな所で時間を潰していないで、少しは部下の模範となる振る舞いをしたらどうだ。通せ」

 横から抜け様とするアイオレスに、メデューザは逆の手を伸ばした。平均身長が二メートル程のディアボロイドが両手を広げれば、長いマントを羽織っている事も有り大きな壁が出来る。

「俺は他人の面倒を見たりするのが苦手なんだよ。誰かと違って、口先の処世術には頼っていないからな」

「どういう意味だメドゥーザ」

 長身を屈め、下から覗き込むマスクの奥でメデューザの目が揶揄を込めて細められた。

「そのままの意味さ。俺にも処世術を教えてくれよアイオレス。何時も、どうやって将軍様に取り入っているのさ。口が達者な奴は苦労せず出世して羨ましいぜ」

「なんだと」

 ディアボロイドと言う種族は気性が荒く、アイオレスとて例外では無い。

 長い年月の間に身体の改造を繰り返し、戦う為に人工的進化を遂げて来たのである。戦う事は彼等にとって生きる事であり、信仰でありアイデンティティーでもある。

 獣性を抱えたディアボロイドは、厳しい戒律と力関係に拠って精神の均衡を保っている。日頃から血の餓えを開放していたら、瞬く間に共食いを始めて滅亡してしまうであろう。であるからこそ、彼等には自らの血を満たす戦場と言う場所が必要なのであった。

「俺は何も恥じる事はしていない。日夜、眷属の為に信仰を順守している。素行の悪い貴様に文句を言われる筋合いはない」

「へえ、それは真面目な事で。贔屓されている優等生は言う事が違いますなあ。耳障りの良い言葉は、さぞ受けも宜しかろう。ソードマスターたる御方が、剣術を磨くより世事の勉強に忙しいとは情けない限りで」

「そんな情けない奴に、一度たりとも剣術で勝てぬとは滑稽だなメドゥーザ」

「アイオレス」

 両者の額がぶつかり、ごっと重たい音がした。

 アイオレスが精神的に不安定な所へ、関わりたくもない火の粉が被って来たのである。彼とて、そんなつもりは無かったのだが結果として、余計に火の手を強める事と成ってしまった。

 売り言葉に買い言葉。

 日が悪かったとしか言い様が無い。

 挑発していた側が、何時の間にか挑発されている。

「俺が何時、お前に負けたんだ。痛い目に合ってから泣いても許さないぜ」

「良く吠えるなメドゥーザ」

 背中に殺気を揺らめかせ、額をぶつけ合う両者は無意識にサーベルに手を伸ばそうと肘を上げていた。

 神経を逆撫でる幼稚な奴ではあるが、アイオレスはメドューザの実力を低く見ている訳では無い。

 彼もソードマスターの称号を持つ騎士である。

 だがアイオレスも戦士として、ファーストトップとしてのプライドがある。そして卓越したデストシア騎士団の中でも、例外のひとりを除いて自分が唯一無二であると自負している。

「デストシアでは力を証明出来なければ、すべて戯言だメドゥーサ」

「なら殺す」

 マスクの奥で睨み合うと見えない火花が散った。火の粉に弾かれたのか、両者は体を離すとサーベルの柄に手を掛けた。

 踏み足の位置、肩の角度、腰のため具合も対角に揃い、サーベルを浮かせるタイミングまでが同時である。

 わずかにのぞいた白刃が発光し、廊下を赤く染めた。

 このサーベルは、みずからの皮膚である装甲をすべて剥がし、もっとも硬度の高い赤光岩と呼ばれる金属と混ぜあわせて精製される。新たな皮膚が再生されるまで圧縮生成され、授けられたサーベルは主人と呼応して発光するのである。

 まさにデストシア帝国の粋を集めた神聖なる武器であり、騎士にとっては分身そのものである。

 それだけにサーベルの存在が与える影響は強く成り行きを見守っていた周囲から、どよめきが起きた。

「成りませぬ、アイオレス殿」

 叫んだオセの声は届かない。

 見えない殺気に皮膚が焼かれるかの数舜。

 手をかけたまま、微動だにしない。

 両者の間には見えない攻防が交わされ、こぼれる赤光が輝きを増したかに見えた。

 お互いの踏み足が薄紙一枚ほど床から離れ、サーベルが抜かれると思われた時である。静かではあるが有無を言わさぬ声が差し込まれた。

「そこまでだ」

 呼吸を読み合っていた若き騎士らは、突然に場を支配した圧力に動きを封じられた。

「ベルフライ将軍」

 どちらの言葉か、いや同時に発せられたのだろう。

 サーベルに手をかけたまま、両者は体制を戻せずに視線だけを向けた。

 上官に対して失礼な態度ではあるが、抜刀寸前の構えにより、頭より体が防衛本能のために動く事を許さないのである。

 ベルフライと呼ばれた者は、デストシア騎士団の長であり、アイオレスの剣術が届かないと認めた唯一の存在である。

 ディアボロイドの皮膚は、通常であれば暗い鉄色をしているが、ベルフライに限っては全身に返り血を浴びたかに思える深紅の色を見せていた。

 頭部から発生した、相手をえぐるような角は力の象徴として見る者を威嚇する。

 見上げる体躯はアイオレスらより、一回りも大きい。全身の装甲は金色の装飾で縁取られ、胸には翼と爪をモチーフとした騎士団の紋章が浮き彫られていた。

「私の前で抜くか。お前達」

 憤怒の形相をしているマスクから放たれた声色は穏やかだが、腹の底まで響く重さを秘めていた。

 立っているだけにもかかわらず、重厚な迫力にアイオレスは毒気を抜かれてしまった。改めて突き付けられたベルフライの見えない刃に、嫉妬と敬愛、恐怖と感嘆の念が渦巻いた。

「言うまでもなく、抜けば決闘罪として、どちらかを私が斬る」

 デストシアでは同士討ちが最大の禁忌として定められている。その理由として、生まれながらの戦士であり、飽くなき闘争心を秘めたディアボロイドが互いに争えば、種が絶滅するまで続けてしまうと恐れたからである。

 そこで彼らの祖先は、強制的に同士討ちを禁止する「ドグマシステム」と呼ばれる因子を遺伝子にプログラムしたのである。

 これはデストシアに存在するあらゆる兵器と連動しており、ディアボロイドが仲間を殺す意思を感知すると強制的に攻撃がキャンセルされる設計と成っている。

 だが、現在このドグマシステムを種族滅亡を回避する為に導入されたシステムである、と考えているディアボロイドはいない。敵味方が入り乱れる戦場において、誤射をさける安全装置と認識されており、彼らに取ってはは便利なシステムなのである。

 つまり唯一の例外を除き、ディアボロイドは祖先の恩恵によるドグマシステムに守られているのである。

 デストシアの使命は、この星団のあらゆる星を植民地とし、楽園の地にて永遠の繁栄を築く事である。

 その為にもディアボロイドらの結束は尊いものとされ、厳しい規律に守られている。なぜなら、その規律がドグマシステムが作動しない唯一の欠点を補っているからである。

 すなわち決闘である。

 直接的な物理攻撃までは制御できない為、サーベルでの斬撃が同族を殺す事を可能とする唯一の手段であった。

 だからこそ、ディアボロイドはデストシアに生を受けた時より、騎士と成るべく規律と剣術を学ばされるのである。剣術を学ぶ事により、決闘は自分の命も捨てなくてはならない諸刃の剣である、と言う事を身をもって叩き込まれる。

 さらに決闘を行った懲罰として、相手を討ち倒した時点で生き残った者は無条件で上官から斬首される。

 決闘をしかけた者、しかけられた者の区別は無く、どちらかが倒れた時点でお互いの死が決定されるのだ。けれども、救済処置として刑を執行する上官を打ち負かす事が出来れば、決闘罪は帳消しとなる。さらには上官の地位もそのまま受け継がれるが、実行出来た者はいない。

 したがって騎士の序列による剣術の腕は絶対的な力であり、規律の強制力はモラルでは無く実力なのである。

 もっとも、これらは最悪のケースであり実際にはサーベルを撃ち合っても命までは取らず、ガス抜きとして行われる事が常である。

 今回もメドューザの溜まった鬱憤による揉め事であり、本気で殺そうとは思っていない。だが売り言葉に買い言葉、挑発されたアイオレスもその気は無くとも、サーベルに手をかけるほどには頭に来たのだ。

 では、殺さなければサーベルでの斬り合いが許されるかと言えば、勿論そうではない。

「ちょっとした喧嘩」などでは到底済まされない話であり、それ相応の「決闘未遂」に準じた罰則がある。幸いにも、ふたりはまだ抜刀しておらず、これには該当しない。

 そこにタイミング良く、ベルフライが仲裁に入ったのである。もう少し遅ければサーベルを抜いていたであろう。そうなれば今回の作戦にも剣を揃えられない。

「どうした己ら。抜いて決着をつけるが良い。そして私に斬られるか。それとも私を斬るか」

「それは」

 体は全身に鎖が巻き付けられたかに重く、訓練でも滅多に疲れを見せない両者が大きく肩で息をしていた。

「死ぬ覚悟が無い者が決闘など十年早い。手を離せアイオレス、メドューザ」

「は」

 一喝されると両者は呪縛から解放され、滑らかさを取り戻すとサーベルを仕舞い直立不動の姿勢を取る。

「ファーストのお前達が作戦前に決闘騒ぎなど。ましてや、これからゼノン皇帝の教示を頂くのだ」

 多くの兵が見ている手前、ベルフライとしても示しがつかない。

「メドューザ」

「は」

「お前とて、今まで誰かに背負われて来た訳ではあるまい。武勲は誰の手にも公平である」

「仰せの通り。将軍」

 流石のメドューザも神妙な態度である。ここで茶化すほど馬鹿ではない。

「もう行けメドューザ。謁見に遅れるな」

 メドューザは「御意」と一礼し、きびすを返した。その際、横目でアイオレスに一瞥するのも忘れない。

 持ち場へ戻る周囲の兵を押し退けながら、遠ざかるそのメドューザの姿からは口惜しさと若干の安堵が滲む。

「将軍」

 口を開きかけたアイオレスに、ベルフライはメドューサの背を見送ったまま「理解している」と遮った。

「アイオレス、お前は強い。だが、私の騎士達は自分の腕に揺るがない自信を持っている者ばかりだ。成ればこそ、やっかみを買う事もあるだろう」

 出撃ドックにはデストシア騎士団が乗船するソードアグナ隊の輸送艇が、ずらりと整列していた。

 一艦隊は騎士団が乗る旗艦を含め、ほか六千名を収容する戦艦群によって構成されている。

 騎士団は二十四隊。

 ひとつの隊は一万名から構成されており、隊隊長の下に副長が三名置かれ、それぞれ三千名弱ずつファースト、セカンド、サードと細分化される。

 アイオレスはファースト。メドューザがサードの副長を任されている。

 ふたりの階級は同等だが、入団したのはメドューザの方が早い。それが順当に昇格し、副長・ファースト・トップとして並んだアイオレスが気に入らないのである。

 ディアボロイドたちは顕示欲もさる事ながら、爆発的な人口増加に伴い、深刻な枯渇資源、水と食料問題を抱えていた。

 住居、食料の配給も階級順に潤う為に、必然的にすべてが強さと出世欲に繋がるのである。

 戦士として生まれた彼らはカプセルの中で成長し、体が出来上がるとすぐさま戦地へと送り出されるのである。

 そのような背景から、デストシア帝国はあらゆる星団へ勢力を伸ばし、資源採掘、食料プラントへの惑星改造。これらが可能な惑星を、自分達が神から与えられた恩恵として侵略者から奪還しているのである。

 さらに言えば、その星に生息している種族は本来デストシアの領土である星を侵略している許されざる異教徒なのであった。

「我々は、今後も更なる繁栄の為に、より多くの星を奪還しなくてはならない。それには軍備の拡大に伴い騎士団も増設されるであろう。その時、指揮官として立つ者には心身共に絶対的な強さが求められる」

 ふと、ベルフライはメドューザの消えた廊下より視線を戻す。

「デストシア帝国は、力がすべてを支配している。それは今も昔も変わらぬ。これから先、お前は戦う理由とは何かと自分に問う時が来るであろう」

「それは」

 アイオレスは自分が抱えていた葛藤を見透かされた気がして、ひやりと胸の中に冷たいものが染みた。

「将軍。俺は何も悩んでなどいませぬ。誰よりも信仰を遵守し、デストシア帝国の為に、同胞であるディアボロイドの為に、そして騎士団の為に命を惜しまない覚悟でいます。俺は」

「わかっている。お前の信仰心、忠誠心を疑っている訳ではない。だが戦いを続けるうちに、何時かお前の世界を激変させる事変が起こるやもしれん」

 この時、ベルフライ自身も意識していない所で、何かを感じていたのかもしれない。彼は預言とも取れる言葉を続けた。

「その際には、腰のサーベルが未来を決めるだろう。良くも、悪くもだ」

「あり得ませぬ。俺はこのサーベルを将軍から授かってより、誇りあるベルフライ騎士団の一員として、デストシアの騎士として死ぬと誓ったのです。そして誰よりも将軍の右腕として働けるよう剣術を磨いて来たのです。この星団中に我らの礎を打ち立て、未来永劫の繁栄を約束する為に」

 憧れであるベルフライを前にしてか、むかついていた胸は熱く、戦士としての血がアイオレスを滾らせていた。

 真っ直ぐな情熱は頼もしくもあるが、その何処か不安定な脆さが、ベルフライに暗い影を見せたのだろうか。

 アイオレスの腕は、間違いなく騎士団の中でも上位に入る実力である。

 しかし、時折見せるアイオレスの「心」の弱さが、若き目の深層で揺れるのである。

「今は、そうかもしれぬ」

「どう言う事です」

 許されぬ行為だが、衝動的にアイオレスは詰め寄った。それにすら気が付かない彼の愚直な忠義を知っているからこそ、ベルフライは不安なのである。

「お前が知っている自分は、お前が思っているほど確かではない、と言う事だ」

「わかりませぬ。俺には将軍の言葉が理解出来ませぬ」

 ベルフライは未来ある若き騎士の肩に手を置いた。

「許せアイオレス。今は私にも見えぬのだ。だが、それを知る日が必ず訪れる。今日か、明日か。または、遠い未来かもしれぬ」

 アイオレスの目に灯る形を成さない光は、彼の心情を吐露していた。揺れながら沈み、漂って水に流れる無形の波を形成していた。

「お前はいずれ、私を越えてデストシアを象徴する騎士と成るだろう。それ程の逸材だ。なればこそ私は」

 ふと言葉を切ると、ベルフライはアイオレスの未来へと視線を逃す。そして、静かに「謁見の時間だ」と閉ざした。

「将軍」

 肩から離した手でマントを羽織り直し、ベルフライは身を翻しながら言葉を残す。

「選択を迫られた時、決して間違えてはならぬ。忘れるなアイオレス」

 背中越しに投げかけられ、アイオレスは立ち尽くしたまま、言葉の真意を見つけるべく反芻していた。

 騒ぎが治まった通路からは人が掃けて行くが、その中でオセだけが慈愛を込めた視線をアイオレスへと向けていた。


       ○


 デストシア帝国軍・宇宙艦隊総旗艦ルシフェンヌ。

 小惑星を思わせる巨大さは、まさにデストシアが誇る英知の結晶であった。

 戦艦ラベリウスを筆頭に七十二艦隊が集結する様は、赤い星雲と見間違う程の大勢力である。

 そんな莫大な質量の雲と化し、禍々しい光を放つ艦隊群の中心に鎮座する総旗艦ルシフェンヌにて出陣前の教示が開かれようとしていた。

 ルシフェンヌの謁見の間に召喚された上位士官の数だけでも数万人。下士官、及び位を持たない兵士は所属艦のホロディスプレイの前にて直立の姿勢を見せている。

 集結したデストシア兵達は一糸乱れず整列し、息も止めているのかと錯覚するほど微動だにしない。それは彼らの厚き信仰の現れでもあり、皇帝ゼノンの絶大な影響力でもある。

 耳が痛くなる静寂を抜け、壇上の奥よりゼノンが姿を見せた。他のディアボロイドに比べると、一回り程小柄である。

 錫杖を持つ手は震え、剥がれ落ちた皮膚装甲からは筋肉繊維と血管が浮かび上がっている。

 硬化質のマスクは半面が欠け、最下層のひびわれた皮膚が露出している。額から左目、そして頬まで続く三本の大きな傷跡が残っていた。

 裂けた口元からは牙が覗き、自らを蔑む冷笑を浮かべているかに見える。

 背筋は曲がり、のろのろと足を引き摺る様は、生きる術もなく死肉をあさる老いた獣を思わせる。

 これが、巨大な宇宙帝国軍の頂点に君臨し、屈強なる戦士達から絶大なる信仰として崇められるデストシア皇帝の姿なのか。

 初めて目にした者は、誰もがそう思うであろう。

 生命力の欠片もなく、今にも砂となって崩れてしまいそうな肉体は、数万年もの時を生きた為と言い伝えられている。だが、信仰厚きディアボロイドらの間では、そのような噂をすることすら禁句とされていた。

 それ程までに、皇帝ゼノンの存在はデストシアの礎として、長きに渡り絶対の象徴としてあり続けているのである。

 貧相な肉体とは裏腹に、暗闇を切り取った様な漆黒の法衣から光る赤い目は、全てを焼き尽くさんばかりに激しい憎悪が込められていた。

 そう、怒りと憎しみである。

 憤怒の光は業火と成り、あらゆる贖罪を否定し、見る者の首を締め上げる恐怖として注がれた。

〝勇敢なる、ディアボロイドの戦士達よ〟

 巨大で強固なルシフェンヌが、ゼノンの声に打ち震えた。

 整列した軍勢は稲妻に打たれた衝撃と、巨大な見えざる神の手により全身を握り潰される力に支配された。

 口では悪態をついているメデューザも、初めてゼノンを目の当たりにした時は思わず膝が折れそうになった。「まじかよ」と言葉にはしなかったが、怖いもの知らずな彼ですら、ゼノンの秘める絶対的な力には心から畏怖しているのである。

 ベルフライですら例外ではないのだから、新参の戦士らにしてみれば想像を絶する洗礼であろう。

〝かつて永遠なる営みを紡ぐ楽園より追放され、全てを失った罪なき血の同胞たちは、希望と言う箱舟の中で絶望に握り潰されたのである〟

〝漆黒の炎は幼き宝を包む温もりを悲鳴に変え、魂の声がこの銀河に君臨する我らディアボロイドを呼び覚ましたのである〟

〝それは慟哭の目覚めであり、無限の餓鬼に堕とされた瞬間でもあるのだ〟

 見上げる程の天井であった大広間は、ゼノンから放たれる圧倒的な波動により押し潰されんばかりの重々しさである。

 小さな体が吠え、折れそうな腕が振られるたびに、戦士達は黒く重たい力に全身を貫かれ、身に着けた金具がびりびりと震えるのである。

「これが皇帝ゼノン」と、戦士達は自らの身と心の奥深く、一生消える事のない恐怖と服従を刻まれるのであった。

〝決して忘れてはならない〟

〝この怒りは、卑しくも楽園の独裁を目論んだ裏切り者を焼き尽くすまで、諸君らの胸に未来永劫燃え続けるであろう〟

〝決して許してはならない〟

〝この怨みは、神より与えられた聖なる星を、数多の邪悪なる異教徒より奪い返すまで、諸君らの手に血塗られた火印として刻まれるであろう〟

〝無情なる嘆きの夜に閉じ込められた時、誇り高きディアボロイドは自らの魂を神に捧げ、その身を灼熱の輪廻に投じたのである〟

〝何と言う恐怖〟

〝何と言う絶望〟

〝何と言う犠牲〟

〝流れた血は沸騰し、偉大なるデストシア帝国が誕生したのである〟

〝そして数万年の罪なき罰に屈する事なく、我らは繁栄した〟

〝だが、今この瞬間もデストシアに忍びよる滅びの脅威は、異教徒の手によって画策されている〟

〝穢れなき大地を踏みにじる卑しき蛮族共は、聖なる審判により我らの手によって粛清されるであろう〟

〝勇敢なるディアボロイドの戦士達よ〟

〝神の元に、その剣を掲げるのだ〟

〝デストシア帝国よ永遠なれ〟


       ○


 作戦が始まった。

 惑星エルナンド・衛星軌道上。

 皇帝ゼノンが座を預ける総旗艦ルシフェンヌを中心に、デストシア艦隊から宇宙空間を真紅に染める光が射出されている。

 広範囲に及ぶ光は、雪崩を思わせる密度と速さでエルナンド星の北部に集中する。

 すでにこの惑星の主要施設は宇宙空間から超長距離攻撃により制圧されており、役目を終えた艦隊はこれから始まる地上戦を静かに見守っている。

 超長距離からの攻撃により、損害を出さずに惑星を浄化する事は簡単である。だが地上の資源を焼き尽くしてしまう事もあり、またディアボロイド達は最終的に自らの手によって裁く事が、異教徒へ捧げる最大の慈悲であると考えていた。

 すなわち、デストシア騎士団は侵攻した星の中枢に突入し、白兵戦にて制圧する事を目的に設立されたのだ。地上部隊は多数による敵勢排除と同時に、騎士団の突破口を開く役割でもある。

 何千万と言う軍勢は成層圏に展開し、皇帝ゼノンに扇動されながら降下準備に移行している。

 エルナンド星は緑が少ない変わりに鉱物資源が豊富であり、星その物を建造基地に改造し、さらなる軍備増強を進める事が皇帝ゼノンより下された今回の作戦である。

〝勇敢なるデストシアの戦士達よ〟

〝これは聖戦である〟

〝これは聖戦である〟

〝これは聖戦である〟

〝そう、神の意志に導かれデストシア銀河帝国軍は此処に集った。この世界を不浄成る支配より開放する為に〟

〝罪に塗れた異教徒らは卑しくもこの銀河系に生息し、我らの繁栄を脅かしている〟

〝神より与えられる星を侵略し、欲望のままに穢す。その様な蛮行を決して許してはならぬ。宇宙の果てに隠れようとも必ず探し出し、ひとり残らず懺悔させるのだ〟

〝懺悔させよ〟

〝すなわち、死である〟

〝懺悔させよ〟

〝死によって慈悲が与えられる〟

〝懺悔させよ〟

 突入艇の内部では、降下準備を終えたデストシア騎士団が整列していた。ゼノンの言葉に粛々と精神集中をしていたが、メドューザがひとり五月蠅そうに首を振った。

「つまり、殺された者は幸せに成ると言う訳だ。苦しんでいるなら俺が楽にしてやるぜ」

 と口にはしなかった変わりに、マントの襟から列の対角に佇むアイレオスの横顔を睨んだ。

〝我らは生まれ落ちた時より美しい魂を与えられ、永遠の信仰により神へと近付くのだ〟

〝信仰心のある者は、ディアボロイドとして生まれ、信仰心のない者は醜い異形として生まれるのだ〟

〝信仰心の欠如。それは神への冒涜である〟

〝救済せよ。皆殺しである〟

〝この銀河系より全ての異教徒を焼き払った暁には、全能なる神により「楽園」が与えられるだろう〟

〝行け、デストシアの戦士達よ〟

〝奪われし聖地を取り戻すのだ〟

 不規則に揺蕩っていたと思われた光が、正六角形の網目を描くと静かに動きを止めた。エルナンド星の成層圏に赤い網目が張り巡らされた。

 配置が完了したのである。

〝神の御加護を〟

 ゼノンの言葉に、戦士達の唱和が広がった。

〝全軍降下〟

 エルナンド星の空を、炎の雨が埋めつくした。

 始め、小さく瞬く星屑は直ぐ様に巨大化し、絶望の塊として燃え上がる。聖地奪還と言う純然なる大義を胸に、デストシア軍はエルナンド星の歴史を塗り返るべく飛来した。

「大気圏突入後、断熱圧縮消失と同時にステルス作動。撃ち落されるな」

 ベルフライが搭乗する専用突入機は、網目状に降下する巨大な炎の翼を背に自ら先導し突入する。

 高温に包まれた機内にて、ベルフライは出撃前に謁見したゼノンの言葉を思い返していた。

「ベルフライ。アイオレスと言う者がおるな」

「アイオレスが、いかがされましたか」

 確かに将来を有望視してはいたが、今は隊の副長であるでアイオレスの名を、ゼノンが口にするとは想像もしていなかった。

「あの若者から目を離してはならぬ」

「仰せのままに、ゼノン皇帝。しかしながら、アイオレスに何か」

 自分がアイオレスに漠然と抱いている不安を、より高次元にいるゼノンも何かを感じているのであろうか。

「あやつは、我らディアボロイドに取って、大きな変革をもたらすやもしれぬ」

「変革ですと。それはどの様な」

「解らぬ」

 醜い顔の傷跡から、長き血の歴史を見据えてきたゼノンの目は、ベルフライを通り過ぎて何処か遠くへ向けられていた。

 それは怒り、憎しみ、悲しみでもなく、ゼノン自身ですら理解の及ばぬ未知なる感情なのであろうか。

 絶大な力を有しているゼノンと言えども神ではないし、万能でもない。しかし、少なくともディアボロイドの歴史に大きな影響を与える啓示が、言葉にならない感情として古き皇帝の胸に棘を残しているのである。

「ベルフライ。その確変がどの様な形で現れるかは知らぬ。だが、それが我らディアボロイドにとって脅威と成るものであるなら、その時は」

 ひび割れた指が、ベルフライの胸からサーベルへ流れる。

「御意」

 アイオレスの何が、この強大なデストシア帝国を揺るがす事に成るのか。

 天上にいるゼノンにすら解らぬ事が自分に導き出せるはずもなく、ベルフライは考えるのを止めた。

 示唆されたのは、かもしれない、と言う可能性の話である。アイオレスから感じている弱さが、ゼノンの言う変革に関係あるのかなど知る由もなく、今は未来ある部下を信じるしかない。

 一抹の不安を残しながら、ベルフライのサーベルが小さな音を鳴らした。

「減速。ステルス作動」

 対話も交渉も宣戦布告も無く、ある日突然に空から数多の大量破壊兵器に拠って焼き尽くされたエルナンド星の人々は、世界の終焉を告げる光景に絶望し、恐怖した。

 自らの母星が終焉を迎える運命は、彼等の魂に無慈悲な記憶として未来永劫に刻まれるであろう。

 一方的に行われた地上への攻撃に拠り、世界規模で起きた未曾有の大混乱の最中、エルナンド星の人々は残された兵力で惑星統一連合軍を設立した。とは言え、辛うじて成層圏からの攻撃を免れた兵力を寄せ集めただけに過ぎない。

 近年の技術革新に拠り本格的な宇宙開発に乗り出したばかりのエルナンドではあるが、すでに銀河間を航行可能な移動手段を持つデストシア軍からすれば未開の文明でしかない。

 そんな圧倒的な軍勢に、残されたエルナンドの兵士等は手持ちの時代遅れな火器で対抗しなくてはならないのである。

 もはや逃げ場はない。

 黒煙を纏って落下するデストシア軍に対し、地上から一斉に火の手があがった。存亡をかけたエルナンド軍の迎撃は苛烈を極め、暗く濁った空に閃光の嵐が吹きあれる。

 デストシア軍が目指す場所は、エルナンド最北部・ツンドラ地帯にあるエメ・エルーンと呼ばれる中央政府であった。また、そこには永久凍土の地下深く、惑星のコアを利用したエルナンド星全土に電力を供給できるエネルギー施設が隠されていた。

 莫大な電力を供給出来る事から情報・通信を管理するマザーコンピューターまでも併設されいる。つまり、ここがエルナンドの心臓部なのであった。

 となれば、攻める場所と守る場所がひとつなら作戦は単純である。

 デストシア軍は正面突破。

 エルナンド軍は絶対死守。

 いま正面対決が始まった。

 爆発の煙で空がまっ黒になる迎撃も虚しく、デストシア軍は次々と地表へと到達する。

 何千何万隻と降下する突入艇から決壊したダムの様に黒々としたデストシア兵が吐き出され、赤色のビームが暴風雨と化して吹き荒れる。

 飛来する敵を撃ち落とす筈であったエルナンドの第一次防衛線は、ハリケーンに飲み込まれたハリボテを思わせる脆弱さであった。

 雲、煙、大地が赤い閃光に染まる。

 デストシアの地上部隊から放たれる弾幕の嵐は、人々の祈りを込めて立ち向かうエルナンドの英雄達を無残にも蒸発させた。視界を埋め尽くすビームの波が襲いかかり、防壁が溶け、吹き飛び、爆発する。

 悲鳴を上げる事すら許されず、何が起きたのか、自分は死んだのか、そんな事を思う間もなく、大地を轟かすデストシア兵の軍靴に踏み潰された。

「第一次防衛線、突破されました」

 戦況を監視していたエルナンド側から、絶望に塗れた絶叫があがる。

 モニターしていた者が慌てて前線に目を向けると、氷の大地を赤い瘴気を吐きながら漆黒のうねりが押し寄せていた。

「数ではこちらが圧倒的に多い。落ち着いて随時、防衛線を展開させろ。我々にもはや逃げ場はない。即席の連合軍ではあるが、このエルナンドを守る気持ちは同じだ。最後の一人に成ろうとも立ち迎え」

 エメ・エルーンは後方、左右を氷山に守られている為、エルナンド軍は全勢力を正面に一点集中させていた。それは何重もの鉄壁として、エルナンドの全てを背負いながら待ち構えている。

 両軍から夥しい光が凄まじい密度となって撃ち交わされる。長く眠っていた永久凍土は、今日と言う最悪なる一日に拠って無残な姿に変わり果て、血に汚された。

 銃弾、爆弾、ミサイルなど、エルナンドのあらゆる兵器を持ってしてもデストシア軍を止められない。

 根本的な科学技術の違いもあるが、どんな攻撃でも怯む事なく、痛みや恐怖を知らぬ様な妄信的な彼らの戦い振りに、エルナンド軍は震え上がるばかりである。

 どれほど戦意を挫かれても、いかに絶望しようとも、エルナンドの兵士達は逃げる事を許されず、泣きながら震える銃口で撃ち続けていた。

 第二次防衛線との距離が縮まり、再び両軍が激突するかと思われた時である。急にデストシア軍勢が左右に展開し、衝撃と乱戦に備えていたエルナンド軍は虚を突かれた。

 その一瞬の合間を縫って、後方に位置していたデストシア騎士団が殺到して来たのである。

「突撃」

 地下にマザーコンピューターを置いている影響により、エメ・エルーン周辺は強力なジャミングにて一切の無線通信が遮断されていた。

 その影響から指示系統は全て伝令と信号弾と言う原始的な方法に切り替えられていたが、デストシア騎士団はどのような環境、状況でも戦えるべく訓練されていた。

 ベルフライの一声により、騎士団のサーベルが一斉に引き抜かれた。禍々しい赤色の刃は、巨大なる漆黒の獣が眠りから覚め獲物を狙う瞳を開けたかに見えた。

 戦場に姿を表した天へと掲げられる真紅の刃は、エメ・エルーンを守る兵士たちに振り降ろされた。赤光が軌跡を描くたび、エルナンド兵は斬り刻まれる。

 斬激を防ごうとした銃身も、身につけた防弾アーマーもシールドも、火花を散らし切断されて弾け飛ぶ。

 黒いマントを靡かせながら赤いサーベルを振るう姿は、まるで翼を広げ血塗られた爪を突き立てる悪魔そのものであった。

「殺せ殺せ殺せ一匹残らずぶっ殺せ」

 血と悲鳴が織りなす匂いに酔いしれたメドューザは、さらに甘美なる獲物を求めて喰らい付く。

 サーベルを繰り出しながら体当たりをし、足蹴にし、時には殴りもした。敵を倒す為なら手段を選ばぬ荒々しい剣術である。

「将校は俺にやらせろ、よこせよこせよこせ、すべて斬首してやる」

 その影響か、メドューザのアグナサードは皆制御を失ったマーシンの如くに暴れ周り、立っている者を全て薙ぎ倒す勢いであった。だが、それでいて統率が取れているのは彼の副長としての手腕であろうか。

 対照的なのは、右舷に位置するアグナファーストを率いるアイオレスである。

 無駄な動きはせず、攻撃を流した勢いで刃を返す。優雅さすら感じる太刀傍きは、まるで相手からサーベルに吸い込まれる錯覚すら思わせた。

 進むべき道が見えているのか、複雑な岩間を抜ける清流の如く、アイオレスは身を捻り、腕を返し、サーベルを閃かせる。

 撃ち込まれる弾丸、突きつける攻撃、飛び掛かる敵兵。そのどれもが見えない壁に阻まれたのか、彼を避けて後方へと流されて行く。たたらを踏み、アイオレスを通り抜けた者は一瞬遅れて崩れ落ちる。

 誰もが、自分が斬られた事にすら気が付かない。知らぬ間に噴きだす鮮血に、驚愕の表情を浮かべるのである。

 膝を付き、地面に倒れ、漆黒の靡くマントから赤い光が覗くアイオレスの後ろ姿を見上げた時、彼らは初めて自分の死を知るのであった。

 重さを感じさせず、戦場で踊っているかに見える美しさとは裏腹に、彼の周囲では累々と血に包まれた屍が列を成す。

 赤い光はするすると敵に近づき、羽のような軽やかさで首を跳ね飛ばす。

「強引に行くな、雑兵と言えど弾が直撃すれば死ぬぞ」

 一発、二発。

 自分を狙った弾と、隣の部下に飛んできた弾をサーベルで弾き、アイオレスは後ろに続く隊を叱咤した。

 一歩引いてアイオレスの背後に位置していたオセは、サーベルに付いた血を振り落としながら肩を寄せ大声で返した。

「アイオレス殿、私の心配は無用です」

 数舜前に、オセを狙った弾をアイオレスが弾いた事を言っているのである。

「余計な事をした。だが、お前は後ろの奴らに気を配ってやれ。危なっかしい奴が多い」

「は」

 オセはサーベルの柄を顔に寄せて掲げると身を離し、両者は再び赤光を振るって敵陣を切り崩し始める。

 そのすぐ近くでは「こんな気の抜けた弾に当たるかよ」と、乱暴に弾丸を弾き返したメドューザが叫んでいる。

 単発であれば弾丸は直線的に飛んで来るため、騎士同士で行う斬撃を避ける訓練より簡単である。

 自分に向けられた銃口から弾道を予測すれば良いのである。トリガーを弾くタイミングすら、剣術での呼吸の読み合いに比べれば雑作もない事であった。

 これらの神業を成しえてこそ、デストシアの騎士士官として認められるのである。

 左舷にアグナサード・メドューザ、右舷にアグナファースト・アイオレス、中央にアグナセカンド・ストラス。三人の先頭にアグナトップのバァサーゴが位置している。

 アグナ隊、ベルナ隊、シーズ隊とつづき、最後のゼンド隊まで三角形の布陣を広げ、それら卓越なる騎士団を統率する将軍・ベルフライが先頭を猛進していた。

「続けデストシアの戦士達よ。神に与えられし聖地を取り戻すのだ。葬った異教徒の数は信仰の証である」

 この惑星始まって以来の侵略戦争に、大地は血と泥で汚され蹂躙された。

 黒煙の切れ間から射した夕日が、血の吹雪を纏うベルフライを照らし出した。その岩盤を思わせる屈強な背中を追い駆ける者には、勇気と勝利の武神として敬愛される。

 一方、視界を染める黒々としたデストシア軍を牽引し、返り血を浴びてぬらぬらと逆光に浮かび上がる姿は、エルナンドの歴史に終焉の使者として刻まれた。

 血の炎を思わせる真紅の巨体は、永久凍土に舞い降りた絶望の化身として、寒さに慣れている筈のエルナンド兵の肉体を、そして心までをも凍り付かせた。

「この悪魔め」

 口々に浴びせられる罵りは、最大の慈悲として体から魂を抜かれる事で許された。

 ベルフライの周囲に飛び散る鮮血は、うなりを上げるサーベルに吸い寄せられて弧を描いた。それは一太刀振るう度に放たれる圧倒的な殺気が、余りの濃度に実体化した様である。

「蛮族共よ我を悪魔と呼ぶか。良かろう、その汚れた魂を解放し、新たな命を紡ぐ為なら喜んで受けよう。我等はディアボロイドであると」

 自らの存在を悪魔と称し、デストシア一の武人は死神と成りて絶命の鎌を手にするのであった。

 赤い樹液をもった草木として、エルナンドに生息する罪なき兵士達は、突如現れた暴力の鎌によって雑草の如く刈り取られた。残忍と表現するのは、駆逐される側の主観である。

 突風を思わせる刃鳴りに、エルナンド兵は短い断末魔を上げて吹き飛ばされる。いや、それは悲鳴でもなく、斬られた衝撃に発せられた肉体的な音でしかなかった。

 ひとり、またひとり。

 倒れた者の上に、さらに絶命したエルナンド兵が折り重なる。

 荒々しくはあるが雑ではなく、大きな岩を投げ付ける様な勢いの中に、極限まで高められた剣技が閃く。

 敵を圧死させる力を持ちながらも、急所を狙って走るサーベルの軌跡は、神が指でなぞった美しさと正確さであった。

 常識を越えた速さで襲い掛かる斬撃は、死に行く者には絶望から解放される幾何かの救いであろうか。

 視界に赤い光が煌いた、その直後には暗転し魂は救済を求めて旅立った。

 そこが天国なのか、はたまた奈落の底なのか。ディアボロイド達の神が救い上げるのなら、魂は許されデストシアの戦士として転生するであろう。

「このまま中央突破する。両舷は挟撃されぬよう展開しろ」

「落ち付け、落ち付け。冷静に対処して前線を押し返すのだ。数では負けていない」

 互いの指揮官の命令は単純ではあったが、経験と能力には大きな差が見て取れる。

 エルナンド軍は何重にも防衛線を張り、第一次が破られれば第二次、第三次と守りを押し進める予定であった。

 しかし白兵戦を仕掛けて来たデストシア軍に中央を斬り込まれ、ずるずると後手に追いやられ陣形を立てな推す事が出来ない。

 敵味方が入り乱れ、広範囲による一斉射撃を行えない状況では、個々による戦士としての力量が大きく左右する。

 横に展開していた陣形を中央深くまで突破され、縦へと斬り込まれたエルナンド軍は体制を立て直すべく、無傷な後列部隊を白兵戦用の武器に持ち替えさせた。

 崩れた前線が秩序を失いながら散開すると、換装を終えた後列部隊がサーベルやスピアを手に待ち構えていた。

「これ以上はやらせぬ。我々が最後の砦である事を肝に銘じよ。凶悪なる侵略者共を排除せよ、我らの星を守り抜くのだ」

 地平線を埋めるエルナンドの兵士達が号令にサーベルを抜くと、暗い夕日を反射して鈍く輝いた。

「もはや退路はない。諸君らの手にエルナンドの未来が握られている事を忘れるな」

 残された兵士たちは口々に「エルナンドの未来の為に」と挫けそうな自らを鼓舞し、声を上げて立ち向かう。

「我らと剣を撃ち合うか。ならばデストシア騎士団、全力を持って最大の慈悲を与えん」

 両軍がサーベルを手に激突した。

 広大な氷の大地の上で、何万と言う刃が撃ち交わされ大気を切り裂いた。

 悲鳴、怒号、舞い散る火花と鮮血。

 激しい金属音が、幾度も木霊して戦場を支配する。

 風も、雲も、軍靴の轟きも、刃鳴りの雷鳴と成るサーベルの音に飲み込まれた。お互いの全てをぶつけた大規模な白兵戦は、しばし均衡しているかに見えたが、それも長くは続かなかった。

 残念ながら、エルナンド兵たちの祈りは神には届かなかった様である。瞬間的な勇気と気迫にデストシア軍を止める事は出来ても、そこから切り崩し、押し返すまでには至らない。

 そもそも戦う為に進化を繰り返し、サーベルにて慈悲を捧げると言う、個々の戦士が持つ身体の強靭さと信仰の違いがある。

 それらを生まれた時より鍛錬し、磨き上げて来たデストシアの戦士とでは、土台も練度にも大きな隔たりがある。

 それらが一時的な兵士の士気により覆る、などと言う奇跡は起らず非情な現実はエルナンド軍の鍍金を剥がして行く。

 最初の亀裂は、やはりベルフライやアイオレスら手練れの騎士達が切り開いた。

 上位騎士であるアイオレスと斬撃を交わせても数回。それ以外の殆どは、サーベルを撃ち合わせる事もなく、ただ倒れる為だけの人形でしかない。

 ひとりふたり、いや十名程ならまだ気持ちも保てたかもしれない。

 それが数十名、数百名と斬り捨てられると、エルナンド軍の心が折れ始めた。

「さあ、もっとだ。もっと俺の心を燃やす者はいないのか。灰になる程の闘志をぶつけて来い」

 アイオレスの胸には、苦痛と官能が混ざりあう炎が渦巻いていた。正体の知れぬ不気味な存在を消しさろうと、戦いに身を投じるほど激しく燃え上がる。

 数多の魂を黄泉へと突き落とす度に、薪をくべる如くに熱量が増す。甘美なる血の躍動は、アイオレスの心を震わせた。

 戦士である自分を弱気にさせる、その「小さな」な恐怖を飲み込み、握り潰し、粉々に打ち砕く為に。

 灼熱の炎に焼かれる度に、その胸は激情に支配されアイオレスの叫びはサーベルの咆哮として吐き出される。

 熱すれば熱する程に、奥底に眠る「痛み」は鋭利な氷となって胸をえぐるのである。

「どうした、そんなものか」

 弾丸を撃ち込まれ、体を刺され、無数の牙で血肉を喰い千切られても感じた事のなかった「それ」を追い払おうと、もがき苦しむ。

「俺を、俺を燃やし尽くしてみせろ」

 憤りは胸から溢れ、肉体を飛び出し、踏み付ける大地も、雄たけびを響かせる大気も焦土へと変えんばかりである。

 アイオレスの目には、何が見えているのであろうか。己を喰わんとする影と戦う彼の周囲には、存在すらも忘れさられた亡骸が転がった。

 デストシアの赤い厄災は、あらゆる希望を絶望に変えていた。

 これら卓越なる騎士の神懸かり的な剣技の前に、列をなして殺到するエルナンド軍の亀裂は広がるばかりである。

「駄目だ駄目だ駄目だ。まったく斬りごたえのない雑魚共がよ。退屈で死にそうだぜ」

 目に見えて大きく陣形が崩れたのは、メドューザが斬り込んでいた個所からであった。優雅さには欠けるが、強引な荒々しい戦い振りが恐怖を振り撒き、ついにエルナンド兵達の心を叩き折ってしまったのである。

 撃ち込まれた楔は亀裂を深め、絶望と諦めの気配が伝染した。

 ひとりが逃げ出すと、次々と負の連鎖が広がった。一度芽生えてしまった恐怖は加速し、後方で突撃の準備をしていた兵士までもが武器を捨て逃走し始めたのである。

 戦う意思が有る者と無い者。そんな両者が戦場に残されれば結果は明白である。逃げ惑うエルナンド軍に対し、デストシア軍は一方的な殺戮を行い始めた。

「殺せ」

 本来は自分達の星であり領土でもある。それを勝手に喰い荒らす害虫に掛ける情けなどなく、無論捕虜などと言う政治的な道具も必要ない。

 地上の浄化後に惑星規模の生産プラントに改造する際に、残った害虫は何かしらの肥料や燃料の足しとされるであろう。彼等の存在価値など、その程度の物なのである。

 であるならば、サーベルでの斬死と言う名誉を与える方が余程人道的であり、それこそが慈悲である。

 このような信仰に基づいているディアボロイド等に、敗走する兵士を殺す事柄に関しては一切の容赦はない。

 逃げる獲物と、それを追う狩人。

 何百万からなる壮大な規模の狩りは、大虐殺と言う残忍極まりない光景である。

 既に逃げる場所もないのだが、それでも僅かな希望を求めて生命と言う力が抗うのである。砂粒ほどの救いにすがりながら、エルナンド兵達は泣き叫び、恥も尊厳も、明日も、そして命も奪われた。

 これらエルナンド星に広がった絶望は、地上の兵士だけではなく地下深くにまで浸食していた。

 終わる事のない流血が氷の大地に吸い込まれ、惑星内部で怨念と成り渦巻いたのであろうか。エルナンドの神か、精霊か、星の命を繋いでいた者の憐れみか。それとも流れた血が何かを目覚めさせたのか。

 始めはゆっくりと、静かに悲鳴に掻き消されていたそれは、次第に大きくなり誰の耳にも届く轟きとなった。

 しばしの時間を置いて、次は耳ではなく足元から大きな振動が襲う。

 遥か地中の奥底から、染み込んだ怒りと無念を受けた惑星による慟哭を思わせる地響きが起きたのである。

 大きなゆっくりとした波のうねりはあっと言う間に加速し、不気味な地鳴りが戦場を包み込んだ。

「なんだ」

「地震か」

 今迄何があっても怯む事がなかったデストシア軍が、予想外の事態に進軍の勢いを止められた。

 全身を跳ね上げる大地の荒ぶりに、立っている事もままならない。冷たく重たい氷の大地が、地中の岩盤と混ざり合いながら轟音を上げて亀裂を広げて行く。

 突き上げる激しい衝撃に、数メートルもある分厚い氷の大地が隆起すると、巨大な青い炎が噴出した。

 戦場の中心で突然に爆散した氷と炎は、デストシアのアグナトップのバァサーゴ、アグナセカンドのストラスを含め数百名を蒸発させた

「ストラス、バァサーゴ殿」

 爆発の衝撃波に、近くにいたアイオレス、オセを含めた隊の数十名も吹き飛ばされた。

「一体どうなってやがる」

 激しさを増す地震の最中、メドューザも状況が解らずに隊を進められずにいた。

 バァサーゴとストラスが事故死した為に、アグナ隊の指揮と残されたアグナセカンドを引き継がなくてはならない。

「アイオレス」

 ベルフライが指示を投げ掛けた時、二回目の爆発が起きた。

 今度はエルナンド側に、同じく巨大な炎が氷と兵士を蒸発させて消し去った。それを皮切りに、あちこちで爆発の連鎖が戦場を包み込む。更なる悲鳴が両軍に沸き起こり、両軍を巻き込んだ大混乱が渦巻いた。

「落ち着け、下手に動かずに隊を纏めろ」

 ベルフライはエルナンドが仕掛けた罠かと考えもしたが、敵側にまで被害が及んでいる。

 少なくとも狙い撃ちされる心配がないのであれば、逃げ回る必要はないと判断したのである。だが、それは正解でもあり不正解でもあった。

 誰もが混乱に右往左往する中、両軍の攻守の存在であったエメ・エルーンが内部から崩壊を始めたのである。

 天まで聳える白い要塞は、沈み行く陽光に血の色に染められ、悲しみの声を含めながら青い炎を噴き出した。

 爆発は要塞上部へと連鎖し、粉雪を思わせる破片を撒き散らしながら、空高く聳える巨塔がゆっくりと沈み行く。空からは破片や氷が豪雨となって降り注ぎ、揺れる大地からは超高熱の炎が襲い掛かる。

 両軍とも、しばし青い炎に包まれながら崩壊するエメ・エルーンに目を奪われていた。だがその時、数々の戦場を経験したデストシア軍でさえ予想しなかった事が起きた。

 戦意を失い、統率を失い、逃走し、大混乱へと陥っていたエルナンド兵が一斉に決起して、デストシア軍へと特攻を仕掛けたのである。

 ひとりが「エルナンドと共に」と立ち上がると、それは心が折れた筈の兵士達に連鎖して大きな反抗の狼煙と成った

 陣も作戦もなく、ただ一直線に。

 何が起きているのか状況も解らぬまま、突然の特攻にデストシア軍はかつてない緊張に襲われた。

 今更、戦局が変わるものでもない。それにもかかわらずエルナンド兵は飛び掛かり、サーベルに突き刺されて絶命する。

 混乱しているとは言え、デストシアの騎士達がそう簡単に討ち取られるはずもなく、さきと同じ光景が繰りかえされるはずであった。

 この時違っていたのは、飛び込んできたエルナンド兵の手に爆弾が握られていた事である。彼等はサーベルに貫かれながらも、デストシアの騎士にしがみ付きながら閃光に消えた。

「おい冗談だろ」

 その意図を理解したメドューザは、斬り合いでは感じた事のない恐怖に背筋が凍った。

 一斉に反旗を翻したエルナンド兵は次々と自爆を決行し、少しでも多くのデストシア兵を道連れにしようと特攻する。

 爆弾を持たぬ者は体を突き刺されてもなお、手に持った高熱のナイフで相打ちを狙う。突然の事に、爆発に巻き込まれるデストシア軍に動揺が走る。

「自暴自棄に狂ったか蛮族共め。皆落ち着け、死兵の勢いは長くは続かぬ」

 ベルフライが焦燥を見せるデストシア軍を叱咤した所に、伝令兵が慌てて駆け寄って来た。

「伝令。本隊より直ちに全軍撤退せよとの事」

「撤退だと」

 特攻してくるエルナンド兵を斬り飛ばしながら、ベルフライは撤退の意図を考えた。確かに落とす場所がなくなり、事実上のエルナンド星の陥落である。だが、今だエルナンド軍の特攻と激しい地震に襲われてはいるが、それだけにしては不可解である。

「地下の施設より高エネルギーを感知。エルナンド軍は星を自爆させ、我らもろとも消滅させるつもりである、と」

「なんだと」

 この異変は自然災害ではなく、エルナンドが最終手段に踏み切った為であったのだ。

 自分達の母星を守りたいと願う僅かな希望すら、デストシア軍のあまりの強さが打ち砕いてしまった皮肉である。凶悪な侵略者に一方的に蹂躙され、殺され、星を奪われ、全てを失うのであるのなら、せめて自分達の手で終焉を迎えたい。

 考えられる最悪の事態まで追い詰められたエルナンドは、惑星元首の決定により地下深くにある巨大エネルギープラントの自爆システムを作動させたのである。

 絶望に打ちひしがれていたエルナンドの兵士達は、地震と地中より噴出した炎、崩壊するエメ・エルーンの姿に全てを悟ったのである。

 惑星元首は、我らの星と心中すると。

 なればこそ、このまま宇宙の藻屑となるのなら、憎き侵略者にせめて一太刀でも浴びせたい。エルナンド軍に残された最後の誇りである。

 これが混乱に陥っていた状況で、エルナンド軍が一斉に決起した理由であった。

「ええい、我らの聖地を穢すどころか、星ごと消滅させるなど恥を知れ蛮族共」

 激高したベルフライは、激しく突きあげる氷の上でも微動だにせず、後ろのデストシア軍にサーベルを掲げた。

「全軍撤退」

 すばやく信号弾が打ち上げられ、浮き足立っていたデストシア軍に秩序が回復する。

「アグナ隊。私としんがり、最後尾を守れ」

「は」

「御意」

 メドューザはひらりと身を返し、アイオレスはベルフライの近くで陣を構えた。その直ぐ後ろにオセが付いた。

 未来を絶たれて死兵となったエルナンド軍は、自爆、相打ち覚悟の特攻を繰り返し、撤退するデストシア軍の背後に喰らい付く。

「逃げろ逃げろ逃げろ、早く逃げないと抱き突かれてバラバラにされちまうぞ」

 退却する騎士団は銃撃隊の援護を受けつつ、自分達も距離を取るためにサーベルからブラスターに切り変えて追ってくる敵兵を狙撃する。

 尋常ではない反射神経と動体視力を持ちえた騎士である為に、射撃の技術もまた並々ならぬ腕前である。

 弾幕をばら撒く銃撃隊とは違い、無駄撃ちをする事なく仕留めて行く。これも騎士たる戦いの礼儀であり、異教徒に掛ける慈悲の現れでもあった。

 砕ける地面を駆けながら、的確にエルナンド兵の頭部を狙撃する。

「血肉を断ち切る感触を味わえないなど、実に退屈だぜ。だが、死ねば同じなら俺がいくらでも救済してやるぜ。感謝しろゴミ共」

 メドゥーザは、空になったブラスターのカートリッジを落としながら唾を吐いた。

 その間にも揺れは続き、地中より炎が噴出す頻度が増していた。地下のエネルギー施設の崩壊が進んでいるのだ。

「卑劣な異教徒め。一人として通すものか」

 地震、炎、ふりそそぐ氷塊、銃撃、雪崩込む死兵。

 この世の地獄、と言う表現が相応しい混乱が支配する戦場で、ベルフライらは崩れる事なく鉄壁の守りを見せていた。しかしながら、数で優っている無秩序な特攻の前には限界がある。

 彼等とて万能ではない。

「このエイリアンめ、くたばれ」

「エルナンドは、お前らには渡さぬ」

 呪詛を口々に飛び込んで来るエルナンド兵は、アグナ隊の数人を巻き込んで爆死する。

 兵数の数では圧倒的に多いエルナンドが、全軍で自決覚悟で押し寄せるとなれば流石のデストシア騎士団も分が悪い。

 竜巻の如く、サーベルが唸りを上げて水際で抑えていたベルフライも、手が届かない所までは守り切れない。

 ひとり、またひとりと相打ちに失い、最後尾での守戦が崩れそうな予兆を見せた。

「将軍、お退き下さい。ここは俺が」

 荒ぶる戦況で、アイオレスはサーベルを振りながらベルフライに肩を寄せた。

「私の心配をするか、アイオレス。部下より先に逃げる将など騎士の風上にも置けぬわ」

「しかし、このままでは」

「隊が崩れる。アイオレス、お前が先導して退かせろ。そろそろ限界が来ている」

 どれだけの返り血を浴びたのであろうか、ベルフライのマントは重く濡れ光っている。

 彼の周囲では守戦が陣形を保てなくなっていた。奥まで食い込まれただけではなく、星の崩壊が加速した事により、裂け行く地面に隊が孤立を強いられているのである。

 戦場での躊躇いは死につながる。

 アイオレスは周囲の死兵を薙ぎ払うと、隊を退かせ始めた。

「アグナ隊退け。距離を取りつつ撤退しろ」

 敵が逃走の気配をさせた事に、エルナンド軍は追い打ちを掛けるべく勢いを増した。

「死んだ仲間の為に」

「母なる星の怒りを知れ」

「エルナンドの誇りと共に」

 堤防が決壊した様に、濁流を思わせるエルナンドの兵士たちが祈りと共に殺到する。

 囲まれると思われた時、一際大きな炎が空まで立ち登ると暗く立ち込めていた雲をも蒸発させた。

 暗い夕焼けを青色に染めあげる超高熱の炎は、エルナンドの軍勢を蒸発させ、大地を吹き飛ばして巨大なクレーターを作り上げた。

 余熱と衝撃波に拠り、クレーターを中心に氷の大地が崩れ落ちる。

 長い亀裂に沿って地盤は引き裂かれ、炎と高熱のガスが噴き出す谷間へ両軍の兵士が飲み込まれた。

 長い亀裂はさらに伸びて、エネルギープラントに近いエルナンド側の大地が広範囲によって沈没する。

 悪運か、それともディアボロイドたちが持つ生への執着が引き寄せたのか、大地の崩壊は結果としてデストシア軍の撤退の手助けをした事と成った。

「将軍」

 崩壊する大地は、ベルフライの足元にも穴をあけて高熱の闇へと誘い込む。

 サーベルを地面に突き刺し、滑り落ちない様にアイオレスが手を伸ばした。その横を、逃げ遅れたデストシアの兵士が落ちて行く。ベルフライは跳躍し、隆起しながら地中へと飲み込まれる壁を蹴ると、アイオレスの手に引き上げられた。

 重さを感じさせず、ひらりと大地の上に舞い戻ると、退却しながらも様子を見守っていた騎士団へと合流した。

「アグナ隊、もう充分だ。皆に続け、退却だ」

 見れば、既に空へと昇る突入艦があった。さらに事態を察した戦艦が、成層圏まで高度を落としていた。

 黒雲の隙間から、戦艦の放つ動力炉の赤い光が無数に輝いている。退却するデストシア軍を迎えに来たのである。

 巨大なクレバスの出現に好機を得て、ベルフライを含むデストシア騎士団は突入艦が待機する場所まで逃れつつある。

「撤退は不本意であるが、状況が状況だ。アイオレス、良くやった」

 専用突入艦が、長距離からの攻撃を防ぐシールドを解くと主人を迎え入れた。ベルフライは、ハッチに手を置きながらアイオレスの目を覗き込む。

 しばし物言いだけな様子であったが、部下の肩を叩くとコックピットへと搭乗した。

「艦内で会うときはアグナトップだ」

「は」

 ハッチが閉まるのを見届けたアイオレスは、自らも隊アグナが乗り込む突入艦へと向かった。

「アグナ隊、早く乗れ。緊急離脱するぞ」

 遠くではクレバスを越えたエルナンド兵が、再び殺到しつつある。この星が消えて無くなるその瞬間まで、決して逃がすまいと言う執念が、亡霊の如くに彼らを動かしているのだ。

「異教徒め。この星と共に浄化されるが良い」

 最後のひとりを乗り込ませ、アイオレスは地面から浮き始めた突入艦に足を掛けた。

 予期せず、近くで爆発が起きた。

 崩壊の波が此処まで広がって来たのである。

 閃光と衝撃に一瞬、視界を奪われた。

 その時、誰かが輸送艇の内側からアイオレスを蹴り落としたのである。身を起こし、顔を上げると突入艦は危険を避ける為に上昇していた。閉まり行くハッチから覗いた顔にアイオレスは怒声を上げた。

「メドューザ」

 彼の意図は明白である。

 アグナ隊トップのバァサーゴが戦死した為、次の隊長は副長から繰り上げて任命される。メドューザが先の会話を聞いていたかは解らない。

 だが、ここでアイオレスも戦死すれば、順当に自分が隊長であるアグナトップとして昇格する。

 何時から狙っていたのか、メドューザは混乱に紛れて文字通り「蹴り落とした」のである。

「アイオレス殿」

 眼下に残されたアイオレスに、叫ぶオセにメドューザが腕を上げて抑え込んだ。

「今戻れば俺達全員が飲み込まれる。あいつも騎士なら死に際も心得ているだろうさ」

「何を言っているのです」

「あいつひとりの為に、隊を危険に晒す事は出来ない。士官は隊員を守る義務がある」

「承服できません」

 本気でハッチを開けようとするオセを掴むと、メデューザは乱暴に後ろに放り投げた。ざわついた輸送艇の中で、メドューザは地上に目を向ける隊員に言い放つ。

「誰もが戦場で死ぬ。その時に優先されるのは隊の存続だ。ストラス、バァサーゴ殿でも同じ選択をするだろう」

 白々しくも流暢な台詞は、予め用意してあった様に流れ出る。

「そいつを押さえとけ」

 再び立ち上がろうとするオセは、同格の兵から締め付けられていた。メドゥーザの真意はともかく、此処で本気で引き返されたら自分達の命が危ないのは事実である。

 アイオレスの人望からオセの気持ちも理解出来るのだが、自らの命には代えられない。

 窓に顔をよせる部下達の背中から、メドューザは崩壊しつつある惑星と、残されたエルナンド兵に囲まれるアイオレスに「様を見ろ」と吐き捨てた。

 だが時を同じくして、ベルフライも取り残されたアイオレスを確認していたのである。突入艦の中で地上の様子をモニターしていた際に、偶然にも彼の姿が映ったのである。

「アイオレス」

 見ればたった独り、大勢のエルナンド兵を相手に必死でサーベルを振り回している。いくらアイオレスと言えども長くは持たない。

「戦艦ラベリウス。今から送る座標へ半径五十メートル外周。最小出力でレーザーを放て」

 分厚い雲を押し分けながら、上空には続々と帰還する突入艦を収納する為にデストシアの戦艦群が赤い光を無数に覗かせていた。

 溶けて崩れる波が広がり、地下のエネルギー施設が機能を失った影響か通信も若干ではあるが回復しつつある。

「アイオレス聞こえるか」

「将軍」

 不鮮明ではあるが、しっかりした返答が聞こえた。その声には、まだ諦めが含まれていない。

「今から戦艦の援護射撃で周囲を一掃する。その後、指定の座標ポイントに向かえ」

「何をする気です」

「お前のすぐ近くに大破した突入艦がある。動力はまだ生きている。脱出ポッドで宇宙まで上がれ。拾ってやる」

 地上から、雲に届くほどの巨大な炎が噴出した。今迄とは比べ物にならない規模と熱量である。

 上空まで舞い上がった炎は、何隻かの突入艦までをも焼き尽くした。その余波を受けて、アイオレスとの通信も途絶する。

「ラベリウス、撃て」

 脱出の指示が聞こえたかも不明なまま、ベルフライは上空の戦艦に発射命令を下す。

 空が不自然なほど赤く染まると、雲を蒸発させながら何本ものレーザーが地表へと降り注ぐ。

 例え最小出力とは言え、都市制圧用の破壊兵器である。アイオレスを巻き込んでしまう危険があったが、彼を救うには他に方法もない。後はアイオレスの持つ運と、生きる残る力に託すのみである。

 光を放つ亀裂が、エルナンド星全体に広がっている。大きな口を開けた地下より、大気その物が燃えているかに見える巨大な炎が伸び始めた。

 獲物を追いかける様に手を伸ばす炎を避け、装甲を溶かす突入艦を収容しながら、デストシア艦隊はエルナンド星から離れつつある。

 幾らもしない間に、エルナンド星を消滅させる超爆発が起きるだろう。多少の距離では、全て飲み込まれてしまう。

 その為、デストシア艦隊は超長距離移動を行う光速潜航の準備に入っていた。

「全軍に通達。間もなく光速潜航によるエルナンド星脱出を行う。収容が間に合わない部隊は、セーフティーネットによる同期潜航をされたし」

 セーフティーネットは光速潜航する際に戦艦そのものを守る役割でもあるが、その地場の内側に存在する物も同時に転移させる。

 安全面から考えれば、当然のこと戦艦内が確実ではある。しかし、今回の様に収容が間に合わず、かつ緊急を要する場合にのみ行われる特例であった。

 簡単に言えば戦艦に袋を括り付け、その中に入れて一緒に飛んで行くと言う事である。

「セーフティーネットだと。途中ですっぽ抜けたらどうすんだよ。急げ急げ急げ」

 既に成層圏まで登ってきたメドューザは、無数の光が吸い込まれる戦艦の収容ドックに顔を向け、突入艦の壁を蹴る。

「アイオレス、まだか」

 重力圏限界で待ち構えるベルフライは、急激に熱量を増すエルナンド星を背景にアイオレスを探す。

 地表の崩壊は連鎖し、繋がり、惑星全土に浸食していた。エルナンド星は白く輝き、宇宙空間まで伸びる炎は羽ばたく天使の翼を思わせた。

「やばい、やばい、やばいぞ、おい」

 苛々としながらラベリウス戦艦内へ戻る事が出来たメドューザであったが、普段であれば薄暗い格納庫ですら、煌々と照らし出すエルナンド星の熱量に肝を冷やしていた。

 その時、巨大な炎の輪から収縮し始めた惑星の重力を振り斬り、デストシア艦隊へ近づく軌跡があった。

「アイオレスか」

 返答はないが、ここまで戻って来たのが生存の証拠である。

 ベルフライは専用輸送艇よりガイドレーザーを放ち、アイオレスの乗った脱出ポッドを牽引し戦艦へ急行する。

 収容されながら様子を伺っていたメドューザは「嘘だろ」と再び壁を蹴り付けた。このままアイオレスが帰還すれば、彼を蹴り落とした事が問題になるであろう。

「クソ、クソ」と何度も踵を打ち付け、メドューザは全身全霊で呪詛を吐いた。

 今のメデューザに出来る事は、アクシデントによるアイオレスの死を祈る事だけである。

 格納庫の隅では、オセが何かを叫んでいた。

「デストシア全軍、高速潜航カウント開始。各自セーフティロックされたし」

「まだ早い」

 ベルフライの突入艦は既に収容ドックに差し掛かっているが、アイオレスはまだ戦艦のセーフティネットに届く距離にない。

 脱出ポットは本来、宇宙空間で使用される為、強制的に射出されるだけで自力での制御は出来ない。ベルフライのガイドレーザーに導かれてはいるものの、慣性航行に拠り速度は上がらない。

 このままでは取り残される危険がある。

「光速潜航最終カウント。五秒前」

「まだか」

 ベルフライとメデューザが同時に叫んだが、それぞれの意味は真逆であった。

「三」

「二」

「一」

 アイオレスがラベリウスのセーフティネット手前まで辿り着いた時、デストシア艦隊に大きな地場が発生した。

「光速潜航」

 エルナンド星が爆発し、全てが光に包まれた。

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